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ヨーロッパ人活動家らがカイロでガザ入りを求める

ガザ入りを求めるヨーロッパ人がカイロでデモ
ガザ入りを求めるヨーロッパ人がカイロでデモ posted by (C)ほじょこ

ガザ入りを求めるヨーロッパ人たちのデモがカイロで続く 外務省「デモ隊は約束を尊重していない」
「生命線3」エジプトの要請に応えイル=アリーシュに向かう 金属障壁の掘削機械がラファフに届く

 昨日、42もの国籍を含む数百のヨーロッパ人活動家が、カイロの多くの場所でデモを続け、住民への人道援助物資輸送、および同地区にイスラエルが「弾丸を注ぎ込んだ」攻撃の一周年記念を彼らと分かち合うためのガザ行きが認められないことに抗議した。人道および医療援助をガザ地区に運び入れている団体「生命線3」のメンバーは、ヨルダンのアル=アカバ港に数日間足止めされていたが、昨日、シリアに戻ることを決めた。ヌエバア港からのエジプト入りをエジプト当局に拒否され、イル=アリーシュ港からエジプトに入る準備のためだ。これは、本件に関するエジプトの要請に対し応えたものだ。活動家らは昨日、ナイル川コルネーシュの世界商業センタービル前で、抗議の座り込みを組織し、パレスチナを支援するシュプレヒコールを繰り返した。タハリールのモガンマア前では別の座り込みが組織された。三百人にのぼるデモ隊のほとんどはフランス人だが、一昨日夕方、ガザ広場に続くムラード通り(以前のシャルル・ドゴール通り)を三時間半にわたり遮り、フランス大使館前の通りに向けて広がり、ガザへ渡るためのラファフ(訳注:エジプトとガザ地区の国境の町)行きが治安上の理由で許可されなかったことに抗議した。一方、多くのイタリア人活動家は、イタリア大使館に向かい、同様の要求を主張した。
 また、外務省スポークスパーソンのヒサーム・ザキー大使は昨日、在カイロフランス大使館前で座り込みを続けているフランス人活動家らは、政治活動を行うつもりで観光ビザでエジプトに入国している--彼の言によると--点において、「自分たちの約束を守っていない」とした。一方、金属障壁のための作業は継続され、掘削作業を行うための機械が、昨日ラファフ港隣接地域に到着した。

 エジプト・ガザ地区間の国境封鎖や金属障壁建設には、アラブ諸国だけでなく欧米の活動家からも非難が浴びせられていますが、ちょっとこれは筋違いなのでは、と思えます。
 ガザに援助物資を運び入れたいなら、イスラエル側にも陸路はあり、ガザそのものにも港があります。そこからガザ地区入りできないのは、イスラエルが拒否しているためです。
 エジプト政府の政策を諸手を挙げて支持するわけではありませんが(というか疑問もかなり大きいですが)、エジプトとしても非常に苦しい判断の結果、国境封鎖という選択をしているのであり、そもそもこの状況を作り出したのもイスラエルです。
 なぜイスラエルではなくエジプトが抗議の対象になるのか、納得いきません。エジプト人がエジプト政府に抗議したり、百歩譲ってパレスチナ人や他のアラブ諸国から非難されるならともかく、ヨーロッパ人がカイロくんだりまで来て「ガザに入れろ」と叫ぶのは、文句を付ける先を間違えています。
 もちろん、イスラエルに抗議したところで「じゃあどうぞ」と入れてくれるわけもないし、だからこそ「何とかなりそう」なエジプトに目を付けているのでしょうが、エジプトとしてはとんだとばっちりではないでしょうか。

 こういう風景を眺めていると、イスラエル「建国」以降のパレスチナ周辺の歴史というのは、ユダヤという「外部」を措定することで「ヨーロッパ」であった者たちの、巨大な自己愛的贖罪ゲームの掌の中にあるように思えてなりません。ユダヤとは斜線を引かれたヨーロッパの主体なのです。
 アメリカのシオニストというのもまた、ある種の「裏切り感」というものに駆動されている自己愛において、「ヨーロッパ」と並行的です。
 念のためですが、文字通りのユダヤ人やヨーロッパ人を言っているわけではありません。ある歴史物語、自我を支えるファンタジーがあり、そのファンタジーへの病的耽溺が、イスラエルという存在を結果的に招いてしまい、今尚支えている、ということです。

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  1. ヨーロッパ人活動家らがカイロでガザ入りを求める|2009/12/30(水) 17:34:52|
  2. 新聞・メディア

アーシューラーの断食、フェミニストのムスリマ

 土曜日。
 駅前のスークでイチゴを買う。1キロ3.5ポンド(70円以下)。スーパーだともう少し高いですが、いずれにせよ物凄い安さです。
 日本のイチゴのように粒は揃っていないし、痛んでいるものも混ざっていますし、味も甘いものから酸っぱいものまで、当たり外れがありますが、まったく問題ありません。
 というか、イチゴに限らず、「日本製品」全般について思うのですが、高品質なものを手に入れられるのは結構なのですが、高品質なもの「だけ」しかなくて、高いお金を払わざるを得ない、というのが納得いきません。質の高いものが高いのは当然ですが、安くて質の悪いものも一緒に置いて欲しいものです。

 日曜日。
 授業の後、しばらく図書館で自習し、それからNちゃんの家に遊びに行く。
 いつもの待ち合わせ場所から、自力で歩いて行こうとしたところ、記憶も覚束ない上、例によってトゥクトゥクとマイクロバスが飛び交いバカが次々と変なことを言ってくるしんどい道で、精神的にかなりダメダメになる。さらにNちゃんと行き違いになり、超バッドな状態で会ってしまう。
 彼女の部屋に行き、喋っているうちに大分治ってくる。ごめんよ。
 「通りでブラブラしている若者や、遊んでいる子供は、全員ダメな人たちだ。やることがなくて、道で溜まっているので、ちょっと珍しいものを見たり女の子が通ると、暇つぶしに囃し立てて来る。原因の一つは失業だ。若者の行き場がない。彼らは知識人ではないし、知識人は子供を道で遊ばせたりしない。わたしも道を歩く時は、ただじっと足元を見て、何も見ない、何も聞かないようにしている」。
 ずっと年下の子に、こんなに整然と慰められる、というかたしなめられて、ちょっと恥ずかしかったです。
 それにしても、エジプトの知識人階級の若者は、普通の大学生でも非常に流暢に論理を展開し、政治・社会問題についても分析的な目を持っています。また、大人しいNちゃんでも、信仰の話になると立て板に水のように語ることができ、素晴らしい能力です。わたしも負けないようにしないと。
 「足元だけ見て、何も見ない、何も聞かない」と、カイロの道では即効車にはねられる可能性がかなり高いのですが、エジプト人は余裕でヘッドホンをしながら歩いたりしています。わたしも大分慣れてきて、普段は常時サングラスで視線を合わさず早足で歩いていますが(通りを渡る時も、下手に車に対してビビると負けるので、平気な顔で突っ切る)、流石に東京のような「完全閉鎖モード」では歩けません。物理ダメージをかわすセンスが十分磨かれて、はじめて精神バリアを使えるようになります。

 Nちゃんが断食している。アーシューラー(ムハッラム十日、初期イスラーム集団の断食潔斎の日)だったからですが、スンナ派ではほとんどの人はアーシューラーは普通に過ごしています。彼女はかなり敬虔な部類に入ります。
 日没前になんだかデラックスなご飯を出してくれてしまったのですが、彼女が断食しているのにわたしだけ食べられません。エジプト的には、一人が食べずに他の人が食べている、という風景は全然珍しくなく、別に失礼ではないようなのですが、気持ち的にどうしてもできません。別に飢えてもいなかったので、一緒に日没まで待ちました。
 ちなみに、断食明けは一般に大食いしないものですが、それにしても彼女は、ちょっとしか食べていませんでした。彼女はエジプト人にしては珍しく、スリムでとてもスタイルが良いのですが、普段から自制的な食事を心がけているのかもしれません。素晴らしい。
 体型的にも、顔付き的にも(色白)、性格的にも(大人しい)、日本人とあうタイプの子で、これが日本好きの結果なのか、逆にこういう性格だから日本が好きになったのか、ちょっと気になります。
 彼女とは「ジズルと漢字ってちょっと似てるよね!」等の、日本語とアラビア語を両方知らないと分からないニッチな話題を共有できるので、非常に楽しいです。会話はほとんどアラビア語で、最初の頃は外国人と話慣れていない彼女の言葉に苦労していたのですが、大分シンクロ率が上がってきました。

 彼女は日本人と友達になりたがっていて、ネット上での交流もあるようで、「日本人ムスリムのグループを見つけた」等と嬉しそうに語ります。
 「でも、普通の日本人が相手の時は、最初からイスラームの話題を喋りすぎない方がいいよ。日本人のほとんどは、そういうことに慣れていないし、ムタタッリファ(過激ムスリマ)だと思われてしまうかもしれない。まず、普通の話題から入って、時々イスラームのことを話し、でも話しすぎないようにおさせるくらいが丁度良いよ」と、老婆心ながらアドバイス。
 この辺の感覚は、逆にエジプト人にはなかなかつかめないようです。
 ネット越しだと、ただでさえも誤解が生じ易いのに、言語や文化的環境の違いから、変な誤解を受けてしまわないか、心配です。

 この日、電話で彼女が言った台詞から、يرن(ユリン、未完了三人称単数)という俗語を覚える。
 「電話をかけるが、相手が出る前に切る」「ワン切りする」くらいの意味で、文字通り「リン」から来ています。「わたしがリンした」なら「リンニートゥ」。
 電話代を節約するために「着いたよ」とかの単純メッセージを伝えるのに使われる他、日本同様「かけて」という意味にもなるそうです。

 彼女が日本人観光客の出迎えバイトをするそうで、この場面で使う日本語表現をいくつか質問されました。何か教えるたびに「これは丁寧な表現?」と確認していて、日本語における敬語表現の重要性を良く理解しています。
 「聞き取れなかった時に、『すいません、英語で話してください』と言ったら、怒られますか」と聞かれたので、「誰も怒らないけれど、英語も話せない日本人は多いよ」と応えます。
 彼女は苦笑いして「英語を喋れる日本人も沢山いるけれど、カタカナ・イングリッシュですね」と言います。よくわかっています(笑)。多分彼女なら、普通のエジプト人より「日本人英語」をうまく聞き取ってくれると思いますが。

 月曜日。
 長丁場授業。合間にフェミニズムとイスラームについてF女史とちょっと話す。フェミそのものも、反イスラームなフェミもどうでもいいけれど、ムタダイイナ(宗教熱心)でかつ教養あるフェミニストのムスリマというのも希少ながら存在して、その立場だけが非常に気になります。この狭いゾーンにいる人だけ、心を開いて本当に面白い話ができるような気がします。
 ムタダイニーン(宗教熱心な人たち)とムタタッリフィーン(過激派)は違うのですが、時にその違いが危うくなる上、日本のように全般に宗教色の薄い国の人には理解されにくく、この点をもっとアピールし伝えなければならない、と主張すると、強く同意して貰えました。いやほんと、これ大事です。

 彼女の中にも色々相克があるようで、自分の中の矛盾とも戦っているようです。しかし、わたしとしては、そういう矛盾を抱えているからこそ真の信仰なのであり、そういう姿をもっとイスラーム圏の外の人に知ってもらいたい、と感じてしまいます。
 彼女は大抵薄化粧をしているのですが(エジプトでよくある超ケバいメイクではない)「化粧は本当はハラームだ」と言います。「クルアーンに明示されているわけではないが、人目を引くのは良くないことだ」。
 それはわたしもわかっているのですが、一番重要なのは「やたら男性の目を引くような格好をしないで普通にせよ」ということであって、化粧なら即ハラームだ、というのは言いすぎではないか、と反論(擁護?)します。
 「あまり解釈を進ませると何でもアリになってしまっていけないが、大切なのは『奇抜になりすぎるな』ということのはずだ。化粧一つでも、どんな化粧かで違う。エジプトでは膝下のスカートでも目立つし、ハラームだが、日本ならまったく普通で、別にハラームとは言えないと思う(もちろんミニスカートはハラームだ!)。信仰の根本は変化してはならないが、末端は常に変化し、土地の風習にあわせて考えるべきではないか。要はTPOを守れ、ということでしょう」。
 そう言うと、F女史が「なるほど」と一定の賛意を示してくれます。
 「極端な話、エジプトではヒジャーブは義務だが、日本ではむしろハラームかもしれない。なぜなら、日本でムスリマがヒジャーブをすることは、かえって衆目を引く効果を発してしまうからだ」。
 これは極論ですが、常日頃から考えていたことで、こうして率直に話せる知的なムスリマ(でかつフェミニスト)と知り合えたことは、大変ラッキーです。彼女もうなって考えていました。
 形式を粗末にし、やたら根本に返って解釈し直すことは、信仰を形骸化させる第一歩ですから、慎重になる必要はありますが、末節にこだわるばかりでも本末転倒です。これはバランスの難しいところです。
 ただ強調したいのは、何度も言っているように、ある形式を「義務」と信じて厳密に守っているムスリム(またはムスリマ)であっても、他の信仰者がその形式を軽視していたからといって、非難したり侮蔑するようなことはほとんどない、ということです。この距離感を理解するのは、日本からだと難しく、わたしも常に気を使っていますが、社会の絶妙なバランス感覚だと思います。

 夜、久しぶりに大家さんのファトマがやってくる。下水工事に関する相談。
 ファトマは相変わらず気をつかって、フスハーとアーンミーヤが混ざった謎のファトマ語で喋ってくれるのですが、気がつくと彼女の言葉も100%聞き取れるし、こっちもまったくストレスなくアーンミーヤで喋っています。
 もちろん、ちょっと慣れない話題になったり、慣れない相手になると(そう、相手を知っているかどうかが重要!)、未だに非常に苦労するのですが、まぁなんとかこの程度のところまで来ることはできました。
 もっと勉強しないと・・・。

 火曜日。
 朝出かけようとすると、部屋の前が緊迫した情勢に。

階段の猫1
階段の猫1 posted by (C)ほじょこ

階段の猫2
階段の猫2 posted by (C)ほじょこ

 朝の授業時、F女史の体調が何だか悪そうだったのですが、その後自習し夕方の授業を待っていたところで、体調不良でキャンセルという連絡が。
 翌日も授業がなくなってしまったので、Nちゃんと一緒に勉強する約束をする。
 F女史の体調が心配。最近非常に忙しかったし、その一因はわたしにあるので、気になります。
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  1. アーシューラーの断食、フェミニストのムスリマ|2009/12/30(水) 17:26:11|
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ガザ虐殺から一年

ガザ虐殺一周年
ガザ虐殺一周年 posted by (C)ほじょこ

ガザ虐殺から一年

 ガザ地区の各地域では昨日、イスラエルが同地区に仕掛けた戦争の開始から一年が経過したことを、「注がれた弾丸の為したこと」の名の下に、デモ行進とハマースの組織した活動で記念した。運動には数百人の子供が参加し、一方、ハマースの軍事部門アル=カッサーム部隊は、これまでのイスラエルへのあらゆる抵抗の中で「最も適当なる存在」となることを約束した。
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  1. ガザ虐殺から一年|2009/12/30(水) 01:43:52|
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濃霧で交通が乱れる

霧のニュース
霧のニュース posted by (C)ほじょこ

霧により七名が死亡、五十六人が負傷 メトロが三時間停止

 一昨日朝、大カイロ圏および海岸地域のほとんどの道路で、濃い霧によって、交通がストップした。10月6日県警察の報告によると、二名の市民が死亡事故を起こし、他の十五名が霧による二つの事故で負傷した。昨日、イッ=ダカリーヤ県、イル=ガルビーヤ県、イル=イスマイーリーヤ県の各県で、霧と視界不良による交通事故で、五名が死亡、四十一人が負傷した。イッ=スワイス県では、天候不良により五箇所の港が閉鎖された。
 気象観測公機構は、昼間暖かい天候が続き、最初の夜は寒く、次に非常に寒くなる、と予想していた。一方、メトロの第一路線ヘルワーン-マルグは昨日朝、濃い霧の原因となった激しい雷により電気回線が遮断され、三時間に渡り運行を停止した。トゥラ・ル=バラド駅での制御ケーブルの断線により、トゥラ-ヘルワーン間で電車の運行が止まり、駅のホームが人で溢れかえった。


 霧はフスハーではضباب(ダバーブ)ですが、記事ではアーンミーヤのشبور(シャッブール)という言葉が使われています。
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  1. 濃霧で交通が乱れる|2009/12/30(水) 01:42:46|
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ルクソールのマリーナ建設

ルクソール投資
ルクソール投資 posted by (C)ほじょこ

ルクソールの「マリーナ」建設で政府が世界的競争入札を募る 開発省が計画に参加

 数週間の間にに、ルクソールの観光用の港「マリーナ」建設のために、政府は、国際開発事務所前で、世界的な競争入札を行う。開発には、ルクソール-アスワーン間で運行される180にのぼる動くホテルの船舶サービスのために20億ポンドがかかる。これは、開発省に属する「エジプト財政開発」金庫が融資計画参加に合意した際に明らかにされたもので、先の十一月の設立後、同金庫の最初の活動となる。
 開発省責任者によると、開発省に属する同金庫の計画への出資比率は10%を下回ることはなく、来年中に一万の新たな雇用機会が創出されることが決まっている。
 一方、同金庫を運営する親会社の保険会社社長ムハンマド・アブドゥッラーは、ルクソールのマリーナ計画について、上エジプトにおける最大の成長・発展計画の一つで、同金庫の参加により、この地域に一層の雇用機会が増強されることを期待している、と語った。
 また、インフラ計画が同金庫の最重要の活動となり、これを、市場の変動に左右されず、長期的な収益の保障された分野と考えている、と示唆した。
 エジプト財政開発金庫の資本は10億ポンドにのぼり、親会社の保険会社の出資比率は30%近くで、残りの株は、観光映画会社、海運会社、公営建設会社など、多くの政府系親会社に所有される。
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  1. ルクソールのマリーナ建設|2009/12/30(水) 01:41:32|
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寛大さより手抜きといい加減

 信仰や「異文化との共存」(この表現はいかにも教科書臭くて嫌いだし、ハッキリ言えば欺瞞だけど)を巡って旅していると、寛大さについて話したり考えたりする機会がどうしても多いです。
 寛大とか寛容とか言えば、それは聞こえが良いですし、どこの国のどこの人でも、寛大であることは素敵なことだ、と思うでしょう。「寛大さ」を理想として掲げておけば、とりあえず文句を言ってくる人はあまりいないし、「異文化との共存のためには寛大さが大切です」とか言っておけば、なかなかケチもつけられません。
 ですが、この「寛大」という言葉がなかなか曲者で、まず、一口に寛大といっても、その性質は文化により異なります。
 さらに、実際に「寛大さ」を実践する段階になると、単に緩めていくだけだと「それは寛大ではなくいい加減なだけだ」とか「いくら何でもやって良いことと悪いことがある」とか「社会の最低限のルールだけは守ってくれないと」等々、細かい異論が噴出して、結局立ち行かなくなることが往々にしてあります。

 問題の根っこは多分、最初の「寛大さ」という理想が、綺麗すぎることにあるのです。
 似た環境・似た文化で育った者同士でも諍いが耐えないのに、見当もつかない世界の人々がやって来たり、こっちから出向いたりすれば、問題の一つや二つ起こるのが当たり前です。それに対処するのに「寛大さ」などという、何だか聖人君子のような理想を持ち出してしまうと、結局「いやー、ウチらそんな立派なものじゃないしなー」と諦めてしまう結果になるのです。
 「寛大さ」という言葉には、現実世界でわたしたちが直面しなければならない、「大したことじゃないけどどうにも不愉快な細かい問題の山」を、単純化しナメてかからせてしまう小奇麗さがあります。
 実際にわたしたちを苛立たせる問題というのは、ほとんどの場合、大したことではありません。電話で喋る声がやたらデカいとか、よく遅刻するとか、挨拶がやたら長いとか、一つ一つ見れば些細なことなのです。「ほとんど一緒で、ちょっと違う」からイライラするのです。こういうタイプのチクチクくるストレスに対しては、大上段に構えた大きな理想はあまり役に立ちません。

 実際のところ、本当に役に立つ心構えというのは、ただ単に「雑」で「いい加減」になることでしょう。
 「雑」とか「いい加減」というのは、初めからプラス一面の言葉ではありません。「いい加減」であることに利点があるにしても、100%ポジティヴな性質だと思う人はあまりいないでしょう。
 そういう、半ば必要悪的なものを覚悟して初めて、現実の中で戦っていけるのです。
 色々問題は起こる。その問題は、多分解決しない。でもとりあえず死なないから、今日はもう寝ろ。
 そんな調子で、テキトーにノラリクラリかわす、ダメダメなやり方が功を奏する場面も沢山あります。
 ですから、最初から「ちょっとダメっぽいことをやらないと乗り越えられない」覚悟を持っておく方が、綺麗な言葉で理想を語るより、ずっと有効でしょう。

 イスラーム研究者の片倉もとこさんが、「ゆとり」と「くつろぎ」から「ゆとろぎ」という言葉を提唱されていましたが、大変失礼ですが、この言葉もちょっと美しすぎます。
 その美しさと「ゆとろぎ」の大切さには異論はないのですが、リアル「ゆとろぎ」には、ゆとりというより単に「怠けている」とか「やっつけ仕事」的な一面もあって、全面的にプラスに見られるものではありません。
 そういう、これまた「ちょっとダメっぽいものでもいいのか」という問いが、美しい言葉の前では忘れられてしまいます。
 ちょっとダメっぽくてもいいんですよ。そういう覚悟が必要だ、ということです。

 「ゆとり」と言えば「ゆとり世代」。
 「ゆとり世代」という言葉に最近込められている「ゆとり教育とか緩いこと抜かしていたから、このザマだよ」なネガティヴなイメージができてしまったのも、元の「ゆとり」という言葉が綺麗すぎることが一因です。
 最初から「手抜き教育」くらい言っておけば、多少抜けたり漏れたりしていても、後から文句をつける人はいません。いや、幾らなんでも「手抜き教育」では採用されないでしょうけれど・・。

 でもですね、本当は「手抜き」くらいダメダメなものが、逆にプラスに働く場面というのがあるでしょう。認めたくないし、大々的に認めてしまうとみんなが手抜きしすぎて困るかもしれませんが、「手抜きもたまにはいいもんだ」くらいドーンと構えて置いたほうが、本当に「手抜きが必要な場面」に出会った時に、堂々と手が抜けるというものでしょう。

 わたしは「寛大」ではないので、そんなものが必須条件なら、到底「異文化との共存」なんてできません。
 でも大雑把でいい加減ですぐ忘れるので、実際のところはそれなりに生きています。神様ありがとう。

追記:
 ふと思い出しましたが、一時期鬱病を「なまけ病」等と呼んで、患者さんを誹謗する言説がありました。個人的には、ぶっちゃけ「なまけ病」でも良いと思っています。問題は「なまけ病」くらいでグダグダ他人のことに因縁つけてくる小町的精神の方でしょう。「なまけ病」、結構じゃないですか。そんなヤツもいるがな。アンタこそ働き病とか小町病とかそんなんやろ。放っとけボケ。

アスワーン西岸らくだと2ショット
アスワーン西岸らくだと2ショット posted by (C)ほじょこ
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  1. 寛大さより手抜きといい加減|2009/12/30(水) 01:40:23|
  2. エジプト留学雑記

議会制秩序は夢物語ではない

 アムル・ムーサー氏のインタビューを取り上げた時、「議員の5%以上の支持を受ける(政党候補の場合)」という大統領選立候補要件の本質的問題は、5%ということではなく、そもそもの議会の構成のされ方にある、ということを示唆しましたが、この問題にも関連し、議会の位置づけについて、非政府系新聞の論者が、政府系新聞の記者に対して、痛烈な批判を浴びせています。

議会制秩序
議会制秩序 posted by (C)ほじょこ

議会制秩序は夢物語ではない
ハージム・イル=バブラーウィー
議会制共和主義は、幾多の例を見るように、民主主義実現を支えてきた統治体制だ
統治における多数派の支配には問題も危険もない。なぜなら、これは民主主義の論理であるからだが、この支配は、権利と自由を保障する憲法による制限を条件とする

 2009年十二月五日のアル=アハラーム紙の「議会制共和国の夢物語」と題する記事で、ワヒード・アブドゥルマジード氏は、「自然は ? 主たる分野で夢物語で、政治、社会、思想、この分野において現在までにわが国および諸外国において現れた最大の夢物語である エジプトにおいて議会制共和主義を確立するという呼びかけは現在、この枠組みを含んでいる」と書いた。これは議論の余地のある発言だ。
 夢物語というのは--わたしの考えるに--個人の精神、または事物に対する集合意識における思い込み、あるいは現実存在を持たない力である。こうした思い込みは、存在しない事物を信じる精神の混乱、もしくは物語が社会的に定着していること、信念、人民に対する一般的意識などに帰せられ得るもので、これらは歴史的事実や自然に根拠を持たない。これらは伝統や支配的信念その他の結果である。これが「夢物語」の了解であるとすれば、議会制共和主義は現実に機能し歴史的に存在しており、これを無視することはできない。イギリス人は議会制秩序の下に生きており、ベルギーやオランダ、スカンジナビア諸国も同様だ。君主制ではないヨーロッパ諸国ということでは、イタリア、ドイツ、ギリシャ、トルコがあり、アジアには日本、インド、タイ、イスラエルがあり、長いリストになる。これらの真実を否定し、議会制秩序を夢物語や、ある種の人々の勘違いによる思い込みだと言うことはできない。「議会制秩序」は歴史的事実であり、好むにせよ嫌うにせよ、夢物語ではない。
 このことから、「夢物語」という慣用表現を用いたアブドゥルマジード氏がの意図は、議会制秩序そのものの存在を指すのではなく、現状のエジプトにおいてこのような秩序の確立を呼びかけること、であるのかもしれない。これはある程度、受け入れられることだ。だからといってやはり、「議会制秩序」の要求を「夢想的思考の類」とすることはできないが。おそらく、即時実行の機が熟していない--筆者(訳注:アブドゥルマジード氏)の考えでは--「政治的プロジェクト」ということかもしれない。適切な条件が揃った時、これが大衆の要求となるのを禁じるものがなくなるなら、ほとんどの改革の呼びかけはそうして始まったのだ。その枠組みにおいて、人民の目から見て、政治的状況または確立されている社会を変えることで状況を改善する機会があるということに正当性があるなら、それこそ、植民地主義からの独立において起こったことであり、人種差別主義秩序の元での平等要求であり、女性の地位改善であり、社会階級状況の改良である。これら総ての呼びかけは、適切ではない状況下で起こったのであり、その後、この多くが、様々な時の多くの国で、成功を収めたのだ。
 こうして見ると、アブドゥルマジード氏は、「夢物語」という慣用表現を、エジプトにおける議会制秩序要求を歓迎しない、という意味で使っているようだ。その利点と効用を疑っているようだ。一般的に言って、政治的秩序はすべて、議会制秩序だけでなく人間の秩序はすべて、長所と短所があるものだ。このことから、支持者と反対者の間でことは異なるし、「議会制秩序」にも--他と同様に--疑いようもなく、いくらかの短所があるだろう。しかし、公平に言って、これにはまた、無視できない長所があり、「議会制秩序」をかつて採用し、今も用いている多くの国において、証明には事欠かない。これらの国はすべて、この秩序を、それぞれの国の状況や歴史や自然に合わせて、改善し適応させたのだ。加えて、エジプトには、議会制秩序への歴史的試みが過去にあり、これに対する不満は、これへの攻撃に対する不満ほどではなかった、ということが、その場において記録されているのだ。つまり1923年の「議会制」憲法は、特別な大衆的場としてエジプトの記憶に位置を占めており、たとえ最大の明証が1952年七月二十三日の朝の革命にあるとしても、「軍隊の運動」の情熱は、この憲法の尊重の上にあったと確信している。
 「夢物語」という考えを議会制秩序の存在ということから遠ざけたとして、この秩序の欠点とアブドゥルマジード氏を苦しめているらしい点について、我々は自問する。問題は、氏の「私見」に発するものではないと理解すると、議論の余地のあるものかもしれない。この秩序の、アブドゥルマジード氏にとっての最も危険な問題点とは、何なのだろうか?
 筆者は次のように考えている。「議会制共和主義は、民主主義の実現を助けうる統治諸形態の一つであり、幾多の例を持つ。しかしながら、それは、多数派による独裁という別の状態へ導くかもしれず、社会における自由の普及の前に門戸を閉ざす。それ故に、議会制共和主義の見地は、社会における魔法の処方箋であるかのような夢物語の類になるのだ」。この最後の表現から明らかになるのは、ワヒード・アブドゥルマジード氏が「夢物語」により意図しているのは、議会制共和主義が「民主主義実現への魔法の処方箋を提供する」という強い考えであり、それは、この秩序が--筆者の言うところでは--「議会で多数派を占める党の独裁を進めるモーターとなり得り、立法を支配し、堅固な民主主義がなければ、続いて行政を制御するようになる」からだということだ。「多数派による独裁」が大統領制秩序においてもあり得る、とみなしているにも関わらず、彼は、この大統領制秩序--そのように見えるもの--に、「多数派による独裁」を避ける契機がある、と考えている。一方、魔法の処方箋の問題については、いかなる改革についても、「魔法の処方箋」があると信じている者はそう多くなく、ほとんどの思想家は、改革というのは長い道のりなのだと理解している、とわたしは確信している。
 それ故、議会制秩序の真の問題は--アブドゥルマジード氏にとっての--「多数派による独裁」であり、これはこの文脈や他の文脈で何度となく繰り返されている表現で、民主主義思想の根本原則への説明や参照において用いられることもあるほどである。民主主義は、その働きの基本において、「多数派の統治」であり、民主主義統治の諸事が多数派の意見から遠くなる、というのは受け入れられない。これは民主主義国家すべてで起こっていることであり、議会制秩序を採用している場合でも、大統領制秩序を採用している場合でも、同様である。「多数派の統治」は、それ自体としては欠点ではなく、人民への合法的な要求である。これこそ民主主義の論理であり、エジプトにおいては、野党が法律の公布において政府の多くの政策に反対し、政府は実際に、この批判に対する返答において、これらの政策における議会での議員多数派の意見を頼りにしている。「多数派の統治」それ自体は問題ではなく、アブドゥルマジード氏がこれに反対しているとは思えない。しかしここには--だからこそ--「多数派の独裁」の危険があるが、それは「多数派の統治」とは別の問題だ。多数派が個人の権利や基本的な自由を侵害する状況を制限する点において、またこれが憲法に含まれる点において、両者は異なっている。私見では、ここにおいてのみ、多数派がその権利を統治において濫用し、「多数派の独裁」の類に成り果てることがある。
 ここに、ジョン・ローン以来発展してきたリベラル民主主義の核心がある。民主主義の核心は、権利と自由の尊重にあり、「多数派」は単なる統治のための手段としてはならず、それゆえリベラル民主主義における「多数派の統治」は絶対的なものではなく、個人および団体の権利と基本的自由の尊重により制限されている。この権利と自由は憲法が信じるものであり、多数派であっても、これへの偏見が許されることはない。この点においてのみ、我々は「多数派の独裁」について語ることができる。
 以上より、統治における多数派の支配には問題も危険もない。なぜなら、これは民主主義の論理であるからだが、この支配は、少数派を含む全員の権利と自由を保障する憲法による制限を条件とする。これには、支配の永続化を防ぐための交代と保障の蓄積が必要である。もし多数派の名の下に、権利と基本的な自由が侵害されたら、これは許容しかねることであり、議会制秩序であろうが大統領制だろうが、変わりはない。
 アブドゥルマジード氏は--「多数派による独裁」についての氏の考えを強調しながら--議会制秩序は「行政府を立法府の中にしっかりと組み込んでしまい、政府を監視することでこの役割を完全に停止させ得り、これを従順につき従うものとして、その政策と決定を繰り返すだけのものとしてしまう」。奇妙なのは、この意見は、エジプトの野党が批判しているものと、まったく同じだ、ということだ。それは、政府を批判する次のような言葉である。「エジプトにおける現行の大統領制は、立法府を行政府に従順に付き従うものとするものである。野党の訴えるところでは--そこにはいくらかの弁明があるが--エジプトにおける大統領制は、立法府を弱体化させ、これを成り立たなくさせており、「行政府に従属させ」、この「大統領制秩序」における我々の全経験を通じ、議会が大臣から信を引き出したり、法秩序の本質的な修正を行う、ということは、一度も起きていない。これを浮き彫りにするのは、昨今のすべての憲法修正が、「政府」の諮問の上に、その主導権の元に成っているということだ。革命以来のエジプトの主たる憲法は、行政府の長の手になる支配の中枢であり、立法府を「行政府に従順につき従い、その政策と決定を繰り返すだけのものとする」という、ほとんどの民主主義国家に例を見ない方法に拠っている。これはアブドゥルマジード氏の言に従うものだが、丁度反対になっている。ほとんどの憲法法学者は、イギリスにおける「議会制秩序」は、「政府」を議会委員会の一つとし、立法府の支配を行政府に従う範囲とするもので、「議会制秩序」は立法府を強化するものであっても弱体化するものではない、と考えている。
 記事の筆者は、次のように締めくくっている。「ことがこの通りであるなら、現在の我々の状況で議会制共和主義を呼びかけることは、内容においても形式においても、夢物語的思考の類であり、現況の元では、政治秩序の根本的で完全な変更と、まったく新しい憲法の公布なしには不可能である」。言い方を変えれば、アブドゥルマジード氏は「議会制秩序」への呼びかけは、その時期(訳注:憲法改正などの準備が整い、真の議会制秩序が実現される時)に先立ち、状況はそのために政治的に準備されたものではない、と考えているのだ。これが彼の意図であるなら、この筆者の考えはまったく正しいが、内容においても形式においても、その考えを夢物語とするものではない。わたしが憲法から理解しているところでは--あるいは、憲法というものから理解しているところでは--人間活動は修正に直面するものであり、変革は規定された基礎構造に合致すべく法の枠組みの中で今もって実行中であり、憲法そのものが、その修正の公布布告の父である、ということだ。この文章で意図されているのは--お世辞ではなく--ことを打ち立てる際に用いられるもので、多数派に受容され歓迎されるべく、意見と考えを提出し始めるものなのだ。ここにおいて、憲法改正にむけて採り得る道を可能にすべく、地上に権利を捜し求めるものなのだ。それゆえ、公衆の意見を築き上げるために、諸見解を取り上げることを制限してはならない。これがその時期に先立つためであり、これこそが民主主義なのだ。
 何人たりとも、力で強要され、あるいは依拠すべき法に反して、意見することを課されたくはない。しかし、意見を取り上げ真剣に議論することを許す法的枠組みの下で、テーマをもって意見を交わし続ける権利はある。エジプトにおける「議会制秩序」への呼びかけは、この枠を出るものではない。
 アッラーのみがすべてを知る。

 ことの是非以前に、こういう基本的な政治議論が新聞紙上で論じられ、新聞というメディアが、立派な政治性の発射台になっている、という点は、とてもポジティヴに見られます。
 翻訳がダメなせいでうまく伝えられていませんが、元の文章は、そこそこの長さがあるにも関わらず、平易で流暢な表現と知的で辛辣な皮肉で構成されていて、非常に読ませるものです。さんざん皮肉でこき下ろした後、「このような議論こそが議会制秩序への道にとって必要」とか「憲法改正が必要なら改正すればいいじゃない」みたいな方向に持っていくところも、なかなか巧みです。
 こうした文章の質と政治性では、日本の新聞とは比べ物にならないほどレベルが高いです。
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