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先生になりたいかも!

 近所に住む日本語勉強中のNちゃんのお宅に遊びに行きました。
 勉強時間が欲しくてカリカリしているのに朝からはかどらず機嫌が悪かったのですが、でかけてみたらご機嫌に。
 大通りを越えた(そう、この大河のような殺人道路も今では鼻歌歌いながら渡れるようになった!)向こうの区域に彼女は住んでいるのですが、こちら側は以前にちょっと散歩したくらいで、未知のエリア。
 今ではちょっと覗くだけで地区の性質を見抜けるようになりましたが、渡ったすぐの場所はやや柄が悪いものの、その奥のNちゃん宅のある方角は、エジプト的には中流以上のエリア(彼女の雰囲気や服装、日本語を勉強している、ということから、比較的お金持ちなのは容易に想像がついていましたが)。
 とはいえ、ザマーレク、ドッキ、マアーディのような地区にはほど遠く、外国人はまったくいません。こういう場所を東洋女が一人で歩くと、それはそれはもう、凄まじい経験ができるのですが(笑)、彼女と一緒だったので割と安全でした。
 途中のお肉屋さんでウサギ発見。

うさぎ
うさぎ posted by (C)ほじょこ

 もちろん「商品」ですが・・・。

 彼女の家のアパートは、エレベータがあり、全体にわたしの住んでいる建物より豪華です。でも、エレベータ動作中に、ずっとクルアーンの音声が流れているのがウケました。まぁ、よく落ちますからね、エレベータ。お祈りの一つもしたくなるよね。

 部屋に招かれて、彼女が本当に本当に日本が好きなんだ、と良くわかりました。
 本棚にあるのは日本関係の書籍ばかり、苦労して集めたらしい日本の絵本や漫画雑誌が沢山出てきます。
 彼女の日本語力では、まだ普通のコミックも相当難しいと思うのですが、たどたどしく読めるところだけ拾っています。
 「でも子供向けの絵本が一番好き」。そう、絵本は世界中どこでも美しい。
 絵本のページをめくると真っ先に動物に目が行き、「ろば。かわいいー!」とか言っているあたり、かなり自分と似たものを感じます(笑)。

 彼女の部屋には何故か小さな黒板があり、よくこれに字を書いて練習するそうです。

王
posted by (C)ほじょこ

三億円湿度替える
三億円湿度替える posted by (C)ほじょこ

 「三億円 湿度 替える」って一体・・・。
 ポエジー溢れていて素敵です。子供の書いた詩を読んでいるようです。

 この日の彼女との会話は、アラビア語と日本語が8:2くらい。一応、わたしのアラビア語の方が彼女の日本語より上ですが、彼女は別にアラビア語の教師ではないし、外国人とアラビア語で喋るのに慣れていません。性格的にエジプト人の割に大人しく控えめなせいか、発音もあまり明瞭な方ではなく、付いていくのに苦労しましたが、四五時間くらい図々しくお邪魔していたので、最後のほうは大分慣れてきました。わたしの耳が慣れると同時に、彼女もわたしの発音に慣れ、かつわたしにわかる言い回しのパターンを無意識に習得していったのだと思います。こういう「シンクロ」は、母語を共有しないあらゆるコミュニケーションで出現し(わたしの日本語も彼女にシンクロしていく!)、非常に面白いものです。

 どういう流れだったか、イスラームについて話題になりました。
 大人しい彼女ですが、信仰のことになると途端に饒舌になり、真剣に語り始めます。
 しかし、一部のアホなムスリムと違って、押し付けがましく自画自賛的なことは言わず、むしろ現在のエジプトにおけるイスラームを批判するような言葉を重ねます。
 こうした語り方は、F女史も時々するのですが、聡明なエジプト女性においてのみ、時々お目にかかれます(男ではほとんど経験がない)。
 「ガーマのイマームや、テレビに登場する偉い先生は、やたら大声で怒鳴るけれど、本来イスラームでは優しい声で語らなければならないはずだ。ああいう先生をムスリムでない人や外国人が見て『イスラームは乱暴な宗教だ』と思ってしまうのは、無理もない。わたしは恥ずかしい」。
 また、F女史ともしばしば話題にする、「信仰に強制なし」の件についても、熱く語ってくれました。
 「他人の信仰実践に対してあれこれ口を挟むのは正しくない。『助言』をすることはできるが、命令することはできない。彼らがيعبد(かしずく、僕となる)しているのはアッラーであって、ムスリムに対してじゃない。それはアッラーと彼の問題だ」
 サウジアラビアのように、宗教を法制度化し、一方で外国に行く飛行機の中では、ムスリマが一斉にニカーブを脱ぎ捨てるような現状については、わたしもNちゃんも「あれは信仰ではない」と興奮して批判します。

 以前にニカーブとヒジャーブを話題にした時、「ヒジャーブを義務だと思っている人でも、ヒジャーブをしていない人を非難することはない」と書いて、これが新鮮に映った方がいらっしゃるようですが、この点は何度でも強調したいです。
 もちろん、おせっかいなエジプト人ですから、家族や身近な人間については、「助言」することはしばしばあります。以前ラマダーン中にある家族のイフタールにお邪魔した時、断食していない家族の一人を他の家族がチクチク非難し、一方で彼が「アッラーはわたしたちを苦しめるために作ったんじゃない」とか反論している場面に出会ったことがあります。
 ですが、こうした「助言」ですら、徹底的に追い詰めるものではなく、基本的に理詰めで人を追い込むような語り方というのを、彼らはあまりしません。しょっちゅう大声で喧嘩していますが、チクチク屁理屈を重ねて負けを認めさせる、というような非情な口論はほとんどなく、常に相手のプライドを重んじ「優しさある喧嘩」をしているように見えます。

 話がズレましたが、自分が「義務」だと思って実践していることでも、他人が違う考え(あるいは単なる怠惰)の下に実践していなかったとして、それを非難することはまずありません。
 この日Nちゃんも語っていて、今まで幾度となく聞いてきたことですが、それは「アッラーと彼の問題」であって、他の人間にはとやかく言う権利はないからです。
 ひたすらおせっかいで、何にでも首をつっこむエジプト人が、こと信仰についてだけは、日本人より遥かに繊細な配慮を見せます。
 自分の信念は自分の信念として確固としてあり、普通の女子大生にすぎず、しかも性格的にむしろ地味目のNちゃんですら、留まることを知らないほど語れるのに、他人に対して非礼な干渉の仕方はしない。なぜなら、一番大切なのはアッラーという絶対的な第三者との関係だからです。

 さて、後半は彼女を相手に臨時日本語教師。
 漢字のない日本の絵本を、一緒に読んでいきます。説明はほとんどアラビア語で、時々日本語。
 全部ひらがなのせいで、彼女が時々単語の切れ目を間違えるのですが、そういう時に「漢字がないから」と笑いながら言います。「全部ひらがなだとかえって読みにくい」という、日本人なら誰でも感じる日本語の性質を、既に理解するようになっています。
 しかしまぁ、子供向けとはいえ、なかなか難しい!
 日本語は深い意味のない終助詞がやたらついて、細かいニュアンスを作り出していますが、ただでさえも意味が微妙な上、分かち書きがないので、しばしば単語の一部か終助詞なのかを読み違えています。また、擬音・擬態表現も、なかなか理解できない様子。
 大学受験英語を勉強する日本人が、しばしば後ろから順番に訳していくことを覚えてしまいますが、英語以上に「すべてが日本語と反対」なアラビア語を母語とする彼女は、日本語を後ろから読もうとします。確かにそうすると、アラビア語的には自然な語順になるのですが・・。
 基本的な漢字の勉強まで進んでいる一方、「てにをは」の理解が不十分のようです。これに習熟しないと、日本語では統語構造が読み取れません。単語を覚えるだけでなく、構文読み取りをもっと意識して練習した方がいいな、という印象でした。

 頑張って短いお話を一つ読んだ後で、彼女がわたしの先生っぷりを大絶賛してくれます。
 「日本語のクラスで習っているけれど、先生はアラビア語がほとんどできなくて、英語で説明する」。
 わたしのアラビア語はまだまだ覚束ないし、この日も教えながら「ところでこれアラビア語で何て言うの?」とこっちも勉強していたのですが、日頃「生徒」をやりまくっている経験から、どういう話の持って行きかたがわかりやすいか、外国語で話していて何にイライラして、どんな介入が不愉快か、よく理解しているつもりです。
 また、わたしは日本人としては異常に感情表現が大げさで、かつ手振り身振りが派手で、すぐ小芝居を打って説明しようとするので、それもウケたようです。

 役に立てたとか何とか言うより、こちらがものすごい楽しんでしまいました。
 実はわたしは、学生時代から卒業後も結構な期間、塾講師やら家庭教師やらで糊口をしのいでいた時期があったのですが、この時のことを思い出しました(全然関係ないですが、塾講師時代の生徒アンケートのクレームで「先生の挨拶が元気すぎてうるさい」と書かれたのを思い出しましたw)。
 彼女は立派な大人ですが、外国語の勉強というのは、一回子供にかえるようなものです。ちょうど小さな子供に一対一で教える時のような、忍耐力と芸人ぶりがないといけません。そしてこれが、猛烈に楽しい!

 彼女がしきりに「カイロで日本語を教えたらいい! 個別教師なら、ある程度給料も貰えるはず!」と言ってくれて、まぁエジプト人は常に異様にポジティヴシンキングなので、実際にはそう簡単なわけはないのですが、あまりの楽しさに「先生をやってみたい!」という気持ちにもなってきました(日本語教師の皆様、甘っちょろいこと言ってごめんなさい)。
 どう考えてもあまり儲かる商売ではないでしょうが、エジプトで生命を維持する程度になら稼げるかもしれませんし、その間にわたしは思う存分勉強できるので、考えてみるとなかなか悪くないアイデアな気がしてきました。

 来年にとりあえず帰国しますが、その後の身の振り方に関わらず、家を処分しようと思っています。家と言ってももちろんアパート暮らしですが、あの荷物をなんとかして、日本に自分だけの家のない状態にはしたいです。実家に帰れないので、同居人か居候先募集です(笑)。
 デフォルト旅人、というかホームレスの状態を作って、その上でもう一度エジプトに戻ってきて、修行を続けてもいいかな、とぼんやり考えています。

 エジプトの路上では毎日のようにしんどいことが起こりますし、「もう帰る! 二度と来るか!」と思ったことも一度や二度ではありませんが、一方で何か、居場所のようなものが感じられる。誰もわたしを無視しない。
 日本に帰っても、本当に親しい人は片手以下だし、「とにかく来い! 仕事はなんとかなる!」などと大言壮語してくれる人もいません。
 それは、「できもしないことを言うくらいなら何も言わない方がいい」という日本的倫理観から来るものなのでしょうけれど、できてもできてなくても、とりあえず前向きに大言壮語するエジプト人に囲まれていると、わかっていても「なんとかなるかも」と思えてくるし、何だかホンワカした気持ちになってきます。
 そして、「何とかなる」と思っていれば、大抵のことは何とかなるものです。
 日本人も、もうちょっと勢いだけで景気の良い話をしたら良いと思うのですけれどね。みんなちょっと、小賢しくなりすぎ。頭良すぎ。
 経済状態だけ客観的に比べたら、圧倒的に日本の方が良いはずなのに、どう考えてもエジプトの方が未来があるように見えて仕方ありません。
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  1. 先生になりたいかも!|2009/12/20(日) 01:43:11|
  2. エジプト留学日記

信仰と道徳を分けて考えること

 クルアーンのユースフ章のタフスィールを読んでいて、ふとしたことからF女史と大変熱い信仰談義になりました。
 彼女は敬虔なムスリマですが、外国人との付き合いが多く、非常に柔軟で幅広い知見を持っています。

 確かكافر不信仰者مشرك多神教徒ملحد無神論者という言葉を巡り「ムスリムなら、例えば牛の肉を食べる時に与えてくれたアッラーに感謝するが、ほとんどの日本人は牛そのものに感謝する。偉大な山を見て敬虔な気持ちなった時、ムスリムはアッラーの偉大さを称えるが、多くの日本人は山そのものに『神性』を見出す。しかし、ここでの『神』はアッラーのような概念とまったく異なり、神様が沢山いる、という意味ではない」とかいう話をしていた流れだったと思います。
 また、以前にも話した「日本人は仏教寺院にも神社にも行くし、時には教会に行ったりすることもある。そういうことを矛盾と感じていない」という話にもなりました。「彼らにとって、そうした場所を尋ねるのは、エジプトの遺跡を訪れるのと大して変わらない。あれはالدين信仰というものではない」と、わたしなりの解釈を語ります(実際、日本人の多くには、الدينという言葉からアラブ人が連想するような「信仰」はないでしょう)。「しかし、だからと言って、彼らが倫理的でないわけではないし、敬虔さを持たないわけではない」。

 彼女は「なるほど」というような反応をし、それからこんな話をしました。
 「日本人や、ヨーロッパの人たちと付き合っていると、とても礼儀正しくて時間にも正確で真面目な人が多い。中にはイスラームを尊重して『お酒も煙草もやらない、豚肉も食べない』という人もいる。ムスリムでないのに、どうしてそんなことをするのか、不思議に思う。でも、ムスリムなのに不品行を行っている人と、ムスリムでないのにムスリムのような暮らしをしている人、どっちが神様にとって本当の『ムスリム』なのか、時々考える」。
 この言葉が、当のムスリムから出てきたことに、わたしは大変感激しました。
 そして、わたしが返した言葉はこうです。
 「どちらが真のムスリムかと言えば、それはアッラーを信じているけど不品行なムスリムの方だ。もちろん、彼は『良い』ムスリムではない。しかし、アッラーを信じている、というその一点において、彼は紛れもなくムスリムだ。一方、いかに品行方正で、ムスリムのような暮らしをしている人がいても、アッラーを信じていないのなら、彼はムスリムではない」。
 ここでわたしが言いたかったのは、いわゆる「道徳」と信仰というのは、別のものだ、ということです。
 これは非常に重要なポイントです。

 彼女は素晴らしい聡明さで拙いわたしの説明を理解してくれたのですが、これは一般のムスリムが容易にできることではありません。
 例えば、彼女は偶然にも、この前日に母親にわたしのことを話したくれたそうです。
 「日本人で、すごく勉強家で良い人で、変わっていて、人が好きで、イスラームのこともよく勉強している」(事実かどうかは怪しいですw)。
 すると、お母さんはこう答えたそうです。
 「へー、その子はムハッガバ(ヒジャーブをしているムスリマ)なの?」
 「いやいや、彼女はムスリマじゃないよ」
 「え、どういうこと!?」
 これが市井のムスリムの反応です。
 つまり彼らの多くは、道徳と信仰を一体のものとして考えているのです。信仰がなければ道徳もない。品行方正で、かつイスラームについても齧っているくせに、なおムスリムではない、なんて意味不明なのです。

 もちろん、信仰には「道徳的」要素が非常に多いし、道徳の中には信仰に起源を持つものが少なくありません。両者には深い関係があります。
 それでも、信仰と道徳は二つの別のものです。
 信仰なしでも道徳は成り立つし、逆に道徳なしでも信仰は成り立ちます。

 この「混同」は、ムスリムではなく、例えば全般に信仰と縁の薄い日本人においても、別の形で見出すことができます。
 「信仰のある人が、なぜこんなことを」「信仰というのは人を幸せにするためのものじゃないの」。
 こういう発想は、すべて信仰と道徳をごっちゃに考えているところから来るものです。
 信仰は人を幸せにするためのものではありません。そんな「ご利益」で動くものは、信仰ではありません。
 強いて言えば、神様を幸せにするためのものが、信仰です。人間が幸せになるかどうかは、すべてインシャアッラー、神様の思し召し次第です。
 信仰を持ち、正しく実践することで結果的に幸せになる人は沢山いますが、それは神様がそう望んだからです。とても信仰熱心でかつ正しい信仰実践をしていても、不幸な人だっています。

 日本人の多くが、異なる宗教に由来する「寺院」を平気で二股かけられるのは、彼らの発想が基本的に「ご利益宗教」だからです。
 服屋さんに行って「この服にしようかな、あの服にしようかな。こっちは上司受けしそうだし、こっちは彼氏受けしそうだな。両方買ったらもっといいかな」とショッピングするようなものです。
 あっちに詣で、こっちに詣で、ご利益二倍なら尚いいじゃない!というのは、人間が神様を選ぶ態度であって、少なくともالدينアッ=ディーンではありません。
 信仰というのは、神様の側が人間を選ぶものです。
 人間には選択の権利などありません。圧倒的無力を曝け出し跪くものです。

 「以前に、ヨルダンに社会学的調査で長期滞在した日本人の本を読んだ。彼は再三ムスリムになるよう勧められたが、結局改宗しなかった。その理由を『アッラーを信じていないから』と言っている。彼は品行方正な人物だと思うけれど、それはムスリムであることにとって、決定的な要素ではない。逆に、彼の滞在した村にはお酒も嗜むダメなムスリムがいて、自分でも『俺はムスリム失格だ』と言っていたそうだけれど、それでも彼はムスリムだ。なぜなら、アッラーを信じて、それを基準に生きているからだ。改宗しなかった彼の判断は正しい」。

 信仰というのは、ご利益を求めて信じることでもないし、道徳的であることでもありません。
 信仰実践の中には、社会道徳に沿う部分も沢山あります。「殺すな、盗むな」といった基本的行いから、弱者への配慮、喜捨の義務などは、社会道徳とも一致するでしょう。
 一方、礼拝のように、社会道徳上は何の意味もないものもあります。その人がいくら礼拝しようが、世の中には何の影響もありません。人間の中で得している人は一人もいません。
 得している(?)のは、神様一人だけです。
 また場合によっては、道徳と信仰が矛盾することだってあるでしょう。イスラームでは、厳密に言えば民法的要素までもが細かく決められていますが、社会によってはこれは通念上の「道徳」と齟齬をきたす場合も考えられます。
 極端な話をすれば、ある特殊な状況下では、戦争も正当化されるかもしれません。もしも「どんな理由があっても戦争はダメ」という立場を採るなら、これとは矛盾します(戦争を奨励する信仰などというのは、多分存在しないと思いますが)。

 戦争という際どい領域に触れてしまったので、少し脱線すると、もし「仮に」イスラームがある種の戦争を正当化したとしても、わたしは構わない、と考えています。
 信仰の有無・種類を問わず、世界中で戦争をしています。もちろん、戦争がないに越したことはないでしょうが、とにかく戦争はあります。仮に信仰の名の下に戦争が行われていたとして、それがなぜ特別に非難されるのでしょうか。
 多分、その背景には、「信仰というのは人を幸せにするためのものだ」とか「世俗社会はどうあれ、信仰者が人を殺してはいけない」といった、「混同」と甘っちょろい考えがあるのでしょう。
 「国家」だったら、人を幸せにしなくても許されるのでしょうかね。
 名前だけの信仰を、小奇麗な本棚の上に飾っておいて、劣化ウラン弾でも何でも好き放題に使うくらいなら、信仰と共に戦場に立ち、すべてを共に目撃すべきではないですか。血で汚れた服を脱ぎ捨てないと、祈ることもできないのですか。
 戦いもまた、人間たちの世界の重要な一部であり、神様は全部ご存知です。「戦争については、うちは専門外だから」というような神様など、到底信じられません。
 もしも、どうしても「正しい戦争」と言わなければならないなら、その時こそ神の御名の下に語るべきです。その言と心中する覚悟がないなら、「正しい戦争」などと口走らないことです。銃口を向け、その時神が共にないなら、バレルを下ろさなければならない。神が共にあるなら、迷わず引き金を引け。

 話を戻します。
 信仰はシグルイであって、道徳の教科書のような小奇麗なものではありません。
 道徳と信仰が矛盾するなら、たとえ謗りを受けても、神様のために尽くすのが信仰です。
 多くの信仰は、社会道徳とも矛盾しないし、むしろ社会道徳を推進してきたからこそ、今日まで世の中とうまくやってきたわけですが、それは信仰において一番大事なことではありません。

 こうして、道徳の飾りを剥ぎ取った後に残る信仰というのは、非常に純粋であると同時に、時に狂気のような荒々しさを備えたものです。
 こういう極限の信仰について思考できるエジプト女性と出会えたことは、本当にアッラーの恵みだと思います。こんな話が通じる友人は、日本でもほとんどいないし、エジプトでもそうそう見つけられないでしょう。

 ムスリムの中には、彼らの道徳基準がいかに素晴らしいかを力説し、かつ、日本人の品行方正さを見て(まぁ人に拠ると思いますが)、「まるでムスリムのようだ」と言う人もいます。
 しかし、そういうムスリムも、傍から見ている日本人も、イスラームについての理解が欠けています。
 信仰はそんなお行儀の良いものではないし、ムスリムたちも、外の世界と付き合って行こうと思うなら、道徳性などという安い部分で、自分たちをアピールするのを諦めるべきです。

 道徳的であることは、もちろん結構です。
 誰にとって結構かと言えば、人間たちにとってです。
 人間たちにとって都合の良い人間であることを、多分アッラーは喜ばれるのでしょう。
 しかし、重要なのは、アッラーが喜ばれるかどうか、それだけであって、もしアッラーが喜ぶなら、人間たちにとって都合が悪い存在であっても、そちらを採るべきです。

 わたし個人としては、アッラーを信じているので、いずれ「悪いムスリマ」になる時が来そうです。「良いムスリマ」は・・・ちょっと無理っぽいかな(笑)。

タンヌーラ5
タンヌーラ5 posted by (C)ほじょこ

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『イエスはなぜわがままなのか』岡野昌雄 信仰と一目惚れ
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  1. 信仰と道徳を分けて考えること|2009/12/18(金) 07:32:39|
  2. エジプト留学雑記

ヨロピコ、二種類の寛容

 土曜日。
 エレベータで一緒になったおっちゃんが、何の前触れもなく「お前はパキスタン人か? インド人か? イタリア人か? 韓国人か?」と話しかけてくる。
 中国以外の国籍を四つも畳み掛けられたのは初めてですが、その四つにおよそ一貫性がありません。少なくともイタリア人じゃないやろ、普通に見て。
 「に、日本だけど・・」と答えたら、「そうか、日本か! はっはっはーっ」と豪快に笑い、鼻歌を歌いながらエレベータを降りて行きました。

 日曜日。
 某日本関係施設の図書館で勉強していたところ、一人のエジプト人男性が、大変礼儀正しい日本語で話しかけてきました。
「すいません、質問してもよろしいでしょうか」
「え、あ、はい、どうぞ」
「『ヨロピコ』というのは、どういう意味ですか?」
「よ、ヨロピコ!? それはどういう文脈で・・・あ、アニメの中ですか?」
「はい、そうです」
 一応「『ヨロピコ』とは『よろしく』のことだが、ふざけた言い方であり、アニメの中では許されるが、使わない方が良い」と説明しておきました。男性は満足したようで、小声で「ヨロピコ、ヨロピコ・・」と呟きながら席へ帰っていきました。
 まぁ、アニメでも何でも、祖国について興味を持って貰えたら大変光栄なんですけれどね・・・。
 あなたたちの文学やら古典やら理解するために七転八倒し、大変お世話になっているのに、わたしが役に立てるのは『ヨロピコ』の意味を教えるくらいですか。日本って一体・・・。
 これからもヨロピコね、親愛なるエジプト市民。

 月曜日。
 「日本でガマール(ムバーラク大統領の次男)がガマル(ラクダ)と呼ばれている」という話をF女史にしたところ、大爆笑される。「ガマルと言われたらガマールも怒るよね」。
 出来すぎた話なので、新手のヌクタ(笑い話)として広まってくれたら面白いです。

 火曜日。
 約6時間一対一の授業を受け、5時間くらいは図書館で自習。
 時間がない。時間が欲しい。ああ、もっと勉強していたい。
 ヘロヘロになったところで小難しい古典など読んでも、一行読むのに四苦八苦なのですが(別にヘロヘロじゃなくても大変だけど)、そのわからなさと格闘しながら交わしている会話は、まったく無意識で、丁度この「ヒーヒーなんか言ってる」くらいが、正味の実力なんじゃないか、とふと考える。
 日本に戻って、家も全部引き払って、もう一度戻ってきてひたすら勉強したい、とかなり本気で考える。でも正直、勉強以外のことでは、すごく住みたいとは思わないですけれどね。

 水曜日。
 勉強は順調なものの、また道でかなりバッドな体験があり、もう道路に飛び出して死のうかと思ったけれど、たまたま柵があって面倒くさいからやめました。
 でも、直後にF女史が話に乗ってくれて、かなり救われる。
 傷つけるのも人間だし、救うのも人間。
 そんなのは世界中どこでも同じだけれど、この異様に人間臭濃い街では、どちらの強度も東京の比じゃないです。

 「都会は人間が冷たい」というのは、ある程度普遍的に当てはまる傾向でしょう。
 人が沢山密集すれば、接近しすぎないような機制が働く、というのが第一。そして、都会というのは、田舎者の集まりなわけであって、この「故郷を捨てた田舎者」は、都会においては共同体的な根を一度失っている。程度の差こそあれ、都会というのは、人間を一度根っこから引き抜いてしまうものであり、人に対して良くも悪くも距離ができる、というのはあるでしょう(だから「都会の貧乏は悲惨」)。

 で、カイロも東京も同じく大都会なわけですが、人の質は全然違います。カイロだってエジプトの田舎とは違うわけだけれど、密集しているのに尚ねっちゃりぬっとり絡みつくような人間関係が生きています。
 それは多分、エジプトの社会が、トッド風に言えば「内婚制共同体家族」をベースにしているからであって、要するに大家族主義なわけです。核家族的、もしくは直系家族的であれば、都会に出れば横のつながりはできにくいです。直系家族なら都会と田舎の直のパイプというのは残るかもしれないけれど、新たなネットワークというのはあまり広がりません。
 でも、大家族主義の場合、数世代のうちにまた「大きな家族」が再構築されることもあるし、それ以前に家族ごとドーンと移動してくるケースが多い。だから、都会と言っても、それほど「ねっとり感」が軽減せず、みんながそれに慣れているので、依然として凄まじい人懐っこさを発揮してくるわけです。
 それに救われることもあるし、傷つけられることもある。要するに普通の家族と一緒で、この街は一つの「家族」なのです。

 トッドで思い出しましたが、移民問題解決の唯一の方法は、「フランス式」、つまり粒状にしてバラバラにして混ぜて同化する、という方向だけだと言います。つまり「多分化主義」では解決しない。
 これにはまったく同意で、「多分化主義」のその単位となる「文化」をどう決めるのか、権力が「文化」を区切れるのか、という問題がまずあるし、無理に区切っても「文化」間の壁が厚くなるだけです。
 ガンガン外婚して、混ぜちゃうしかない。
 日本のような直系家族主義も、移民とうまくやるのはとても難しい。混ざらないから。

 で、エジプトのような共同体家族の場合、やってくる者には、確かにある意味「寛容」です。
 ですが、寛容の種類というのが違って、彼らの寛容とは、バラバラで距離を置いて粒状に混ざっているのではなく、共同体の中に取り込んでしまう懐の深さなのです。巨大な家族の中の一成員にすぎないから、多少変でも消化しちゃう寛容。これは、新しい家族が入ってきて、お隣に住むのとは違います。寛容だけれど、もう取り込まれているから、勝手なことは許されないし、放っておいてくれない。
 ビジネスの場も公共空間も全部「共同体的」「家族的」だから、ビジネスライクな「合理性」は到底望めない。その代わり、「秩序なき秩序」があらゆるところで介入し、結果的に「そこそこ」な安定には達します。

 で、こういう大家族システムが、核家族システムや直系家族システムと対峙した時どうなるかといえば、大家族は「家族的寛容」を持ってはいるのだけれど、本当に家族の外だと判断した時には、全然寛容ではなくなります。核家族は優しくないけれど、家族の外との「そこそこ」のお付き合いには慣れている。彼らはそれが彼らなりの「寛容」だと思っている。ここで二つの寛容がぶつかるわけです。
 この辺が、エジプト人(というよりムスリム)が、昨今のヨーロッパにおける「不寛容」に怒ったり、一部の欧米人がイスラームを「不寛容」だと考えてしまう根の一つのように思われます(イスラームとアラブをごっちゃにしちゃいけませんが、大家族主義はイスラームと親和性が高い)。

 思い出すのは、「長男のわがままと次男のわがまま」というお話です。
 みんなで食事に行くのに、一人だけ違うものを食べたい人がいたとします。
 長男は「じゃあ、俺は寿司食べに行くから、みんなは焼肉楽しんできてよ」と言う。次男は「なんで焼肉やねん! 寿司行こうよ!」と言う。
 どっちもわがままなのですが、わがままの種類が違う。
 大家族主義は、次男的にわがまま。核家族は長男的にわがまま。
 二種類の寛容と、二種類のわがまま。
 それで、「うちは寛容なのに、アンタなんて融通きかないんや!」という果てしない小競り合いが延々続くことになるわけです。

 この解法として「お互いのやり方を知り尊重する」というのが、教科書的にあがってくるでしょうが、それはあくまで「多分化主義」的視点であって、結局のところ同化はしません。別の国なら無理に同化しなくたってもちろんOKなのですが、少なくとも問題は解決はしていない。ただ、小競り合いを抑制したり、先送りしているだけです。
 先送りで上等だし、千年くらいこの調子で先送りしたら良いと思うのですが、もし本当に「混ぜちゃおう」としたら、その混ぜ方自体が異なっているので、容易にはいきません。チープなグローバリズムもコスモポリタリズムも、ぬかるみにハマってにっちもさっちもいかなくなるわけです。

 「多文化主義」は移民の解法としては有効ではないけれど、この場合、「真の解法」がかなり絶望的なので、先送りだけでしのいでいくしかないのかもしれません。ベストじゃないソリューションを声高に叫ぶのは気が重いのですが、逆に、ここで言う「真の解法」こそが幻想にすぎない、とも言えます。
 多分、真の解法なんてない。グローバリズムは嘘っぱち。
 昨今、世界各地でナショナリズムが盛り上がったり右傾化が進んでいるのには、一理あります。もちろん、手放しで賛成などしないけれど、極右よりもボンボンリベラルやグローバリゼーションの方が遥かに危険で、看過できません。
 だから敢えて、「その場しのぎ」の案を押し、千年くらい騙し騙しやっていこうよ、と言ってみます。ツケは回すためにある。回せ回せ。

 何でこんな話になったんでしたっけ?
 そうそう、しんどいことがあったのよね。
 それで、F女史とお喋りして忘れたわけだけれど、ここでこうやって話がズレていって、何の話かわからなくなるのも、「お喋り療法」と似ていますね。忘れた忘れた。
 忘れたことは忘れたから忘れておきます。

ルクソールの女の子
ルクソールの女の子 posted by (C)ほじょこ
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  1. ヨロピコ、二種類の寛容|2009/12/18(金) 06:16:52|
  2. エジプト留学日記

エジプト・ガザ地区間の密輸トンネルと国境の街ラファフの苦悩

エジプト・ガザ国境の記事
エジプト・ガザ国境の記事 posted by (C)ほじょこ

エジプト・ガザ地区間の密輸トンネル10を制圧 国境壁の建設が急がれる
懸念されるラファフから「自主的」移住 北シナイ知事:治安当局の責任

 目撃者によると、治安機関は昨日、エジプト・ガザ地区間の10の国境密輸トンネルを発見、一方、隔離障壁の建設が続行され、ピッチを上げている。治安作戦は昨日、国際標識3と7の間で10のトンネルを制圧、密輸行為に対する治安活動を強めている。
 目撃者によると、国境地帯では壁建設のための資材が増加を続けており、ガザ地区との間の隔離障壁建設が続行されている。現在までのところ、壁建設は主要拠点に限られており、鋼鉄製の壁建設は始まっておらず、鉄条網の敷設も始まっていない、と言う。
 ラファフ市民の多くは、国境の街でこの先行われることの影響に対する懸念については、不安を抱いてはいなかったが、街の出入り検査が激しくなっているという話が繰り返されるつれ、不快感を強めている。
 住民のアブー=ムハンマドは、自宅への行き帰りの際に繰り返される検査を避けるため、イッ=シェイフ・ザウィードに移り住みたいと述べ、家を離れ自主的な移住を迫られている、と言う。
 北シナイ県の責任者たちおよびその長であるムハンマド・アブドゥルファリード・シューシャ知事は、壁拡大についてのコメントを拒み、国境で行われている総ての作業は、これを行っている治安機関の絶対的な責任の下にあり、県行政に従するものではない、と確言した。

 ラファフはエジプトとガザ地区の国境の町で、エジプト側をラファフ・シナーゥ、パレスチナ側をラファフ・ル=フィラスティニーヤと呼ぶそうです。
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  1. エジプト・ガザ地区間の密輸トンネルと国境の街ラファフの苦悩|2009/12/18(金) 06:12:10|
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無効票

無効票
無効票 posted by (C)ほじょこ

誰を選ぶ?・・・シャキーラ

こうして、一人のジャーナリストが立場を決めた。マクラム・ムハンマド・アフマドとディヤーゥ・ラシュワーンから協会長職候補を選ぶ悩みに、決着をつけた。先の日曜日に両者の間で再度の会合が持たれが、ジャーナリスト協会長を巡って、このジャーナリストは大いに苦しんだ。会合の場の安全扉を押し開け、選挙委員会に入り、紙とペンを握り締め、候補の名前を書いた。自信を漲らせ、歌手シャキーラの名を。

 どこの世界にもこういう人はいますね。
 テストで分からない時とか、よくこういうことやりました・・・。
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  1. 無効票|2009/12/18(金) 05:42:07|
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二カーブ禁止撤回、ニカーブ支持者の理屈

 大学での二カーブ禁止が覆されたことについてのカリカチュア。アーンミーヤです。

二カーブのカリカチュア
二カーブのカリカチュア posted by (C)ほじょこ

إبتسموا شوية علشان شكلكم يطلع حلو في الصورة
القضاء الإداري يلغى قرار منع النقاب في المدن الجامعة

ちょっと微笑んで、可愛く写真に写るでしょ!
「学生寮での二カーブ禁止決定が覆される」

 二カーブというのは、目以外スッポリ覆ってしまうもので、髪を覆うヒジャーブ(ヒガーブ)とは違います。「イスラーム的なもの」「いや、単なるアラブの習慣」と意見が分かれていて、ざっと見る限りムンタキビーン(二カーブ着用者)の比率は5%未満ですが、徐々に増えているようです(ヒジャーブについては99%くらい着用しているが、ほんの数十年前まではまちまちだったらしい)。
 イスラーム主義の伸張を恐れる政府としては、色々理由を付けてニカーブを締め出したいのですが、学生寮(学生街)でのニカーブ禁止が、市民と学生の反対にあって覆された、というニュースが、この漫画の元ネタです。
 ニカーブが実際上の問題を起こすこともある、というのは事実で、ニカーブを着用した男性が女子寮に侵入、という事件も実際にありました。これはニカーブのせいというよりアホな男が悪いだけですが、治安上の問題にもなり得る、というのは根も葉もないわけではありません(IDカードなどにはニカーブなしの写真が使用され、身元確認時には顔を見せる必要がある)。
 豚インフルエンザにかこつけて「衛生上の問題」で批判しようという向きもありますが、これは幾らなんでもこじつけでしょう。

 個人的には、ニカーブを「禁止」するような政府の方針には反対ですが、一方でニカーブがイスラーム本来のものなのかは疑わしいと考えています。
 F女史にこの話題をぶつけたところ、「ニカーブ支持者の反論」として、こういうものを教えて貰えました。

① ニカーブがイスラーム本来のものなのか(義務であるか)は、確かに判然としない。しかし、もし義務であり、かつニカーブをしていなかったら、審判の日に裁きを受けるだろう。一方、義務ではないのにニカーブをしていても、別に問題はない。だから、ニカーブを着用するのは一種の保険だ。
② ハッジ(マッカへの巡礼)の際には、ニカーブは許されない。神の前で顔を露にしなければならないからだ(これは明白な規定)。この特別な機会の際に顔を露にするということは、普段は隠しておけ、ということだ。

 どちらも根拠としては覚束ないですが、一応理屈としてはこういうものがあるようです。
 とりわけ、①の「保険」の姿勢には、危険が感じられます。「保険」などと言い始めたら、いくらでも保険をかけられるわけであって、ちょっとでも「こちらがマシ」な選択があったら、暗黙のうちに「この選択が絶対」な空気を作る地盤になり兼ねません。イスラームは本来、そんな堅苦しいものではないはずなのですが、「保険」の思想には変な空気の圧力を作り出してしまう弊害があるように見えます。

 F女史曰く「仕方ない理由があれば、義務であっても絶対ではない。砂漠の真ん中で豚以外食べ物がなく、豚を食べないと死ぬのであれば、豚を食べることでも許される」。
 個人の好悪とか政府の意向とか以前に、ニカーブをしていては、働ける職場がかなり限られます。百歩譲ってニカーブが「義務」であったとしても、当該女性が働かざるを得ない状況なら、ニカーブを着用しないことは罪ではないはずです。

 それ以前に、個人的にニカーブを好きになれない理由は、ニカーブが今や、着用していることで「貞淑さ」を演出する、一種の見栄のように使われているからです。
 女が服で見栄を張るのは洋の東西を問いませんから、それ自体が害毒と言いたいわけではありませんが、イスラーム的に褒められないことをイスラームにかこつけて行う、というのは、あまり好ましい行いとは思えません。
 それでも、暴走する方向が「こっち」というのは、欧米や日本の女性の方向に比べれば、ずっと好ましいと思いますけれどね・・・。

 ただ、ニカーブの是非とかヒジャーブの是非という以前に、注意しなければならないのは、外の世界から見て分かりやすいこうした「指標」というのは、当のイスラーム社会では、別段「絶対」ではない、ということです。
 サウジのように法的に縛ってしまっている場合は別ですが(ちなみに、こういうやり方には多くのエジプト人が反感を抱いている)、「ヒジャーブは義務である」と考えているムスリマが、ヒジャーブをしていないムスリマを見たからといって、馬鹿にしたり非難したりすることはないし、友達の場合もあります。ヒジャーブをしているとかしていないとかいうのは、人間を構成する無数の要素の一つに過ぎないし、そんな一点で全否定・全肯定するほど、彼らは単純ではありません。

 なんというか、一人の人間の中に、非常に頭の固い面と、緩やかな面が同居しているようなところがあり、なぜこの間の矛盾が破綻に至らないのか、不思議に感じることも少なくない程です。
 「教条主義的なイスラーム」というのはステレオタイプですが、かといって「実は緩い」というのはやっぱり嘘で、極普通のムスリムでも、結構ちゃんと頭は固いですよ(笑)。「固いか柔らかいか」ではなく、めちゃくちゃ融通の利かないことを言うくせに、三歩歩くと違うことをしている、という「結果としての緩さ」が同居していて、しかも誰もツッコまない、というのが面白いところです。

追記:
 ややこしいようなので、今一度整理します。

・ニカーブ:目以外すっぽり覆うもの。エジプトでは着用率5%未満。ほとんどは黒一色だが、エジプトでは紺色っぽいものもある。よく見るとデザインも豊富。「義務」と考える人と、そうでない人がいる。そもそもイスラームと関係ない、という人もいる(位置づけが怪しい)。
・ヒジャーブ(ヒガーブ):髪を覆うだけのもの。エジプトでは着用率99%。非常にカラフルでデザインも多様。ほとんどの人が「義務」と考えている(位置づけはかなり定着している)。

 チャドルとか、欧米で「スカーフ」と呼ばれているのもヒジャーブです。
 ヒジャーブは単に髪の毛を覆っているだけのものですから、そこ以外は普通の洋服です。肌を露出することさえありませんが(スカートも超ロングで夏でも長袖)、その一点以外は、エジプト人は日本人より遥かに派手です。ヒジャーブと洋服の色を合わせるのにも神経を使っていて、みんな何十枚もヒジャーブ持っているそうです。

 争点になっているのは「ニカーブ」であり、「ヒジャーブ」ではありません。
 ヒジャーブの重要性については、ほとんどすべてのムスリムが一致しているので、万が一政府がヒジャーブを規制しようとしたら、間違いなく暴動になります(笑)。
 エジプト政府は、過激なイスラーム主義の伸張を恐れてはいますが、ムスリムが大多数の国なわけで、政府だってそれなりにイスラーム的要素はあります。単に「行き過ぎる」のを警戒しているだけです。
 一方、サウジアラビアなどでは、「ニカーブ」が逆に法的に義務付けられていますが、こういう「宗教を法律で押し付ける」やり方には、エジプト人は反感を抱いています。
 ニカーブ支持派と言えど、別に「ニカーブを義務化せよ」とか思っているわけでは全然なく、単に「着たいヤツには着させてやれ」と言っているだけです。ニカーブ義務化したりしたら、これまた暴動が起きると思います(笑)。

 フランスの公共の場で禁止されて話題になったのは、「ヒジャーブ」の方です。というか、流石にフランスでニカーブをしようという人はいないでしょう(笑)。
 位置づけについてに合意がほぼ得られている「ヒジャーブ」だから、禁止が猛反対を受けたのであり、仮に「ニカーブ」が対象だったら、少なくともエジプト人なら「まぁそりゃ仕方ないんじゃね」くらいには受け止めたと思います。
 ヒジャーブだけなら、治安などの実際的問題は何もないはずですし、「髪を隠す」というのはムスリマにとってかなり重要な一線ですから、怒る人がいるのは当然です。
 もちろん、法律で禁止され止むを得ずヒジャーブを解いても、「罪」ではないはずですが、抵抗するムスリマの気持ちは非常によく理解できます。
 カリーマ・エルサムニー先生が良い例えをあげていましたが、例えば日本で、ミニスカートが義務化されたとしたら、発狂しそうになる女性がかなりいるはずです。慣れたらどうということはないかもしれませんが、服装とか「肌のここまでなら見せられる」というのは、長年染み付いた習慣であって、そう簡単に変えられるものではありません。ムスリマにヒジャーブを解けというのは、万年パンツの女に「明日からミニスカートで来い」というようなもので、わたしなら会社辞めます(笑)。
 今思いつきましたが、男性が「明日からミニスカートで来い」と言われるようなもの、と言ったら、もっと分かりやすいでしょうか(笑)。いや、全然違う話かな。会社辞めるでしょ。辞めなかったら、色んな意味で男じゃないよ(笑)。

 髪を隠すとか顔を覆うとかと関係なく、「アバーヤ」というズルンとしたワンピース状の長衣がありますが(ほとんどは黒だが違う色もある)、これはイスラームではなくアラブに由来するもの。普通はアバーヤ+ヒジャーブになりますが、ヒジャーブなしでアバーヤを着ている人もいます(わたしココ)。
 アバーヤは「身体の線を出さない」という意味で、よりイスラーム的に好ましいはずですが、イスラームに由来するものでもなく、着ているのは庶民系の人が多いです。単に楽だからだと思います(わたしまたココ)。
 女性用の外套で、厚手の生地のものが多いですが、アバーヤ命な女性は夏でもこれで通していて、しかも下には普通の洋服を着ていますから、ものすごい暑さ耐性です。

 「ガラベーヤ」というのは、同じようなワンピースですが、カラフルな部屋着です。女性はスークのオバチャンみたいな超庶民系以外、これで外出することはありません。ガラベーヤは男性用もあり、庶民系のお父ちゃんたちがガラベーヤ一枚でウロウロしています。ノリ的には浴衣っぽい(笑)。エジプトに由来するもの(イスラームには全然関係ない)。
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  1. 二カーブ禁止撤回、ニカーブ支持者の理屈|2009/12/16(水) 07:58:37|
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エジプトの超党派的改革運動「キファーヤ」、イル=バラーダイー(エルバラダイ)氏の「条件付出馬」を支持

 エジプトの超党派的改革運動「キファーヤ」が、共和国大統領選挙へのイル=バラーダイー(エルバラダイ)氏の「条件付出馬」と憲法改正の呼びかけを支持しています。

キファーヤの記事
キファーヤの記事 posted by (C)ほじょこ

「キファーヤ」、結成五周年デモでイル=バラーダイー氏を賞賛
同運動はエジプト大統領選出計画を提示、キンディール「キファーヤは不死鳥のようだ」

 変革のためのエジプト運動「キファーヤ」のメンバー約200名は昨日、最高裁判所前で、同運動の最初のデモから五年を記念誌、デモを行った。デモ隊は「続任にノー、世襲にノー」のプラカードを掲げ、運動指導者はこれを「運動の回帰と新たなる誕生」とした。運動の組織長アブドゥルハリーム・キンディールは、彼の言う「次の時代の計画」が、500名の一般人を含む「エジプト大衆のための総合組織」の組織固めを始め、続けて「エジプトの為の統一首長」を選出、続けて計画の最終段階として、この首長の承認のために組織的に圧力をかけていく、と述べた。
 デモ隊は、「我々はイル=バラーダイーの時代の祖国を歓迎する」と大書きされたプラカードを掲げ、国際原子力機関前事務総長ムハンマド・イル=バラーダイー氏に「偉大なるイル=バラーダイーよ、我らと共に、イル=バラーダイーよ、決起の時よ、不正に対し、不義に対し」と特別な歓声を上げた。フェイスブックでのイル=バラーダイーに賛成するグループの一つの創設者で、詩人のユースフ・アブドゥルラフマン・イル=カルダーウィーは、反体制の詩を読んだ。キンディールはイル=バラーダイーに謝意を表し、「現体制の元では選挙出馬しない、という彼の立場に感謝する。彼の憲法改正の呼びかけを歓迎する。我々は、憲法改正のために彼と共同戦線を張る用意があり、また大衆と共に改正に向けて活動する用意がある、との彼の言葉を歓迎する」と述べた。
 デモには、アフマド・ブハーゥ・シャアバーン、アブドゥルジャリール・ムスタファー、フダー・ヒジャージー、故アブドゥルワッハーブ・イル=ムシーリーの未亡人、といった、長い間行動していなかった運動指導者が多く参加した。アフマド・ブハーゥ・シャアバーンは、「続けざまに起きる出来事」と「次の段階の危険性」が、メンバーと「キファーヤ」組織を、路上への再回帰に向けた集結と一致へ後押しした、と述べた。キンディールは、デモ行進の後、多くの衛星放送が撮影しているのを意識し、こう述べた。「我々は今日、終結した。『キファーヤ』は死んだ、と言ったすべての人へのメッセージはこうだ。彼らは、彼らの怒りにより死んだのだ。我々の運動は、灰から蘇る不死鳥のようだ。我々は我々の約束を続け、戦い、声を上げる。続任にノー、世襲にノー」。


 كفايةキファーヤとは、الحركة المصرية من أجل التغيير‎「変革のためのエジプト運動」の俗称で、「十分」「もう沢山」という意味。ムバーラク政権と世襲への反対を訴える草の根グループです。2005年の大統領選で盛り上がったものの、最近沈黙していたものが、イル=バラーダイー氏の発言から、再度息を吹き返したきたようです。
 ナセル主義者、イスラーム主義者、リベラル、左派などの国際的な幅広い層の参加した運動で、中心的な活動家アブドゥルハリーム・キンディールは、ナセル主義の新聞アル=アラビー紙の編集者。「シカゴ」「ヤコビアン・ビルディング」の作家アラーゥ・イル=アスワーニーも参加しています。

関連記事:
イル=バラーダイー(エルバラダイ)、大統領選での政党擁立を否定、憲法改正を訴える

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  1. エジプトの超党派的改革運動「キファーヤ」、イル=バラーダイー(エルバラダイ)氏の「条件付出馬」を支持|2009/12/16(水) 05:04:40|
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