FC2ブログ

おしん、アバーヤ、湾岸アラブ識別法

 最近日常ネタが少ないです。
 学校と図書館と家の往復で受験生みたいなルーチンが完成してしまって、今ひとつ変わったことが起こらないからです。
 いや、変わったことを起こしたければ、この街では非常に簡単なのですが(笑)、もういい加減「面倒なのが面白い」経験にも飽きてきたので、しばらくはコツコツお勉強でもして平和に暮らそうかと思っています。


・おしん

 エジプトで「おしん」が流行ったのは大分以前のことで、日本と聞いて「おしん」が出てくるのは、一定以上の世代の一部の人だけです。
 でも最近、日本人女性と結婚したがるエジプト男の一部に、「日本女性=おしん」というイメージが残っているらしい、と聞いて愕然としました。
 エジプトでは、国内恋愛事情の厳しさ等から、外国人女は誰でもモテるのですが、ただでさえも日本人は話下手でナメられがちなのに、こんな超絶能天気な幻想の犠牲になる日本女性がいるとしたら、悲惨すぎます。
 さすがにリアル日本女を前にしてある程度お付き合いがあれば目が覚めるんじゃないか、と思いますが、日本人観光客なんて掃いて捨てるほどいる状況でまだそんなことを言っている男が実在すること、エジプト男の凄まじい妄想ファンタジー力と先のこと何も考えていない勢いを鑑みると、本当に「おしん」の悪影響が存在するんじゃないか、とも思えます。
 いやまぁ、本当に「おしん」みたいなキャラの日本女性で、尚且つエジプト人と結婚して家族ぐるみで素晴らしい未来を築きたい、というなら止めませんが。

 「おしん」が海外で広くヒットしたことはよく知られていますし、自国の作品が肯定的に評価されていて、しかもそれが、「古き良き日本的美徳」を気持ち悪いくらい美化したものであれば、悪い気はしません(ちなみにわたしは見たことありません)。
 でも、「おしん」の存在がエジプト男による被害拡大に一役買っているのだとしたら、変に従順な日本女性イメージなど広まって欲しくない、という気もします。

 日本人は「何考えているかわからない」「怖がりで閉鎖的」とも言われますが、礼儀正しくて謙虚で勤勉、というのが、エジプトに限らず広く流布しているイメージでしょう。
 でもこれって、本当にポジティヴに受け取って良いのですかね。裏を返せば、ナメられているだけじゃないですか。
 トロい性格をナメられるのは当たり前ですが、わざわざこちらから「ナメてください」なイメージを垂れ流さなくても良いでしょう。
 「正直」だの「謙虚」だののイメージを持たれると、日本人としては自尊心が満たされるのかもしれませんが、「良い子が報われる」などというのは、狭い島国の自己満足的倫理観に過ぎません。せめて「おとなしそうだけれどキレるとシャレにならん」くらいには認識してもらわないと、カモにされるばかりです。
 権力が根底で暴力に支えられるのは言うまでもありませんが、日本ではこの辺の仕組みが洗練されずぎて、むき出しの威圧感でかろうじて律される世界での振舞いが、すっかり退化してしまっているように見えます。
 正義なき力でも、力なき正義よりマシです。正義なんてどのみち神様にしかわからないのですから、とりあえず力だけで十分です。

 「おしん」は要らん。というかいない。
 日本人は、真面目で頭が良くて、ついでに喧嘩が強くなければならない。


・アバーヤ探し

 寒さ対策にアバーヤ生活を画策しています。
 アバーヤというのは、アラブの女性が着ている黒くて長いズドーンという服ですが、これをかぶってしまうと、下に何を着ていても誤魔化せるので、非常に楽チンです。同じ伝統衣装でも、日本の着物と違って着るのも簡単です。
 初めはイスラーム的なものだと思っていたのですが、先生に尋ねたら「アラブに由来するものだ、キリスト教徒でも着ている」とのことだったので、ヒジャーブなしでも大丈夫でしょう。実際、数は非常に少ないですが、ヒジャーブなしでアバーヤを着ている女性(多分キリスト教徒)を見たこともあります。
 既に一着持っていて、時々これで外出しています。当然パンダにされるわけですが、普通の格好でも既に十分パンダなので、全然気にしません。日本でだってこれ着て電車に乗れます。バカは無敵です。かかってこい!
 ちなみに、今までの経験だと、アバーヤにサングラスで歩いている方が、むしろ普通の格好より絡まれる率が低いです。「シーニーがマスルの服着てる!」「オー、ビューティフル!」とかいうのは非常に多いのですが、この手の動物が吠えているみたいなのは元からですし、ナンパはされなくなります。際物すぎてエジプト男も敬遠するのでしょう。素晴らしい。
 近所のガキどもは、既に「中国人はナメてかかるとマジキレる」「蹴りが来る」と教育してあるので、問題ありません。

 冷やかし系で思い出しましたが、二人以上で歩いているエジプトのアホな若者とかガキが変なことを言ってきて、こっちがキレると、お決まりのように言った当人が言っていない連れの方を指差します。彼らなりのホモソーシャルな戯れなのでしょう。まさか本気で罪をなすりつけようとしている訳ではないと思います。
 こういう時は、ヤツの指差しに惑わされず、まっすぐ歩いて行って怒鳴りまくって五六発蹴ってくるのが正解でしょう。他人を指差しているヤツが、大抵犯人です。間違っていたらその時はその時です。

 そうそう、アバーヤ。
 一着しか持っていないので、コート代わりにもう一着くらい買おうとさんざん歩いているのですが、未だに決め手に欠けます。
 外国人には、ウストゥルバラドで買うのが一番楽です。スークに行けばもっと安いものもあるのですが、逆にもっと高くなる可能性も大です(笑)。最初の一着はギザのスークでさんざん値切って適正価格でゲットしたのですが、運が良かっただけでしょう。もちろん、ドッキとかザマーレクとか上品な地区は論外です。ウストゥルバラドも安くないのですが、カイロ中のお客さんが集まるせいか、イメージほど割高ではありません。値段も最初から書いてあります。
 でも、調べていると、値段がちゃんとうまいこと付いているんですよね。
 最初の頃は「アバーヤなんて全部真っ黒で一緒やん」と思っていたのですが、よくよく見てみると、細かいところでかなり差があります。飾りや生地、袖や裾のデザインなどが、非常に多様なことがわかります。
 ある程度目が養われてからチェックすると、可愛いものはちゃんと高いし、安いものは相応にお洒落じゃないんですよね。うまくできています。
 一番安物なら100ポンド以下でありますが、このランクで「欲しい」と思えるものには会ったことがありません。
 心が動くものは200ポンド以上、場合によっては300ポンド以上になります。日本円で10000円近いですから、カイロ基準なら清水の舞台から飛び降りるようなお買い物です(大袈裟)。
 荷物になるので何着も買うわけにはいかないし、ちょっと無理しても納得できるものを買いたいのですが、あんまり綺麗なのを買っても普段使いしにくいし、悩ましいです。


・湾岸アラブの識別法

 この間マクドナルドでコーヒーだけで粘って勉強していたら、外に出たところで、隣の席にいたアラブ人にナンパされました。
 隣に座っていた時点で、向こうも一人なので「声かけてくるかな」と思っていたら、待ち伏せ方式でした。もういい加減彼らの行動パターンは読み切れています。
 ただ、横で見ていた時点で「普通のエジプト人ではない」匂いがしました。TOSHIBAのラップトップを使っていたこと、周辺機器もどれも新しくて綺麗だったこと、その他にも服装の雰囲気が何となく違いました。
 話してみると、カタル(カタール)の人でした。

 湾岸のアラブは、いかにもな民族衣装を着ていなくても、段々勘で見分けられるようになってきました。湾岸のどこ、となると依然全然わかりませんが、洋服を着ていてもエジプト人と違います。
 一つは目つき。湾岸の方が、深く暗く、何を考えているのか読みきれない雰囲気があります。エジプト人ほどわかりやすくない。悪く言えば、より信用できない(笑)。
 もう一つは服装。洋服でも、エジプト人に対して大抵が綺麗で新品。それから、ファッションセンスが垢抜けない(笑)。お母さんがイトーヨーカドーで買ってきたというか、良い服を着ていても、どこか服に「着られている」感じがあります。エジプト人はボロは着ていてももうちょっとお洒落です。

 ちなみに、彼もエジプト方言はまったく問題なく話せていました。
 今まで何人かの湾岸系アラブ人と話しましたが、必ずしもエジプトに長期滞在しているわけでもないのに、エジプト方言を巧みに操ります。
 もちろん、エジプト人から見たら「なんちゃってエジプト方言」なのでしょうが、わたしのレベルでは識別できません。
 エジプトは、アラブ世界の文化の発信地として勇名を馳せてきましたが、アーンミーヤの浸透力も相当なもののようです。大体、人口からして違いますからね。

 彼はいかにもお金持ちそうだったので、貧乏暮らしとしては一瞬グラッときたのですが(笑)、当然しばらくお喋りしてバイバイ。というか、そのTOSHIBAのラップトップよこせ。

DSCN4609
カラテとカラオケ posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  カイロ  おしん  アバーヤ  カタル  湾岸 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. おしん、アバーヤ、湾岸アラブ識別法|2009/11/02(月) 06:59:27|
  2. エジプト留学雑記

日本の犬広場、サマータイム、アラビア語のウナギ文

・エジプトの猫問題、日本の犬広場

 カイロの猫が荒んでいる、と書いたら、「イスラームでは猫が大事にされると思っていたけど、かわいそう」みたいなコメントを見かけたので、ちょっと弁護しておきます。
 確かにカイロの猫は全般に薄汚くてワイルドですが、人間も同じくらいワイルドです(ごめん、エジプト人!)。別にエジプト人が猫を嫌っていて、悲惨な生活を強いているわけではありません。「障害者率」も「子供多い率」も、猫と人間で同じくらいじゃないかと思います。
 ストリートチルドレンが沢山いる状況で、猫を人間に優先するわけにはいかないでしょう。人間と都市生活動物の生活レベルや風貌は、かなり相関していると思います。日本の猫が小奇麗なのは、人間が小奇麗だからでしょう。
 逆に、人間も動物も小奇麗なのが当たり前で、ちょっと薄汚かったり片目がなかったりすると「違う人」扱いする日本の方が、余程息苦しくてイケスカナイと思いますけれどね。片目がないからなんだってんだ!

 また、エジプト人が特別猫をいじめているとかではないです。子供が棒で叩いたりしていることはありますが、日本だって昔は虫分解する子供とか沢山いたでしょう。ストリートカフェなんかでは女性でもシッシッと追っ払っていますが、これも動物の多かった頃の日本も同じだったろうし、油断していると本当に猫にご飯取られるので、人間だって必死です。
 というか、わたしが子供の時も、可愛がっていた野良猫を近所の人だか実の親だかの連絡でそのまま保健所?で殺された覚えがありますけれどね。捏造された記憶ですかね。カイロではそういうシステマティックな殺害はないですよ。野良犬も野放しだし。
 彼らは「人間は人間、猫は猫、同じように暮らすことはできない、それぞれに相応しい生き方がある」と思っているだけで、特に猫については、動物の中でもポジティヴな評価を与えていますよ。
 犬は本当にネガティヴ評価ですけれどね・・・。「忠実で強い動物」という認識もありますが、基本的に道具以上の価値はないし、野良犬については「いるし、しょうがねーなー」くらいの扱いだと思います。

 犬と言って思い出しましたが、親しいエジプト人と動物のことを話していて「日本には『犬広場』というのがあるのだろう? とても有名だと聞いたぞ」と言われたことがあります。
 何のことかと思ったら、ハチ公前のことでした。ハチ公のエピソードもよく知っていました。
 普通のエジプト人は知らないと思うし、彼がどこかで聞きかじったか本で読んだのでしょうが、意外と有名みたいですね。
 彼も「犬は忠実で有用な生き物だが、犬は犬、人間は人間。家に上げたりするのは感心しない」という考え方。
 でも、今のカイロにはペットで犬を飼っている人も存在はします。

 猫と言えば、以前に「猫とゴキブリの溢れる病院」という新聞記事を読んだことがあります。健康保険病院の不衛生な状況を告発する記事でしたが、ゴキブリはわかるにしても、猫というのは日本では出てこない発想です。
 日本で「猫のいる病院」が問題になったとしても、それは多分、猫好きの人が餌をやったために増えてしまった、とかいう話であって、自然に増えたわけではありません。この記事の状況で猫が増えているのは、生態系の一番上のところで猫が登場しているのですから、それだけ衛生管理が危機的ということで、猫だけ排除してもより被害が拡大するだけでしょう。病原菌の媒介、という意味では、昆虫や爬虫類より哺乳類の猫の方がより危険ですが・・・。


・サマータイム

 日本では温暖化対策とかいう白痴的口実でサマータイムの導入が検討されているそうです。エジプトにはサマータイムがあります。
 ですが、わたしは日本のサマータイム導入には反対です。
 まだ夏から秋にかけてしか生活していないので、偉そうなことは言えないのですが、エジプト人は、本当に季節によって生活時間帯が少しズレていくんですよ。子供の夏休み期間中は、夜遅くまで町全体が非常にアクティヴで、今はラマダーンが夏の終わりの時期なのも手伝って、非常に宵っ張りリズムで動いています。一方、今の時期でも既に「早寝早起き」リズムに街が移行していっているのがわかるし、冬は本当に早寝早起きになるそうです。
 多分、日中の温度差が非常に大きいことが関係しているのでしょう。エジプト人が「カイロは温度差が少なくて過ごしやすい」と言っているのを聞きましたが、それはアスワーンなどと比較するからで、日本基準で言えば昼と夜の温度差がとても大きいです。すぐそこが砂漠なので当たり前です。
 ということは、夏暑くてもちょっと待っていたらすごく涼しくなるし(本当に素晴らしく快適になる!)、冬寒くてもちょっと待ったら暖かくなる、ということです。つまり、生活時間帯をズラす甲斐がある。
 ところが、日本はそんなに日中の温度差が大きくないし、雨や曇りの日も多く、そうなるとますます日中の温度変化がなくなります。待っていてもラチがあかないので、生活時間帯をズラすメリットがあまりありません。
 元々慣習上存在しないサマータイムなんか導入しても、IT特需があるくらいで、社会が混乱するだけでしょう。


・アラビア語のウナギ文?

 日本語には、ウナギ文と呼ばれる構文があります。
日本語では、「僕はウナギだ」「私はプリンです」のように、「買う」「選ぶ」「取る」「食べる」などの意の動詞の代替でコピュラを用いることが多くあり、このようにコピュラの使用をする構文を最も代表的な「僕はウナギだ」にちなんで、ウナギ文という。

 食堂で料理を注文するのに、「ぼくはうなぎにする」の代わりに「ぼくはうなぎだ」というようなことで、「ぼくはうなぎ」と言ったからといって、彼は人間であってうなぎではありません。

 この間エレベータに乗って、後から来た男性に「何階?」と聞いたら、أنا خمسةみたいな答え方をされました。「僕は五」と言っているのですが、彼は五階で降りたいだけで、「五」ではありません。
 「これはウナギ文!?」と思ったのですが、似ているようでちょっと違う気もします。アラビア語では、未完了時制では基本的にコピュラが使われないため、別にコピュラが他の動詞を代替しているわけではないからです。
 名詞文という、アラビア語の独特の構文が使われているわけですが、普通の名詞文として理解しても文法的には誤りだし、「名詞文の補語の動詞文の中で動詞が省略されている」というのが厳密な理解なのでしょうけれど、もちろん誰もそんな難しいことは考えていなくて、日本語のウナギ文みたいな感じで気軽に使えます。

 この名詞文、簡単なようで実に奥が深く、会話の中では少し日本語と似たノリで使っていることもあります。
 ここから先はマニアックな話なのですが、以前にS先生が「アーンミーヤはほとんど名詞文だ」と言ったことがあります。アラビア語の文法をある程度わかっている人なら「それは面白いことを言うなぁ」と好奇心をくすぐられると思うのですが、あまりアラビア語を知らなかったり、アラブ的な文法概念で学んでこなかった人(欧米系などに多い?)は、「何言ってんだ」とキョトンとするのでは、と思います。
 例えば「わたし 行く 学校」という文章があったら、アラブ的文法では、これは「行く 学校」という動詞文全体が、「「わたし」>「行く 学校」」という形で名詞文のハバル(補語みたいな感じ)になっている、と複文構造として理解します。
 統語構造がヨーロッパ言語に似ているアーンミーヤだけ考えたら、こんな回りくどい考え方は要らないようにも見えるのですが、アラビア語の本質を理解しようとしたら(そんなもん理解していませんが)、これを複文として理解し、「アーンミーヤはほとんど名詞文」というのも、ストンと落ちるところがあるのです。フスハーでは原則動詞が一番最初に来て、かつ動詞の活用形に主語人称の情報が含まれているからです(正確には、外国では活用変化として教えられることが多い動詞の語尾変化が、アラブの文法では「ダミール=代名詞」として説明される)。
 世代的に若く、ヨーロッパ人と非常に付き合いの多いF女史にこの話をしたら、「それは面白いねー。確かにヨーロッパの人に『名詞文』とかから説明しても、ややこしくなるだけだから、最初はしない」と言っていました。

 この名詞文ですが、慣れてくると、ちょっと日本語に似たノリで使えて、非常に楽チンです。
 日本語では「主語 目的語 動詞」の語順が多いし、しばしば主語が省略されて「目的語 動詞」になります。
 とにかく最初に主題となる名詞を持ってきたい気持ちが強くて、動詞先行のアラビア語とは正反対のノリなのですが、名詞文を使えば、アラビア語でも「寿司 わたしは食べたそれを昨日」みたいな言い方ができます。
 日本語で育った人間としては、会話していて、「寿司」とかパッと主題が浮かんで、それからエピソードをつなげる、という順序で思考が進むことが多いのですが、そのまま自然な順序で口に出すことができます。
 英語の関係代名詞による複文と違って、従属節にあたるハバルの中では、必ず代名詞によって先行する名詞が受けられるのですが、これも慣れるとかえって自然です。英語で喋っていても時々この言い方をしてしまいます(アラブ人に多い英語の間違い)。


 「日本語は主語を曖昧にする言語だ」みたいなことは言い尽くされています。そもそも主語という概念が日本語理解の上では邪魔なんじゃないかと思うのですが、主語の省略自体は別に日本語に限ったことではありません。
 ただし、フスハーで主語が明示されないのは、動詞に厳密な人称変化があるからで、日本語における「主語省略」とはまったく事情が異なります。
 ただ、そこから長年の変化を経て、文法がグッと簡素化してヨーロッパ言語的な語順の多くなったエジプト方言で考えると、「本当にちょっと日本語的省略に似ていない?」と感じる部分もあります。
 エジプト方言ではواحدという、英語のoneにあたる言葉を主語に立てて「お腹がへっている人がいる」みたいに言えます。実際は言っている本人が空腹のことが多いわけですが、敢えて明示せずに「君もおなか減ってるよね? ぼくも減ってるし、そろそろ食事にしない?」みたいな曖昧なニュアンスを出すことができます。it rainsのitみたいで、フロイトを連想します(笑)。(この発想を共有できる人は数少ないでしょうが、わたしの真の友です)
 欲動が空腹している!

魚売りの少年
魚売りの少年 posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  カイロ  動物      日本  サマータイム  気候  アラビア語  ウナギ文 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. 日本の犬広場、サマータイム、アラビア語のウナギ文|2009/10/30(金) 23:46:55|
  2. エジプト留学雑記

自殺について

 日本では、自殺者の遺族が変な社会的負い目を負ったり、葬儀ですら差別的待遇を受けている、という報告を目にします。「自殺用の施設を作れ」といったラディカルな意見もあります。
 「死ぬのは本人の勝手、迷惑かけないように死ね」「死んだ者にそれ以上鞭打つような真似はするな」「家族は関係ない」といった考えには、基本的なところでは素朴な共感を抱きます。

 自殺について、数回だけエジプト人と話題にしたことがありますが、どれも「馬鹿げた行い」と鼻で笑うような反応でした。イスラーム的に自殺は「罪」なわけですが、それ以上に「笑い話」のような扱いをしているように見えました。
 日本にある程度関心を持っている人なら、日本が非常に自殺の多い国である、と知っているのも珍しくありません。それで鼻で笑うような態度を取られたのにはちょっとムッとしたのですが、一応弁護しておけば、そもそも彼らにとって自殺というのは身近な話ではなく、リアリティのない抽象的概念で、例えば身近な人が自殺した、といった状況はまったく想定していないのではないかと思います。日本と違って、エジプトにはほとんど自殺がありません。公式統計の数字はアテにできませんが、自殺者ランキングで下から数えて何番目、という位置にあります。自殺を遠い国の話として考えてしまっても、無理はないでしょう。
 「自殺は罪かもしれないが、その罪を犯さざるを得ない状況があったのだろうし、死んだ者をそれ以上悪く言うのは正しくない。家族にも哀れみをかけてやるべきだ」といった感じに話をもっていけば、一定の理解を得られるだろう、という感触はあります(実際そこまで突っ込んで会話してはいない)。

 自殺してしまった友人もいるし、未遂を含めれば数名身近にいる身として、最初に書いたとおり、基本的には「死ぬのは勝手だろう、死んだ者に鞭打つな」という想いがあるのですが、一方で、「そりゃちょっと自殺者に甘すぎないか」という気もしています。「死ぬのは自由」という感じ方が根底にはあるのですが、本当に自由なのか、自由で良いのか、というのは最近特に疑問に感じるところです。
 わたし個人は自殺は「罪」だと思っていますが、そういう宗教的な捉え方というのを一旦脇に避けておくにしても、自殺というのはかなり身勝手な行動です。
 ただ、この「身勝手さ」を、「残された家族の身にもなれ」というところから語ると、結局功利的な発想に堕ちてしまい、「友達も家族もいないなら勝手だろう」「不治の病で生きているだけ迷惑になるだけだ」というオチになってしまいます。自殺の「身勝手さ」というのは、そういう安っぽい経済合理性から来るものではないのです。

 「死ぬのが自由」というのは、基本的に命が自分のもので、個人という単位で人が存在している、という前提から生まれる発想です。ですが、人間というのは個人である以前に、共通のディスクール、社会の網の目の中に産み落とされるものです。近代的自我という存在は、そうした「ぐちゃーと一緒になっている魂」の何万年もの積み重ねの末に、ひょこっと顔を出したばかりのものであって、基本的に命は自分のものではありません。
 では誰のものか、と言えば、神様のものなのですが、神様と言われて拒否反応のある方には、共同体のもの、と言えばいいでしょう。命は「みんな」のものです。
 「みんな」には「わたし」も含まれているので、わたしのものでもちょっとありますが、ほんのひとかけらでしかありません。残りは全部(「みんな」-「わたし」)のものです。共有財産です。
 共有財産ですから、勝手に処分するのはダメです。共同体の合意が得られてから、初めて処分することができます。人間はそんな機械みたいにキッチリできていないので、六割合意くらいで見切り発車することも多いですが、見切り発車は見切り発車であって、褒められたことではありません。

 こういう「みんな」を持ち出すと、日本的にはすぐ「みんなのものを勝手に使うな」とかいう煩いババァみたいなのが出てくるのですが、これも違います。
 みんなのものだから、ババァ一人のものでもありません。ババァにはバアァ一人分の発言権しかない。「わたし」には「わたし」一人分の発言権しかない。誰も「みんな」を代理しない。誰も神様の代わりではない。
 だから、「みんな」を想定したからといって、結局一人一人は、個人主義以上に個人の名においてしか語れません。個人の名においてではありますが、その領分をはみ出してでも語る、という気迫がある時だけ、殴られるのを覚悟で語ることができます。誰にも殴られる心配のない発言など、言論ではない。

 話を戻しますが、命は神様とか「みんな」とかのものなので、自殺はやっぱり罪です。自殺者を甘やかしてはいけません。
 その代わり、もともと「みんな」の命なのだから、自分のもののように大切にしなければなりません。命なんだから、死んだ後で権利だの何だの言うのでは手遅れです。死ぬ前に大事にしないで、自殺者の権利を守るなんて、本末転倒でしょう。
 他人の命も、ちょっとだけ「わたし」のものです。本人のAさんが100くらい権利があって、「わたし」には1だけある、というのではありません。Aさんにも「わたし」にも、同じ1だけ権利があります。命は「みんな」のものだからです。本人にも他人にも、同じくらいちょっとずつだけ権利があって、同じくらいちょっとずつだけ義務があります。

 だから、死にそうな人間、貧しい人間を助けるのは、自分を助けるくらい当たり前のことです。
 死にそうな時、飢えている時、他の何でも死にたいくらい辛い時に、他人に助けを求めるのも当然であって、むしろ助けを求めなかったら罪です。そこで危機に晒されているのは「みんな」の命なんですから、危機を見つけた人間には、「お宅のロバさん、なんか病気っぽいで!」と「みんな」に報告して何とか救う方法を見つけ出す義務があります。
 死にそうなくらい辛い時に、助けを求めないのは罪です。

 繰り返しますが、心情的には、「死ぬのは勝手、他人に迷惑かけるな」という考え方にも、一定の共感を抱きます。
 でもやっぱり、それを認めちゃだめですよ。
 それを「勝手」だの「自由」だの言ってしまうのは、そのまま今ある命を粗末にすることに通底しているのです。自殺一つの問題ではないのです。
 もう自殺してしまっていたら、今更どうしようもないので開き直るしかないですし、死者と残された家族の名誉を守ることを優先すべきですが、一般論として言ってはやっぱりダメです。

 死ぬのは自由ではない。
 死にそうな人を助ける助けないも自由ではない。
 助けを求める求めないも自由ではない。

 日本には、死ぬような危機にあるのに「迷惑をかけたくない」とか遠慮して、本当に死んでしまう人がいるようです。
 迷惑かけたくない? 甘ったれるな!
 生まれた時点で、もう迷惑かけまくりだし、手遅れなんですよ。
 むしろ迷惑かけに生まれてきたんだから、ガンガンかけてオッケーに決まっているじゃないですか。水くさいこと言うな!
 それでも「迷惑かも」なんてセコい発想に憑りつかれて身動きとれないなら、「義務」というキーワードで自分を説得してください。命は「みんな」のものだから、危ない時に助けを求めるのは「義務」です。

 自殺者を甘やかすな。
 助けない自分を甘やかすな。
 助けを求められない自分を甘やかすな。

 もっと任侠を!!!

アレキサンドリア 果物と海
アレキサンドリア 果物と海 posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  イスラーム  自殺 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. 自殺について|2009/10/29(木) 08:39:02|
  2. エジプト留学雑記

ما تبطليش هشام عباس ヒシャーム・アッバース「マトゥバッタリーシュ」

 エジプトのポップ歌謡は、コテコテベタベタの演歌調で知られています。もちろん、そのほとんどはコテコテのアーンミーヤ。
 歌謡曲の歌詞を聞き取るのは、わたしのレベルではまだまだ難しいのですが、スクリプトとエジプト人の助けがあれば、内容を理解するのは難しくありません。
 というのも、歌っている内容は全部一緒、ただひたすらに「お前がすべて!」と愛を歌い上げているだけだからです(笑)。使われている語彙も平易なものがほとんどです。
 「英語は歌で覚えた」というエジプト人らしいF女史の薦めで、最近よく街で耳にするヒシャーム・アッバース「マトゥバッタリーシュ」という曲を覚えようとしています。



 音痴なのでちゃんと歌うことはできませんが、確かに言語のノリを身体化するのに、歌というものは最高です。というか、人類というのは、歌っているうちにうっかり言語に憑りつかれてしまった生き物なのではないでしょうか。多分、一番最初の言語は歌みたいなものだったと思います。
 特にエジプト方言の「ビト」やら「マトほげほげシュ」みたいに口の前の方でシュプシュプ子音を弾かせつつ動詞本体に入っていく感じは、ダウンでリズムを取って裏から入るノリにすごく親和的です(妄想?)。
 リズム感のない日本人には難しい面もありますが、歌で学ぶのは、ある意味王道かもしれません(日本人の言語音痴ぶりとリズム感の無さには、もしかして相関性があるのかも)。

 ヒシャーム・アッバースは人気のエジ歌手ですが、もう一つ男前でもないのが、可愛くて好感が持てます。
 ちなみに、モロ二枚目の路線の方々も、眉毛つながっていたり、異様に顔の濃い人が多いです。毛深くて悩んでいる日本男児は、エジ魂を見習って胸毛出していきましょう。個人的には毛深い人は好きです。
 男ならムダ毛なんか気にすんな! ハゲても気にするな! 育毛する暇に筋トレしろ!

 というわけで、ヒシャーム・アッバース「マトゥバッタリーシュ」の歌詞と超訳を載せてみます。アーンミーヤ学習歴三ヶ月ちょっとの駆け出しの訳なので、色々間違っているかと思いますが、笑って流してやってください。
 濃さを伝えようと、人称を「俺」「お前」にしてみたら、ちょっと濃くなりすぎました。本物の雰囲気は、もう少しだけお洒落かもしれません(笑)。


ما تبطليش
هشام عباس

ما تبطليش حب فيا
دا إنتي ادنيا ليا
وما تشليش لحظة عيونك
دولا من عليا
ما تدلعيش حد غيري
آه دي أنانية

يا أنا يا إما مافيش

على الله حد يشاركني
فيكي لو ثانية
وما تشغليش أي لحظة
بحاجات تانية
أنا عايز أكون أغلى حاجة
ليكي في الدنيا

غيرك إنتي ماليش

نار غيران وأكلة قلبي
نار وإمتي في بالي ليل ونهار
لو تشغلي عنها نهار

لو حد يشهد ما بينا
والله ما يرضى
يبقي في مكاني ومايغيرش
زي النهارده
ده ظلم ليكي لو قالوا
شبه القمر ده

دا إنتي أحلى كبير

وأهو ده اللي لخبط كياني
وخلاني أحوطلك
مش لاقي ولا كلمة توصف
مدى غلاوتك
هأفضل ملاحقك وهأفضل
طول عمري خاوتك

خليتي عقلي يطير


俺への愛をとぎらせるな 俺にとってはお前が世界
一瞬たりとも俺から視線を離すな
俺以外を渾名で呼ぶな あぁ自己中心だ
俺か、そうでなければ何もなしだ

神かけて、一秒たりとも、お前以外に興味はない
他のことには、一瞬たりともかまけるな
お前にとって、世界で最高でありたい
お前しかいないんだ

嫉妬の炎が俺の心を焼く
炎 夜も昼もお前が心にいる

他の奴らが俺達について何か言っても 神かけて十分じゃない
俺の立場にいたら同じことを言う 今日のように
お前のことを月のようだと奴らが言うのは、公平じゃない
お前は月よりずっと美しい

ああ、俺を混乱させるもの 守らせてくれ
お前の価値を表す言葉など見つからない
一生そばについている 狂わせながら

俺の理性を吹き飛ばしてくれ


 「理性を吹き飛ばしてくれ」ですか。もう既に十分飛んでると思いますけれどね。
 ちなみに、一般エジプト人の男も、こういった歌謡曲の歌詞に負けないくらいのコテコテ口説き台詞を連発してきます。
 エジプト人の男は、染色体四十六本のうち一本くらいは、口説き文句のストレージに使っているんじゃないかと思います。

にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  アーンミーヤ  音楽  エジポップ  ヒシャーム・アッバース  歌詞  翻訳 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. ما تبطليش هشام عباس ヒシャーム・アッバース「マトゥバッタリーシュ」|2009/10/29(木) 04:45:56|
  2. エジプト留学雑記

エジプシャン・エレベータ

 最近ネットで「エレベータの閉ボタンは要るのか」という記事を見かけましたが、エジプトのほとんどのエレベータ(ミスアド、アサンセール)には「閉」ボタンはありません。あるところには日本式のエレベータもあるのでは、と思うのですが、わたしは見たことがありません。一番よく見かけるのは、こんな感じのクラシックで可愛いエレベータです。

アサンセール
アサンセール posted by (C)ほじょこ

 このエレベータは螺旋階段の真ん中を昇降するタイプで、エレベータ自体にも扉が付いていますが、エレベータの籠には扉がなく、外側(入り口側)だけ扉がある、というのもよくあります。エレベータ専用の筒の中を上下するタイプなら、途中で落っこちる心配もないからでしょう(壁面がずっと見えている状態なので、接触すると危険ですが)。
 扉は手動ですが、専用の筒を上下するタイプのものは、流石にエレベータが到着するまでは扉がロックされるようになっています。うっかり開けて足を踏み入れたら真逆さまですからね。

 このエレベータのように階段の真ん中を昇降するものは、よく階段の手すりなんかにぶつかって「ガンッ」とか言いながら動いています。
 「閉」ボタンはありませんが、「STOP」ボタンはあります。このボタンを押すと、階の途中でもどこでも止められます。出発しかけたところで後から走って人が来た時なんかは、階の途中でガンッと一回止めて戻ってあげると親切です。
 この自由自在に上下できる感じが非常に楽しくて、変なところで止めて行ったり来たりして遊びたい誘惑にかられるのですが、調子に乗っているといかにも閉じ込められたり落ちたりしそうなので、グッとこらえています。

 非常に融通の利くファジーなエレベータですが、「扉をしっかり閉めていないと動かなくなる(危険防止のため?)」という問題があります。
 自分の乗っているエレベータが動かなければ、閉めなおせばいいだけなので問題ありませんが、降りた人がしっかり扉を閉めないままにしておくと、下から操作できなくなるので迷惑です。
 一階に来た人が上の階で止まったきりになっているエレベータに向かって「扉閉めろ! 動かない!」とか叫んでいる風景をよく見かけます。

 エレベータなんてこれくらいで十分だと思うし、自動ドアも全然要らないと思うのですが、当のエジプト人が「内側にも扉を付けるべきだ、子供が触ったら危ないじゃないか」と言っているのも聞いたので、多少は問題かもしれませんね。
 ものをやたら安全に作っても人間が怠けてバカになるだけなので、お金のかからない程度で打ち止めにした方が良いと思うのですが。

 ちなみに、わたしのアパートは日本式に数えて七階建てで、六階に住んでいるのですが、エレベータはありません。昔パリに住んでいた友人は、十階だか十一階だかの屋根裏部屋で暮らしていました。
 無駄に足腰が丈夫なのでまったく問題ないし、日本にも「エレベータない代わり安い」アパートがあって欲しい、と思うのですが、お年寄りとかにはキツイし、お財布忘れて外に出た時とかはちょっとショックですね・・・。
 おばあちゃんが五階くらいから紐のついたカゴをスルスル降ろして、売り子から野菜を買っている姿をよく見ます。イタズラで猫とか入れちゃう子供がいないのかなぁ、と思うのですが、そんな発想をしているわたしの方が子供かもしれません。
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  カイロ  エレベータ  建築 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. エジプシャン・エレベータ|2009/10/24(土) 06:03:21|
  2. エジプト留学雑記

エジプト人の接客態度、ファストフードの不快感

 エジプト人の接客態度は悪いです。
 といっても、日本の接客業が異様に態度が良いのであって、世界的にはこれくらいの方がむしろ普通でしょう。
 ブチキレ閾値が異様に低い人間なので、日本では態度の悪い店員によくムカムカしていたのですが、エジプト人の接客態度の悪さには、不思議と腹が立ちません。理由を考えると、まず、「お客様は神様」「客は店員より上」という前提が、そもそも存在しない、あるいは希薄だから、というのが思いつきます。
 態度が悪いといっても、日本のようなサービスをしない、というだけで、非常に人懐っこく話しかけてはきます。仲良くなると、ちょっと日用品を買いにいっただけで「最近見なかったけどどうしてたのー」「いつものパン、今日は売り切れなんだ、代わりにこれオマケしてやるよ」とか、滅茶苦茶親密です。小さな個人商店だけではなく、スーパーマーケットですらそういうことがあります。
 要するに、彼らの客-店員関係は、普通のご近所付き合い等の人間関係とまったく変わらず、友達なら話すし、友達じゃないなら無愛想に流しているのです(外人の場合、ものめずらしさから仲良くしてくれることも多い)。客-店員関係がまったくないとは言いませんが、日本の千分の一くらいだし、友達以外に対しては「お金をもらった対価は商品やサービスでもう返しているから、スマイル欲しけりゃバクシーシよこせ」というのが基本です。
 これはこれで「それもそうだな」と納得させられてしまうものがあり、慣れると日本式より遥かに気楽です。「不満があれば言わないヤツが悪い」空気が満ち満ちているエジプトですが(この空気も今では楽)、例えばスーパーのレジで、前の客がレジ係と長い世間話に突入していても、文句を言うと「黙って待っとけ」とツッコまれそうな雰囲気があります。

 ちなみに、買い物をして「ありがとう」と言うのは、大抵は客の方です。釈然としない方もいらっしゃるでしょうが、個人的にはしっくりくるし、楽チンです。「こんな紙切れを米と代えっこしてくれてありがとう!」と優しい気持ちになります。

 大体、日本の儀礼的に丁寧な接客を受けて、本当に満足でしょうか。変な作り笑いをされて言葉だけ丁寧にされても「仕事だからって思ってるんやろな」とこっちも気疲れするだけです。服を買いに行ってギャルっぽい店員にアレコレ話しかけられるだけで、購買意欲が半減します。もちろん、接客する側になど絶対なりたくありません(かつては色々やりましたが・・)。

 もちろん、エジプトだからといって、すべての店で態度が悪いわけではなく、相応のお金を出せば至れりつくせりのサービスが受けられるはずです(行ったことがないのでよく知らない)。ただ、「金はない、サービスもいらん」というチャンネルが大きく開かれているところが、日本と違います。日本ではどんなショボい店でも、最低限の接客マナーというのがあるでしょう。個人的には、スマイルいらないので安くして欲しいです。

 このように、割と肯定的に見ているエジプトの接客態度ですが、一つだけ気に食わない場所があります。
 KFCなどのファストフード店です。
 これらの店が、他の店に比べて特別態度が悪いということはないし、むしろ欧米的な接客教育を一応受けているのですが、なぜか無性に腹が立つことがよくあります。
 一つには、チェーンのファストフードは日本にもあるので、つい同じ基準で考えてしまう、ということがあるでしょう。これはわたしが悪い。
 しかし、それだけではなく、ファストフードには独特の態度の悪さがあるのです。「何が違うのだろう」と考えると、普通の店の無愛想さは、その人本人の「昨日寝てなくてだるい」とか「従兄弟が来てるからお喋りに忙しい」といった、まったくの個人的勝手に由来しているのに対し、ファストフードの店員は、一応形だけマニュアルに従おうとしていて、かつマニュアル通りにやるのがイヤでイヤでたまらない気持ちが全身から放たれているから、と思い当たりました。

①普通の店は、枠がない(あるいは、非常に緩い)。だから、個人の勝手がダダ漏れになっている。
②世界規模のチェーン店には、枠がある。だから、個人は枠に従わされているのですが、それが窮屈でたまらない気持ちが、ダダ漏れになっている。

 この②の方のダダ漏れは、向き合っていて非常に気分が悪いのです。「お客様は上」が全然ないと気にならないのに、この前提が一応押し付けられて、なおかつ心が抗っている感じが、すごくイヤーな空気を醸し出しているのです。「そんなにイヤなら、マニュアルなんて守らないでもいいよ、むしろ守らないでくれ」と言いたくなります。
 考えてみると、日本の接客というのは、②の「ダダ漏れ」のところが、洗練されて漏れなくなっているだけです(漏らしているとクビになる)。一皮向けば一緒のところが、エジプトでは皮一枚も残っていない、というだけです。
 そう思うと、ファストフードの不愉快さは、日本の接客の嘘臭さに感じる不快感と通低している気もします。彼らが全身から放っている「仕事したくねー」というオーラは、多くの日本人労働者が噛み殺している苦痛と、同種のものなのです。
 そんな辛い思いをして形に従うくらいなら、むしろ一切従わないで、思うがままにのびのびやってくれる方が、こっちも気楽です。日本の労働者も、眠かったら会社に行かない方が良いと思います。

 眠いから寝ているのは構わない。友達が来たら喋っていてもいい。
 でも、機械のフリして疲れるのはやめろ。無理するな。こっちが疲れるから!

アイスクリーム屋さん
アイスクリーム屋さん posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  文化  買い物  接客  ファストフード 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. エジプト人の接客態度、ファストフードの不快感|2009/10/22(木) 05:19:30|
  2. エジプト留学雑記

アラビア語のイントネーション、エジプト方言の否定文

 アラビア語のイントネーション(強勢、ストレス)については、教科書でも記述が少ないです。
 榮谷先生がどこかで言及されていた記憶があるのですが、日本の教科書だけでなく、欧米やアラブの教科書でも、イントネーションについての解説はほとんど見たことがありません。
 実際、イントネーション以前にクリアしなければならない要素が多すぎるのですが、それだけではなく、多分強勢については、アラブ人自身が意識化しておらず、文法学の中で漏れてきているからではないか、という気がします。
 どんな言語でも「母語話者自身が意識化している文法事項」と「母語話者が意識化していない文法事項」があって、後者はしばしば外国人学習者を苦しめるものです。

 エジプト方言の場合、語末の子音がほぼ無母音化し、語末につく代名詞についての情報が直前の子音の母音で代理表現される等の「情報の圧縮」が行われているため、強勢の重要度がより大きくなっているように見受けられます。

بص ورا
بص وراه

 上の二つの文の場合、وراهのهは、語末であることに加え直前がアリフのため、まったく発音されなくなります(スクーンですらなく、完全消滅)。
 では、二つの文はまったく同一の音になるのかというと、そうではなく、上の文では「ワラー」の「ワ」にアクセントが来るのに対し、下の文では「ワラー」の「ラー」に強勢が置かれます。
 上の文を言われた人は、後ろを振り返れば良いのですが、下の文を言われた人は、第三者の男性もしくは何かのモノ(男性名詞)の後ろを覗き込むのが正解です。
 男性と歩いていて、彼の後ろから刺客が迫っている時に「後ろ!」と言おうとして「ワラー」の「ラー」に強勢を置いてしまうと、「ورا إية؟(何の後ろ?)」とか言っている間に刺されてしまうので、気をつけましょう。

 エジプト方言と言えば、否定文がとても面白いです。
 مとشで挟む否定は、フランス語のne pasに酷似しています。
 「二つ合わせて否定」のようで、否定の本質は先行するمにあって、ماと一旦否定して上がったテンションみたいなものが、شで括られてホッと一息、みたいな雰囲気があります。
 この感じは係り結びにとても似ていて、「身を捨ててこそ」と言い始めたら、お尻がムズムズして「浮かぶ瀬もあれ」で結んであげないと締まりが悪いのと一緒です。
 お尻のشがどこから来たのか非常に気になるのですが、F先生に質問しても「わからない」というお返事でした。絶対どこかに研究があるはずなので、調べてみたいです。

 この「挟む否定文」で、面白い例を見つけました。

عمري ما نسيت

 「決して忘れたことがない」という表現ですが、この表現の中では、ماで完了否定を始めているのに、شで括られません。
 「なぜ?」と質問したら、「عمريという部分が否定の役割を持っているから」という答えを頂戴しました。これ自体は別に「否定」を示しているわけではないと思うのですが、日本語の「全然・・・ない」と一緒で、「全然」自体は否定ではないものの、身半分否定というか(笑)、「もう十分お尻を括ったからشまで言うと言いすぎ」というニュアンスなのかもしれません。

DSCN4402
夜のサイドカー posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  アラビア語  アーンミーヤ  イントネーション  否定文 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. アラビア語のイントネーション、エジプト方言の否定文|2009/10/20(火) 04:42:23|
  2. エジプト留学雑記
前のページ 次のページ

スポンサードリンク

ランキング

最新記事

カテゴリ

エジプト留学日記 (127)
エジプト留学雑記 (43)
アレキサンドリアの旅 (1)
シナイ半島の旅 (6)
ルクソール・アスワーンの旅 (7)
新聞・メディア (123)
留学まとめ (8)
試論・雑記 (9)
未分類 (0)

月別アーカイブ

サイト内検索

アラブ・イスラームおすすめ本

アラビア語の教科書

エジプトの写真

タグ

エジプト カイロ 新聞 留学 アラビア語 アーンミーヤ イスラーム 食べ物 文化 動物 日本 サッカー 日本語 エルバラダイ 治安 選挙 医療 イスラエル 交通 政治 恋愛 観光 男女 フスハー アルジェリア ラマダーン ルクソール アメリカ IT ガザ地区 英語 学校 映画 クルアーン パレスチナ アムル・ムーサー 大統領 社会 経済 中国 ニカーブ 精神医療 労働 シャルム・ッシェーフ アパート エルサレム ドイツ ナイル川 豚インフルエンザ 物価 テロ スポーツ ビーチリゾート 病気 ダハブ 音楽 生活 ナイル 写真 ホテル イード・ル=アドハー 衛星放送 ハマース ガス 勉強法 辞書 教科書  シナイ半島 信仰 小説 気候 買い物 エジプト航空 長距離バス アスワーン マシュラバ コプト インドネシア カリカチュア ロシア ロバ 貧困 停電 身体障害者 アニメ バス ネット 自殺 トルゴマーン トゥクトゥク 電話 洗濯機 風邪 記法 カタル アバーヤ ロボット  ケニア ザマーレク ラムスィース エレベータ 電車 環境問題 アラーゥ・アル=アスワーニー トルコ イギリス ユダヤ フェミニズム ムスリム同胞団 ミウザナ ラクダ 男女関係 乞食 インフラ 大学 クウェート マルワ・イル=シャルビーニー イラン ダンス 大統領選 法律 衛生 キリスト教 サウジアラビア お酒 水道 洪水 教材 遺跡 Google マクハー スウェーデン ジョーク タウフィーク・アル=ハキーム 古代エジプト 子供 喧騒 スイス オールドカイロ コカコーラ 賄賂 モガンマア ビザ 自動車 ヘブライ語 イントネーション ジェスチャー 原爆 シリア トンデモ アル=フサリー 陰謀説 排外主義 ピラミッド タンターウィ コシャリ スーパー 商業 ダム イスラーム主義 看板  教師 イスラーム地区 エチオピア コンゴ google 動物園 タヒーナ 携帯電話 ダウンタウン 倫理 メトロ リスク 大気汚染 グローバリズム スーフィー 孤児   オーストラリア ムハンマド・へニーディ グラスボート ハリーグ・ッナアマ 煙草 オールドマーケット ベドウィン 礼拝 イフタール シャルム・イッシェーフ ナイトクラブ 護身 短剣 貧富の差 パピルス 否定文 ショッピング 砂糖 ヘルワーン 化粧品 お土産 アレキサンドリア アルジャジーラ子供チャンネル 仕事 CM 言語 アルアファーシー  服装  書籍 正書法 ラファフ サファリパーク 民主主義 長者番付 道徳 寛容 家族制度 開発 アーシューラー サッカーラ 名誉殺人 ウルフィー 家父長制 人口爆発 性犯罪 イスラームヘイト ヒジャーブ キファーヤ カイロ大学 セクハラ  ファイスブック  臓器売買 EU 憲法 表記 ウサーマ・ビン=ラーディン 大統領選挙 ガーダ・アブドゥルアール ナギーブ・マフフーズ カタカナ ナンパ タイ クリスマス 汚職 健康保険 西岸 行政 麻薬 スーダン 農業 イブラーヒーム ムバーラク 憲法改正 シャルム・ッ=シェイフ 訃報 タンターウィー エネルギー アズハル 少子高齢化  試験 飛行機 豪雨 日本人 スンナ 天皇陛下 ファルド アスワンハイダム ユースフ・アル=カルダーウィー 清掃 リビア 道路 拷問 CIA 人権 ウクライナ 痴漢 アル=アファーシー 風刺漫画 ユダヤ教 湾岸 おしん サマータイム ウナギ文 ヒズブッラー 日本語教育 リンゴ セイフティネット  地域社会 電化製品 UAE   戦争 軍隊 徴兵制 ファストフード 接客 ストリート アザーン 陰謀 建築 翻訳 北朝鮮 歌詞 ヒシャーム・アッバース  エジポップ 字幕 ワールドカップ カルナック フルーカ 方言 安宿 断食 休暇 下水 王家の谷 王妃の谷 アイデンティティ ターハー・フサイン バックパッカー 砂漠 ハトシェプスト女王葬祭殿 メムノンの巨像 漫画 マアラ イラク フランス アラブ諸国 巡礼 オバマ オペラ 発音 イメージ シーフード  人生 文学  老人 書店 結婚式 

検索フォーム

RSSリンクの表示

プロフィール

ほじょこ

Author:ほじょこ
アラビア語修行にエジプト留学して帰国。翻訳やっています。お問い合わせは下のフォームから御気軽に。