スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
  1. スポンサーサイト|--/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

エジプト女性の服装、シャッカ偵察

 昨日アレキサンドリアから戻って宿に着いたのが深夜1時半くらいで、今日はグダグダ寝ていました(最近いつもだけど)。
 この間近所のスークで買ったムスリマがよく着ている黒いワンピースを着てみる。周囲にはウケていたけれど、東洋人がこれでヒジャーブなしで歩くと、ますます目立ちます。どの道最初からパンダなので、開き直って愛用することにします。
 ちなみに、あのズドーンとした服は、かなり厚手の生地でできていて、遮光カーテンを着ているみたいに重いです。結構暑いのですが、エジプト女性はジーンズとか普通の服の上に更にこれを着てヒジャーブをしていて、暑くないのか不思議で仕方ありません。今日の授業中に「エアコン着きの服を作ったら売れるよ」と冗談を言いました。日本の技術力で作ってみようって企業様、ありませんかね。
 この服は好きだし、先生に確認したら「別に日本人が着ていても全然問題ない」とのことだったので安心しましたが、ヒジャーブだけは不可逆的なので、入信してもしないようにしておきます。

 エジプト人は、ムスリマでもヒジャーブをしているというだけで、こういう「いかにもムスリマ」な格好をみんながしているわけではないし、洋服にヒジャーブ、というのが一番多いです。そのヒジャーブも色とりどりで、みんなお洒落を楽しんでいます。
 ただ、ノースリーブとかミニスカートとかはあり得ないし、洋服といっても引きずりそうなロングスカートが主流です。半袖も滅多に見ません。
 逆にニカーブ(サウジの女性がしているような、目以外すべて黒い布で覆っているもの)を着ている人も少数派で、せいぜい1、2%くらいだと思います。
 こういう格好を見慣れてくると、欧米の人間の格好がはしたなく見えて仕方ありません。彼らは自分たちが文明人で、ヒジャーブとかニカーブは「抑圧の象徴」とかペラペラの解釈をしているのかもしれませんが、肌を露出するのが文明なら、サルの方が余程進んでいます。
 こんなのは相対的なお話で、要は慣れなのですが、どうも欧米人のバカっぽい女が好きになれません。まぁ、わたしもアホな格好しているし、エジプト人から見たら十分はしたないのでしょうけれど。あと、アフリカンもうるさい女多いですね(笑)。
 ちなみに、ヒジャーブをするのは家庭の外でかつ男がいる場所だけなので、女子ワールドでは普通に髪の毛出しています。「武装解除」すると、すごいセクシーな格好とかだったりしてビビります。

 先生とは仲直りして、つつがなく授業進行。休み明けのせいか、終始ご機嫌。
 昨日贅沢してしまったので、イフタールはスーパーで買ったパンをモシモシ齧って飢えをしのぐ。

 授業後、ついに目処が立ってきたシャッカ(アパート)を見に行く。
 ところが、大家がいつまで経っても帰ってこず、さんざん待った挙句、今日は建物だけ見て中は「ボクラ(明日)」ということになりました。この「ボクラ」は永遠に「ボクラ」のことが多いので、可能な限りその場で決着つけたかったのですが、いないものはいないので仕方ありません。「ボクラ」が来たら「ボクラの何時や」というのを必ず明言させて、「遅れたら殺すぞ」オーラを出さなければなりません。
 場所はあんまり外国人がいる地区ではなく、ちょっと歩くと猛烈な喧騒の世界なのですが、建物の周囲自体はそれほどうるさくなかったので、中身が良ければいい加減決着つけたいです。マフルーシュ(家具一式揃い)で新品、エアコンもあって2000ポンド(約4万)と聞いていますが、見て隅々までチェックするまでまったく信用できないので、姑の如き口うるささで明日再決戦してきます。水まわりとすべての電化製品を確認しないと絶対ダメです。あとは住んでから周辺住民と仲良くしたり喧嘩したりして、段々わたしに慣らしていくしかありません。
 日本人があまり住む地区ではなく、日本基準からすれば周囲も建物もかなり汚いですが、もっと郊外に住んでいる先生からすると「高嶺の花」のようで「この辺に住みたいけれど、とても手が出ない」と言っていました。

 そういえば、先日日本人の方の自動車に乗せて頂いた時、モハンディスーンとかザマーレクとか、駐在員がよく住んでいるエリアを初めて見たのですが、同じカイロとは思えないようなきらびやかな世界でした。一体どうなっているのでしょう。全然行ったことがなくて、通りの名前を言われてもわからなかったのですが、あとで地図を見て「あそこが噂に聞く素敵空間ですかっ」と納得しました。
 逆に、ああいう地区に住んで全然外に出ない方は、一度はガザ広場の喧騒とかイッサイイダ・ゼーナブとか(メトロの駅じゃなくて広場の南の辺)も経験してみた方が良いと思います。いや、別に得られるものは何もないですが・・・。

DSCN4167
車の上の犬 posted by (C)ほじょこ
スポンサーサイト
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  カイロ  留学  文化  服装  アパート 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. エジプト女性の服装、シャッカ偵察|2009/08/31(月) 18:03:47|
  2. エジプト留学日記

シーニー兄ちゃんに陳謝させる、良くも悪くも「口だけ」

 アレキサンドリアからの帰り道、気まぐれでちょっと離れたメトロの駅で降りて歩いたのですが、そこからの帰路だけで、シーニー兄ちゃん(シーニーとかチャイナとかニーハオとかボーヤボーヤとか言ってくる奴ら)に何人も遭遇しました。
 品の良いアレキサンドリアから帰ってきたところで、かつ気分が高揚していたせいか、その悉くに怒鳴って返しました。
 特に何人かは、日本語(関西弁)で強烈に因縁つけながら詰め寄って、一人の兄ちゃんは座っている椅子をガンガン蹴る勢いで喧嘩売ったところ、平謝りして「第三者介入」でハラース(お終い)になる、という状況にまでなりました(エジプト人は、喧嘩が激しくなると大抵周囲の第三者が介入して、観客が勝敗を決める)。
 ものすごい大人げない対応です。
 でもわたしは、これからもこうやって喧嘩を売っていくつもりです。そのうち殺されるかもしれませんが、大日本帝国婦女子をナメくさったヤツらを一人でも減らすことができるなら本望です。結果的に、日本人や中国人がかえって嫌われることになるかもしれませんが、はっきり言って知ったこっちゃありません。それでガタガタ言ってくるなら、その腰抜け非国民だか中国人と喧嘩します。

 彼らの多くは、さほどの悪意があるわけではなく、ほとんどの場合むしろポジティヴな気持ちで言っているのでしょう。
 だから、突然発狂した東洋人がわけのわからない言葉で迫ってきたら、まったく意味不明な不条理な状況に巻き込まれた、としか思えないことでしょう。
 その通り。
 不幸はいつでも不条理なものです。わたしの巻き込まれた不快さが不条理なように、お前の味わう不幸も不条理だ。お前がわたしを理解しないように、わたしもお前を理解しない。
 所詮は不条理と不条理のぶつかり合いであって、強いものが勝つ。そしてお前はわたしより弱いので、ひざまずいて靴を舐めるがいい。

 こういう怒鳴りあいはエジプト人同士が至るところでやっていますが、暴力に発展することはまずありません。でもわたしはエジプト人ではないし、今のところムスリマでもないので、別に暴力を使ってもオッケー、というか、力で解決できることは極力力で解決する主義です(今のところ激しい暴力沙汰にはなっていないし、最初が最後だと思う)。
 それくらいの決意がなければ、因縁をつけるべきじゃないし、やる時は常に殺しても構わない気迫でいます。
 ただまぁ、さんざん怒鳴りあって第三者介入でハラース、というのは、両者とも言いたいことを言ったせいか、悔しいけれど、禍根の少ない解決方法と認めざるを得ません。わたし自身、「殺す!」と思っていっても、当たり前ですが本当に殺したことはないですし、終わった後は不思議とスッキリした気持ちになります。怒鳴りあいの種がある時点で問題ですが・・。

 怒鳴りあいになったら、変にアラビア語や英語を使うより、日本語の方が良いです。この日は、介入してきた人が「英語話せるか」とか言ってきたので、その時だけ英語で「話せるけどお前とは話さない」と答えて、日本語で怒鳴り続けました。
 不思議なことに、後で思い返すと、こっちの日本語と向こうのアラビア語(何故かほとんど聞き取れていた)が、ちゃんと噛みあっています。極限まで感情むき出しでぶつかりあうと、言語を知らないでも意志が伝わるようです(笑)。

 これだけ怒鳴りあいをするというのは、逆に言うと、口ではさんざん言うけれど、実際に力に訴えるつもりはない、とも言えます。エジプト人の男には、勇ましいことを言ってかっこつけたがるヤツが多いですが、実際のところはそんなに好戦的ではないと思います。良くも悪くも「口だけ」です。
 欧米や日本のテレビがアラブ世界の街頭でインタビューして、彼らがものすごい好戦的なことを言ったり、民衆が反米・反イスラエルで盛り上がっている映像が流されたりしますが、そういう言葉やポーズの勇ましさと裏腹に、良く言えば平和的、悪く言えば腰抜けなのが実態なのではないでしょうか。本当に戦争になったら、急にお母さんが病気になったりする様が目に浮かぶようです。
 これは別段、悪くだけ言っているわけではなく、口でさんざん罵り合って、第三者介入して「これでお終い」となるなら、本当に力に訴えるより、ずっとマシな解決方法と言えます。欧米や日本では、彼らの口先のかっこつけたがりに惑わされて、本当に彼らが好戦的で勇敢であるかのように、勘違いしている傾向があるのではないでしょうか。
 アラブ人にも色々いるでしょうが、とりあえずエジプト人は、口で言う百分の一も本当に戦う気なんてないと思います。
 そして口先では奇麗事を言いながら力に訴えているのが、欧米やそのフンドシ担ぎの日本でしょう。

 あれ、いつの間にかエジプト人の肩を持っていますね。街の怒鳴りあいでは敵なんですけれどね。

DSCN4750
ヘルワーンの壁 posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  カイロ  留学  文化 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. シーニー兄ちゃんに陳謝させる、良くも悪くも「口だけ」|2009/08/30(日) 21:25:30|
  2. エジプト留学雑記

イスカンダリーヤ(アレキサンドリア)へ

 二週間前によくわからない理由で頓挫したアレキサンドリア(イスカンダリーヤ)行き。「約束はすべて信用できない」ということで、一人で行ってきました。いやまぁ、単に一人で行動するのが一番楽で好きなだけですが。

 朝7時の電車でラムスィースを出発。
 この時、鉄道の職員らしき男性がわたしの切符を見て、頼みもしないのに「こっちだ」と案内してくれ、一方的にバクシーシを要求してきたのですが、もちろん払いませんでした。
 席についてみると、既に座っている人がいます。「おかしいな」と思っていると、丁度職員が通りかかったので声をかけます。先客とわたしの切符をマジマジと眺めますが、ことごとく記述が一緒です。先客は知識人っぽい快活な男性だったので、「一緒に座る?」とか冗談を言いながら、よくよく切符を見てみると、数字の「4」(わたしの切符はインド数字ではなくアラビア数字=算用数字で印刷されていた)がかすれて「1」に見えていた、というオチでした。間違った車両に案内したさっきのオッサンにチップを払わないで、本当に良かったです。
 二等の35ポンドの席でしたが、十分快適。冷房が効き過ぎているので、苦手な人は羽織るものを用意した方が良いです。
 しばらく走ると車窓に田園風景が広がり、幸せ一杯な気持ちになります。「ハトの塔」(ハトを飼育する塔のような小屋)もいくつか見られました。
 通過した街で、ジャーミゥがすごくカッコイイところがありました。多分ダマンフールدمنهورだと思います。

 3時間弱ほどで念願のアレキサンドリア到着。
 駅を降りた第一印象は「涼しい」そして「綺麗!」。話には聞いていたものの、アレキサンドリアはカイロと違って、道がすごく綺麗です。日本のような雰囲気とは全然違いますし、それなりにボコボコのところや路上駐車の酷いところはありますが、ヨーロッパの街にひけを取らない情緒があります。これだけでアレキサンドリアが大好きになりました。
 この日一日行動した後でも、素晴らしい場所、という印象は変わりません。エジプトに来られた方は、絶対一日か二日はアレキサンドリアに使うべきです。あと、タクシーの柄がカイロと違って、ちょっと面白かったです。

DSCN4818
アレキサンドリア マスル駅 posted by (C)ほじょこ

DSCN4823
アレキサンドリアの通り posted by (C)ほじょこ

 特に「ここ」というお目当てがあるわけでもなかったので、とりあえずマスル駅近くのローマ円形劇場へ歩きます。ラマダーンの飾りが素敵です。

アレキサンドリアのラマダーン飾り
アレキサンドリアのラマダーン飾り posted by (C)ほじょこ

 ローマ円形劇場は入場料15ポンドみたいですが、セコイので中には入りませんでした。

DSCN4821
アレキサンドリア ローマ円形劇場 posted by (C)ほじょこ

 アレキサンドリア名物トラム。「ヨーロッパみたいで可愛い♪」イメージですが、以前にネット上で知り合ったアレキサンドリア人によると「すげー遅くてしょっちゅう事故してて、極力乗りたくない」そうです(後で実際に乗りました)。

アレキサンドリア トラムのある風景
アレキサンドリア トラムのある風景 posted by (C)ほじょこ

 最大の目的は「散歩」なので、そのままブラブラ歩いてアレキサンドリア国立博物館(イル・マトハフ・イスカンダリーヤ・アウミー)を目指します。マスル駅からだと1キロくらいだと思います。
 外人非学生だけ30ポンド(エジプト人タダ)のところに100ポンド札を出したら「小銭がない」と断られます。よくあることですが、受付の女の態度が気に食わなかった上、あんまり博物館の類に興味がない、というかカイロに一ヶ月以上いて考古学博物館にも行っていないくらいなので、ここも入りませんでした! 我ながらひどい。

DSCN4827
アレキサンドリア国立博物館 posted by (C)ほじょこ

 また歩いて超有名なアレキサンドリア図書館(マクタバ・イル・イスカンダリーヤ)へ。この建物は、本当にカッコイイです。遺跡系にそれほど興味がなく、現代建築が好きな人は、絶対見てみるべきです。貧富の差を差し置いてこんなところにお金を使っていいのか、とツッコミたくなるくらいの、お金のかけ方です。

アレキサンドリア図書館
アレキサンドリア図書館 posted by (C)ほじょこ

 図書館の前は海。海、海です! 考えてみると、地中海を見たのは生まれて初めてでした。

アレキサンドリア 図書館前の海
アレキサンドリア 図書館前の海 posted by (C)ほじょこ

 チケット売り場は例によってカオスで、機械が壊れたとかいって最初に並んでいた列から別の列に移された上、「横入りするな」とか「こっちが前から並んでたんだ」とかもめまくっていたのですが、何故か片言の日本語を話す子連れの若い女性が助けてくれて、「この人が先に並んでた」と守ってくれました。何故日本語が話せるのかわかりませんが、ありがとうございます。明らかにキリスト教徒の美人さんでした。
 ちなみに、わたしの前に並んでいた女が「わたしは断食してるんだから」とかわめいていたのですが、断食くらいわたしでもしているし、そんなもんみんな好きで勝手にやってるんだから、何でそれで優先されるのかサッパリわかりません。

 バッグを預け(カメラは持ち込めます)、やっと中へ。
 ここは凄いです! 観光名所に今ひとつ愛のないワタクシですが、ブックフェチにはたまらないおとぎの世界です。開架の図書はちょっとお粗末なのですが、本に囲まれる幸せをこれほどうまく表現した場所もあまりないでしょう。

アレキサンドリア図書館 内部
アレキサンドリア図書館 内部 posted by (C)ほじょこ

アレキサンドリア図書館 書架
アレキサンドリア図書館 書架 posted by (C)ほじょこ

 図書館を出て、カーイトゥベーイの要塞(アルアト・カーイトゥベーイ)へ。一番暑い時間に3キロくらいの距離ですが、歩きたいので歩きます。
 大した距離じゃないのに途中でフラフラしてきて、今までの経験で「これはヤバいな」と思い、マクハーでアシール・ライムーン(レモンジュース)砂糖抜きを飲む。断食が破れてしまいました。旅行中は断食しないでいいはずだし、勘弁してもらいましょう。というか、それを行ったらカイロだって滞在中なだけだから、どの辺から「旅行」なのか気になります。
 この日の日中はこのアシールだけでしたが、普通のムスリムはちょっとでも飲食してしまうと「もう断食無効だから」とガンガン食べ始めます。「できるだけのことはする」という発想はないようです。

 お散歩続行すると、ガーマ・アブル・アッバースを通りがかる。

ガーマ・アブル・アッバース
ガーマ・アブル・アッバース posted by (C)ほじょこ

 これがかなりかっこいジャーミゥで、「すごーい」とか声に出して写真を撮りまくっていたら「中に入ったらいい」と案内してくれます。非ムスリム扱いでバクシーシ必須ですが、女子部屋の方に入れてもらいました(ジャーミゥやマスジドは、必ず男女別になっていて、普通は横の勝手口みたいなところが女子入り口になっている)。
 礼拝している人、クルアーンを読んでいる人、単に寝てる人、色々です。ジャーミゥやマスジドのこの雰囲気は、もっと日本で知られて良いと思います。ほんと、礼拝している人がいる横で普通に寝てますから。そういうの、全然アリですから、堅苦いもんじゃないし、他人のことにとやかく言うものじゃないです。
 お母さんが礼拝している横で外人(わたし)を珍しがる子供がはしゃぎまくっていて、「ほら、礼拝しているのに邪魔したらあかんやん」とツッコんでいました。
 涼しくて気持ちいいので、わたしもムスハフを出してブツブツ読んでみます。他の人みたいにスムーズには読めません。幼児レベルです。そんなことをしているうちに、昨夜ほとんど寝ていなかったせいか、ついわたしも居眠りしてしまいました。

 居眠りで体力回復し、トコトコ歩いてカーイトゥベーイの要塞に到着。

カーイトゥベーイの要塞
カーイトゥベーイの要塞 posted by (C)ほじょこ

 ここもすごい!ってそればっかり書いていますが、この要塞のかっちょ良さは、遠くから見てもすぐわかります。むしろ、遠景の方が浮き立って輝いています(岬の突端なのですぐわかる)。世界七不思議のファロス灯台跡に15世紀にマムルーク朝のスルターンが建設した要塞です。
 まったく日差しを遮るものがなく、ものすごい紫外線ダメージですが、要塞の中に入るとひんやり涼しいです。
 これもイスラーム文明の遺産の一つですが、当たり前ですがとても地中海文明的な印象です。イスラームというとアラビア半島の砂漠のイメージが強いですが、そもそもイスラームは街の商人社会で生まれたものだし、最盛期はイベリア半島までイスラーム圏内だったわけで、現在の世界最大のムスリム国はインドネシアです。イスラーム、けっこう海。

 カーイトゥベーイの要塞を出たところで、結構くたびれていたし「どうしたものかなぁ」とぼんやりします。タクシーが次々声をかけてきますが、乗る気はゼロです。ポンペイの柱を見に行こうか迷っていたら、マイクロバスが来たので「どこ行き?」と聞いてみました。
 威勢良く地名を答えてくれますが、そんなこと言われても、そもそもアレキサンドリアの地名を全然知りません。面倒くさいのでとりあえず乗ってみると(常に行き当たりばったり)、ものすごい勢いで湾岸を飛ばしていきます。
 この時点で目的地という考え方は捨てて、1ポンド25ピアストル(約25円)で湾岸ドライブを楽しむ、ということに切り替えました。途中でどんどん乗客が入れ替わり、あれよあれよという間に、かなり遠くまで連れていかれてしまいます。海沿いに走っているのがせめてもの救いですが、不安になってきたので、女の子が一人降りた時に一緒に降りました。
 どこだかさっぱりわからなかったのですが、テキトーに歩いていたらトラムの線路があります。近くの駅はラムスィース(ラムスィースという駅は複数あるのですが、細かいところは忘れました)というところで、とりあえずトラムに乗ってラムル駅(海沿いの観光拠点)まで戻ることにしました。
 トラムはなかなか来ないし、マグリブが近く帰宅ラッシュだったこともあり、噂以上の遅さです。でも、女性専用車両でうまく座ることができたので、車窓の風景を眺めながらトロトロ走行を楽しみました。25ピアストル(約5円)でした。

 ラムル駅に着いた時にはイフタールも近かったので、「地球の歩き方」で見た(素人)マタァム・イッサマク・シャアバーンという店に行ってみることにします。場所がわかりにくく大衆価格、という記述だったのですが、予想通り地元民中心のお店です。

マタァム・イッサマク・シャアバーン
マタァム・イッサマク・シャアバーン posted by (C)ほじょこ

 ラマダーン中のせいか、路上に並べられたすべてのテーブルにサラダとタヒーナがもう置いてあります。どういうシステムかわからずオロオロしていたのですが、魚を選んで調理法を指定し待つ、という仕組みでした。この注文がかなりテキパキやらないと怒られる雰囲気、というか怒られたので(笑)、高い寿司屋に入る勢いで気合を入れていきましょう。イフタール前の大忙し状態だったので、特にテンパっていました。
 なんだかよくわかんない魚を「これマシュウィーにして」と頼んで、マグリブを待ちます。わたし以外は全員地元民(少なくともエジプト人)で、外人でしかも女一人、というのはかなり変な客です。満席状態なので、隅っこの方にちっこいテーブルを出されて「ここに座れ」と指定されます。なぜかわたしのところにはエーシ(パン)がなかったのですが、別になくてもいいので文句言いませんでした。
 食べ物を狙う猫と蝿を払いながら、日暮れを待ちます。ちなみに、猫はどこにいっても沢山いるのですが、エジプト人は蝿と同じくらいの勢いで猫を追い払います。子供が棒で殴っているのもよく見ます。
 ついにアザーン。アザーンに続いてファーティハが読まれ、さらにイフラースなどいくつかのスーラが読まれるのですが、みんなアザーンが終わった時点で食べ始めています。
 わたしは食事前にファーティハを読む習慣がある(個人的な習慣で、別にイスラーム的ではない)ので、なんとなく一緒に読んでいたのですが、みんなアザーン後のドゥアーもしないで速攻食べています。これくらいでいいと思います。
 隣の席の子供一人が、アザーンやファーティハを真似して大きな声で叫んでいたのが楽しかったです。アイツは仲間です(精神年齢的に)。

 どーんとデッカイお魚を平らげ、35ポンド(約700円)。GAD(あちこちにある庶民系マタァム兼ファストフード)なんかより安いです。ロズ(ご飯)を頼んだはずが最後まで出てこなかったので、もしかするとその値段も含まれているのかもしれませんが、どの道もう入りませんでした。
 伝票を見たのですが、解読不能です。アラビア語がどうとかいう問題ではなく、この手の店の伝票は日本語でも読めないことが多いです。
 ともあれ、このお店はかなりお勧め! お洒落な雰囲気で食事したい方には向きませんが、猫と蝿と戦いながら路上でがっつり食べたい、という方は絶対満足です。当たり前ですが、洒落たレストランではエジプトだからってこんな値段では食事できません。

 トラムの走っているイッ・サッイド・イル・アッワル通りを歩いていると、また交通事故の瞬間に遭遇。路面電車の線路上で三重玉突き衝突でした。運転の無秩序ぶりは「カイロよりは少しマシ」程度です。

夜のアレキサンドリア
夜のアレキサンドリア posted by (C)ほじょこ

 列車の時間まで少し時間があったので、イフタール後のお祭りムードの街を歩く。
 服を見て何件か回っていて、一つのお店で安いワンピを買ってしまう。このお店の女の子が感じが良く、きゃぁきゃぁ構ってくれたので楽しかったです。店員さん同士でヒジャーブの下の髪の毛をひっぱったりして、女子中学生ノリです。
 ここに限らず、エジプトのお店は大体やたら店員さんが多いです。それだけ人件費が安く、人間だけはいくらでもいる、ということでしょう。前に入ったマタァムでは、「お手洗いの前でトイレットペーパーを切って渡す」係の少年がいました(中においておくと使われすぎるからか)。
夜のアレキサンドリア2
夜のアレキサンドリア2 posted by (C)ほじょこ

 21時の電車でカイロへ戻る。

 一日しか滞在しませんでしたが、アレキサンドリアは本当に良いところです。
 まず、最初に書いたように、カイロよりずっと街が綺麗。「ゴミが落ちていない」と言ったら嘘になりますが、カイロのようなあちこちで腐敗物が堆積しているようなことはないし、道路の舗装も綺麗です。
 交通マナーは、日本とは到底比べられませんが、カイロよりはマシだと思います。クラクションの鳴らし方も、カイロよりは大人しいです。
 そして何より、シーニー兄ちゃんやナンパが圧倒的に少ないです。「外人慣れ」ということでは、カイロだって同じだと思うので、何に起因するのかよくわかりませんが、わたしの経験した範囲で、アレキサンドリアの人々はカイロよりはグッと品が良いです。
 特に最後に入った服屋さんは、外人相手の商売ではないせいか、素朴に「珍しい客」を楽しんでくれていたようで、オモチャにされすぎることもなく、好印象でした。
 ちなみに、このお店に入る前に、別の服屋さんでさんざん迷って買わなかったのですが、ここのオジサンもすごく礼儀正しくて素敵でした。
 欠点としては、みんなデフォルト英語で話しかけてくることでしょうか。
 カイロもアレキサンドリアも観光都市で、絶対的な「外人数」ではカイロの方が絶対多いでしょうが、街の規模に対し観光の占める割合はアレキサンドリアの方が上、ということなのかもしれません。マリンスポーツの楽しむ場所でもあるので、白人たちの奔放さに慣れていて、東洋人ごとき今更なんとも思わないのかもしれません。
 とにかくアレキサンドリア素晴らしいです! 魚もおいしくて夢の世界! 住みたいです!

アレキサンドリア ムスハフを読む人
アレキサンドリア ムスハフを読む人 posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  カイロ  留学  アレキサンドリア    観光  食べ物 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. イスカンダリーヤ(アレキサンドリア)へ|2009/08/30(日) 21:15:44|
  2. アレキサンドリアの旅

隔離空間、「アムラー」で迫られる感じ、ムスハフ、エジプト人と寿司

 昨日お会いした日本人の方に「入るだけなら全然問題ない」と笑われてしまったフォーシーズンズのショッピングモールに行ってみる(昨日書きそびれましたが、「ホテル暮らしの面倒臭さ」に共感してもらえたのがすごく嬉しかったです)。
 前の道は何度も通っていたのですが、あまりにきらびやかな雰囲気、厳重な警備に「到底わたしのようなビンボー人の入れるところじゃない」とビビっていました。今日もビビっていたのですが、「アタクシお金持ちの日本人ざますことよ」な余裕オーラを頑張って発射し、何とか門をくぐりました。入り口ではバッグをX線の機械に通してチェックされます。もちろん、横には自動小銃で武装した警備員。
 一歩中に踏み入れると、そこは天国。何ですかここは。

DSCN4801
ショッピングモール posted by (C)ほじょこ

DSCN4803
ブルガリ posted by (C)ほじょこ

 日本のデパートにもまったく引けを取らない、というか、そんなものよりずっとピカピカな世界で、しかも敷居が異様に高いのでガラガラに空いています。
 ここから十分も歩くと、物乞いとストリートチルドレンとやむことないクラクションの世界があるのに、あまりの嘘臭さに卒倒しそうです。
 もちろん見るだけ。本屋だけは少し物色しましたが、ここも高すぎて撤退。ペラペラの地図が30ポンドって一体・・・。

 聞いたところでは、シティスターズも滅茶苦茶高いらしく、お客さんは多いものの、実際に買い物している人は極少数だそうです。話に聞いた相場価格は、どこをどう考えてもあり得ないお値段。そんなところで平気で買い物している日本人は、どうかしているんじゃないかと思います。こっちは35ポンド(約700円)の靴を死ぬほど粘って30ポンドにしたりしているのに・・・。あぁ、世の中所詮ゼニやね、ゼニ。

 ショッピングモールを歩きながら考えましたが、この国ではものの品質や安全、清潔さや静寂も、すべて兵隊(「警備員」や「警察」ですが、「兵隊」のイメージの方が実物に近い)に守られた有料空間の中に隔離されています。公園やナイル沿いの遊歩道も基本的に有料です。そうしなければ、到底快適な環境を維持できないでしょう。
 清潔で秩序ある空間が開放されている日本からすると、隔離し締め出すのはひどいように見えますが、それはただ単に日本という箱庭が、あまりに高度に発達・拡大し、隔離空間の境界感覚がわからなくなってしまっただけです。言わば、日本全体、あるいは東京という都市自体が、兵隊に守られたショッピングモールなのです。
 阿部公房さんは満州で育ち、「街の向こうは砂漠」という環境で暮らした経験から、田舎や自然をやたら賛美する日本的感覚に首をかしげています。街というのは、人間がものすごい努力をして作り上げた隔離空間なのであって、そこがどんな酷い喧騒に溢れていても、向こうの砂漠などよりずっと良い、というより、砂漠なんかじゃ人間は生きられないのです。
 日本は自然環境が概ね穏やかで、街ではないところに行っても、自然の過酷さはたかが知れています(もちろん過酷は過酷でしょうが、砂漠よりはマシでしょう)。だからこそ、地方や田舎でも、結構な人口が暮らしているのでしょう。過疎化が問題視されていますが、世界的に見たら日本の「都市集中率」は異様に低い(田舎がとても住み易い)です。カイロへの一極集中具合を考えたら、比較になりません。
 そういう穏やかな環境と、現在の経済的地位のお陰で、目に見えない素晴らしい隔離空間を築き上げることができたのですが、その完成度があまりに上がってしまって、隔離の素晴らしさにも残酷さにも気付けなくなっているように思います。

 わたしたちは「残酷」なことをしなければ生きていけない。できるだけ「残酷」なことはしたくないけれど、せざるを得ない時は、例えば神の名の元に屠る。
 そういうケジメみたいなものと、できるだけ隣り合って生きていきたい。勇気がないなら、肉を食べるべきじゃない。

 ショッピングモールは何も買わずにサヨウナラし、近所の広場近くの雑居ビル奥で、最近発見した宗教書専門の本屋さんに入る。مصحف(ムスハフ、クルアーンの本)のポケット版を、両親へのプレゼントにもう一つ買おうと思ったのです。
 宗教書専門の小さい本屋さんなので、入ると例によって面倒くさい会話に巻き込まれるのでは、と思ったのですが、ムスハフも5ポンドだったし、店員さんも良い感じでした。
 おつりがなくて、二人いた店員さんの若い方が両替に行っている間、「ムスリマなのか?」「宗教はなんだ?」「日本人は何を信じているんだ?」と、おなじみのトークになったのですが、おじさんは穏やかで押し付けがましい雰囲気ではなく、大変礼儀正しかったです。ああいう静謐さを備えたムスリムは、本当にカッコイイなぁ、と思います。

 今日は散歩途中にあちこちの日陰で休みながらムスハフを読んでいたのですが、全然ムスリマらしくない格好のわたしが読んでいても、とりあえず怒られることはなかったです。小声でブツブツ言っている程度なら、髪を露出した女が読んでいても、とりあえずカイロ市街ではとがめだてられません(サウジなら生きて帰れなさそう)。
 本当はヒジャーブしたいのですが、一度ヒジャーブをしたらずっとし続けるべきらしいので、迷っています。というか、エジプトの(一部)女の子の「伝統とポップの融合」具合がすごく好きで、真似したくて仕方ありません。ビバお洒落ヒジャーブ。
 エジプト女性の相貌・体型は異様に多様性に富んでいますが、時々びっくりするくらい美人でスレンダーな子がいて、見とれてしまいます。ナンパされるのに飽きたので、ナンパしてみたいです。

 フラットの件がまったく思うように進まずストレスだらけのところに、ちょっとしたトラブルがまた発生し、ブチ切れて今日の授業をパスしてしまう。きっかけは小さなことだったし、先生は基本的に好きなので、かなり落ち込む。電話に出る気もしなくて、数時間後にボスのS先生と話して和解。

 フスハーで「○○かどうか」とyes/noクエスチョンを投げる時、文末にأم لا(アムラー、~or notのようなニュアンス)と付ける問い方があります。別に普通の構文なのですが、この言い方で語尾が下がってバシッと聞かれると「やるんかやらんのかどっちや!」と強く迫られている印象があって、好きになれません。
 エジプト人は「どうしたいんだ?」「これがしたい、したくない?」と尋ねることがよくあり、これはこちらの意思を尊重する思いから来ているらしいのですが、「アムラー」が最後に来ると、即答を迫られるようでちょっとしんどいです。
 トロい人間がすごくバカにされる世界なので(町全体が魚河岸状態)、決断の苦手な人間には辛いことも多いです。ただその代わり「したい!」と堂々と答えておきながら、後で前言翻しても、日本ほど「あの時こう言ったじゃないか」とグチグチ迫られることはありません(全然ないわけではない)。
 ただ、今日は、S先生と話していた時に「そうやってこっちの意向を尋ねるけれど、いつも予定通りにいかないじゃないか、責任だけがこっちに帰ってくる感じがするから、何も言いたくない!」と本音を言ってしまいました。この学校はエジプトの学校としてはかなりしっかりしている方だし、今日のトラブルも本当に些細なことで、普段だったらわたしも怒らなかったのですが、悪いことが重なってつい大人げないことをしてしまいました。言いたいことを言って理解して貰えたら、恥ずかしくなりました。

 代わりに一人でベッドに転がって黙々と自習。よく書けるペンで一心に問題を解いたり作文していると、少し心が落ち着いてくる。

 夜のマタァムで、勉強するでもなくぼんやりする。
 ハーニーが一人でテレビを見ていたので、隣に行って一緒に見る。他の店員さんも暇らしく、みんなで黙ってテレビを見る。
 アーンミーヤのドラマ等で、正直あんまり台詞はわからないけれど、結構楽しめる。というか、みんなでテレビ見るのって楽しいです。

 トーク番組で寿司が取り上げられている。「エジプト人は寿司を食べるのか」みたいなネタ。
 これも部分部分しか理解できないものの、かなり集中して聞き取ろうとする。ワサビが辛いとか、ものすごい高いとか、そんなことが話題になっている。
 番組の後、ハーニーに「寿司食べたことある?」と聞くと「ない」と言います。カイロには何件もお寿司屋さんがありますが、彼のような一介のレストラン店員が気軽に食べられるお値段ではないでしょう。「日本人はみんな寿司を食べるのか?」と聞かれたので「寿司は日本でも高いし、特別な時に食べるもの」と答えました。少なくともわたしにとってはそうです。
 「肉や魚というのは、火を通しすぎてもダメだし、焼き加減が足りなくてもダメだ。生で食べるというのは、本当に美味しいのか」「でも色んなものを食べるのは楽しいし、試してみたい」と言います。「寿司というのは、魚の種類なのか? 料理の方法なのか?」と聞かれて「料理の種類」と言うと「じゃあ肉の寿司もあるのか?」と聞かれます。「肉はない。魚だけだけど、色んな種類がある」と説明しておきました。カリフォルニア巻きとかは寿司に数えません(笑)。
 「料理というのは、舌で味わい、鼻で味わい、目で味わい、耳で味わい、」と言ったところで「え、耳?」とツッコんだら、苦笑いしていました。「いや、音楽とかは耳でも味わうじゃないか」。

 ハーニーがコシャリの超有名店アブー・ターレクの場所を説明してくれる。名前はよく聞きますが、わたしはコシャリそのものが別に好きでもないので、一度も行ったことがないです(でも「名門」らしいので、一度は行ってみたいです)。説明した後で、「あ、今はラマダーン中だからやってないや。ごめん」と言います。
 近所のコシャリ屋さんもずっと閉まったままで、コシャリ屋さんはラマダーン中は完全休業が多いようです。
 「ターンメイヤ屋とか屋台はやっているのに、何でコシャリ屋さんは休むの?」と聞くと「屋台とかと違って手間がかかるから」と言っていました。どう見ても、そんなに準備のいる料理とは思えないのですが・・。

 夜のお散歩。なんか一日中散歩ばかりしています。
 エジプトに来たばかりの時、先生に連れていかれて卒倒しそうになった近所の広場の喧騒も、今はすっかり慣れてしまいました。ついでに近隣住民もわたしを見慣れてきて、はやされることも減ってきた気がします。
 前から気になっていたお菓子屋さんでアイスクリームを買って食べる。ちゃんと美味しい。
 前に一度スーパーでアイスクリームを買ってみたら、ものすごいしつこくて「こりゃとても食べられん」と諦めていたのですが、ここのジェラードは普通でした。いつも暇そうなのですが、逆にエジプト人にはあっさりしすぎていて人気がないのかもしれません。
 そう言えば、最近近所の店で、いかにも「国産」風の素朴な容器に入ったヨーグルト(ザバーディ)を見つけて、お店の人がプッシュするので「どうせ死ぬほど甘いんだろうな」と思いながら食べてみたら、砂糖なしで美味しかったです。ヨーグルトには一票入れておきます。

 最近大分涼しくなってきたし、エジプトの服を着てヒジャーブとサングラスで武装すれば、目立たずカイロでもお散歩マスターになれるかもしれません。歩けば歩くほど、粉塵を吸って身体を悪くしそうですが・・。

 あ、えーと、一応諦め気味に仕事も探しています。その前にフラットが見つかることが必須ですが、仕事があれば半年くらいいて、なければあと二ヶ月くらいで帰ろうかなぁ、と思っています(超流動的)。ヘボいパートタイムみたいな仕事あったらやらせてください。そんな甘くないでしょうけれど。
 日本ではソフトウェア開発者でした。使ったことないですが、学歴は結構あります。足のサイズは39です。

DSCN4185
夜の果物屋さん posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  カイロ  留学  食べ物  ショッピング  貧富の差 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. 隔離空間、「アムラー」で迫られる感じ、ムスハフ、エジプト人と寿司|2009/08/30(日) 20:46:45|
  2. エジプト留学日記

エジプトの靴、勇猛なる慈しみ、愛とツッコミとイスラーム

 また遅い起床。
 近所の靴屋さんで靴を買う。
 手元の靴が、日本から持ってきたボロボロのスニーカーとエジプトでの歩行に極めて不適格なパンプス、そしてこちらのスーパーで買ったビーチサンダルだけで、先日さんざん値切ってゲットした丁度良い靴がサイズが合わずに足が痛くなり、靴不足に苦しんでいたのです。
 スニーカーは元からボロかった上、こちらに来てすぐガムを踏んでしまい靴底が一部脱落。カイロの砂埃で見るも無残な状態です(洗っても無駄なのでもう洗わない)。サイズの合わない靴は、先生の奥さんにあげることにしました。
 ちなみに、わたしは足のサイズが25センチで、24.5を越えると途端に品揃えがなくなる日本の靴市場に苦しめられてきたのですが、エジプトでは、とりあえずサイズという点では困りません。ただしこれは「大きいサイズでも豊富に品揃えがある」という意味ではなく、単に小さいサイズも大きいサイズも同じくらい気まぐれにしかない、というだけです(でもざっと見るかぎり38くらいが一番よくある。またお金さえ出せばあるところには何でもあると思います)。そう言えば、近所の店で気に入った靴があり、試着してみたら左右でサイズが違った、ということがありました。
 最初に小さいサイズを買ってしまったのは、こちらでのサイズ基準を知らず「こんなもんやろ」とテキトーに手にしてしまったため。25センチなら39くらいがジャストです。
 ハイヒールが歩きにくいのは当然で、エジプトのボコボコの道ではほぼ使い物になりませんが、一方でペタンコ靴とかペラペラのサンダルだと、今度は足が砂埃やそこら中に落ちているゴミで汚れる上、ガラスなどが刺さりそうで怖いです。ヒールがあるけれど全体が厚底になったサンダルみたいな感じが、一番使い勝手が良いように思います。

 心身ともに状態が悪く、授業前半はボロボロ。
 断食離脱しようか考えています。
 イフタール後に大分復活するものの、やはり調子は上がらず。

 授業後、ブログを見てメールを下さったカイロ在住の女性とお会いする。
 具体的なことを書くわけにはいきませんが、本当にお世話になりました。かっちょいい車をこの混沌の極みのような街で乗りこなし、わたしにはまぶしいばかりです。
 また、心の中で抱えながら、「さすがに言っちゃったらヤバいよなぁ」と抑えていたエジプトやアラブについてのいくつかの思いを、ズバズバ口にして頂いて、胸がすきました(笑)。いや、余計な刺激はしたくないので、ここにも相変わらず書きませんが。
 「学習というのは自分が満足するためのものなんだから、理由なんてなくていい」と言ってもらえたのも嬉しかったです。わたしもまったくその通りに考えているのですが、学習動機を聞かれる度にわかりやすい回答を返せず、いつも悶々としていました。
 幼稚園児のようなワタクシですが、今後とも宜しくお願いいたします。

 なんとなく今日ぼんやり考えていたことをメモ。

 貧富の差が激しい世界では、貧しい人が惨めで気の毒なのはもちろんですが、一方で豊かな人々も「可哀想」だということ。なぜなら、彼らには貧者や弱者を「可哀想」と思う余裕がないからです。
 逆に言えば、極貧に喘ぐ人々を見て「可哀想」などと言えるのは、大抵の場合、自分自身は安全圏にいて、テレビの画面ごしに「哀れみ深く優しい自分」に酔っているだけだ、ということです。そういう人に限って、具体的には指一本動かさない。もちろん、そうではない真の「勇猛なる慈しみ」を備えた人物もいますが、大多数は違うでしょう。
 極貧がすぐ隣に存在する世界とは、一歩間違えたら自分がそちらに落ちるかもしれない、という世界であって、そうそう「可哀想」などと言っていられる余裕のあるものではありません。しかも、教育のない極貧の人々やストリートチルドレンは、ブラウン管越しに見る「可哀想」なイメージと相違し、ものすごいワイルドで獣なみに厄介です。足蹴にするくらいの勢いがなければ、こっちの身が危ないかもしれません。ここで慈しみを発揮できれば、本当の勇者だと思いますが、ほとんどの人は心身ともにそこまで強靭ではないでしょう。
 では、貧者への哀れみを口にし、貧困なき世界を夢想するのは、まったくの子供じみた戯言かというと、そういうわけではありません。確かに、それは「子供」な発想です。そして生きるためには「大人」の発想を身につけなければなりませんし、心で泣きながらでも人を蹴落として生き残るのが「大人」としての責任です。ただ、誰も「子供」のままで生きられないように、完全に「大人」にもならないし、なるべきではありません。そして残った「子供」を証し立てるのが、正に「子供じみた夢想」であって、その夢想だけで生きることはできませんが、まったく捨ててしまってもやはりダメなのです。
 まぁ、わたし個人について言えば、ボンボンリベラルの思想的影響下で育ってしまったこともあって、もうちょっと「大人」にならないと話にならないとは思いますが・・。

 もう一つ、イスラームについて。
 前にも書きましたが、わたしはイスラームに非常に惹かれる一方、生理的・直観的水準では、むしろ違和感の方が先に立っています。そして違和感があるからこそ、これと向き合い、感じたいと思っているのですが、逆に違和感をまったく喪失してしまったムスリムは、本当にイスラーム的と言えるのか、という素朴な疑問があります。
 平たく言えば、イスラームにまったくツッコミを入れられないムスリムは、真の意味でイスラーム的なのか、ということです。
 もちろん、それが信仰である以上、容易にツッコミが入れられるわけはないし、入れられてはならないのですが、その心理的抵抗にも関わらず、やはりツッコミ欲が沸き起こってこなければ、本当に神様と向き合うことにはならない気がします。ツッコミを入れて、そのツッコミを否定し、またついうっかりツッコんでしまって、という、迷いや試行錯誤があるからこそ、本当の愛でしょう。完全に固定化したものは、狂信であって信仰ではありません。愛とは、それ自身以外に根拠を持たず、ただ愛であることによってのみ愛たるものであり、それが故に、外部に固定点を有さず、常に疑いと背中合わせでなければなりません。
 わたしがイスラーム、というか神様というものについて言いたいことは、単にわたしが神様を信じていて、愛している、ということです。それを胸を張って言えれば、他はすべて二次的なことだと思っています(二次的なことがどうでもいい、という意味ではない)。
 「そんなものはイスラームではない」というなら、そうかもしれないし、それなら別にイスラームでなくても結構。わたしにはわたしのイスラームがあるし、どの道本当のことは神様しか知らないのですから、死んだ後で答えがわかれば満足です。

DSCN4790
子供と水とおっちゃん posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  カイロ  留学  イスラーム  文化  経済 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. エジプトの靴、勇猛なる慈しみ、愛とツッコミとイスラーム|2009/08/29(土) 02:03:01|
  2. エジプト留学日記

モロヘイヤとスッカルの歌、へつらいとお世辞、秩序なき秩序

 授業前に近くのスークをうろつく。衝動的に服を買ってしまう。ムスリマが着ている黒い服が欲しくて、お金もないのに購入してしまいました。半額まで値切ったけれど、元の値段が明らかにふっかけていたので、それでも安くはありません。アホです。

 最近、ナイルテレビのファミリーチャンネルをよく見ているのですが、この子供向け宗教番組が面白いです。子供向けでもアーンミーヤの番組がほとんどで、宗教番組ですら先生が「上品なアーンミーヤ」くらいの言語で喋っています。子供向けだからこそ、ゴリゴリのフスハーでは勉強にならないのかもしれません(大人向け宗教番組やニュース、時代ものはフスハーが多い)。
 でも、主題がみんな暗記するクルアーンの最後の方のスーラだったりすると、わたしも馴染みが深いし、易しく丁寧な言葉で喋ってくれるので、「上品なアーンミーヤ」の勉強に丁度良いです。

 授業中、何かでわたしが「スッカルスッカル」(お砂糖)と歌のように節をつけて呟いたら、先生が面白いことを教えてくれました。
 エジプトの女性は、ムルヒイヤ(モロヘイヤ)を似る時、「スッカルスッカル」と言うそうです。別にお砂糖は入っていないのですが、「美味しくできますように」というお料理ソングというか、特に意味はないけれど何となく口ずさむ習慣的なもののようです。

 今日はالنفاق(ニファーク、媚びへつらい)についての文章を読んでいたのですが、授業後に店員のハーニーがやって来て、この文章を眺めて、「نفاقニファークとمجاملةムジャーマラは何が違うのか」と言い出しました。
 مجاملةというのは「お世辞」みたいな意味ですが、ニファークがネガティヴな意味なのに対し、ムジャーマラは肯定的な概念です。
 ハーニー先生曰く「ムジャーマラは褒め言葉だが、本当にそこにあるものを褒める。例えば、妻の瞳が美しかったら、その瞳を称えるのは良いことだ。誰にでも良いところと悪いところがあるのだから、良いところを褒めなければならない。一方、ニファークは利己的な嘘であって、悪い結果しか生まない」。
 なるほど、良いことを言います。
 ハーニーは風貌的にもキャラ的にも学者っぽいところがあって、仲間内でよく「ウスターズ(教授)」と呼ばれています。

 エジプト人というと、大声で喋ってやたら女の子をひっかけてばかりいるようですが、ハーニーも先生も全然ナンパじゃないです。基本的にみんな人懐こいし、こんなに積極的に人が声をかけてくることが日本では絶対あり得ないので、そういう人ばかりに目が行ってしまって、ついエジプト人がみんなナンパでやたら人好きなように思ってしまいますが、落ち着いて眺めてみれば、全員が全員そんなキャラなわけではありません。
 毎日顔をあわせていても挨拶以外言葉を交わしたこともない人もいますし、「儀礼的無関心」を心得ている人も沢山います。
 日本と違うのは、キャラの幅が異様に広いこと、そしてどんなキャラの人がいても、余程でない限り難癖をつけたりネガティヴに評価したりしない、ということでしょうか。「ものすごい色んな人がいる」「他人のことはどうにもならない」という、良く言えば寛容さ、悪く言えば諦めみたいなものが定着しているように見えます。

 大分慣れてきたつもりでも、やっぱりエジプトの「先の見えなさ」は疲れます。計画とか秩序というものに基づいて行動するのが本当に難しいし、昨日言ったことが今日は変わっていたり、あらゆるものの変化が速く、ふれ幅が広く、かつ法則がありません。
 その代わり、前にも書きましたが、予定通りに行かなかったことに対してみんな異様に寛容ですし、行き当たりばったりに行動しても、行く先々で赤の他人が助けてくれます。
 そうは言っても、極めて秩序立った日本で長年暮らしてきたので、ストレスが貯まるのは事実です。
 今日、先生と少しこの話になり「秩序がないように見えても、本当は何か秩序があるはずだ。ただ、それが日本と違うから、わたしにはなかなか理解できないのだと思う」と言ったら、先生が「いや、秩序は本当にないよ」と笑います。「あるのはنظام ليس منظم(ニザーム・ライサ・ムナッザム)だけだ」。つまり「秩序立てられていない秩序ならある」ということですが、洒落た言い回しで気に入ってしまいました。
 別にエジプト人が秩序の重要性を認識していないわけではないし、大抵の人は計画も秩序も大事だと思っているようなのですが、現実問題としてあまりにもキャラの多様性が激しくて、そんなものに期待していても回らない、ということのようです。

 寝る前に例によって少し近所を散歩したら、「いつもこの辺歩いてるね」と、これまた例によってナンパされる。機嫌が良かったので少しだけ一緒に歩いたのですが、思い切り生活圏内なので、ちょっと近所を一回りする間に彼は十人くらいの人と挨拶したりハグしたりしていて、更に三、四回は携帯で喋っていました。ものすごい人間関係の濃さですが、同時に、その濃い人間関係まっただ中の自宅前でナンパする神経が尋常ではないです。

 彼は自家用車を持っていて「ドライブしよう」とか誘ってきたのですが(もちろん絶対乗らない)、そんな人がいるすぐ横で、物乞いをする女性やバクシーシをせがむストリート・チルドレンが生活しています。ベンツを乗り回している人がいる一方、路上で生活する子供たちがいて、何かに蝿がやたらたかっているなーと思ったら寝ているおじいちゃんだったりします。世界長者番付では、確か日本人トップより上にエジプト人が一人いたと思います(未確認)。
 この貧富の差は非常に深刻な問題だし、このところ「格差社会」など言われる日本など、まるで可愛いものです。
 平等というのは、本当に本当に大事なものです。一億総中流、素晴らしいじゃないですか。
 何から何まで同じというのはおかしいし、努力が報われないのも問題ですが、大きすぎる貧富の差は、それだけで社会の不安定要因になりますし、例え国全体としての競争力が多少落ちたとしても、自由を抑制して平等の実現を優先すべきだと、わたしは思っています。
 わたしたちを苦しめる貧しさというのは、絶対的な貧しさではなく、相対的な貧しさです。例え貧しくても、周りがみんな似たような調子なら、それほど苦にはなりません。
 日本に出稼ぎに来たバングラデシュの人が、日本人の浮かれた生活ぶりを目にして、次第に憎悪を募らせるようになった、と聞いたことがありますが、彼の貧しさは来日前でも一緒なわけで、日本で仕事をしているだけむしろ豊かになったはずです。ただ、今まで見たこともなかった裕福な暮らしを目の前にすることで、憎悪のチャンネルが開かれてしまうのです。
 平均点が少し下がっても、標準偏差の小さい社会の方が良い社会だと信じていますし、イスラームの教えにも合致すると思います。

DSCN4413
夜のショーウィンドウ posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  カイロ  留学  アラビア語  文化  経済 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. モロヘイヤとスッカルの歌、へつらいとお世辞、秩序なき秩序|2009/08/27(木) 17:57:02|
  2. エジプト留学日記

信仰強化月間ラマダーン

 ラマダーンというと「断食」のイメージばかりが強いですが、まず、「断食」というのは、食べないだけでなく水も飲めないし、タバコも吸えません(わたしはなんちゃって断食なので、身体がヤバそうな時は水はちょっと飲んでいます)。そして先生などに伺うと、「一番大切なのは、貧者に施しを与え、悪いことを口にしたり嘘をついたりしないこと」と仰います。嘘をついたり悪事を働くのは、別にラマダーンでなくてもいけないことだと思いますが・・。
 で、実際のところどうなのだろう、とブラブラ観察していると、はっきり言って別に普段と変わりありません。イスラーム地区(古いジャーミゥなどが集中しているエリア)では違うのかもしれませんが、普通の街中では相変わらずそこら中で怒鳴りあいをしているし、間断なくクラクションが鳴り響いているし、到底宗教的な静謐さは感じられません。特に夕暮れ時は、お腹が減ってイライラしているドライバーの猛烈な帰宅ラッシュで、普段より更に喧騒が激しくなっています。
 でも、キチンと礼拝してクルアーンを読む、というのは本当で、小さなマスジドは普段より絶対人が集まっている感じがするし、公共空間で礼拝している人の数も多いし、街の至るところでクルアーンをブツブツ読んでいる人がいます。「信仰強化月間」なのは間違いないでしょう。
 「交通安全週間」というのがあっても、その週以外はいくらスピード違反してもオッケーという意味ではないのと一緒で、信仰強化月間に嘘をついてはいけない、と言っても、ラマダーン以外は悪事三昧でも良し、ということではないのでしょう。

 お腹が減って喉が渇いている状態でクルアーンを読むというのは、本当に効果的だと思います。
 水が飲める「なんちゃって断食」なら、日本にいる時から数え切れないくらいやっていますが、血糖値が下がりまくってフラフラになってくると、うまく考えがまとまらなくなって、意識の統一を図るのに何か口ずさんでいる方が楽になります。
 視覚的で可逆的・象徴的な頭の使い方から、音声的・不可逆的で、リズムに依存した言語の使い方に一回戻る感じです。
 世界中に多くの「労働歌」がありますが、あれも辛い労働を何とか乗り切るためのリズム的な知恵でしょう。
 そんなものとクルアーンを一緒にしたらいけませんが、クルアーンの音声的な美しさは尋常ではなく、特に意識が朦朧としている状態で口ずさむと、脳の奥の方に届くような不思議な感触があります。断食には、物事の捉え方を一回プリミティヴな方向に戻して、そういう深部へのアクセスを容易にする効果があるようです。
 「それはカルト宗教の洗脳法と一緒ではないか」と言われると、生理的な原理としては、本当に大差ないと思います。要は使い方ですし、本人たちが良いと思ってやっているなら、それで結構ではないでしょうか。とりあえずわたしは不満ないです。

 イスラームについて、些細なことですが、最近ちょっとハッとしたことがあります。
 アラブの詩を勉強していて、「山がアッラーを称える」といった表現を目にした時です。
 雄大な山がある。その山に畏敬の念を抱くのは、多分世界中共通でしょう。
 ただ、プリミティヴな宗教感情では、この山自体が神格化されてしまう。日本に限らず、世界中の多くで、こうした発想は見られるでしょう。山を「神様」とまでは言わないものの、山そのものに対する畏敬の念が第一で、それがそのまま自然に対する敬意になっている。
 でも、イスラーム的に言えば、その偉大な山を創ったのもアッラーなのであり、偉大な山とは、その偉大さそのものによって、アッラーを称えているのです。
 この二つの状態の間には大きな飛躍があり、絶対抽象としての一者という、純粋に象徴的な次元が強く意識されなければ、この溝を飛び越えることはできません。
 山という具象、見るからに偉大な山を崇拝するのは自然ですが、そうした世界そのものの背後に一者を感じ、ただそこへ向かって帰依する、というのは、ぼんやりしていて獲得できる考え方ではありません。

 この飛躍には、多分二つの意味があります。
 一つは、「迷信」的なものの排除。「偶像崇拝の禁止」ですが、その意味するところは、目の前のイメージに惑わされたり、過大に評価してしまったり、また特定の人間を神格化してはならない、ということでしょう。山は偉大で、見るものを圧しますが、要は単に土が盛り上がっているだけで、拝んだからといって奇跡が起きるわけではありません。
 これは非常に重要なポイントで、偉いムスリムの先生が時々「イスラームは科学的」と言っているのは、こういう点を強調したいからでしょう(わたしはこの表現はインチキ臭いので嫌いです)。「科学的」という言い方はしたくないし、不適格だと思いますが、「変な迷信に惑わされるな」というか、ぶっちゃけ「落ち着けバカ、よく見てみろ」という、身も蓋もない段階が最初にある、とわたしは勝手に解釈しています。
 もう一つの意味というのは、「落ち着けバカ」と言われて落ち着いて見たら、ただの山だったり、太ったおっちゃんが頭に冠載せてえばっているだけだったり、すべてが平べったく平明に見えるわけですが、そこで「この世に特別なものなんて何もない、人生は無意味だ」という方向に落ちるのではなく、そういう何でもなさ、単に土が盛り上がってるだけだったり、その全体、世界があること自体が、神の偉大さを証明しているのであり、存在の全体が奇跡なのだ、という、一周回ってもう一度世界に畏敬の念を抱く、という段階に至るのではないかと思います。
 これだけ言ってしまうと、「それでは汎神論ではないか」と偉いセンセーからは怒られそうですが、この「一周回って世界そのものが奇跡」というのは、イスラームの考え方に一致しているはず、とわたしは信じています。

 でも、これだけだと影も形もハッキリしなくて、哲学的すぎて、一般大衆は着いて来られません。そして「普通が一番偉大」なのだとしたら、山ごもりして修行している人だけが神を感じられるのではダメなわけで、むしろ普通の暮らし、世俗的な生活の中で、この「存在の奇跡」が感じられないといけません。
 だから、一周回った後にさらに具象に降りてきて、今度は「普通の生活」の中に、具体的な宗教的な意味のネットワークが溶け込んでいきます。イスラームが結婚や遺産相続から商売の仕方まで関与し、また非常に具体的な礼拝手順などにこだわるのは、哲学的なお話なんて到底ついていけない人々に、「存在の奇跡」を感じるチャンネルを与えるためなのではないかと思います。

 以上、まったくの私見で、偉いセンセーのみならず普通のムスリムの方でも「そんなん全然ちゃうわ!」とお怒りの方がいらっしゃるかもしれませんが、世界の片隅で自分なりにイスラームを感じようとした末の妄言ということで、どうか勘弁してやってください。

DSCN4309
ガーマ・ムハンマド・アリー posted by (C)ほじょこ
にほんブログ村 海外生活ブログ エジプト情報へ
人気ブログランキングへ
エジプト  カイロ  留学  イスラーム  ラマダーン 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. 信仰強化月間ラマダーン|2009/08/27(木) 07:33:32|
  2. エジプト留学雑記
次のページ

スポンサードリンク

ランキング

最新記事

カテゴリ

エジプト留学日記 (127)
エジプト留学雑記 (43)
アレキサンドリアの旅 (1)
シナイ半島の旅 (6)
ルクソール・アスワーンの旅 (7)
新聞・メディア (123)
留学まとめ (8)
試論・雑記 (9)
未分類 (0)

月別アーカイブ

サイト内検索

アラブ・イスラームおすすめ本

アラビア語の教科書

エジプトの写真

タグ

エジプト カイロ 新聞 留学 アラビア語 アーンミーヤ イスラーム 食べ物 文化 動物 日本 サッカー 日本語 エルバラダイ 治安 選挙 医療 イスラエル 交通 政治 恋愛 観光 男女 フスハー アルジェリア ラマダーン ルクソール アメリカ IT ガザ地区 英語 学校 映画 クルアーン パレスチナ アムル・ムーサー 大統領 社会 経済 中国 ニカーブ 精神医療 労働 シャルム・ッシェーフ アパート エルサレム ドイツ ナイル川 豚インフルエンザ 物価 テロ スポーツ ビーチリゾート 病気 ダハブ 音楽 生活 ナイル 写真 ホテル イード・ル=アドハー 衛星放送 ハマース ガス 勉強法 辞書 教科書  シナイ半島 信仰 小説 気候 買い物 エジプト航空 長距離バス アスワーン マシュラバ コプト インドネシア カリカチュア ロシア ロバ 貧困 停電 身体障害者 アニメ バス ネット 自殺 トルゴマーン トゥクトゥク 電話 洗濯機 風邪 記法 カタル アバーヤ ロボット  ケニア ザマーレク ラムスィース エレベータ 電車 環境問題 アラーゥ・アル=アスワーニー トルコ イギリス ユダヤ フェミニズム ムスリム同胞団 ミウザナ ラクダ 男女関係 乞食 インフラ 大学 クウェート マルワ・イル=シャルビーニー イラン ダンス 大統領選 法律 衛生 キリスト教 サウジアラビア お酒 水道 洪水 教材 遺跡 Google マクハー スウェーデン ジョーク タウフィーク・アル=ハキーム 古代エジプト 子供 喧騒 スイス オールドカイロ コカコーラ 賄賂 モガンマア ビザ 自動車 ヘブライ語 イントネーション ジェスチャー 原爆 シリア トンデモ アル=フサリー 陰謀説 排外主義 ピラミッド タンターウィ コシャリ スーパー 商業 ダム イスラーム主義 看板  教師 イスラーム地区 エチオピア コンゴ google 動物園 タヒーナ 携帯電話 ダウンタウン 倫理 メトロ リスク 大気汚染 グローバリズム スーフィー 孤児   オーストラリア ムハンマド・へニーディ グラスボート ハリーグ・ッナアマ 煙草 オールドマーケット ベドウィン 礼拝 イフタール シャルム・イッシェーフ ナイトクラブ 護身 短剣 貧富の差 パピルス 否定文 ショッピング 砂糖 ヘルワーン 化粧品 お土産 アレキサンドリア アルジャジーラ子供チャンネル 仕事 CM 言語 アルアファーシー  服装  書籍 正書法 ラファフ サファリパーク 民主主義 長者番付 道徳 寛容 家族制度 開発 アーシューラー サッカーラ 名誉殺人 ウルフィー 家父長制 人口爆発 性犯罪 イスラームヘイト ヒジャーブ キファーヤ カイロ大学 セクハラ  ファイスブック  臓器売買 EU 憲法 表記 ウサーマ・ビン=ラーディン 大統領選挙 ガーダ・アブドゥルアール ナギーブ・マフフーズ カタカナ ナンパ タイ クリスマス 汚職 健康保険 西岸 行政 麻薬 スーダン 農業 イブラーヒーム ムバーラク 憲法改正 シャルム・ッ=シェイフ 訃報 タンターウィー エネルギー アズハル 少子高齢化  試験 飛行機 豪雨 日本人 スンナ 天皇陛下 ファルド アスワンハイダム ユースフ・アル=カルダーウィー 清掃 リビア 道路 拷問 CIA 人権 ウクライナ 痴漢 アル=アファーシー 風刺漫画 ユダヤ教 湾岸 おしん サマータイム ウナギ文 ヒズブッラー 日本語教育 リンゴ セイフティネット  地域社会 電化製品 UAE   戦争 軍隊 徴兵制 ファストフード 接客 ストリート アザーン 陰謀 建築 翻訳 北朝鮮 歌詞 ヒシャーム・アッバース  エジポップ 字幕 ワールドカップ カルナック フルーカ 方言 安宿 断食 休暇 下水 王家の谷 王妃の谷 アイデンティティ ターハー・フサイン バックパッカー 砂漠 ハトシェプスト女王葬祭殿 メムノンの巨像 漫画 マアラ イラク フランス アラブ諸国 巡礼 オバマ オペラ 発音 イメージ シーフード  人生 文学  老人 書店 結婚式 

検索フォーム

RSSリンクの表示

プロフィール

ほじょこ

Author:ほじょこ
アラビア語修行にエジプト留学して帰国。翻訳やっています。お問い合わせは下のフォームから御気軽に。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。