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エジプトにおける外国人との結婚 4

 最後の記事は、海外在住エジプト人の結婚について。二つ目の記事でアメリカ在住エジプト人の話題がありましたが、ここで取り上げられるのはタイのエジプト人。
 タイはビザの認証が緩いのか、海外に行くのが一般に難しいエジプト人が、比較的多く訪れている国です。直接の知り合いだけで、二人タイに長期滞在したエジプト人を知っています。

タイのエジプト人の物語 水曜日にナンパした女の子、彼女と結婚して二年になる

 異郷にあってはエジプト人を見つけるのは難しく、少しずつ人間性も変わっていき、ついには気持ちの受け入れられる外国人女性と付き合う、という考えになる。時に、始まりは「恋に一打ち」で、一時的な状況が二人を結びつけ、近づけ、時と共に結婚が成る。これが、限定的にではあるが、アイン・ミーム(訳注:イニシアル、以下本記事のエジプト人個人名はすべてイニシアル表記)(30歳)に起こったことだ。仕事と安定と独立を求め、八年前にタイに移住した。到着から間を置かず、ある女性と結婚し、その後、彼女に子供ができないことから別れた。この東洋のエジプト男は、彼の名を持つ子供を激しく欲していて、我慢できずに離婚してしまった。この決定はアインには難しいことではなかった。というのも、彼は最初の妻を愛しておらず、単に定住を求めたいただけだったからだ。
 愛は続いてやって来た。勤め先のレストランにいたある日、一人で道を歩いている女性を見かけた。朝の四時だったが、エジプト人の常で--アインの言によれば--この状況で彼女にちょっかいを出し始めた。驚いたのは、彼女が非常に丁寧に、敬意を持って返事をしてくれたことだ。彼は自分が恥ずかしくなった。これが、彼女がいかに優しく上品な人間か彼が知る、最初の火花だった。思いは激しさを増していった。
 アインは語る。「実際、彼女と出会い、関係を育み、これを二年続く愛の物語とし、結婚に合意した。家族はこれを歓迎してくれた。彼女の家族は優しい人たちで、彼らとの関係は良好だ。わたしのことを息子だと思ってくれている。実際に結婚して、息子マニー(4歳)を授かった。タイ人の彼の妻には、アインが生涯の伴侶に求める性質があった。彼女は「素晴らしく、親切で、哀れみ深く、とても愛情深い。そばに寄り添い、わたしを支えてくれ、困難な時もわたしと共に他の誰にも出来ないほど耐え忍んでくれた」。
 また、こう付け加えた。「結婚前、彼女は仏教徒だった。しかしわたしは、知性と論理で彼女を説得し、イスラームに改宗してもらった。実際、結婚の直前に、完全に納得して彼女はイスラームに帰依した。だから、わたしたちの間には宗教的な相違は一切ない。特に、彼女は何事にも責任の持てる人間で、わたしたちは極限まで理解し合っている。だからわたしたちの間には、環境や文化や習慣や伝統の相違による問題は起きていない。どんな結婚でもあり得る普通の行き違いだけだ」。
 子供の教育については、アインは何の心配も抱いていなかった。妻が最も良い形でその役割を果たしてくれ、子供を健全に育て、健やかな環境を充実させてくれると信じていたからだ。タイの子供たちが仲良くやっていて、エジプトよりも良い形で育っていると示唆し、その例を彼はこう語った。「ある日、わたしは娘を通りでぶってしまった。すると警官たちに呼び止められ、激しく非難された。これで、わたしの言葉が正しいことがわかるだろう」。さらにこう続けた。「母が病気になった時、妻と娘と共にエジプトに帰られなければならなかった。わたしはそのことを後悔した。というのも、家族と妻の間で対立が絶えなかったからだ。だから、タイに帰りたい。それがなかなかできないでいるのは、何より母親を安心させたいからだ」。
 一方、29歳の妻は、一つの偶然が彼女と夫を結びつけた、と語った。それ以前は、エジプト人男性との結婚などという考えは「思いつきもしなかった」。しかし彼女は、彼が「親切で優しく、本当の意味で男らしい」と気付いてから、彼に惹かれていった。彼女は彼に「安心」と安定を感じ、とりわけお互いに尊敬し合っており、彼女の家族も彼を歓迎している。
 最後に、夫の家族の反応は異なっている。彼女を疲れる人だと考えている。特に、夫の家族との関係で、彼らが彼女を悪し様に扱ったことで、彼女は悲しんでる。時と共に、彼女は生活に慣れ、仲良くなれるだろう。しかし彼女は、恋しい家族と祖国へ帰りたい、と泣いて訴えた。

 「夫の家族」とりわけ「姑」というのは、世の東西を問わず結婚の一大障壁だと思いますが、この夫婦も奥様の祖国で暮らした方が幸せそうですね。
 それにしても、移住のダシにされ、子供ができないという理由で捨てられてしまった最初の奥さんが気の毒すぎます。実際、そういう役回りを追うことになった「外国人女性」は非常に多いですから、ババを引かないように気をつけてください・・・。

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テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. エジプトにおける外国人との結婚 4|2010/01/08(金) 20:13:01|
  2. エジプト留学日記

日本に来て欲しい人

 土曜日。
 F女史が砂漠へ旅立ってしまったので、今日からM女史とN女史に担当が変更。
 N女史は大人しくて可愛らしい、とてもゆっくり丁寧な言葉で喋る人。彼女とはとりあえず、F女史と読んでいたフスハーのテクストの続きを読む。喋り方もちょっと舌足らずで可愛らしく、こっちも口が猫の口のようにフニッとなる気分。
 M女史は一転、超エネルギッシュな「エジプト女」で、非常に勢いがあり、無理やりハイテンションにされる感じです。彼女には溜まっていたアーンミーヤの質問をするだけで、あっという間に時間が経ってしまいました。

 急いでアパートに戻り、下水工事の為に待機。
 大家さんとその娘、その母が勢ぞろいし、サッバーク(水道工事屋)がやってきて、ガンガン工事を始めます。エジプト式の荒っぽいやり方で、余裕で台所にあった食器とか割ってくれます(笑)。
 昨日は「めんどくさいなー」と思っていたのですが、大きなドリルとか持った人たちが次々やってきて、その横で大家さんのファトマや娘のタスニームとお喋りしていると、結構楽しくやれました。
 ファトマはしょっちゅうどこか抜けた発言をするのですが、その度にタスニームがツッコミを入れていて、オモロイ親子になっています。
 五時くらいから始まった工事は、十時過ぎて終了。工事の理由は階下での水漏れだったのですが、うちも水はけよくなって、更にお湯がよく出るようになっていて感動。ガスは関係ないのですが、湯沸かし器まわりの配管が腐っていた模様。お湯が出るって素晴らしい。
 支払い時に、ファトマがちゃんと値切っているところがエジプトらしい。「いやいやいや、ここも直してあそこも直して、そりゃないですぜ奥さん」みたいなやり取りを横から眺めていました。

 日曜日。
 学校で色んな人が咳き込んだり鼻をズルズルさせている。
 「寒い、寒い」と言うのですが、わたしからすると秋くらいの気候で、かつ雨もほとんど降らないので、過ごし易いことこの上ないです。エジプト的にはかなり寒いようです。

 月曜日。
 授業が夕方しかなく、ほとんど図書館で某文豪のエッセイを読んで過ごす。
 正直七割くらいしかわかっていないのですが、わかる部分だけでもかなり楽しい。施設のエジプト人男性が、「それは古いから難しい、アラーゥ・イル=アスワーニーとか現代小説の方が易しいよ」と言ってくれ、読む順番を間違えたかも、と悟る。

 N女史との授業ではクルアーンのアーヤを例文にある文法項目を学ぶ。あぁ、こういうのがやりたかった。でももう時間がない。地道にやるしかない。
 こういう勉強は本当に心が穏やかになるけれど、日常生活や会話や普通の文章を読むには全然役に立たないです(笑)。この辺がアラビア語の恐ろしいところですね・・。

 お土産を眺めに行って、目が眩んでお金もないのについ自分用のアクセサリーを一つ買ってしまう。あぁ・・・。
 さらに本屋さんで、短い試論本と子供向けのイスラーム関係の本を購入。とにかく本屋さんは夢のような世界で、可愛い表紙の本も多いし、物色しているだけでどんどん時間が過ぎて、全部欲しくなってしまうのですが、荷物になるので我慢我慢。
 店員さんに「これは諸預言者のお話だから、イスラームまでで終わりでしょう? イスラームの歴史についての、丁度これくらいのレベルの本はない?」と聞いたのですが、絵本みたいなものしかなく断念。その絵本も泥臭くてイイ味出した絵柄だったのですが、今ひとつ可愛さに欠けたのでパスしました。

 ブログの見た目を少し変える。あまりにも殺風景だったので。

 火曜日。
 M女史とアーンミーヤの授業後、二時間自習を挟んでN女史とフスハー。朝が早かったせいか、前半元気がない。

 授業後、日本人K氏とエジプト人Nちゃんの「お見合い」。K氏はアラブ文学研究者で、Nちゃんは日本語勉強中だし、お互いにとってプラスじゃないかな、と思い、紹介してみる。日本人男性がエジプト人女性と友達になるのはなかなか難しいので、少しでも役に立ったら嬉しいです。もちろん、両方の人格が信頼できるから初めて紹介するわけですが。
 図書館の外のロビーで、一時間余り楽しくダベる。また、Nちゃん到着前にK氏と交わした会話もとても有意義で、久々に中身のギシッとした日本語の会話ができました。アラブの現状と歴史について、非常に冷静で個人的にタイプな言を語ってくれて、とても嬉しくなる。彼とはわたしも友達でいたいです。こういうタイプの知性は、静かなドライブ感があって気持ちがイイ。

 この日もNちゃんと一緒に帰ったのですが、つくづく彼女は「日本人っぽい」性格をしています。
 「エジプト人の友達は、全然わたしの気持ちをわかってくれない」とこぼすのも、理解できます。「○○さん(わたしのこと)の方が、ずっと話が通じる」。まぁ、わたしに通じるということは、他の日本人には通じないということかもしれないので、油断しないで欲しいですが(笑)。
 「激しく浮いた子」として育った者として、彼女には特別な共感を抱くのですが、この国では女性が「何でも一人でやる主義」で突っ走って生きるのが日本の百倍難しいです。男性だって簡単ではないでしょう。彼女の将来を考えると、なんとしても一定期間日本に留学し、できれば就労の機会を得た方が良いです。色々奨学金の制度などもあるので、あらゆる手を尽くして日本とのコネクションを作った方が、彼女らしい幸せな人生を送れるはずです。最低でも、カイロで日本関係の職を見つけないと。
 彼女の日本語は、特に会話については、まだまだ頑張る余地があります(人のこと言えませんが)。でも、語学力以前に、感覚的なものが日本人と通じやすい素地があるのです。これは一般のエジプト人にはあまり当てはまりません。
 「会話がたどたどしい」のも、丁度日本人がキチンと喋ろうとしすぎて英語ができないのと似た理由から来ているように見えます。彼女はアラビア語でもちょっとモゴモゴして、正確に説明しようとする余りかえってわかりにくい説明になる、ということがよくあります。ズバッと言おうとして、うまく言葉にならず、そのままモゴモゴ誤魔化してしまう、という、日本人にありがちなパターンです。照れ隠しのゴニョゴニョした言葉がやたら入り、外国人にとってはリスニングが難しいです。大抵のエジプト人は、口から先に生まれてきたような性格で、会話におけるこういう「不明瞭さ」や、彼女のような「地味でお人よしでうまく使われちゃう」タイプは稀です。

 今まで何人か、びっくりするくらい日本語の上手なエジプト人に会いました。
 しかし、この件は以前にも書いたのですが、日本語が上手であることと、日本人っぽいコミュニケーションが取れることは、全然別問題です。いかに日本語で喋っていても、彼・彼女はエジプト人で、かつエジプトにいるのですから、エジプト的感覚で喋っても構わないに決まっているのですが、下手に日本語が上手なだけに「なんでコレがわかってコレがわからないかな」と、生理的に気持ちの悪い思いをしたことも何度かあります。彼らの日本語は「失礼」に聞こえるのです(もちろん、そう感じてしまうわたしに責任がある)。
 一方、Nちゃんの日本語は、まだこのような達人の足元にも及びません。にも関わらず、非常に「通じる」感触があります。「語学の達者な日本通」ではなく、「舌足らずでちょっと変わったただの日本人」と話しているような気分になるのです。
 日本で生活し仕事をするとしたら、おそらく気に入られるのは、後者の方でしょう。多少言葉が下手でも、ノリが通じて愛想が良くて控えめな子の方が、日本人には好かれるはずです。そして一端好かれてしまえば、あとは言葉なんて何とでもなるし、文化的背景の違いからヘマをしても、許して貰える率がグッと上がるでしょう。
 わたしも必ずこの地に戻ってきたいですが、彼女にも是非我が祖国の土を踏んで頂きたい、と強く願いながら、ハグハグして別れました。

 ネックになるとしたら、イスラームだけですが(彼女は平均的エジプト人より信仰熱心)、彼女のような控えめでもの静かなタイプの「アラブ人」ムスリマが日本にいれば、周囲の人のイスラームおよびアラブに対するイメージも良くなるのでは、と、ちょっと利己的な想像もしました。
 口に泡を飛ばしてイスラームの素晴らしさを訴えるよくいるエジプト人の、一万倍くらい「イスラーム好感度」アップに貢献できると思うのですけれど。

交差点のトゥクトゥク
交差点のトゥクトゥク posted by (C)ほじょこ
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  1. 日本に来て欲しい人|2010/01/06(水) 05:12:20|
  2. エジプト留学日記

蝋燭で勉強、惚れさせる責任

 水曜日。
 部屋で勉強している時、そばにあったティッシュに蝿が止まる。
 ルクソールのYさんに伝授して頂いた通り、そっとティッシュを持っても、蝿は逃げません。蝿は「接近してくる何か」には素早く反応するけれど、自分のとまっている物体の動きには無頓着なようです(視界の中で不整合な動きをするものに反応しているのだろう)。
 さすがにそのまま机に叩きつけると逃げられそうなので、左手でライターを持って、蝿のとまっているティッシュの方を動かして近づけて行ったら、見事蝿を焼き殺すことに成功しました。
 教訓:周りがみんな同じに動いていたからといって、危ないものは危ない。

 停電する。
 最近割とよく停電しますが、大抵は1、2時間程度で復旧します。また自宅にいないことが多いし、寝ている時なら気付かないので、実際はあまり不便を感じたことはありません。
 この日は勉強している時に電気が落ちました。まだ昼間ですが、室内は薄暗いので(防寒対策で新聞紙とか張りまくってる)、本は読めません。ラップトップはバッテリで動くので、バックライトの明かりを頼っていたのですが、ふと思い出して蝋燭を使ってみました。

蝋燭
蝋燭 posted by (C)ほじょこ

 なかなか風流です。
 まぁ、たまにだから風流とか言っていられるのであって、年中「蝋燭で勉強」を強いられる世界の学生さんには本当に頭が下がりますが・・。

 Nちゃんと一緒に勉強する予定だったのが、連絡の不手際などもあって流れてしまう。
 さらにF女史体調回復せず、翌日も授業が流れることに。焦る。

 木曜日。大晦日。
 前日引きこもりでどうしたものか、と思っていたら、また引きこもって一日勉強しているだけに。
 家の方がマシンの辞書も使えるし、重くて持ち運べないアーンミーヤの辞書も使えるので便利なのですが、部屋から出ないというのは、やっぱり憂鬱です。こういう時、「ちょっと近所を散歩」とかいう選択を気安く取れないのが辛い。基本的に、ここでは道は楽しんで歩ける場所ではないし、歩く度に色んなことが起こりすぎるので(笑)、覚悟をもって散歩に出ないとダメです。
 図書館に行きたいのですが、日系は年末年始で休み、欧米系はまだクリスマス休暇。エジプト的には普通の日なのですが、微妙に不便です。

 金曜日。元旦。
 サッバーク(水道工事屋)が昼過ぎに来てちょっと作業するというので、待っていたら、作業が5、6時間かかるといいます。
 約束もあるし、結局手はずが整わなかったので翌日作業することになったのですが、翌日夕方からそんな長い時間他人が部屋にいると思うと、かなり欝になります。

 Nちゃんの部屋に遊びに行く。Nちゃんの妹の誕生日で、ケーキを頂いてしまう。
 色々質問していたら、さらにご飯が出てくる。もうお腹いっぱいで食べられません。
 食事中に、Nちゃんが「この曲が好き」と、携帯に入れたkiroroの『未来へ』を聞かせてくれる。
 「部分的にしか聞き取れないけれど、すごく暖かい歌なんだな、というのはわかる」。
 こんなベタな歌、日本にいた時はまったく射程内にありませんでしたが、異国で聞くと妙に心に染みます。歌詞の内容も素直で美しく、日本語学習者にはぴったりです。音痴のくせに熱唱してしまいました。
 これが「椎名林檎が好き」とか言われたら、到底歌詞をアラビア語で説明できる自信はないし、それ以前に日本語が聞き取れないかもしれません(笑)。
 質問とご飯のお礼に、歌詞をすべてスクリプトに起こし、解説していく。
 出だしの「ほら足元を見てごらん」なんて、日本人から見ると単純極まりないフレーズなのですが、「ほら」を「أهو بصيのアホ!の感じ(ほら、見て!)」とか、「『ごらん』は非常に軽い命令」などというところから始めないといけません。「『ごらん』はمؤدب(丁寧)?」と聞くので「丁寧だよ」と答えると「先生に対しても使える?」と聞かれます。丁寧だけれど、目上の人に使うのは不自然で、子供に話しかけるニュアンスのある「丁寧な軽い命令」、と、非常に説明的なことしか言えません。こういうのは、本職の日本語教師の方はどんな風に説明しているのでしょうか。
 「歩む」というのは「歩く」のことですが、普通の初級学習者は「歩く」は知っていても「歩む」は知りません。こういう微妙な違いでわからなくなってしまう感じは、フスハーとアーンミーヤの単語レベルでの差異に少し似ています。母語話者からすると「ちょっと丁寧に言っただけ」なのに、外国人から見ると別単語です。
 この歌で唯一少し分かりにくいのは「その優しさを時には嫌がり 離れた母へ素直になれず」の部分でしょうか。ここだけちょっと複雑な心理になっているので、「お母さんが愛ゆえに色々注意してばかりくると、時々鬱陶しいでしょ?」などというところから語ってみます(こういう解釈で正しかったでしょうか?)。
 ストンと落ちない部分は、彼女も少し神経質になって早口で質問してくるのですが、このイライラする感じは日頃アラビア語でイヤという程味わっていてよく理解できるので、辛抱強く穏やかにゆっくりと説明していきます。

 彼女とゆっくり話すのはこれが最後の機会かもしれなかったのですが、彼女が可愛い箱に入ったクルアーンのムスハフ(書かれたクルアーンの本)をプレゼントしてくれる。
 感動で胸が熱くなり、抱きしめてしまう。
 あぁ、わたしは何もお返しできない。東京に来たらずっとうちに住んでくれ。日本の本とか持ってくれば良かった。
 彼女も少し「変わってる」エジプト人だけれど、わたしのことも「変わった日本人だから、これをあげても良いと思った」と言ってくれる。ありがとう。わたしは確かにかなり変わった日本人です。変人で良かった。

 最近の日本の言論を眺めていると、何だか後ろ向きの話ばかりで、焦って徒に欧米に尻尾を振っているように見えて仕方ありません。政府がそういう態度ならともかく、若年層の一般国民がそんな調子で、あまりにも余裕が無さすぎます。
 多少蔭りが見えたと言っても、日本はまだまだ豊かな国です。それとも、「欧米なみ」でなければ、あとは無価値だとでも言うのでしょうか。国力の維持・発展も大事ですが、それがなくなった時に、一切のプライドと希望を喪失してしまうことの方がもっと恐ろしいと思うのですが、多くの日本人にはそういう発想はないのでしょうか。世界中のほとんどの国は「一流」ではないですよ。そういう国でも毎日人が生きて死んでいるんですよ。
 日本の国力が落ちてきていることを心配し、中国に対して神経質になっているくせに、今まで築き上げてきた日本イメージと、それに対して素朴な憧れを抱いてくれている世界中の多くの人々のことを、まるで省みていない。気にすることといったら、アメリカに捨てられないか、だけですか。
 誰に惚れても結構だし、強い人に振り向いて欲しいのもわかりますが、そうやって周りが見えなくなっている時にも、背中を見ていてくれる人はいるんですよ。あなたの見ていないところで、あなたを見てくれている人が必ずいる。だから自信を持たないとダメです。
 惚れる責任もあれば、惚れさせてしまう責任というのもあります。
 そして、惚れた人に振り向いてもらう時には、見えないところで惚れてくれていた人の力、モテのようなものが、暗黙的に後押ししているということに気付くべきです。
 わたしたちに惚れてくれている人だって、まだまだ沢山いますよ。そういう人を「お前なんかにまとわりつかれても邪魔なだけだ」と足蹴にしていたら、惚れた相手にも振り向かれず、惚れてくれていた人も最後には愛想を尽かしていくだけです。
 惚れた相手が振り向くかどうか、そんなことは相手次第の風次第。
 そんなことより、惚れさせてしまった相手に対して、最後までカッコつけて責任取っていきましょうよ。

 「お父さん、空飛べるんやろ?」って言われたら「あ、あぁ、膝治ったらな」くらい言えなくちゃ男じゃないよ。膝治ってベランダから飛び降りて死んでも、立派な日本男児の死に様だよ。
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  1. 蝋燭で勉強、惚れさせる責任|2010/01/02(土) 04:50:41|
  2. エジプト留学日記

アーシューラーの断食、フェミニストのムスリマ

 土曜日。
 駅前のスークでイチゴを買う。1キロ3.5ポンド(70円以下)。スーパーだともう少し高いですが、いずれにせよ物凄い安さです。
 日本のイチゴのように粒は揃っていないし、痛んでいるものも混ざっていますし、味も甘いものから酸っぱいものまで、当たり外れがありますが、まったく問題ありません。
 というか、イチゴに限らず、「日本製品」全般について思うのですが、高品質なものを手に入れられるのは結構なのですが、高品質なもの「だけ」しかなくて、高いお金を払わざるを得ない、というのが納得いきません。質の高いものが高いのは当然ですが、安くて質の悪いものも一緒に置いて欲しいものです。

 日曜日。
 授業の後、しばらく図書館で自習し、それからNちゃんの家に遊びに行く。
 いつもの待ち合わせ場所から、自力で歩いて行こうとしたところ、記憶も覚束ない上、例によってトゥクトゥクとマイクロバスが飛び交いバカが次々と変なことを言ってくるしんどい道で、精神的にかなりダメダメになる。さらにNちゃんと行き違いになり、超バッドな状態で会ってしまう。
 彼女の部屋に行き、喋っているうちに大分治ってくる。ごめんよ。
 「通りでブラブラしている若者や、遊んでいる子供は、全員ダメな人たちだ。やることがなくて、道で溜まっているので、ちょっと珍しいものを見たり女の子が通ると、暇つぶしに囃し立てて来る。原因の一つは失業だ。若者の行き場がない。彼らは知識人ではないし、知識人は子供を道で遊ばせたりしない。わたしも道を歩く時は、ただじっと足元を見て、何も見ない、何も聞かないようにしている」。
 ずっと年下の子に、こんなに整然と慰められる、というかたしなめられて、ちょっと恥ずかしかったです。
 それにしても、エジプトの知識人階級の若者は、普通の大学生でも非常に流暢に論理を展開し、政治・社会問題についても分析的な目を持っています。また、大人しいNちゃんでも、信仰の話になると立て板に水のように語ることができ、素晴らしい能力です。わたしも負けないようにしないと。
 「足元だけ見て、何も見ない、何も聞かない」と、カイロの道では即効車にはねられる可能性がかなり高いのですが、エジプト人は余裕でヘッドホンをしながら歩いたりしています。わたしも大分慣れてきて、普段は常時サングラスで視線を合わさず早足で歩いていますが(通りを渡る時も、下手に車に対してビビると負けるので、平気な顔で突っ切る)、流石に東京のような「完全閉鎖モード」では歩けません。物理ダメージをかわすセンスが十分磨かれて、はじめて精神バリアを使えるようになります。

 Nちゃんが断食している。アーシューラー(ムハッラム十日、初期イスラーム集団の断食潔斎の日)だったからですが、スンナ派ではほとんどの人はアーシューラーは普通に過ごしています。彼女はかなり敬虔な部類に入ります。
 日没前になんだかデラックスなご飯を出してくれてしまったのですが、彼女が断食しているのにわたしだけ食べられません。エジプト的には、一人が食べずに他の人が食べている、という風景は全然珍しくなく、別に失礼ではないようなのですが、気持ち的にどうしてもできません。別に飢えてもいなかったので、一緒に日没まで待ちました。
 ちなみに、断食明けは一般に大食いしないものですが、それにしても彼女は、ちょっとしか食べていませんでした。彼女はエジプト人にしては珍しく、スリムでとてもスタイルが良いのですが、普段から自制的な食事を心がけているのかもしれません。素晴らしい。
 体型的にも、顔付き的にも(色白)、性格的にも(大人しい)、日本人とあうタイプの子で、これが日本好きの結果なのか、逆にこういう性格だから日本が好きになったのか、ちょっと気になります。
 彼女とは「ジズルと漢字ってちょっと似てるよね!」等の、日本語とアラビア語を両方知らないと分からないニッチな話題を共有できるので、非常に楽しいです。会話はほとんどアラビア語で、最初の頃は外国人と話慣れていない彼女の言葉に苦労していたのですが、大分シンクロ率が上がってきました。

 彼女は日本人と友達になりたがっていて、ネット上での交流もあるようで、「日本人ムスリムのグループを見つけた」等と嬉しそうに語ります。
 「でも、普通の日本人が相手の時は、最初からイスラームの話題を喋りすぎない方がいいよ。日本人のほとんどは、そういうことに慣れていないし、ムタタッリファ(過激ムスリマ)だと思われてしまうかもしれない。まず、普通の話題から入って、時々イスラームのことを話し、でも話しすぎないようにおさせるくらいが丁度良いよ」と、老婆心ながらアドバイス。
 この辺の感覚は、逆にエジプト人にはなかなかつかめないようです。
 ネット越しだと、ただでさえも誤解が生じ易いのに、言語や文化的環境の違いから、変な誤解を受けてしまわないか、心配です。

 この日、電話で彼女が言った台詞から、يرن(ユリン、未完了三人称単数)という俗語を覚える。
 「電話をかけるが、相手が出る前に切る」「ワン切りする」くらいの意味で、文字通り「リン」から来ています。「わたしがリンした」なら「リンニートゥ」。
 電話代を節約するために「着いたよ」とかの単純メッセージを伝えるのに使われる他、日本同様「かけて」という意味にもなるそうです。

 彼女が日本人観光客の出迎えバイトをするそうで、この場面で使う日本語表現をいくつか質問されました。何か教えるたびに「これは丁寧な表現?」と確認していて、日本語における敬語表現の重要性を良く理解しています。
 「聞き取れなかった時に、『すいません、英語で話してください』と言ったら、怒られますか」と聞かれたので、「誰も怒らないけれど、英語も話せない日本人は多いよ」と応えます。
 彼女は苦笑いして「英語を喋れる日本人も沢山いるけれど、カタカナ・イングリッシュですね」と言います。よくわかっています(笑)。多分彼女なら、普通のエジプト人より「日本人英語」をうまく聞き取ってくれると思いますが。

 月曜日。
 長丁場授業。合間にフェミニズムとイスラームについてF女史とちょっと話す。フェミそのものも、反イスラームなフェミもどうでもいいけれど、ムタダイイナ(宗教熱心)でかつ教養あるフェミニストのムスリマというのも希少ながら存在して、その立場だけが非常に気になります。この狭いゾーンにいる人だけ、心を開いて本当に面白い話ができるような気がします。
 ムタダイニーン(宗教熱心な人たち)とムタタッリフィーン(過激派)は違うのですが、時にその違いが危うくなる上、日本のように全般に宗教色の薄い国の人には理解されにくく、この点をもっとアピールし伝えなければならない、と主張すると、強く同意して貰えました。いやほんと、これ大事です。

 彼女の中にも色々相克があるようで、自分の中の矛盾とも戦っているようです。しかし、わたしとしては、そういう矛盾を抱えているからこそ真の信仰なのであり、そういう姿をもっとイスラーム圏の外の人に知ってもらいたい、と感じてしまいます。
 彼女は大抵薄化粧をしているのですが(エジプトでよくある超ケバいメイクではない)「化粧は本当はハラームだ」と言います。「クルアーンに明示されているわけではないが、人目を引くのは良くないことだ」。
 それはわたしもわかっているのですが、一番重要なのは「やたら男性の目を引くような格好をしないで普通にせよ」ということであって、化粧なら即ハラームだ、というのは言いすぎではないか、と反論(擁護?)します。
 「あまり解釈を進ませると何でもアリになってしまっていけないが、大切なのは『奇抜になりすぎるな』ということのはずだ。化粧一つでも、どんな化粧かで違う。エジプトでは膝下のスカートでも目立つし、ハラームだが、日本ならまったく普通で、別にハラームとは言えないと思う(もちろんミニスカートはハラームだ!)。信仰の根本は変化してはならないが、末端は常に変化し、土地の風習にあわせて考えるべきではないか。要はTPOを守れ、ということでしょう」。
 そう言うと、F女史が「なるほど」と一定の賛意を示してくれます。
 「極端な話、エジプトではヒジャーブは義務だが、日本ではむしろハラームかもしれない。なぜなら、日本でムスリマがヒジャーブをすることは、かえって衆目を引く効果を発してしまうからだ」。
 これは極論ですが、常日頃から考えていたことで、こうして率直に話せる知的なムスリマ(でかつフェミニスト)と知り合えたことは、大変ラッキーです。彼女もうなって考えていました。
 形式を粗末にし、やたら根本に返って解釈し直すことは、信仰を形骸化させる第一歩ですから、慎重になる必要はありますが、末節にこだわるばかりでも本末転倒です。これはバランスの難しいところです。
 ただ強調したいのは、何度も言っているように、ある形式を「義務」と信じて厳密に守っているムスリム(またはムスリマ)であっても、他の信仰者がその形式を軽視していたからといって、非難したり侮蔑するようなことはほとんどない、ということです。この距離感を理解するのは、日本からだと難しく、わたしも常に気を使っていますが、社会の絶妙なバランス感覚だと思います。

 夜、久しぶりに大家さんのファトマがやってくる。下水工事に関する相談。
 ファトマは相変わらず気をつかって、フスハーとアーンミーヤが混ざった謎のファトマ語で喋ってくれるのですが、気がつくと彼女の言葉も100%聞き取れるし、こっちもまったくストレスなくアーンミーヤで喋っています。
 もちろん、ちょっと慣れない話題になったり、慣れない相手になると(そう、相手を知っているかどうかが重要!)、未だに非常に苦労するのですが、まぁなんとかこの程度のところまで来ることはできました。
 もっと勉強しないと・・・。

 火曜日。
 朝出かけようとすると、部屋の前が緊迫した情勢に。

階段の猫1
階段の猫1 posted by (C)ほじょこ

階段の猫2
階段の猫2 posted by (C)ほじょこ

 朝の授業時、F女史の体調が何だか悪そうだったのですが、その後自習し夕方の授業を待っていたところで、体調不良でキャンセルという連絡が。
 翌日も授業がなくなってしまったので、Nちゃんと一緒に勉強する約束をする。
 F女史の体調が心配。最近非常に忙しかったし、その一因はわたしにあるので、気になります。
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  1. アーシューラーの断食、フェミニストのムスリマ|2009/12/30(水) 17:26:11|
  2. エジプト留学日記

ガザ虐殺から一年

ガザ虐殺一周年
ガザ虐殺一周年 posted by (C)ほじょこ

ガザ虐殺から一年

 ガザ地区の各地域では昨日、イスラエルが同地区に仕掛けた戦争の開始から一年が経過したことを、「注がれた弾丸の為したこと」の名の下に、デモ行進とハマースの組織した活動で記念した。運動には数百人の子供が参加し、一方、ハマースの軍事部門アル=カッサーム部隊は、これまでのイスラエルへのあらゆる抵抗の中で「最も適当なる存在」となることを約束した。
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  1. ガザ虐殺から一年|2009/12/30(水) 01:43:52|
  2. エジプト留学日記

ルクソールのマリーナ建設

ルクソール投資
ルクソール投資 posted by (C)ほじょこ

ルクソールの「マリーナ」建設で政府が世界的競争入札を募る 開発省が計画に参加

 数週間の間にに、ルクソールの観光用の港「マリーナ」建設のために、政府は、国際開発事務所前で、世界的な競争入札を行う。開発には、ルクソール-アスワーン間で運行される180にのぼる動くホテルの船舶サービスのために20億ポンドがかかる。これは、開発省に属する「エジプト財政開発」金庫が融資計画参加に合意した際に明らかにされたもので、先の十一月の設立後、同金庫の最初の活動となる。
 開発省責任者によると、開発省に属する同金庫の計画への出資比率は10%を下回ることはなく、来年中に一万の新たな雇用機会が創出されることが決まっている。
 一方、同金庫を運営する親会社の保険会社社長ムハンマド・アブドゥッラーは、ルクソールのマリーナ計画について、上エジプトにおける最大の成長・発展計画の一つで、同金庫の参加により、この地域に一層の雇用機会が増強されることを期待している、と語った。
 また、インフラ計画が同金庫の最重要の活動となり、これを、市場の変動に左右されず、長期的な収益の保障された分野と考えている、と示唆した。
 エジプト財政開発金庫の資本は10億ポンドにのぼり、親会社の保険会社の出資比率は30%近くで、残りの株は、観光映画会社、海運会社、公営建設会社など、多くの政府系親会社に所有される。
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  1. ルクソールのマリーナ建設|2009/12/30(水) 01:41:32|
  2. エジプト留学日記

議会制秩序は夢物語ではない

 アムル・ムーサー氏のインタビューを取り上げた時、「議員の5%以上の支持を受ける(政党候補の場合)」という大統領選立候補要件の本質的問題は、5%ということではなく、そもそもの議会の構成のされ方にある、ということを示唆しましたが、この問題にも関連し、議会の位置づけについて、非政府系新聞の論者が、政府系新聞の記者に対して、痛烈な批判を浴びせています。

議会制秩序
議会制秩序 posted by (C)ほじょこ

議会制秩序は夢物語ではない
ハージム・イル=バブラーウィー
議会制共和主義は、幾多の例を見るように、民主主義実現を支えてきた統治体制だ
統治における多数派の支配には問題も危険もない。なぜなら、これは民主主義の論理であるからだが、この支配は、権利と自由を保障する憲法による制限を条件とする

 2009年十二月五日のアル=アハラーム紙の「議会制共和国の夢物語」と題する記事で、ワヒード・アブドゥルマジード氏は、「自然は ? 主たる分野で夢物語で、政治、社会、思想、この分野において現在までにわが国および諸外国において現れた最大の夢物語である エジプトにおいて議会制共和主義を確立するという呼びかけは現在、この枠組みを含んでいる」と書いた。これは議論の余地のある発言だ。
 夢物語というのは--わたしの考えるに--個人の精神、または事物に対する集合意識における思い込み、あるいは現実存在を持たない力である。こうした思い込みは、存在しない事物を信じる精神の混乱、もしくは物語が社会的に定着していること、信念、人民に対する一般的意識などに帰せられ得るもので、これらは歴史的事実や自然に根拠を持たない。これらは伝統や支配的信念その他の結果である。これが「夢物語」の了解であるとすれば、議会制共和主義は現実に機能し歴史的に存在しており、これを無視することはできない。イギリス人は議会制秩序の下に生きており、ベルギーやオランダ、スカンジナビア諸国も同様だ。君主制ではないヨーロッパ諸国ということでは、イタリア、ドイツ、ギリシャ、トルコがあり、アジアには日本、インド、タイ、イスラエルがあり、長いリストになる。これらの真実を否定し、議会制秩序を夢物語や、ある種の人々の勘違いによる思い込みだと言うことはできない。「議会制秩序」は歴史的事実であり、好むにせよ嫌うにせよ、夢物語ではない。
 このことから、「夢物語」という慣用表現を用いたアブドゥルマジード氏がの意図は、議会制秩序そのものの存在を指すのではなく、現状のエジプトにおいてこのような秩序の確立を呼びかけること、であるのかもしれない。これはある程度、受け入れられることだ。だからといってやはり、「議会制秩序」の要求を「夢想的思考の類」とすることはできないが。おそらく、即時実行の機が熟していない--筆者(訳注:アブドゥルマジード氏)の考えでは--「政治的プロジェクト」ということかもしれない。適切な条件が揃った時、これが大衆の要求となるのを禁じるものがなくなるなら、ほとんどの改革の呼びかけはそうして始まったのだ。その枠組みにおいて、人民の目から見て、政治的状況または確立されている社会を変えることで状況を改善する機会があるということに正当性があるなら、それこそ、植民地主義からの独立において起こったことであり、人種差別主義秩序の元での平等要求であり、女性の地位改善であり、社会階級状況の改良である。これら総ての呼びかけは、適切ではない状況下で起こったのであり、その後、この多くが、様々な時の多くの国で、成功を収めたのだ。
 こうして見ると、アブドゥルマジード氏は、「夢物語」という慣用表現を、エジプトにおける議会制秩序要求を歓迎しない、という意味で使っているようだ。その利点と効用を疑っているようだ。一般的に言って、政治的秩序はすべて、議会制秩序だけでなく人間の秩序はすべて、長所と短所があるものだ。このことから、支持者と反対者の間でことは異なるし、「議会制秩序」にも--他と同様に--疑いようもなく、いくらかの短所があるだろう。しかし、公平に言って、これにはまた、無視できない長所があり、「議会制秩序」をかつて採用し、今も用いている多くの国において、証明には事欠かない。これらの国はすべて、この秩序を、それぞれの国の状況や歴史や自然に合わせて、改善し適応させたのだ。加えて、エジプトには、議会制秩序への歴史的試みが過去にあり、これに対する不満は、これへの攻撃に対する不満ほどではなかった、ということが、その場において記録されているのだ。つまり1923年の「議会制」憲法は、特別な大衆的場としてエジプトの記憶に位置を占めており、たとえ最大の明証が1952年七月二十三日の朝の革命にあるとしても、「軍隊の運動」の情熱は、この憲法の尊重の上にあったと確信している。
 「夢物語」という考えを議会制秩序の存在ということから遠ざけたとして、この秩序の欠点とアブドゥルマジード氏を苦しめているらしい点について、我々は自問する。問題は、氏の「私見」に発するものではないと理解すると、議論の余地のあるものかもしれない。この秩序の、アブドゥルマジード氏にとっての最も危険な問題点とは、何なのだろうか?
 筆者は次のように考えている。「議会制共和主義は、民主主義の実現を助けうる統治諸形態の一つであり、幾多の例を持つ。しかしながら、それは、多数派による独裁という別の状態へ導くかもしれず、社会における自由の普及の前に門戸を閉ざす。それ故に、議会制共和主義の見地は、社会における魔法の処方箋であるかのような夢物語の類になるのだ」。この最後の表現から明らかになるのは、ワヒード・アブドゥルマジード氏が「夢物語」により意図しているのは、議会制共和主義が「民主主義実現への魔法の処方箋を提供する」という強い考えであり、それは、この秩序が--筆者の言うところでは--「議会で多数派を占める党の独裁を進めるモーターとなり得り、立法を支配し、堅固な民主主義がなければ、続いて行政を制御するようになる」からだということだ。「多数派による独裁」が大統領制秩序においてもあり得る、とみなしているにも関わらず、彼は、この大統領制秩序--そのように見えるもの--に、「多数派による独裁」を避ける契機がある、と考えている。一方、魔法の処方箋の問題については、いかなる改革についても、「魔法の処方箋」があると信じている者はそう多くなく、ほとんどの思想家は、改革というのは長い道のりなのだと理解している、とわたしは確信している。
 それ故、議会制秩序の真の問題は--アブドゥルマジード氏にとっての--「多数派による独裁」であり、これはこの文脈や他の文脈で何度となく繰り返されている表現で、民主主義思想の根本原則への説明や参照において用いられることもあるほどである。民主主義は、その働きの基本において、「多数派の統治」であり、民主主義統治の諸事が多数派の意見から遠くなる、というのは受け入れられない。これは民主主義国家すべてで起こっていることであり、議会制秩序を採用している場合でも、大統領制秩序を採用している場合でも、同様である。「多数派の統治」は、それ自体としては欠点ではなく、人民への合法的な要求である。これこそ民主主義の論理であり、エジプトにおいては、野党が法律の公布において政府の多くの政策に反対し、政府は実際に、この批判に対する返答において、これらの政策における議会での議員多数派の意見を頼りにしている。「多数派の統治」それ自体は問題ではなく、アブドゥルマジード氏がこれに反対しているとは思えない。しかしここには--だからこそ--「多数派の独裁」の危険があるが、それは「多数派の統治」とは別の問題だ。多数派が個人の権利や基本的な自由を侵害する状況を制限する点において、またこれが憲法に含まれる点において、両者は異なっている。私見では、ここにおいてのみ、多数派がその権利を統治において濫用し、「多数派の独裁」の類に成り果てることがある。
 ここに、ジョン・ローン以来発展してきたリベラル民主主義の核心がある。民主主義の核心は、権利と自由の尊重にあり、「多数派」は単なる統治のための手段としてはならず、それゆえリベラル民主主義における「多数派の統治」は絶対的なものではなく、個人および団体の権利と基本的自由の尊重により制限されている。この権利と自由は憲法が信じるものであり、多数派であっても、これへの偏見が許されることはない。この点においてのみ、我々は「多数派の独裁」について語ることができる。
 以上より、統治における多数派の支配には問題も危険もない。なぜなら、これは民主主義の論理であるからだが、この支配は、少数派を含む全員の権利と自由を保障する憲法による制限を条件とする。これには、支配の永続化を防ぐための交代と保障の蓄積が必要である。もし多数派の名の下に、権利と基本的な自由が侵害されたら、これは許容しかねることであり、議会制秩序であろうが大統領制だろうが、変わりはない。
 アブドゥルマジード氏は--「多数派による独裁」についての氏の考えを強調しながら--議会制秩序は「行政府を立法府の中にしっかりと組み込んでしまい、政府を監視することでこの役割を完全に停止させ得り、これを従順につき従うものとして、その政策と決定を繰り返すだけのものとしてしまう」。奇妙なのは、この意見は、エジプトの野党が批判しているものと、まったく同じだ、ということだ。それは、政府を批判する次のような言葉である。「エジプトにおける現行の大統領制は、立法府を行政府に従順に付き従うものとするものである。野党の訴えるところでは--そこにはいくらかの弁明があるが--エジプトにおける大統領制は、立法府を弱体化させ、これを成り立たなくさせており、「行政府に従属させ」、この「大統領制秩序」における我々の全経験を通じ、議会が大臣から信を引き出したり、法秩序の本質的な修正を行う、ということは、一度も起きていない。これを浮き彫りにするのは、昨今のすべての憲法修正が、「政府」の諮問の上に、その主導権の元に成っているということだ。革命以来のエジプトの主たる憲法は、行政府の長の手になる支配の中枢であり、立法府を「行政府に従順につき従い、その政策と決定を繰り返すだけのものとする」という、ほとんどの民主主義国家に例を見ない方法に拠っている。これはアブドゥルマジード氏の言に従うものだが、丁度反対になっている。ほとんどの憲法法学者は、イギリスにおける「議会制秩序」は、「政府」を議会委員会の一つとし、立法府の支配を行政府に従う範囲とするもので、「議会制秩序」は立法府を強化するものであっても弱体化するものではない、と考えている。
 記事の筆者は、次のように締めくくっている。「ことがこの通りであるなら、現在の我々の状況で議会制共和主義を呼びかけることは、内容においても形式においても、夢物語的思考の類であり、現況の元では、政治秩序の根本的で完全な変更と、まったく新しい憲法の公布なしには不可能である」。言い方を変えれば、アブドゥルマジード氏は「議会制秩序」への呼びかけは、その時期(訳注:憲法改正などの準備が整い、真の議会制秩序が実現される時)に先立ち、状況はそのために政治的に準備されたものではない、と考えているのだ。これが彼の意図であるなら、この筆者の考えはまったく正しいが、内容においても形式においても、その考えを夢物語とするものではない。わたしが憲法から理解しているところでは--あるいは、憲法というものから理解しているところでは--人間活動は修正に直面するものであり、変革は規定された基礎構造に合致すべく法の枠組みの中で今もって実行中であり、憲法そのものが、その修正の公布布告の父である、ということだ。この文章で意図されているのは--お世辞ではなく--ことを打ち立てる際に用いられるもので、多数派に受容され歓迎されるべく、意見と考えを提出し始めるものなのだ。ここにおいて、憲法改正にむけて採り得る道を可能にすべく、地上に権利を捜し求めるものなのだ。それゆえ、公衆の意見を築き上げるために、諸見解を取り上げることを制限してはならない。これがその時期に先立つためであり、これこそが民主主義なのだ。
 何人たりとも、力で強要され、あるいは依拠すべき法に反して、意見することを課されたくはない。しかし、意見を取り上げ真剣に議論することを許す法的枠組みの下で、テーマをもって意見を交わし続ける権利はある。エジプトにおける「議会制秩序」への呼びかけは、この枠を出るものではない。
 アッラーのみがすべてを知る。

 ことの是非以前に、こういう基本的な政治議論が新聞紙上で論じられ、新聞というメディアが、立派な政治性の発射台になっている、という点は、とてもポジティヴに見られます。
 翻訳がダメなせいでうまく伝えられていませんが、元の文章は、そこそこの長さがあるにも関わらず、平易で流暢な表現と知的で辛辣な皮肉で構成されていて、非常に読ませるものです。さんざん皮肉でこき下ろした後、「このような議論こそが議会制秩序への道にとって必要」とか「憲法改正が必要なら改正すればいいじゃない」みたいな方向に持っていくところも、なかなか巧みです。
 こうした文章の質と政治性では、日本の新聞とは比べ物にならないほどレベルが高いです。
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