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日本の犬広場、サマータイム、アラビア語のウナギ文

・エジプトの猫問題、日本の犬広場

 カイロの猫が荒んでいる、と書いたら、「イスラームでは猫が大事にされると思っていたけど、かわいそう」みたいなコメントを見かけたので、ちょっと弁護しておきます。
 確かにカイロの猫は全般に薄汚くてワイルドですが、人間も同じくらいワイルドです(ごめん、エジプト人!)。別にエジプト人が猫を嫌っていて、悲惨な生活を強いているわけではありません。「障害者率」も「子供多い率」も、猫と人間で同じくらいじゃないかと思います。
 ストリートチルドレンが沢山いる状況で、猫を人間に優先するわけにはいかないでしょう。人間と都市生活動物の生活レベルや風貌は、かなり相関していると思います。日本の猫が小奇麗なのは、人間が小奇麗だからでしょう。
 逆に、人間も動物も小奇麗なのが当たり前で、ちょっと薄汚かったり片目がなかったりすると「違う人」扱いする日本の方が、余程息苦しくてイケスカナイと思いますけれどね。片目がないからなんだってんだ!

 また、エジプト人が特別猫をいじめているとかではないです。子供が棒で叩いたりしていることはありますが、日本だって昔は虫分解する子供とか沢山いたでしょう。ストリートカフェなんかでは女性でもシッシッと追っ払っていますが、これも動物の多かった頃の日本も同じだったろうし、油断していると本当に猫にご飯取られるので、人間だって必死です。
 というか、わたしが子供の時も、可愛がっていた野良猫を近所の人だか実の親だかの連絡でそのまま保健所?で殺された覚えがありますけれどね。捏造された記憶ですかね。カイロではそういうシステマティックな殺害はないですよ。野良犬も野放しだし。
 彼らは「人間は人間、猫は猫、同じように暮らすことはできない、それぞれに相応しい生き方がある」と思っているだけで、特に猫については、動物の中でもポジティヴな評価を与えていますよ。
 犬は本当にネガティヴ評価ですけれどね・・・。「忠実で強い動物」という認識もありますが、基本的に道具以上の価値はないし、野良犬については「いるし、しょうがねーなー」くらいの扱いだと思います。

 犬と言って思い出しましたが、親しいエジプト人と動物のことを話していて「日本には『犬広場』というのがあるのだろう? とても有名だと聞いたぞ」と言われたことがあります。
 何のことかと思ったら、ハチ公前のことでした。ハチ公のエピソードもよく知っていました。
 普通のエジプト人は知らないと思うし、彼がどこかで聞きかじったか本で読んだのでしょうが、意外と有名みたいですね。
 彼も「犬は忠実で有用な生き物だが、犬は犬、人間は人間。家に上げたりするのは感心しない」という考え方。
 でも、今のカイロにはペットで犬を飼っている人も存在はします。

 猫と言えば、以前に「猫とゴキブリの溢れる病院」という新聞記事を読んだことがあります。健康保険病院の不衛生な状況を告発する記事でしたが、ゴキブリはわかるにしても、猫というのは日本では出てこない発想です。
 日本で「猫のいる病院」が問題になったとしても、それは多分、猫好きの人が餌をやったために増えてしまった、とかいう話であって、自然に増えたわけではありません。この記事の状況で猫が増えているのは、生態系の一番上のところで猫が登場しているのですから、それだけ衛生管理が危機的ということで、猫だけ排除してもより被害が拡大するだけでしょう。病原菌の媒介、という意味では、昆虫や爬虫類より哺乳類の猫の方がより危険ですが・・・。


・サマータイム

 日本では温暖化対策とかいう白痴的口実でサマータイムの導入が検討されているそうです。エジプトにはサマータイムがあります。
 ですが、わたしは日本のサマータイム導入には反対です。
 まだ夏から秋にかけてしか生活していないので、偉そうなことは言えないのですが、エジプト人は、本当に季節によって生活時間帯が少しズレていくんですよ。子供の夏休み期間中は、夜遅くまで町全体が非常にアクティヴで、今はラマダーンが夏の終わりの時期なのも手伝って、非常に宵っ張りリズムで動いています。一方、今の時期でも既に「早寝早起き」リズムに街が移行していっているのがわかるし、冬は本当に早寝早起きになるそうです。
 多分、日中の温度差が非常に大きいことが関係しているのでしょう。エジプト人が「カイロは温度差が少なくて過ごしやすい」と言っているのを聞きましたが、それはアスワーンなどと比較するからで、日本基準で言えば昼と夜の温度差がとても大きいです。すぐそこが砂漠なので当たり前です。
 ということは、夏暑くてもちょっと待っていたらすごく涼しくなるし(本当に素晴らしく快適になる!)、冬寒くてもちょっと待ったら暖かくなる、ということです。つまり、生活時間帯をズラす甲斐がある。
 ところが、日本はそんなに日中の温度差が大きくないし、雨や曇りの日も多く、そうなるとますます日中の温度変化がなくなります。待っていてもラチがあかないので、生活時間帯をズラすメリットがあまりありません。
 元々慣習上存在しないサマータイムなんか導入しても、IT特需があるくらいで、社会が混乱するだけでしょう。


・アラビア語のウナギ文?

 日本語には、ウナギ文と呼ばれる構文があります。
日本語では、「僕はウナギだ」「私はプリンです」のように、「買う」「選ぶ」「取る」「食べる」などの意の動詞の代替でコピュラを用いることが多くあり、このようにコピュラの使用をする構文を最も代表的な「僕はウナギだ」にちなんで、ウナギ文という。

 食堂で料理を注文するのに、「ぼくはうなぎにする」の代わりに「ぼくはうなぎだ」というようなことで、「ぼくはうなぎ」と言ったからといって、彼は人間であってうなぎではありません。

 この間エレベータに乗って、後から来た男性に「何階?」と聞いたら、أنا خمسةみたいな答え方をされました。「僕は五」と言っているのですが、彼は五階で降りたいだけで、「五」ではありません。
 「これはウナギ文!?」と思ったのですが、似ているようでちょっと違う気もします。アラビア語では、未完了時制では基本的にコピュラが使われないため、別にコピュラが他の動詞を代替しているわけではないからです。
 名詞文という、アラビア語の独特の構文が使われているわけですが、普通の名詞文として理解しても文法的には誤りだし、「名詞文の補語の動詞文の中で動詞が省略されている」というのが厳密な理解なのでしょうけれど、もちろん誰もそんな難しいことは考えていなくて、日本語のウナギ文みたいな感じで気軽に使えます。

 この名詞文、簡単なようで実に奥が深く、会話の中では少し日本語と似たノリで使っていることもあります。
 ここから先はマニアックな話なのですが、以前にS先生が「アーンミーヤはほとんど名詞文だ」と言ったことがあります。アラビア語の文法をある程度わかっている人なら「それは面白いことを言うなぁ」と好奇心をくすぐられると思うのですが、あまりアラビア語を知らなかったり、アラブ的な文法概念で学んでこなかった人(欧米系などに多い?)は、「何言ってんだ」とキョトンとするのでは、と思います。
 例えば「わたし 行く 学校」という文章があったら、アラブ的文法では、これは「行く 学校」という動詞文全体が、「「わたし」>「行く 学校」」という形で名詞文のハバル(補語みたいな感じ)になっている、と複文構造として理解します。
 統語構造がヨーロッパ言語に似ているアーンミーヤだけ考えたら、こんな回りくどい考え方は要らないようにも見えるのですが、アラビア語の本質を理解しようとしたら(そんなもん理解していませんが)、これを複文として理解し、「アーンミーヤはほとんど名詞文」というのも、ストンと落ちるところがあるのです。フスハーでは原則動詞が一番最初に来て、かつ動詞の活用形に主語人称の情報が含まれているからです(正確には、外国では活用変化として教えられることが多い動詞の語尾変化が、アラブの文法では「ダミール=代名詞」として説明される)。
 世代的に若く、ヨーロッパ人と非常に付き合いの多いF女史にこの話をしたら、「それは面白いねー。確かにヨーロッパの人に『名詞文』とかから説明しても、ややこしくなるだけだから、最初はしない」と言っていました。

 この名詞文ですが、慣れてくると、ちょっと日本語に似たノリで使えて、非常に楽チンです。
 日本語では「主語 目的語 動詞」の語順が多いし、しばしば主語が省略されて「目的語 動詞」になります。
 とにかく最初に主題となる名詞を持ってきたい気持ちが強くて、動詞先行のアラビア語とは正反対のノリなのですが、名詞文を使えば、アラビア語でも「寿司 わたしは食べたそれを昨日」みたいな言い方ができます。
 日本語で育った人間としては、会話していて、「寿司」とかパッと主題が浮かんで、それからエピソードをつなげる、という順序で思考が進むことが多いのですが、そのまま自然な順序で口に出すことができます。
 英語の関係代名詞による複文と違って、従属節にあたるハバルの中では、必ず代名詞によって先行する名詞が受けられるのですが、これも慣れるとかえって自然です。英語で喋っていても時々この言い方をしてしまいます(アラブ人に多い英語の間違い)。


 「日本語は主語を曖昧にする言語だ」みたいなことは言い尽くされています。そもそも主語という概念が日本語理解の上では邪魔なんじゃないかと思うのですが、主語の省略自体は別に日本語に限ったことではありません。
 ただし、フスハーで主語が明示されないのは、動詞に厳密な人称変化があるからで、日本語における「主語省略」とはまったく事情が異なります。
 ただ、そこから長年の変化を経て、文法がグッと簡素化してヨーロッパ言語的な語順の多くなったエジプト方言で考えると、「本当にちょっと日本語的省略に似ていない?」と感じる部分もあります。
 エジプト方言ではواحدという、英語のoneにあたる言葉を主語に立てて「お腹がへっている人がいる」みたいに言えます。実際は言っている本人が空腹のことが多いわけですが、敢えて明示せずに「君もおなか減ってるよね? ぼくも減ってるし、そろそろ食事にしない?」みたいな曖昧なニュアンスを出すことができます。it rainsのitみたいで、フロイトを連想します(笑)。(この発想を共有できる人は数少ないでしょうが、わたしの真の友です)
 欲動が空腹している!

魚売りの少年
魚売りの少年 posted by (C)ほじょこ
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エジプト  カイロ  動物      日本  サマータイム  気候  アラビア語  ウナギ文 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. 日本の犬広場、サマータイム、アラビア語のウナギ文|2009/10/30(金) 23:46:55|
  2. エジプト留学雑記

エジプトの新聞の北朝鮮

 エジプトの新聞で、キムさんのお写真を拝見しました。

エジプトの新聞の北朝鮮
エジプトの新聞の北朝鮮 posted by (C)ほじょこ

 北朝鮮の後継者問題についての記事なのですが、記事本文より、気になったのは次のくだりです。

北朝鮮は父「イル」から息子「ウン」への権限委譲を来年始めに行うだろう

 え!? もしかして、金正日・金正男の「金正」までが苗字として認識されています??
 でも、本文中には金日成元主席の名前を登場しますし、三人並べれば括り出されるのは「キム」だということくらいわかりそうなものですが・・。
 後継者問題なら、エジプトは他所の国の心配をしている場合じゃないのですけれどね。
 ちなみに、写真は金正日さんの方ですよね。キャプションが「キムジョンウン」となっているのですが、ジョンイルの間違いですよね。わたしが間違っていますか?

 以下、記事全文の怪しい翻訳です。


北朝鮮の「病める」指導者、2010年の息子への権限委譲に備える

 北朝鮮のプロパガンダが現在示していることはただ一つ、「政治劇場」である。これは、キム・ジョンウンが、父であるこの国の病める指導者キム・ジョンイルの後を継ぐ支配を迎えるためだ。
 ここ最近のプロパガンダで最も目につくものは、コーラス団による唱歌である。その最高の種類のものは、公式の晩餐でキム・ジョンウンの栄光を称えるものであり、韓国の何人かのアナリストは、これを権限委譲問題において進展がある兆候と見ている。韓国のヨンハプ(聯合)ニュースが昨日の報道が、これを裏付けている。情報機関責任者の言葉として、現在の指導者が「国の諸事業を行うに足るよう静養中」のままである現況を鑑み、北朝鮮は父「イル」から息子「ウン」への権限委譲を来年始めに行うだろう、と伝えるものだ。
 六十七歳のイルが、昨年脳卒中に見舞われたのは知られているが、国の支配を確かなものにする程度には消え去らないままだった。
 病は、建国者である父キム・イルソンから世襲した北朝鮮指導者に、三男への権限委譲を急がせている。このプロセスは、彼の健康改善以来遅延を見てはいるが、放棄されたわけではない。
 今、平壌の政治的情景を眺める観測筋は、疑念の色を濃くしながら、次のように示唆している。「全権を掌握する父イルは、2010年の初めに子息ウンを後継者とすることを、政治指導者のすべてに対して説得できるのだろうか。これは、世襲による権限委譲を行う、世界で唯一の共産主義国家を率いることができる若き指導者として、彼を認めさせるための一連の選挙キャンペーンによって行われるのだ」。


 最近新聞で目立つ記事と言えば、例の列車事故のニュースと、ロシア生まれのドイツ人が裁判所内でエジプト人女性を刺殺した事件でしょうか。
 後者を検索すると、日本語ではテヘランでの抗議運動のニュースしかひっかからないのですが、どういうことなのでしょう。元の事件は全然報道されていないのでしょうか。裁判所内でメッタ刺しにして殺害、というだけでも、十分取り上げられる価値があると思うのですが。
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エジプト  新聞  北朝鮮 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. エジプトの新聞の北朝鮮|2009/10/30(金) 07:38:01|
  2. 新聞・メディア

自殺について

 日本では、自殺者の遺族が変な社会的負い目を負ったり、葬儀ですら差別的待遇を受けている、という報告を目にします。「自殺用の施設を作れ」といったラディカルな意見もあります。
 「死ぬのは本人の勝手、迷惑かけないように死ね」「死んだ者にそれ以上鞭打つような真似はするな」「家族は関係ない」といった考えには、基本的なところでは素朴な共感を抱きます。

 自殺について、数回だけエジプト人と話題にしたことがありますが、どれも「馬鹿げた行い」と鼻で笑うような反応でした。イスラーム的に自殺は「罪」なわけですが、それ以上に「笑い話」のような扱いをしているように見えました。
 日本にある程度関心を持っている人なら、日本が非常に自殺の多い国である、と知っているのも珍しくありません。それで鼻で笑うような態度を取られたのにはちょっとムッとしたのですが、一応弁護しておけば、そもそも彼らにとって自殺というのは身近な話ではなく、リアリティのない抽象的概念で、例えば身近な人が自殺した、といった状況はまったく想定していないのではないかと思います。日本と違って、エジプトにはほとんど自殺がありません。公式統計の数字はアテにできませんが、自殺者ランキングで下から数えて何番目、という位置にあります。自殺を遠い国の話として考えてしまっても、無理はないでしょう。
 「自殺は罪かもしれないが、その罪を犯さざるを得ない状況があったのだろうし、死んだ者をそれ以上悪く言うのは正しくない。家族にも哀れみをかけてやるべきだ」といった感じに話をもっていけば、一定の理解を得られるだろう、という感触はあります(実際そこまで突っ込んで会話してはいない)。

 自殺してしまった友人もいるし、未遂を含めれば数名身近にいる身として、最初に書いたとおり、基本的には「死ぬのは勝手だろう、死んだ者に鞭打つな」という想いがあるのですが、一方で、「そりゃちょっと自殺者に甘すぎないか」という気もしています。「死ぬのは自由」という感じ方が根底にはあるのですが、本当に自由なのか、自由で良いのか、というのは最近特に疑問に感じるところです。
 わたし個人は自殺は「罪」だと思っていますが、そういう宗教的な捉え方というのを一旦脇に避けておくにしても、自殺というのはかなり身勝手な行動です。
 ただ、この「身勝手さ」を、「残された家族の身にもなれ」というところから語ると、結局功利的な発想に堕ちてしまい、「友達も家族もいないなら勝手だろう」「不治の病で生きているだけ迷惑になるだけだ」というオチになってしまいます。自殺の「身勝手さ」というのは、そういう安っぽい経済合理性から来るものではないのです。

 「死ぬのが自由」というのは、基本的に命が自分のもので、個人という単位で人が存在している、という前提から生まれる発想です。ですが、人間というのは個人である以前に、共通のディスクール、社会の網の目の中に産み落とされるものです。近代的自我という存在は、そうした「ぐちゃーと一緒になっている魂」の何万年もの積み重ねの末に、ひょこっと顔を出したばかりのものであって、基本的に命は自分のものではありません。
 では誰のものか、と言えば、神様のものなのですが、神様と言われて拒否反応のある方には、共同体のもの、と言えばいいでしょう。命は「みんな」のものです。
 「みんな」には「わたし」も含まれているので、わたしのものでもちょっとありますが、ほんのひとかけらでしかありません。残りは全部(「みんな」-「わたし」)のものです。共有財産です。
 共有財産ですから、勝手に処分するのはダメです。共同体の合意が得られてから、初めて処分することができます。人間はそんな機械みたいにキッチリできていないので、六割合意くらいで見切り発車することも多いですが、見切り発車は見切り発車であって、褒められたことではありません。

 こういう「みんな」を持ち出すと、日本的にはすぐ「みんなのものを勝手に使うな」とかいう煩いババァみたいなのが出てくるのですが、これも違います。
 みんなのものだから、ババァ一人のものでもありません。ババァにはバアァ一人分の発言権しかない。「わたし」には「わたし」一人分の発言権しかない。誰も「みんな」を代理しない。誰も神様の代わりではない。
 だから、「みんな」を想定したからといって、結局一人一人は、個人主義以上に個人の名においてしか語れません。個人の名においてではありますが、その領分をはみ出してでも語る、という気迫がある時だけ、殴られるのを覚悟で語ることができます。誰にも殴られる心配のない発言など、言論ではない。

 話を戻しますが、命は神様とか「みんな」とかのものなので、自殺はやっぱり罪です。自殺者を甘やかしてはいけません。
 その代わり、もともと「みんな」の命なのだから、自分のもののように大切にしなければなりません。命なんだから、死んだ後で権利だの何だの言うのでは手遅れです。死ぬ前に大事にしないで、自殺者の権利を守るなんて、本末転倒でしょう。
 他人の命も、ちょっとだけ「わたし」のものです。本人のAさんが100くらい権利があって、「わたし」には1だけある、というのではありません。Aさんにも「わたし」にも、同じ1だけ権利があります。命は「みんな」のものだからです。本人にも他人にも、同じくらいちょっとずつだけ権利があって、同じくらいちょっとずつだけ義務があります。

 だから、死にそうな人間、貧しい人間を助けるのは、自分を助けるくらい当たり前のことです。
 死にそうな時、飢えている時、他の何でも死にたいくらい辛い時に、他人に助けを求めるのも当然であって、むしろ助けを求めなかったら罪です。そこで危機に晒されているのは「みんな」の命なんですから、危機を見つけた人間には、「お宅のロバさん、なんか病気っぽいで!」と「みんな」に報告して何とか救う方法を見つけ出す義務があります。
 死にそうなくらい辛い時に、助けを求めないのは罪です。

 繰り返しますが、心情的には、「死ぬのは勝手、他人に迷惑かけるな」という考え方にも、一定の共感を抱きます。
 でもやっぱり、それを認めちゃだめですよ。
 それを「勝手」だの「自由」だの言ってしまうのは、そのまま今ある命を粗末にすることに通底しているのです。自殺一つの問題ではないのです。
 もう自殺してしまっていたら、今更どうしようもないので開き直るしかないですし、死者と残された家族の名誉を守ることを優先すべきですが、一般論として言ってはやっぱりダメです。

 死ぬのは自由ではない。
 死にそうな人を助ける助けないも自由ではない。
 助けを求める求めないも自由ではない。

 日本には、死ぬような危機にあるのに「迷惑をかけたくない」とか遠慮して、本当に死んでしまう人がいるようです。
 迷惑かけたくない? 甘ったれるな!
 生まれた時点で、もう迷惑かけまくりだし、手遅れなんですよ。
 むしろ迷惑かけに生まれてきたんだから、ガンガンかけてオッケーに決まっているじゃないですか。水くさいこと言うな!
 それでも「迷惑かも」なんてセコい発想に憑りつかれて身動きとれないなら、「義務」というキーワードで自分を説得してください。命は「みんな」のものだから、危ない時に助けを求めるのは「義務」です。

 自殺者を甘やかすな。
 助けない自分を甘やかすな。
 助けを求められない自分を甘やかすな。

 もっと任侠を!!!

アレキサンドリア 果物と海
アレキサンドリア 果物と海 posted by (C)ほじょこ
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エジプト  イスラーム  自殺 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. 自殺について|2009/10/29(木) 08:39:02|
  2. エジプト留学雑記

ما تبطليش هشام عباس ヒシャーム・アッバース「マトゥバッタリーシュ」

 エジプトのポップ歌謡は、コテコテベタベタの演歌調で知られています。もちろん、そのほとんどはコテコテのアーンミーヤ。
 歌謡曲の歌詞を聞き取るのは、わたしのレベルではまだまだ難しいのですが、スクリプトとエジプト人の助けがあれば、内容を理解するのは難しくありません。
 というのも、歌っている内容は全部一緒、ただひたすらに「お前がすべて!」と愛を歌い上げているだけだからです(笑)。使われている語彙も平易なものがほとんどです。
 「英語は歌で覚えた」というエジプト人らしいF女史の薦めで、最近よく街で耳にするヒシャーム・アッバース「マトゥバッタリーシュ」という曲を覚えようとしています。



 音痴なのでちゃんと歌うことはできませんが、確かに言語のノリを身体化するのに、歌というものは最高です。というか、人類というのは、歌っているうちにうっかり言語に憑りつかれてしまった生き物なのではないでしょうか。多分、一番最初の言語は歌みたいなものだったと思います。
 特にエジプト方言の「ビト」やら「マトほげほげシュ」みたいに口の前の方でシュプシュプ子音を弾かせつつ動詞本体に入っていく感じは、ダウンでリズムを取って裏から入るノリにすごく親和的です(妄想?)。
 リズム感のない日本人には難しい面もありますが、歌で学ぶのは、ある意味王道かもしれません(日本人の言語音痴ぶりとリズム感の無さには、もしかして相関性があるのかも)。

 ヒシャーム・アッバースは人気のエジ歌手ですが、もう一つ男前でもないのが、可愛くて好感が持てます。
 ちなみに、モロ二枚目の路線の方々も、眉毛つながっていたり、異様に顔の濃い人が多いです。毛深くて悩んでいる日本男児は、エジ魂を見習って胸毛出していきましょう。個人的には毛深い人は好きです。
 男ならムダ毛なんか気にすんな! ハゲても気にするな! 育毛する暇に筋トレしろ!

 というわけで、ヒシャーム・アッバース「マトゥバッタリーシュ」の歌詞と超訳を載せてみます。アーンミーヤ学習歴三ヶ月ちょっとの駆け出しの訳なので、色々間違っているかと思いますが、笑って流してやってください。
 濃さを伝えようと、人称を「俺」「お前」にしてみたら、ちょっと濃くなりすぎました。本物の雰囲気は、もう少しだけお洒落かもしれません(笑)。


ما تبطليش
هشام عباس

ما تبطليش حب فيا
دا إنتي ادنيا ليا
وما تشليش لحظة عيونك
دولا من عليا
ما تدلعيش حد غيري
آه دي أنانية

يا أنا يا إما مافيش

على الله حد يشاركني
فيكي لو ثانية
وما تشغليش أي لحظة
بحاجات تانية
أنا عايز أكون أغلى حاجة
ليكي في الدنيا

غيرك إنتي ماليش

نار غيران وأكلة قلبي
نار وإمتي في بالي ليل ونهار
لو تشغلي عنها نهار

لو حد يشهد ما بينا
والله ما يرضى
يبقي في مكاني ومايغيرش
زي النهارده
ده ظلم ليكي لو قالوا
شبه القمر ده

دا إنتي أحلى كبير

وأهو ده اللي لخبط كياني
وخلاني أحوطلك
مش لاقي ولا كلمة توصف
مدى غلاوتك
هأفضل ملاحقك وهأفضل
طول عمري خاوتك

خليتي عقلي يطير


俺への愛をとぎらせるな 俺にとってはお前が世界
一瞬たりとも俺から視線を離すな
俺以外を渾名で呼ぶな あぁ自己中心だ
俺か、そうでなければ何もなしだ

神かけて、一秒たりとも、お前以外に興味はない
他のことには、一瞬たりともかまけるな
お前にとって、世界で最高でありたい
お前しかいないんだ

嫉妬の炎が俺の心を焼く
炎 夜も昼もお前が心にいる

他の奴らが俺達について何か言っても 神かけて十分じゃない
俺の立場にいたら同じことを言う 今日のように
お前のことを月のようだと奴らが言うのは、公平じゃない
お前は月よりずっと美しい

ああ、俺を混乱させるもの 守らせてくれ
お前の価値を表す言葉など見つからない
一生そばについている 狂わせながら

俺の理性を吹き飛ばしてくれ


 「理性を吹き飛ばしてくれ」ですか。もう既に十分飛んでると思いますけれどね。
 ちなみに、一般エジプト人の男も、こういった歌謡曲の歌詞に負けないくらいのコテコテ口説き台詞を連発してきます。
 エジプト人の男は、染色体四十六本のうち一本くらいは、口説き文句のストレージに使っているんじゃないかと思います。

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エジプト  アーンミーヤ  音楽  エジポップ  ヒシャーム・アッバース  歌詞  翻訳 

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  1. ما تبطليش هشام عباس ヒシャーム・アッバース「マトゥバッタリーシュ」|2009/10/29(木) 04:45:56|
  2. エジプト留学雑記

神様夜露死苦! 動物最高! 蝿砂無用!

 わたしがすぐ動物と遊ぼうとするので、親しいエジプト人によく注意されます。
 実際、カイロの街にいる動物たち(野良猫、野良犬、ロバ、馬、羊、ヤギその他)は、衛生的ではないし、ものによっては危険なので、安易に手を出さない方が正解です。
 でも、彼らがわたしを諌めるのには文化的要因もあって、動物と人間の間の溝が、少なくともわたしの感覚よりずっと深いようです。イスラーム的には、何と言っても人間が一番なわけで、動物はあくまで動物、ペットにして部屋で飼うなんてのは邪道、という発想が底流を流れているように感じます。
 わたしは人間と付き合っているよりロバと遊んでいる方が楽しい社会不適応者なので、ロバが暇そうにしているとつい弄って遊びたくなるのですが、ロバなんてのは下等な生き物であって、人間様が付き合って良い相手ではないようです。
 アラブ的な感覚で言うと、美しい動物というのはカモシカとか馬とかラクダであって、ロバは冴えない存在です。働き者だしちっこくて可愛いし、車買うより絶対ロバが欲しい!と思うのですが、ロバの何が至らないと言うのでしょう。馬なんて速すぎて怖いじゃないですか。なんか顔長いし。あたしゃロバでいいよ、ロバで。
 ちなみに、カイロの猫は日本の猫と違って荒んでいます。彼らの餌はデフォルトごみだし、毛並みも悪いし片目のない子も多いです。人間の人口比率と一緒で、やたら子猫を沢山見るのですが、子供のうちに死んでしまう猫が多いのかもしれません。


 フーティー(一人掛けのソファ、仏語由来、「ティー」に強勢)がفوتيهと表記されていて、「なぜفوتيだけじゃダメなの?」と尋ねたら、「第二音節に強勢を持ってくるため」と教えて貰えました。هは発音されないのですが、فوتيةと書いたら「フーティーヤ」と読んでしまうし、فيتيだけだと第一音節にアクセントが来てしまうし、結果的にこの表記に落ち着いているようです。面白い!
 アーンミーヤの「ハーマルブータ」は謎がいっぱいです。


 以前に見かけた「英語圏の新聞は結構修辞的な表現が多用されていて、英語学習教材には向かない」といった記述を、ふと思い出す。
 確かに、新聞というのは意外とかっこいいレトリックが使われていることもあるし、時事的な語彙がないと理解できない記事も多々あるのですが、新聞も難しいというのでは、言語なんて永遠に学習できない気がします。
 「アンタ本当に字読めんの?」という風情の物売りのオバチャンが道端に腰掛けて新聞を読んだりしていますから、新聞なんて誰でも読めるんです。そういう風にできていなければ、売れないんですから。ジャーヒリーヤの詩を読もうってんじゃないんですから、簡単に決まっているんです。
 英語については全然愛がないのでどうでもいいですが、日本における外国語学習は、全般に語彙や表現を軽視しすぎている気がします。TOEICなんて典型です。人生ナメすぎています。新聞読むのに二千も三千も字を覚えないといけない素晴らしい言語の使い手が、そんなあっさりハードル下げてどうするんですか。
 フスハーとアーンミーヤの乖離がこんな激しい国で、ダミ声でバナナ売ってるオバチャンが字を読めているんだから、わたしに読めないわけがないんです。あたしゃこれでも大学出てるんだよ! コンチクショウ!


 我が家の電気のスイッチの一つがバカになっていて、普通に押したぐらいだとバネで戻ってしまい、スイッチを切ることができません。寝る時は「ハッ!」と掌底で叩き込んで消しています。時々、それでも寝ている時に勝手にスイッチが入って、超ムカつきます。
 ちゃんと修理しようとせず、対処療法の連続でしのいでいる辺り、既に脳がエジ化している気がします。


 道端でティッシュ売りの少女を見る。まだ小学校一、二年生くらい。
 よくある風景ですが、この少女は、一応ティッシュを並べて客を待ってはいるものの、一緒に汚れた教科書を地べたに置いて、一心にノートに書写しています。
 わたしが1ポンド置いてティッシュを取っても、まだノートに集中しています。
 「勉強してるの? 勉強は大事だよ。役に立つから、絶対続けてね」と言うと、やっと顔をあげて、無言のまま僅かに微笑んでくれました。手を振ると、ちゃんと手を振って返してくれます。
 これくらいしかできなくてごめんよ。わたしも帝国主義者の犬だ。
 革命しかないよ革命しか。革命は任侠なんですよ。どっちに走ればいいやらわかりゃしない。コンチクショウ。


 最近見かけた、素敵ロゴのトゥクトゥク。

パンキッシュなアッラーフ・アクバル
パンキッシュなアッラーフ・アクバル posted by (C)ほじょこ

 الله أكبر(アッラーフ・アクバル 神は偉大なり)と書いてあります。
 この手の文句が書いてあるのは、「宗教的な場所」にまったく限られず、普通の商店やら屋台やらタクシーやら、至るところにステッカーなどで貼ってあります。日本で車に交通安全のお守りをぶら下げているくらいの身近なノリです。
 それは良いのですが、このトゥクトゥクは「アッラーフ・アクバル」のロゴがパンキッシュで、どちらかというと悪魔っぽいです。トゥクトゥクの文化は、マイクロバスやタクシーの更に十倍くらいヤンキー的で、無意味にサイドミラー十個くらいつけて電飾ギラギラに改造しているのをよく見かけるのですが、この車体は「神様最高!夜露死苦!」みたいでちょっとウケます。


 魚売りの少年。



 「写真撮らせてくれ」と言ったら、「魚やる」「サバいてやるから大丈夫だ」と言うのですが、出かけしなで、魚なんか貰っても困るので、遠慮させて貰いました(こういうのを断るのは本当に大変!)。
 少年が子供たちを乱暴に追っ払っていますが、こういうのも普通の扱いです。別に怒ってないです(多分)。
 魚に蝿がたかっていますが、蝿のたかっていない食べ物なんてないので、火を通せば全然問題ありません(多分)。


 蝿で思い出しましたが、エジプトの生活の基本は、蝿と砂との戦いなんじゃないか、と思うことがあります。
 というか、人間が暮らしていたら、蝿が湧いて、野良猫や野良犬が湧いてくる(本当に「湧く」という感じで溢れている)のは、本来当然ですよね。衛生的で住みやすい環境というのは、凄まじい営為の果てに勝ち取られるもので、裸で提供されるものではありません。カイロでもこの調子なのだから、もっと田舎とか、スーダンあたりに行ったら、遥かにハードな生活が待ち構えていて、掃除と買い物と料理で一日が終わりそうな気がします。
 砂の脅威は日本にはないものですが、部屋の中でも、一日放っておくとテーブルの上に埃がたまります。モップで床を掃除すると、すぐ泥水になります。これでは下水管が詰まるのも当然です。
 機械にしても、日本では気にしたこともなかった「防塵性能」が非常に重要だ、と感じるようになりました。街中ならいざ知らず、砂漠で自動車が動かなくなったら、そのまま死につながります。兵器なみにタフでなければ、ラクダの方がマシな筈です(そう思うと動物って本当にすごい!)。
 日本ではどんどんお洒落なメカが登場し、古いものは捨てられる一方ですが、「開けて直せる」ってとても大切なことです。「ユニットごと交換」な仕掛けというのは、物流インフラが整備されている場所でしか通用しないもので、ちょっと不便なところに行けば、多少ゴツくてブサイクでも、イザとなれば自分で開けて直せるメカの方がずっと頼りになるはずです。

 日本で捨てられているバイクの大方は、キャブレターを掃除すれば動くようになる、という話を聞いたことがありますが、プリミティヴなメカというのは、掃除一つで復活してくれることが結構多いです。キャブレターというのは、魔法のように精巧なもので、あれを「プリミティヴ」などと言ったら怒られると思いますが・・。

 蝿と砂から逃れるには、ひたすら毎日掃除するしかありません。阿部公房の世界です。
 でも、それが人間の暮らしというものです。系を区切って、その内部だけは支配権が及ぶようにしよう、というのが、人間的な生活の基本でしょう。
 だから、お掃除というのは非常に重要です。人間の基本はお掃除です。
 鬱で自殺しそうになったら、掃除すれば治ります。というか、蝿やら砂やら外敵が多すぎて死んでる場合じゃないです。
 土地は誰のものか、と言ったら、その場所を掃除している人のものです。
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  1. 神様夜露死苦! 動物最高! 蝿砂無用!|2009/10/26(月) 05:17:24|
  2. エジプト留学日記

エジプシャン・エレベータ

 最近ネットで「エレベータの閉ボタンは要るのか」という記事を見かけましたが、エジプトのほとんどのエレベータ(ミスアド、アサンセール)には「閉」ボタンはありません。あるところには日本式のエレベータもあるのでは、と思うのですが、わたしは見たことがありません。一番よく見かけるのは、こんな感じのクラシックで可愛いエレベータです。

アサンセール
アサンセール posted by (C)ほじょこ

 このエレベータは螺旋階段の真ん中を昇降するタイプで、エレベータ自体にも扉が付いていますが、エレベータの籠には扉がなく、外側(入り口側)だけ扉がある、というのもよくあります。エレベータ専用の筒の中を上下するタイプなら、途中で落っこちる心配もないからでしょう(壁面がずっと見えている状態なので、接触すると危険ですが)。
 扉は手動ですが、専用の筒を上下するタイプのものは、流石にエレベータが到着するまでは扉がロックされるようになっています。うっかり開けて足を踏み入れたら真逆さまですからね。

 このエレベータのように階段の真ん中を昇降するものは、よく階段の手すりなんかにぶつかって「ガンッ」とか言いながら動いています。
 「閉」ボタンはありませんが、「STOP」ボタンはあります。このボタンを押すと、階の途中でもどこでも止められます。出発しかけたところで後から走って人が来た時なんかは、階の途中でガンッと一回止めて戻ってあげると親切です。
 この自由自在に上下できる感じが非常に楽しくて、変なところで止めて行ったり来たりして遊びたい誘惑にかられるのですが、調子に乗っているといかにも閉じ込められたり落ちたりしそうなので、グッとこらえています。

 非常に融通の利くファジーなエレベータですが、「扉をしっかり閉めていないと動かなくなる(危険防止のため?)」という問題があります。
 自分の乗っているエレベータが動かなければ、閉めなおせばいいだけなので問題ありませんが、降りた人がしっかり扉を閉めないままにしておくと、下から操作できなくなるので迷惑です。
 一階に来た人が上の階で止まったきりになっているエレベータに向かって「扉閉めろ! 動かない!」とか叫んでいる風景をよく見かけます。

 エレベータなんてこれくらいで十分だと思うし、自動ドアも全然要らないと思うのですが、当のエジプト人が「内側にも扉を付けるべきだ、子供が触ったら危ないじゃないか」と言っているのも聞いたので、多少は問題かもしれませんね。
 ものをやたら安全に作っても人間が怠けてバカになるだけなので、お金のかからない程度で打ち止めにした方が良いと思うのですが。

 ちなみに、わたしのアパートは日本式に数えて七階建てで、六階に住んでいるのですが、エレベータはありません。昔パリに住んでいた友人は、十階だか十一階だかの屋根裏部屋で暮らしていました。
 無駄に足腰が丈夫なのでまったく問題ないし、日本にも「エレベータない代わり安い」アパートがあって欲しい、と思うのですが、お年寄りとかにはキツイし、お財布忘れて外に出た時とかはちょっとショックですね・・・。
 おばあちゃんが五階くらいから紐のついたカゴをスルスル降ろして、売り子から野菜を買っている姿をよく見ます。イタズラで猫とか入れちゃう子供がいないのかなぁ、と思うのですが、そんな発想をしているわたしの方が子供かもしれません。
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  1. エジプシャン・エレベータ|2009/10/24(土) 06:03:21|
  2. エジプト留学雑記

無差別同時多発お手伝い、豚インフルエンザ陰謀説、徴兵制

 最近の出来事をメモ。

 帰宅途中、メトロの階段の下で、大きなスーツケースを持った女性に会う。
 一人で階段の下に取り残されて、わたしと目が合うと、子供が甘えるようにニヘラッと笑います。「しょーがねーなー」な感じで、手伝って一緒に運んであげました。「めっちゃ重い~」「家近くなの?」とか会話できて、楽しかったです。
 常に人助けのチャンスを狙っているようなエジプト人が、なぜ彼女を放置していたのか不思議ですが、考えてみると、若い女性が相手の場合、男性は気軽に手助けできないのかもしれません。一方で、女性は普通に「あんな重いものイヤ」とスルーするのかもしれないし、外人女のわたしは丁度良い相手だったのかもしれません。

 こういう「ちょっとしたお手伝い」ができた時や、施しを与えた時にいつも感じますが、「助ける」喜びというのは、単に相手のためでも、純粋な自己満足でもなく、「社会に受け入れて貰えた」感覚に由来するのでは、と思います。
 乞食について書いた時、「それでも働こうという人が現れるのは何故なのか」というコメントを頂戴しましたが、極論を言えば、人は「施しを与えるために働く」のでは、と考えています。
 人間は、お手伝いしたくてたまらないのです。
 お手伝いすると、世の中に受け入れて貰えたような気持ちになれるからです。
 別に頭を下げて感謝されるから、とかではありません。何も貰えず、当たり前に流されても、助けることができただけで、十分「承認欲求」が満たされるのです。
 子供の時、お母さんのお手伝いをした時のことを思い出して下さい。何も貰えなくても、大人になったみたいですごく嬉しかったじゃないですか。堂々とした気持ちになれたじゃないですか。大人になったって、そういう根底のところは、人間変わらないはずです。
 社会人になって、親戚のちびっこにお年玉あげる悦びと一緒です。
 もちろん、今のわたしはただの外人で、エジプト社会にとっては単なるお客さんですが、それでもちょっとした手助けをしたり、道を教えたりすると、すごく満たされた気持ちになります。
 自己満足と言われればそれまでですが、この承認感を得るためなら、頑張って働いて、貯めたお金で「お助け」チャンスを狙う、というのも理解できます。
 イスラームは、明示的な施しや人助けのシステムを作り上げることで、こうした感情をうまく汲み上げ活用していますが、別にイスラームでなくても、こういう充実感は万国共通なのではないかと思います。
 日本だって、一昔前までこういう任侠的気風があったんじゃないですかね。やっぱり任侠ですよ任侠。日本も右派革命しかないですね。

 日本で職もなく鬱憤の溜まった若者は、街に出て無差別に老人を助けると良いと思います。
 大きな階段で待っていれば、そのうち年寄りの一人や二人通るでしょう。「荷物持ちます!」と言ったら、最初は訝しがられるでしょうし、拒否されることが大半だと思います。でも辛抱強くやれば、そのうち助けさせてくれる人が現れるはずです。
 五体満足なら、荷物くらい誰でも持てます。少なくとも、戦争に行ける若者なら、荷物くらい持てますし、戦争なんか待ってるくらいなら、こっちから荷物を運んだりおばあちゃん本体を運んだりする方が、ずっと手っ取り早くて簡単です。
 「手なんか貸すと、かえって迷惑なんじゃないか」などと考えるべきではありません。むしろ迷惑かけて良いと思います。神様とわたしの問題ですから、助けられる人が本当は迷惑に思っていても、全然関係ありません。エジプト人も迷惑なくらい助けてくれます(笑)。
 そして毎日毎日食べるものも食べずに、手助けしまくって、そのまま死ねばいいじゃないですか。
 靖国に奉ってもらえるかはわかりませんが、きっと天国に行けると思います。そして、死ぬ間際には必ず幸せな気持ちになっているはずです。
 運がよければ、子供のいないお金持ちのお年寄りに気に入って貰えるかもしれません(笑)。
 無差別テロ的人助けは、必ず本人の承認欲求を満たします。爆弾投げる前に年寄り運べ。爆弾を投げるのはそれからでも遅くないです。年寄りは投げちゃダメ。
 ちなみに、システム的にボランティアか何かの活動に参加すると、きっとそこにはボランティア同士の村社会とかがあって超ウザいので、独立機動的に攻めた方が吉でしょう。
 おまわりさんが来るかもしれませんが、国家権力が怖くて人助けができるか!の精神でいきましょう。

 所用で大家さんがやって来る。
 「ヨルダン人の女の子が二人家を探しているのだけれど、一緒に住めないか」と言われ「いやです」と即答しました。全然任侠じゃないです。すいません。

 大家さんと言えば、こないだ電話で「アナ・ミスファトマ」と言っていて、色々な意味で間違っているのがホノボノしました。大体、いつからミスになったんや、あんた。そこの娘は拾いっ子かいな。

 大家さんの娘が「日本人と中国人の見分け方がわかる」というので「何?」と聞いたら、「中国人は超デブがいるけど、日本人にはいない」とのことでした。
 日本人でもいないわけではないと思うのですが、確かに異様にツブが揃っていてスリムですよね。最初はエジプト人のデブ率の方が目についていたのですが、考えてみると、日本の方が異常なのかもしれません。
 太ってても、肌の色が違っても、言葉が喋れなくても、そんなことどうでもいいやん。

 ちなみに、娘は最近アーンミーヤだけで普通に喋ってくれるのですが、大家さんは相変わらず変なフスハーの「ファトマ語」に固執していて、まどろっこしくて仕方ありません。

 新聞で、カイロのバス内の風景をリポートした記事を見かける。
 カイロのバスは、時間帯によっては殺人的に混んでいて、バスから人が溢れる勢いです。バスというより、虫が動物にしがみついて移動しているみたいです(この描写を前にF先生に話したら大爆笑してもらえた)。しかも、この超混雑したバスの中に、変な小物を売る売り子がいたりするから、すごい風景です。色鉛筆なんか買うてる場合か。
 記事には、混雑や痴漢の問題と併せて、バス内で交わされる豚インフルエンザについての議論が掲載されていました。「豚インフルエンザは神罰に違いない」「いや、そもそも豚インフルエンザなど存在しない。政府の陰謀だ」というもので、「アンタら極端しかないんかっ」とツッコみたくなります。
 でも実際、こういう議論は街の至るところで耳にし、市民が激論を交わしている風景は珍しくありません。この手の会話を聞き取るのは、非常に難しいのですが、気合で集中して耳ダンボになると、かなり面白いです。エジプト人は、どんな普通のおっちゃんでも一家言持っているようです。
 論の内容はともかく、こういうことがパブリックな場で議論されていること自体は、すごく良いことだと思います。不満や疑問があったら、その場で口にしてちゃんと言い争う。顔だけニコニコして後でネットに悪口書いたりしない。素晴らしい。
 メトロの女性専用車両に男性がうっかり乗りそうになった時も、特に混んでいる時間帯だと、車内から一斉に「女性専用や! 降りろ!」と声があがって、男の人が可哀想になるくらいです(笑)。

 F先生の授業中、エジプトの懲役制が話題になり、そこから大幅に脱線して語り捲ってしまう。
 エジプトは徴兵制で、将校は三年、兵卒は一年の義務があるそうです。彼女の弟さんが丁度今軍役の最中で、たまの休日に帰ってくると、元は少し太り気味だったのがすっかりスリムになり、真っ黒に日焼けし、軍隊生活の過酷さをこぼしている、と言います。日本の自衛隊だって大変でしょうが、エジプトの軍隊は食べるものもロクに与えられず、炎天下(日本の炎天下の比ではない)で延々立たされたり、怪我をしても医者にかかれなかったり、腐ったような水を使わなければならなかったり、刑務所なみのようです。
 ですが、個人的には、わたしは徴兵制を支持しています。
 軍隊なんか誰だって行きたくないですが、その最悪な軍隊がなぜ必要なのか、あるいは本当に必要なのか、全国民が直接対峙すべきだと考えているからです。貧乏人が他に職がなくて入る軍隊なんて、真の「防衛軍」ではありません。軍の仕事は、普通の仕事とは違います。世界中どこでも、人を殺すことが正しい行いのわけはないし、それをどうしてもしなければならないのだとしたら、そこには止むに止まれぬ義がなくてはいけません。貧しい人間が「職の一つとして」入るような軍隊であってはなりません。軍を維持するなら、断固徴兵制を採るべきだと信じています。
 話の流れの中で、ジョシュア・キーの『イラク―米軍脱走兵、真実の告発』(原著The Deserter's Tale: The Story of an Ordinary Soldier Who Walked Away from the War in Iraq)に触れました。貧しい家に生まれ、家族を養うために軍隊に入り、米国の大義を信じてイラクに派兵されたものの、そこで目にした矛盾と不正義に耐え切れず、脱走兵となった人の本です。翻訳を読んで、わたしは泣きました。
 「イラクの人々が最大の犠牲者なのは言うまでもないが、アメリカの末端の兵士、貧しさから軍隊に入らざるを得なかった人々も、同じく犠牲者だ。金持ちが軍役を逃れ、軍隊がただの仕事に成り下がっているから、こういうことが起こる。軍隊が本当に必要で、やむをえない戦いだけしているなら、なぜこんな馬鹿げたことが起こるのか。軍を維持するなら、徴兵制を採るべきだ。エジプトの軍隊には改善の余地があるだろうが、徴兵制自体は正しい」。
 ジョシュア・キーの本の中には、彼が上官につっかかり、「テロリストを焙り出す家宅捜索と言いながら、来る日も来る日も何も出てこない。テロリストというのは、我々のことなんじゃないのか」「なぜこんなことをしなければならないんだ?」と言う場面がありますが、上官の答えは「お前が書類にサインしたからだ」というものでした。

 彼はイラク人の抵抗に共感を示し、こんな風に語ります。「もし僕の故郷の町に、どこだか知らないが外国の軍隊が攻めてきたら、持てる知恵と力の限りを尽くし、命の限り戦うだろう。塹壕を掘り、爆弾をしかけ、ありとあらゆる方法を使って、必ず軍隊を追い出してやる」。
 現実には、今の軍隊は本当に「仕事」であって、大人の事情で戦争しているだけなのでしょう。アメリカの議員には徴兵制を主張する人もいますが、圧倒的に少数派で、日本はもちろん、アメリカが再び徴兵制を採ることもあり得ないでしょう。
 結構。そっちが大人の事情なら、子供の事情でお前達を皆殺しにしてやるだけだ。穴を掘り地を這い泥水を飲み、知恵と力の限りを尽くし、子供の事情で戦って死ねばいい。どっちが本物の「軍隊」か、アッラーだけが知ればいい。

DSCN4325
戦争博物館の戦車 posted by (C)ほじょこ
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  1. 無差別同時多発お手伝い、豚インフルエンザ陰謀説、徴兵制|2009/10/23(金) 08:01:16|
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