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アーシューラーの断食、フェミニストのムスリマ

 土曜日。
 駅前のスークでイチゴを買う。1キロ3.5ポンド(70円以下)。スーパーだともう少し高いですが、いずれにせよ物凄い安さです。
 日本のイチゴのように粒は揃っていないし、痛んでいるものも混ざっていますし、味も甘いものから酸っぱいものまで、当たり外れがありますが、まったく問題ありません。
 というか、イチゴに限らず、「日本製品」全般について思うのですが、高品質なものを手に入れられるのは結構なのですが、高品質なもの「だけ」しかなくて、高いお金を払わざるを得ない、というのが納得いきません。質の高いものが高いのは当然ですが、安くて質の悪いものも一緒に置いて欲しいものです。

 日曜日。
 授業の後、しばらく図書館で自習し、それからNちゃんの家に遊びに行く。
 いつもの待ち合わせ場所から、自力で歩いて行こうとしたところ、記憶も覚束ない上、例によってトゥクトゥクとマイクロバスが飛び交いバカが次々と変なことを言ってくるしんどい道で、精神的にかなりダメダメになる。さらにNちゃんと行き違いになり、超バッドな状態で会ってしまう。
 彼女の部屋に行き、喋っているうちに大分治ってくる。ごめんよ。
 「通りでブラブラしている若者や、遊んでいる子供は、全員ダメな人たちだ。やることがなくて、道で溜まっているので、ちょっと珍しいものを見たり女の子が通ると、暇つぶしに囃し立てて来る。原因の一つは失業だ。若者の行き場がない。彼らは知識人ではないし、知識人は子供を道で遊ばせたりしない。わたしも道を歩く時は、ただじっと足元を見て、何も見ない、何も聞かないようにしている」。
 ずっと年下の子に、こんなに整然と慰められる、というかたしなめられて、ちょっと恥ずかしかったです。
 それにしても、エジプトの知識人階級の若者は、普通の大学生でも非常に流暢に論理を展開し、政治・社会問題についても分析的な目を持っています。また、大人しいNちゃんでも、信仰の話になると立て板に水のように語ることができ、素晴らしい能力です。わたしも負けないようにしないと。
 「足元だけ見て、何も見ない、何も聞かない」と、カイロの道では即効車にはねられる可能性がかなり高いのですが、エジプト人は余裕でヘッドホンをしながら歩いたりしています。わたしも大分慣れてきて、普段は常時サングラスで視線を合わさず早足で歩いていますが(通りを渡る時も、下手に車に対してビビると負けるので、平気な顔で突っ切る)、流石に東京のような「完全閉鎖モード」では歩けません。物理ダメージをかわすセンスが十分磨かれて、はじめて精神バリアを使えるようになります。

 Nちゃんが断食している。アーシューラー(ムハッラム十日、初期イスラーム集団の断食潔斎の日)だったからですが、スンナ派ではほとんどの人はアーシューラーは普通に過ごしています。彼女はかなり敬虔な部類に入ります。
 日没前になんだかデラックスなご飯を出してくれてしまったのですが、彼女が断食しているのにわたしだけ食べられません。エジプト的には、一人が食べずに他の人が食べている、という風景は全然珍しくなく、別に失礼ではないようなのですが、気持ち的にどうしてもできません。別に飢えてもいなかったので、一緒に日没まで待ちました。
 ちなみに、断食明けは一般に大食いしないものですが、それにしても彼女は、ちょっとしか食べていませんでした。彼女はエジプト人にしては珍しく、スリムでとてもスタイルが良いのですが、普段から自制的な食事を心がけているのかもしれません。素晴らしい。
 体型的にも、顔付き的にも(色白)、性格的にも(大人しい)、日本人とあうタイプの子で、これが日本好きの結果なのか、逆にこういう性格だから日本が好きになったのか、ちょっと気になります。
 彼女とは「ジズルと漢字ってちょっと似てるよね!」等の、日本語とアラビア語を両方知らないと分からないニッチな話題を共有できるので、非常に楽しいです。会話はほとんどアラビア語で、最初の頃は外国人と話慣れていない彼女の言葉に苦労していたのですが、大分シンクロ率が上がってきました。

 彼女は日本人と友達になりたがっていて、ネット上での交流もあるようで、「日本人ムスリムのグループを見つけた」等と嬉しそうに語ります。
 「でも、普通の日本人が相手の時は、最初からイスラームの話題を喋りすぎない方がいいよ。日本人のほとんどは、そういうことに慣れていないし、ムタタッリファ(過激ムスリマ)だと思われてしまうかもしれない。まず、普通の話題から入って、時々イスラームのことを話し、でも話しすぎないようにおさせるくらいが丁度良いよ」と、老婆心ながらアドバイス。
 この辺の感覚は、逆にエジプト人にはなかなかつかめないようです。
 ネット越しだと、ただでさえも誤解が生じ易いのに、言語や文化的環境の違いから、変な誤解を受けてしまわないか、心配です。

 この日、電話で彼女が言った台詞から、يرن(ユリン、未完了三人称単数)という俗語を覚える。
 「電話をかけるが、相手が出る前に切る」「ワン切りする」くらいの意味で、文字通り「リン」から来ています。「わたしがリンした」なら「リンニートゥ」。
 電話代を節約するために「着いたよ」とかの単純メッセージを伝えるのに使われる他、日本同様「かけて」という意味にもなるそうです。

 彼女が日本人観光客の出迎えバイトをするそうで、この場面で使う日本語表現をいくつか質問されました。何か教えるたびに「これは丁寧な表現?」と確認していて、日本語における敬語表現の重要性を良く理解しています。
 「聞き取れなかった時に、『すいません、英語で話してください』と言ったら、怒られますか」と聞かれたので、「誰も怒らないけれど、英語も話せない日本人は多いよ」と応えます。
 彼女は苦笑いして「英語を喋れる日本人も沢山いるけれど、カタカナ・イングリッシュですね」と言います。よくわかっています(笑)。多分彼女なら、普通のエジプト人より「日本人英語」をうまく聞き取ってくれると思いますが。

 月曜日。
 長丁場授業。合間にフェミニズムとイスラームについてF女史とちょっと話す。フェミそのものも、反イスラームなフェミもどうでもいいけれど、ムタダイイナ(宗教熱心)でかつ教養あるフェミニストのムスリマというのも希少ながら存在して、その立場だけが非常に気になります。この狭いゾーンにいる人だけ、心を開いて本当に面白い話ができるような気がします。
 ムタダイニーン(宗教熱心な人たち)とムタタッリフィーン(過激派)は違うのですが、時にその違いが危うくなる上、日本のように全般に宗教色の薄い国の人には理解されにくく、この点をもっとアピールし伝えなければならない、と主張すると、強く同意して貰えました。いやほんと、これ大事です。

 彼女の中にも色々相克があるようで、自分の中の矛盾とも戦っているようです。しかし、わたしとしては、そういう矛盾を抱えているからこそ真の信仰なのであり、そういう姿をもっとイスラーム圏の外の人に知ってもらいたい、と感じてしまいます。
 彼女は大抵薄化粧をしているのですが(エジプトでよくある超ケバいメイクではない)「化粧は本当はハラームだ」と言います。「クルアーンに明示されているわけではないが、人目を引くのは良くないことだ」。
 それはわたしもわかっているのですが、一番重要なのは「やたら男性の目を引くような格好をしないで普通にせよ」ということであって、化粧なら即ハラームだ、というのは言いすぎではないか、と反論(擁護?)します。
 「あまり解釈を進ませると何でもアリになってしまっていけないが、大切なのは『奇抜になりすぎるな』ということのはずだ。化粧一つでも、どんな化粧かで違う。エジプトでは膝下のスカートでも目立つし、ハラームだが、日本ならまったく普通で、別にハラームとは言えないと思う(もちろんミニスカートはハラームだ!)。信仰の根本は変化してはならないが、末端は常に変化し、土地の風習にあわせて考えるべきではないか。要はTPOを守れ、ということでしょう」。
 そう言うと、F女史が「なるほど」と一定の賛意を示してくれます。
 「極端な話、エジプトではヒジャーブは義務だが、日本ではむしろハラームかもしれない。なぜなら、日本でムスリマがヒジャーブをすることは、かえって衆目を引く効果を発してしまうからだ」。
 これは極論ですが、常日頃から考えていたことで、こうして率直に話せる知的なムスリマ(でかつフェミニスト)と知り合えたことは、大変ラッキーです。彼女もうなって考えていました。
 形式を粗末にし、やたら根本に返って解釈し直すことは、信仰を形骸化させる第一歩ですから、慎重になる必要はありますが、末節にこだわるばかりでも本末転倒です。これはバランスの難しいところです。
 ただ強調したいのは、何度も言っているように、ある形式を「義務」と信じて厳密に守っているムスリム(またはムスリマ)であっても、他の信仰者がその形式を軽視していたからといって、非難したり侮蔑するようなことはほとんどない、ということです。この距離感を理解するのは、日本からだと難しく、わたしも常に気を使っていますが、社会の絶妙なバランス感覚だと思います。

 夜、久しぶりに大家さんのファトマがやってくる。下水工事に関する相談。
 ファトマは相変わらず気をつかって、フスハーとアーンミーヤが混ざった謎のファトマ語で喋ってくれるのですが、気がつくと彼女の言葉も100%聞き取れるし、こっちもまったくストレスなくアーンミーヤで喋っています。
 もちろん、ちょっと慣れない話題になったり、慣れない相手になると(そう、相手を知っているかどうかが重要!)、未だに非常に苦労するのですが、まぁなんとかこの程度のところまで来ることはできました。
 もっと勉強しないと・・・。

 火曜日。
 朝出かけようとすると、部屋の前が緊迫した情勢に。

階段の猫1
階段の猫1 posted by (C)ほじょこ

階段の猫2
階段の猫2 posted by (C)ほじょこ

 朝の授業時、F女史の体調が何だか悪そうだったのですが、その後自習し夕方の授業を待っていたところで、体調不良でキャンセルという連絡が。
 翌日も授業がなくなってしまったので、Nちゃんと一緒に勉強する約束をする。
 F女史の体調が心配。最近非常に忙しかったし、その一因はわたしにあるので、気になります。
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  1. アーシューラーの断食、フェミニストのムスリマ|2009/12/30(水) 17:26:11|
  2. エジプト留学日記

気遣いの違い、聖俗分離の危うさ

 土曜日。
 話の流れで、日本とエジプトにおける「気遣い」の違いが話題になる。
 エジプト人はとにかくおせっかいで、常に人を助けるチャンスを狙っています。頼んでもいないのに「何か問題ない?」「困ったことがあったらいつでも電話してよ!」とやる気満々です。
 そして、うっかり「ちょっと体調が悪い」などと口にしようものなら、次から次にお見舞いコールがかかってきて、寝ている暇もありません(笑)。
 日本にも「声をかけてあげる親切」というのはありますが、同時に「放っておいてあげる親切」も尊重されます。逆にエジプトにだって、「他人に構いすぎるな」という発想がないわけではないのですが、比率として、圧倒的に「介入派」です。
 これが時に鬱陶しい、という話をしたところ、F先生は「それは面白い」と乗ってくれて、「確かに、エジプトでは、こちらから声をかけないと不親切ということになる」と言います。
 「わたし個人は、放っておかれても何も感じない。でも、以前に秘書の子が一日だけ体調を崩して休んだのだけれど、次の日学校に来たら、とても悲しそうにしていた。誰からも電話がかかってこなかったのがショックだったらしい。エジプトでは、確かにそういう時は、積極的に声をかけた方が良い」。
 あぁ、ついていけない・・・。

 F女史に教えてもらった隠れ家的お勉強スペースで勉強。静かで本が沢山あって、天国のよう。

 日曜日。
 ルクソールでお会いしたAさんを尋ねて某ホテルを襲撃するも、既に別のホテルに移った後。代わり?に噂に聞いていた若い日本人留学生さんとお話する。超かわいらしくて心配になる。なんかドキドキしました(笑)。

 月曜日。
 二ラウンドの長丁場授業。図書館で、普通のエジプト人にアーンミーヤについての質問に答えて貰う。
 アーンミーヤについても大量に質問が溜まっているのですが、授業は今読んでいるフスハーのテクストで一杯一杯で、全然質問する時間がありません。時間がもったいないので、基本的に自習ですべてこなし、分からないところだけ矢継ぎ早に質問しているのですが、それでも全然時間が足りない。

 火曜日。
 ご飯を奢ってもらってしまう。
 四五年連絡を取っていなかったオランダ在住の友人が電話をかけてくれる。感動。ちなみに時差は一時間。ヨーロッパは近いですね。
 オランダはビザが厳しいらしく、彼女が突然「日本もEUだったらいいのに!」と物凄いことを言い出す。トルコだってなかなか入れないのに、無茶言うたらあかんがな。
 でも本当に、日本がもう少し近かったら、往復も簡単だし時差も少ないし、とても楽しいのですけれどね。
 そんなことを考えて電話を切った後、彼女以上の妄想を閃きました。
 日本とイスラエルをかえっこしましょうよ。
 何せ神国ですから、シオニストに進呈する約束の地として不足はないでしょう(断言)。で、パレスチナ人に土地を返して、残ったちっこいところにぎゅうぎゅうにみんなで住みましょう。日本人の狭さ耐性と素晴らしい秩序形成能力をもってすれば、なんとかなります。みんな宗教とかテキトーだし、愛想だけは良いから、パレスチナ人ともあんまり喧嘩しない。お上品だから、トルコの次くらいには見事EU加盟。沖には海底油田があるって説もあるし、ウハウハですぜ。
 ネタです、一応。

 水曜日。
 夜にとうとうAさんと再会。延々とカフェでダベる。
 今後のこととか、イロコイ話とか、超楽しかったです。
 彼女は世界中旅している旅プロで、カイロ引きこもりなわたしと違って、本当に色んなことを知っています。
 「キリスト教圏の国は治安が悪い」と言うので、「アメリカやヨーロッパのキリスト教徒なんて名前だけだし、キリスト教じゃなくて近代化の問題でしょ」と返したら、興味深いポイントを指摘されました。
 「中南米の国のほとんどはキリスト教で、かつ未だ伝統色が強く、信仰も根強い。にも関わらず、犯罪は非常に多く、治安が悪い」。
 中南米というのは、まったく視野の中にありませんでした。

 ことを宗教に還元してしまうのは大変危険ですし、彼女もわたしもそんな還元を本気で信じてはまったくいません。ですから、まったく根拠薄弱な連想にすぎませんが、キリスト教圏に一般的に見られる「信仰と世俗の分離」には、以前から疑問があります。
 「信仰と世俗の分離」というと、多くの日本人はむしろポジティヴにとらえるでしょうし、政教分離に反対しようとか、神権国家を翼賛しようという気はありません。政治体制というより、大衆に共有される思想的基盤について考えています。つまり、「政教分離」ではなく「聖俗分離」のことです。
 思想的基盤として「信仰と世俗の分離」は、世俗のところで悪どい真似をしても、信仰の世界に行って懺悔すれば許される、というようなイージーな「宗教の使い方」に堕ちてしまう危険を孕んでいます(もちろん、まともなキリスト者にそんなアホはいないでしょうが、どんな国のどんな宗教も、大半は「あんまりお上品ではない信仰者」が占めている)。
 ごめんで済んだら警察要りません。
 イスラームは社会の隅々まで介入しようとする傾向があり、「信仰の世界と世俗の世界」という二分的発想が非常に希薄です。わたしとしては、戦争にすらコミットしようとするイスラームの「天網恢恢」な勢いを大変肯定的にとらえています。ストリートを監視できないような弱い神様は要りません。神様なんだから、戦場でも売春宿でも、至るところに介入して当然です。そして、良い行いと悪い行いがある以上、許す専門ではなく罰する力もあるのは至って自然なことでしょう。許す専門の神様なんて、都合の良いゴミ捨て場にされるのが関の山です。
 世の中には、許されることと許されないことがある。
 この身も蓋もないことを粛々と実行しているのがイスラームで、大変地に足がついているのですが、一方で「宗教」というものに日本人の多くが期待する性質とは一致しない、というのもよく理解できます。全然「超越的」ではありませんから(一部のスーフィズムやイスラーム哲学を除く)。
 少なからぬ日本人の抱くであろう反感に対し、別に反論しようという気はありません。本音を言えば、直観的には、むしろそちらの「分離型」の発想の方がしっくりくるくらいで、わたしのイスラームへの接近は、直観に抗いザラザラしたところを無理に進むところから始まっています。人一倍「超越的」な信仰世界に惹かれながら、それを信仰の枠内で地に繋ぎ止める、という運動が、イスラームへわたしを招いていったようにも思いますが、これはまったく個人的なお話。
 繰り返しますが、この話は茶飲み話の流れで出てきた思いつきであって、本気で宗教に還元し説明するような思想には反対です。また、仮に相関性があったとしても、因果性があるのかは怪しいですし、またこの性質が教義に由来するのか、単なる相関的な社会的属性に由来するのかもおぼつきません。
 ただ、一般にキリスト教圏の方が治安が悪く、イスラーム圏が全般に治安がよろしい、というのは、単純に事実でしょう。特に「中東」というと、日本では物騒なイメージが強いですが、実際のところは、ほとんどの地域(都市部)は非常に安全です。ニューヨークなんかの方が遥かに危ないでしょう。
 シオニストがいなければもっと安全なんですがね(笑)。

 木曜日。
 休憩を挟みつつ六時間一対一授業。疲れが気持ちよい。
 F女史と一緒にメトロで帰る。メトロの車内にある表示が、あちこちスペルミスしているのが話題になる。
 エジプト人(アラビア語話者)にとっては問題ない「ミス」なのはわかるし、わたしでも読めるわけですが、正確なフスハーの文法から言うと「間違っ」ている表記というのは、あちこちに見られます。まぁ、日本語だって、おっちゃんの書いた張り紙なんて怪しいものですが・・・。

 相変わらずネットが丸一日二日くらい余裕で落ちますが、完全に慣れてしまいました。
 「次ネットがつながったらこれやろう、これ調べよう」というメモを、忘れないように書いています。お買い物みたいで楽しいです。

らくだのモニカ
らくだのモニカ posted by (C)ほじょこ
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  1. 気遣いの違い、聖俗分離の危うさ|2009/12/28(月) 03:53:16|
  2. エジプト留学日記

ヨロピコ、二種類の寛容

 土曜日。
 エレベータで一緒になったおっちゃんが、何の前触れもなく「お前はパキスタン人か? インド人か? イタリア人か? 韓国人か?」と話しかけてくる。
 中国以外の国籍を四つも畳み掛けられたのは初めてですが、その四つにおよそ一貫性がありません。少なくともイタリア人じゃないやろ、普通に見て。
 「に、日本だけど・・」と答えたら、「そうか、日本か! はっはっはーっ」と豪快に笑い、鼻歌を歌いながらエレベータを降りて行きました。

 日曜日。
 某日本関係施設の図書館で勉強していたところ、一人のエジプト人男性が、大変礼儀正しい日本語で話しかけてきました。
「すいません、質問してもよろしいでしょうか」
「え、あ、はい、どうぞ」
「『ヨロピコ』というのは、どういう意味ですか?」
「よ、ヨロピコ!? それはどういう文脈で・・・あ、アニメの中ですか?」
「はい、そうです」
 一応「『ヨロピコ』とは『よろしく』のことだが、ふざけた言い方であり、アニメの中では許されるが、使わない方が良い」と説明しておきました。男性は満足したようで、小声で「ヨロピコ、ヨロピコ・・」と呟きながら席へ帰っていきました。
 まぁ、アニメでも何でも、祖国について興味を持って貰えたら大変光栄なんですけれどね・・・。
 あなたたちの文学やら古典やら理解するために七転八倒し、大変お世話になっているのに、わたしが役に立てるのは『ヨロピコ』の意味を教えるくらいですか。日本って一体・・・。
 これからもヨロピコね、親愛なるエジプト市民。

 月曜日。
 「日本でガマール(ムバーラク大統領の次男)がガマル(ラクダ)と呼ばれている」という話をF女史にしたところ、大爆笑される。「ガマルと言われたらガマールも怒るよね」。
 出来すぎた話なので、新手のヌクタ(笑い話)として広まってくれたら面白いです。

 火曜日。
 約6時間一対一の授業を受け、5時間くらいは図書館で自習。
 時間がない。時間が欲しい。ああ、もっと勉強していたい。
 ヘロヘロになったところで小難しい古典など読んでも、一行読むのに四苦八苦なのですが(別にヘロヘロじゃなくても大変だけど)、そのわからなさと格闘しながら交わしている会話は、まったく無意識で、丁度この「ヒーヒーなんか言ってる」くらいが、正味の実力なんじゃないか、とふと考える。
 日本に戻って、家も全部引き払って、もう一度戻ってきてひたすら勉強したい、とかなり本気で考える。でも正直、勉強以外のことでは、すごく住みたいとは思わないですけれどね。

 水曜日。
 勉強は順調なものの、また道でかなりバッドな体験があり、もう道路に飛び出して死のうかと思ったけれど、たまたま柵があって面倒くさいからやめました。
 でも、直後にF女史が話に乗ってくれて、かなり救われる。
 傷つけるのも人間だし、救うのも人間。
 そんなのは世界中どこでも同じだけれど、この異様に人間臭濃い街では、どちらの強度も東京の比じゃないです。

 「都会は人間が冷たい」というのは、ある程度普遍的に当てはまる傾向でしょう。
 人が沢山密集すれば、接近しすぎないような機制が働く、というのが第一。そして、都会というのは、田舎者の集まりなわけであって、この「故郷を捨てた田舎者」は、都会においては共同体的な根を一度失っている。程度の差こそあれ、都会というのは、人間を一度根っこから引き抜いてしまうものであり、人に対して良くも悪くも距離ができる、というのはあるでしょう(だから「都会の貧乏は悲惨」)。

 で、カイロも東京も同じく大都会なわけですが、人の質は全然違います。カイロだってエジプトの田舎とは違うわけだけれど、密集しているのに尚ねっちゃりぬっとり絡みつくような人間関係が生きています。
 それは多分、エジプトの社会が、トッド風に言えば「内婚制共同体家族」をベースにしているからであって、要するに大家族主義なわけです。核家族的、もしくは直系家族的であれば、都会に出れば横のつながりはできにくいです。直系家族なら都会と田舎の直のパイプというのは残るかもしれないけれど、新たなネットワークというのはあまり広がりません。
 でも、大家族主義の場合、数世代のうちにまた「大きな家族」が再構築されることもあるし、それ以前に家族ごとドーンと移動してくるケースが多い。だから、都会と言っても、それほど「ねっとり感」が軽減せず、みんながそれに慣れているので、依然として凄まじい人懐っこさを発揮してくるわけです。
 それに救われることもあるし、傷つけられることもある。要するに普通の家族と一緒で、この街は一つの「家族」なのです。

 トッドで思い出しましたが、移民問題解決の唯一の方法は、「フランス式」、つまり粒状にしてバラバラにして混ぜて同化する、という方向だけだと言います。つまり「多分化主義」では解決しない。
 これにはまったく同意で、「多分化主義」のその単位となる「文化」をどう決めるのか、権力が「文化」を区切れるのか、という問題がまずあるし、無理に区切っても「文化」間の壁が厚くなるだけです。
 ガンガン外婚して、混ぜちゃうしかない。
 日本のような直系家族主義も、移民とうまくやるのはとても難しい。混ざらないから。

 で、エジプトのような共同体家族の場合、やってくる者には、確かにある意味「寛容」です。
 ですが、寛容の種類というのが違って、彼らの寛容とは、バラバラで距離を置いて粒状に混ざっているのではなく、共同体の中に取り込んでしまう懐の深さなのです。巨大な家族の中の一成員にすぎないから、多少変でも消化しちゃう寛容。これは、新しい家族が入ってきて、お隣に住むのとは違います。寛容だけれど、もう取り込まれているから、勝手なことは許されないし、放っておいてくれない。
 ビジネスの場も公共空間も全部「共同体的」「家族的」だから、ビジネスライクな「合理性」は到底望めない。その代わり、「秩序なき秩序」があらゆるところで介入し、結果的に「そこそこ」な安定には達します。

 で、こういう大家族システムが、核家族システムや直系家族システムと対峙した時どうなるかといえば、大家族は「家族的寛容」を持ってはいるのだけれど、本当に家族の外だと判断した時には、全然寛容ではなくなります。核家族は優しくないけれど、家族の外との「そこそこ」のお付き合いには慣れている。彼らはそれが彼らなりの「寛容」だと思っている。ここで二つの寛容がぶつかるわけです。
 この辺が、エジプト人(というよりムスリム)が、昨今のヨーロッパにおける「不寛容」に怒ったり、一部の欧米人がイスラームを「不寛容」だと考えてしまう根の一つのように思われます(イスラームとアラブをごっちゃにしちゃいけませんが、大家族主義はイスラームと親和性が高い)。

 思い出すのは、「長男のわがままと次男のわがまま」というお話です。
 みんなで食事に行くのに、一人だけ違うものを食べたい人がいたとします。
 長男は「じゃあ、俺は寿司食べに行くから、みんなは焼肉楽しんできてよ」と言う。次男は「なんで焼肉やねん! 寿司行こうよ!」と言う。
 どっちもわがままなのですが、わがままの種類が違う。
 大家族主義は、次男的にわがまま。核家族は長男的にわがまま。
 二種類の寛容と、二種類のわがまま。
 それで、「うちは寛容なのに、アンタなんて融通きかないんや!」という果てしない小競り合いが延々続くことになるわけです。

 この解法として「お互いのやり方を知り尊重する」というのが、教科書的にあがってくるでしょうが、それはあくまで「多分化主義」的視点であって、結局のところ同化はしません。別の国なら無理に同化しなくたってもちろんOKなのですが、少なくとも問題は解決はしていない。ただ、小競り合いを抑制したり、先送りしているだけです。
 先送りで上等だし、千年くらいこの調子で先送りしたら良いと思うのですが、もし本当に「混ぜちゃおう」としたら、その混ぜ方自体が異なっているので、容易にはいきません。チープなグローバリズムもコスモポリタリズムも、ぬかるみにハマってにっちもさっちもいかなくなるわけです。

 「多文化主義」は移民の解法としては有効ではないけれど、この場合、「真の解法」がかなり絶望的なので、先送りだけでしのいでいくしかないのかもしれません。ベストじゃないソリューションを声高に叫ぶのは気が重いのですが、逆に、ここで言う「真の解法」こそが幻想にすぎない、とも言えます。
 多分、真の解法なんてない。グローバリズムは嘘っぱち。
 昨今、世界各地でナショナリズムが盛り上がったり右傾化が進んでいるのには、一理あります。もちろん、手放しで賛成などしないけれど、極右よりもボンボンリベラルやグローバリゼーションの方が遥かに危険で、看過できません。
 だから敢えて、「その場しのぎ」の案を押し、千年くらい騙し騙しやっていこうよ、と言ってみます。ツケは回すためにある。回せ回せ。

 何でこんな話になったんでしたっけ?
 そうそう、しんどいことがあったのよね。
 それで、F女史とお喋りして忘れたわけだけれど、ここでこうやって話がズレていって、何の話かわからなくなるのも、「お喋り療法」と似ていますね。忘れた忘れた。
 忘れたことは忘れたから忘れておきます。

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ルクソールの女の子 posted by (C)ほじょこ
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  1. ヨロピコ、二種類の寛容|2009/12/18(金) 06:16:52|
  2. エジプト留学日記

埃っぽく怒りっぽい一週間

 旅から帰り、また単調な生活に戻っています。

 水曜日に夜行列車でルクソールから帰って、少し休んで授業に行ったものの、この日はかなりグッタリ。
 その晩爆睡したものの、翌木曜日になっても疲れとロバから落ちたダメージが抜け切らず、授業後図書館に行っても今ひとつ集中できません。
 早めに帰ったら、夕方からの日本語クラスに出るNちゃんと、近所の駅前でバッタリ会いました(家がご近所さん)。Nちゃんは、長身スレンダーな美人さんだけれど、おっとりした性格で、他の友達といると常に背景にフェイドアウトしてしまうタイプ。そういう地味なところに勝手に好感を持っています。「びっくり!」と日本語で言われて、二度びっくり(笑)。
 彼女はどうも日本のアニメが好きなようなのですが、わたしの方が詳しくなくて着いていけません。日本のアニメファンの男の子は、エジプトに来ればこんな可愛い子にモテモテかもしれませんよ!
 早めに帰って寝て、また爆睡したところ、いつもは起きないファジュルのアザーンで目を覚ましました。もちろん二度寝(すいません)。
 この金曜日の休日は、近所に買い物を行った以外、ほとんど一日中部屋で勉強したり翻訳したりゴロゴロしたりして過ごす。
 旅から帰った直後には動いていたネットが、丸三日くらい落ちていて、旅行記の続きがアップできないし、せっかく部屋にいるのに遊べないし(それが良かったかもしれませんが・・)、少しイライラしました。こういう時のために、読み応えのあるwebページやpdfをいくつかダウンロードしてあります。

 土曜日から再起動。いい加減体力も完全回復しました(ネットは夕方まで回復せず)。
 時間を増やした授業も順調にこなす。
 普段の土曜日は閉まっている某日本関係施設の図書館が、日本語検定直前ということで開いていたので、便乗して行ってみると、NちゃんとSちゃんにまたバッタリ。
 一緒の机で勉強していたSさんとも友達になり、勉強している脇から次から次に日本語のことを質問され、図書館で喋るわけにもいかず、外に出て臨時教師になります。
 でも、説明しているうちにこっちもアラビア語の勉強になり、お互い益がありました。「○○のくせに」という表現を説明するのに難儀しました。「○○にも関わらず」ということなのですが、それだけでなく、非難するような調子が込められている、ということを伝えないといけません。
 日本語検定二級のテキストを見せてもらいましたが、書き言葉でしか使わない洒落た表現も沢山入っていて、かなりレベルが高いです。その割に普通の会話がまだまだスムーズではないですが、丁度日本人が凝った英語表現を知っている割に会話がたどたどしいのと一緒なのでしょう。

 メトロで一緒に帰宅。
 車内でルクソールで撮った写真を見せている時、子供のロバをجحشというと教えてもらう。カイロ方言の発音だと「ガヘシュ」くらいの感じ。ガヘシュ超かわいい!

 Nちゃんと家のそばまで歩いている時、車に乗った若者連中がこっちをジロジロみて、例によってはやし立ててきます。
 ムカついて車をガンガン蹴飛ばし「降りろ! 殺す!」とか怒鳴ってしまってから、Nちゃんが一緒なのを思い出して「やり過ぎた」と思ったのですが、大人しいNちゃんも味方してくれて怒ってくれ、最終的には運転手の男が謝りました。
 Nちゃんが「ごめん」と謝りますが、もちろん彼女には1ミリも罪はないし、「全然平気! いつもだから!」と笑います。物静かなNちゃんですが、「ああいう時は怒った方がいい、あれくらい言って当然」と、流石エジプト女!というところを見せてくれます。
 こういうことがある度に(毎日だけど)、つくづくエジプトがイヤになりますが、同時に彼女のようなエジプト人や、数は少ないですが男でもマトモなのをいることを思い出して、エジプト人が嫌いにならないように努めています。ああいうアホな若者は世界中どこでもいるし、滅多に暴力行為等に発展しないだけ、エジプト(イスラーム圏全般)はかなりマシな方だと思いますが・・・(それを考えると、日本の若者のお上品度はすごい)。いやほんと、女友達がいなかったら、エジプト全否定しているところです。
 次にエジプトに来る時は、催涙ガス辺りの中間距離で使える武器を持ってきます。殺傷能力が高すぎてもマズいし、手元の愛用武器は射程が短いのであんまり役に立ちません。爆竹とか殺虫スプレーとかも良いと思います。うっかり大怪我させても、走って逃げたらこの国なら逃げ切れる気がします(非推奨)。

 学校や図書館といった閉鎖空間は平和なのですが、とにかく通りを歩くのが一苦労です。息を止めて「ハッ!」と突っ切るような気合が要ります。
 部屋の中ではにこやかだった女の子が、外に出た途端「防御モード」に切り替わるので、別に外人だけの問題ではないようです。
 「何事も起きない」って最高です。

 ちなみに、一緒に歩いている時、後ろから来たトゥクトゥクに軽く接触されました。カイロの道で他人と喋りながら歩くと、注意が散漫になり結構危険です。横に並んで歩くだけで危ないのですが、「騒音の中で外国語で話す」のにかなり集中力を取られてしまっているので、お喋りも命がけです。
 この日一緒だったSさんも「こないだ事故に遭った」と言っていたし、ほぼ毎日事故現場に出くわします。
 「突き飛ばす」くらいのダメージで済んだ場合は、車の側には「事故った」という意識すらありません。しかも大きく避けると面白がってわざと突っ込んでくるので、チキンレースだと思ってこっちから突っ込むくらいが安全だったりします。
 カイロの交通は本当に頭がおかしいです。

 念のためですが、カイロの交通を憂えているのはエジプト人も一緒で、彼らがこのままで良いと思っているわけではありません。
 公共交通網を整備し、車検や関税などのプレッシャーで自家用車数を制限すべきだと思いますが(カイロを走っている車の99%は日本の車検を通らないはずw)、それ以前に交通放棄を厳格化し適用するだけで、かなりの改善が見込めるはずです。
 この話題は、エジプト人との間で話し飽きました・・・。

 日曜日の授業で、古典テクストの抜粋を読んでいたのですが、短い文章なのに物凄い難しくて、七転八倒する。
 休憩の時にF女史に「これはエジプト人にとっても難しいよね?」と救いを求めると、「うん、難しい。古いフスハーは本当に難しいよ。全然違うよ」と言ってくれる。
 彼女は、福音書のアラビア語訳を貰ったことがあるそうですが、難しくて全然分からず、英訳を買ったそうです。「英語の方がずっと簡単だよ」と言うエジプト人。
 「昔の人は本当にこんな言葉で喋ってたのかな? 絶対違うと思うよ。一般大衆は、アーンミーヤみたいの使ってたに決まってる!」と言うと、ちゃんと笑ってくれました。ギリギリな話題かな?と思ったら、別に普通にネタとして通りました。
 ちなみに、福音書アラビア語版はわたしもちらっとだけ読んだことがあるのですが、エジプト人も投げ出したと聞いてちょっと安心しました(笑)。でもメチャクチャかっこいいですよ。

 月曜日の授業で、少し蝿のことを話す。
 エジプトの蝿の多さを恐れて蝿取り紙を持参したものの(エジプトでも買えます)、幸い我が家にはほとんど蝿が出ず、かつ自分の方がすっかり蝿に適応してしまって、何も感じなくなった、という話。
 F女史によると「アメリカ人は蝿に敏感」。本当かどうかわかりませんが、アメリカも蝿が少なくて慣れていないのかもしれませんね。
 鬱陶しいけど、別に実害もないので、慣れたら放置モードです。

 図書館のお手洗いに行ったら、何人かの女性が窓の外を見て騒いでいるので、何かと思ったら天気雨でした。
 雨自体あまり降らないので、天気雨が珍しいようです。
 一人の女の子が「写真撮りたい(サウワル)」と言ったら、横で興味なさそうに煙草を吸っていたオバチャンが「石鹸(サーブーン)欲しい?」と聞き違えて「石鹸ちゃうよ!」とツッコまれていて面白かったです。関西人なら「サしか合ってないやんけ!」と畳み掛けるところです。

 雨と言えば、一ヶ月くらい前からテレビが映りません。
 アンテナの向きがズレたんじゃないか、と思っていたのですが、ルクソールOASISでYさんと話していて、「雨のせいだ!」と気付きました。
 この国では、雨が降ると一斉に色々なものが壊れます。あらゆるものが晴天以外想定しないで出来ているので、電気配線系などは見事にイカレます。アスファルトの上の砂が濡れて滑りやすくなり、さらに皆ツルツルのタイヤで走っているので、いつもより更に交通事故が頻発します。
 東京で大雪が降った時みたいです。

 火曜日、カイロでイスラーム法を学ぶインドネシア人のOちゃんとチャットになる。
 某SNSの普及率があまりに高くて、気が進まないまま入ったら、チャットの機能なんかもあって、面白いやら煩わしいやら(笑)。
 共通言語は英語とアラビア語で、彼女はちょっとだけ日本語もできるのですが、ミックスで始まって結局英語に落ちちゃいますね(笑)。タイピングが楽だし。
 エジプト人は「チャットアラビック」というラテン文字表記の簡易アラビア語のようなものを操るのですが、わたしはなかなかついていけません。ラテン文字で書かれると、パッと見た時の直観的理解が阻まれるように感じるのですが、それはわたしがまだまだ書記に頼っているからかもしれません。日本人的。
 彼女は家族でカイロに住んでいて、イスラーム法を学んでいるのもお父様のご意向とのこと。「最近ペルシャ猫飼ってる」とか言うので、インドネシアの富豪お嬢様かもしれません。
 ちなみに「欲しかったら一匹あげる」と言うのを、「猫はアパートに沢山いるよ、wildなやつが!」とお断りしました(笑)。

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  1. 埃っぽく怒りっぽい一週間|2009/12/09(水) 05:22:07|
  2. エジプト留学日記

日本人と宗教、タヒーナの思い出

 F先生の授業で、「日本の文化について何か文章を書いてきて」と宿題を出され、真面目に用意してあったのですが、ノートを忘れて、結局口頭で全部話すことになりました。
 「文化って、ざっくりしすぎやろ」と思ったのですが、手始めにちょっと重いですが宗教ネタから入ってみることにしました。
 こんなお話です。
 ある作家が、「日本人の80%は仏教徒で、70%が神道の信者だ」と書き、それを読んだアメリカ人が「この作家は簡単な百分率も知らないのか」と驚いたそうです。
 F先生も「え?」と驚いて、面白いくらいツカミにかかってくれます。こういう時のエジプト人は、めちゃくちゃ素直に大袈裟なリアクションを返してくれるので、トーク冥利に尽きます。
 日本人なら、別に驚きはしないでしょう。同じ人間が、「ある時は仏教の寺院に行き、ある時は神社に行く」のは、日本ではよくあることですから。
 しかし、エジプト人でムスリマの彼女にとっては、やはり相当奇異なことのようで「一体どういうことなの??」と、非常に素直に疑問を持ってくれます。
 ここから先はわたし個人の考えですが、ほとんどの日本人には、دين(ディーン、信仰)というものはないし、日本における仏教や神道も、多くの場合は「ディーン」ではない、と思っています。
 もちろん、日本人に信仰の名に値するものがまったく存在しない、というわけではありません。でもその「信仰」は、少なくともアラビア語話者が「ディーン」と言って想定するような性質のものではないし、「日本人の主なディーンは何だ」と問われて、正直に答えようとするなら、ここから話し始めないといけないでしょう(でも面倒なので普通はそこまで話さないw)。
 「もちろん、一部の信仰熱心な人は違う。彼らはスーフィーのような存在で、仏教のスーフィーなら、髪を剃って寺院で暮らし、普通の仕事はせず、信仰が彼の職業であるかのように生活する。一方で、それ以外の日本人は、宗教は『スーフィー』のやることで、自分には関係ないと思っている。多くのムスリムとはまったく異なる」「日本人の大多数が寺院や神社に行くのは、キレイな建物を見たり慣習に倣ったりしているだけだ。時には、自分がいるのが仏教寺院なのか神社なのか認識していないことすらある」。
 「それは、一人のエジプト人が、時にガーマに行き、時に教会に行くようなもの?」と先生は笑っています。そんなことはもちろん、エジプトでは絶対にあり得ません。
 「そうだけれど、彼らの意識は違う。一部の信仰熱心な人以外にとって、寺院も神社も別に信仰の場ではない。年始には多くの日本人が神社に行くけれど、誰も理由など考えていない。単にみんなが行くから自分も行くだけだ」「仏教の寺院に行き、神社に行けば、神様がもっと沢山になって得だ、という考え方もある」と、面白おかしく語ったら、大爆笑してもらえて楽しかったです。

 ちなみに「仏教のスーフィー」というのは変な言い回しですが、以前にS先生が語っていた内容によると、「スーフィズムالتصوفというのはイスラームに限ったものではない、あらゆる信仰にスーフィズムがあり得る」とのことなので、言って言えないことはないのかもしれません(もちろん、ここでは説明の便宜上そう言っただけ)。

 これくらいまくし立てたところで、F先生がふと「あなたは本当に変わっているねぇ」と言います。
 「え、変?」と聞き返すと、「変な日本人」。
 「沢山の日本人学生に会ったけれど、皆ニコニコしているだけあまり喋らない。『わかった?』と聞いてもナアムとかアイワしか言わない。あなたはめちゃくちゃ喋るし、身振りもエジプト人みたいで、何でもハッキリ言う。全然違う」。
 「日本人は一般にあまり沢山喋らないし、日本でははっきりものを言うのは好まれない。特に否定的なことは、かなり遠まわしに言うのが普通だ。わたしのような人間は、『良くない日本人』だ」
 そう言うと、本当にストレートに「確かに『良くない日本人』だね。あははは」と返されてしまいました。
 超直情径行で口と手と足が常に脳みそに先行する性格が、人生で初めてプラスに働いているようです。エジプトに住みたい・・・。
 「人によるけれど、一般に日本人は『言わないでも通じる』ということを重んじる。言わないとわからない人は嫌われる。確かに、言葉抜きで理解できれば素晴らしいし、ずっと一緒に住んだりしていれば、そういうこともできるだろう。でも、特に違う環境で育った人と話す時は、まず何でも言葉にしないといけない、とわたし個人は考えている。『わたしは理解した』と言いたいなら、単に『はい』『わかった』とか言うだけでは不十分だ。『あなたの考えはこういうことだ』と説明できなければならないし、『この点にわたしは同意するが、ここは考えが違う、わたしの考えはこうだ』と言えて、初めて『理解した』ことになる。表現できなかった結果、悪いことが起こったら、それは表現できない人間が悪い。沢山表現すれば、時には争いになるが、むしろ争った方がいい。わたしは喧嘩のない世界は嫌いだ。そういう考え方の日本人は、ダメな日本人だけれど、わたしはわたしなので、別に気にしていない」
 そうまくし立てると、とりあえず「表現は義務」ということには同意して貰えました。他はダメだったかもしれません(笑)。
 もちろん、ヘボヘボのアラビア語で表現と言えるほどの表現ができているかどうかはかなり怪しいのですが、とにかく常に「何か喋って」はいるので、感情の迸りだけは伝わっているでしょう。

 気になったので、「他の国の人はどう? 中国人は?」と尋ねてみると、「一番喋らないのは日本人。次が韓国人かな。中国人は、結構喋るし自己主張する」とのことです。そういうことなら、これからはシーニーと呼ばれても歓迎することにします。いいよもう、中国人で。ニーハオ。毎日パンダ食べてるよ。
 わたし個人は、「ちょっとエジプト人で、ちょっと西洋人で、とにかく変わっている」そうです。全員キャラ立ちすぎのエジプト人に変人呼ばわりされて、大変光栄です。これからも毎日喧嘩して生きていきます。押忍。

 ちなみに、肝心の言語的なことについて「何が問題?」と尋ねると、「正しい文法で沢山喋るのは良いけれど、フスハーとアーンミーヤがいつもグチャグチャに混ざっている」と指摘されました。すいません。頑張ります。押忍。
 もうちょっと人の話を聞かないといけないですね。まくしたてた後に、F先生が静かに正しいアラビア語でまとめてくれると、あまりの美しいまとめ方に、ポケーッとしてきます。特にフスハーだと、惚れ惚れするくらいです(フスハーの綺麗な人は無条件に尊敬)。子供が大人を見上げているようですが、ボケッとしていないで、表現を盗まないといけません。あんな風にかっこよく喋りたい!

 確かに沢山喋ってはいるのですが、「言いたいこと」が言えているかというと、そこはおぼつきません。大抵は「言いたいこと」がまとまる前に喋っているので、深く考えていませんが、難しいことを言おうとすると、語彙が足りなかったりしてちゃんと表現できないので、そういう時は、多少意図と違っても、知ってる範囲で言葉をつなぐようにしています(この「苦し紛れでつい違うことを言ってしまう」のは、慣れない外国語を話している時に万国共通で見られる現象だそうです)。また、少ない言葉で抽象的にバシッと言おうとすると難しいので、ちょっと言葉に詰まりそうになったら、速攻でネタを地に落として、具体的な例を次々まくし立てることで誤魔化しています。
 例えば、「三交代制の工場で働いている友人」とかバシッと言いたいのに言えない時は、「工場で友達が働いている。その工場は、例えばムハンマドが九時から五時まで働いて、次にアフマドが来て働いて、アフマドが終わるとマフムードが来て働く。マフムードが帰る時に、ムハンマドが来る。三人の人間が違う時間に働く。一人の人間は、時々働く時間が変わる。その工場で、友達が働いている。その友達が・・」とか、めちゃくちゃ幼児レベルで話しています。
 こういうのは、トークの場をつなぐ上では有効なのですが、いつまで経ってもレベルの低い似たような会話しかできないので、もっと語彙を身に付け、ちょっと話につまっても高級な言い回しを使う努力をしないといけないかもしれません。

 今、ふと気づきましたが、この「とりあえず何か言っちゃう」性質は、エジプト人が間違った道を教えてしまう時と似ているかもしれませんね。「ここまで来て何も言わずに帰れるかっ」みたいな。わたしは間違った道でもとりあえず教えちゃうエジプト人と一緒です。あかんやん!

 今日は料理のレシピのような文章も読んだのですが、こういうのは結構難しいです。まず、その分野の語彙がキチンとないといけませんが、食材や調理法といったものは、知っていれば簡単だけれど知らないと永遠に意味不明、ということになります。スパイスの名前とか、さっぱりわかりません。先生も「難しい」と言っていました。
 そこでふと、初めてタヒーナ(ゴマのペースト)を食べた時のことを思い出して、先生に話しました。
 エジプト好きな人でタヒーナを知らない人はいないと思うのですが、わたしは当初エジプトそのものには別に興味もなく、遺跡も食べ物もまったく知識がありませんでした。
 マタアムで、サラダの欄のところに「タヒーナ」と書かれていたので、「サラダの仲間だろう」とは思ったのですが、何やらさっぱりわかりません。店員さんに「タヒーナって何?」と聞いたら、「タヒーナは・・・タヒーナだよ、タヒーナ。お前タヒーナ知らないのか!? タヒーナだよ!」と、ただひたすら「タヒーナ」という言葉を繰り返すだけで、何の解決にもなりません。
 食べればわかるだろうと思い、「よくわかんないけど、そのタヒーナくれ」と言ったら、ちゃんとタヒーナが出てきました。店員さんは「これがタヒーナだ」と、なぜか滅茶苦茶誇らしげです。
 でも、「サラダのところに書いてあったから、きっと野菜の一種だろう」と思っていたら、全然想定外の姿形をしていらっしゃいます。見た目からは原料の想像もつきません。
 普通、タヒーナというのはエーシ(パン)につけて食べるものなのですが、この時はタヒーナの存在も知らないくらいなので、食べ方すらわかりません。
 「スープみたいなもの?」とスプーンですくって食べるのですが、そういう食べ方をして美味しいものではありません。店員さんが横で大爆笑しています。
 食べ終わっても、まだタヒーナが何なのかわからず、単にエジプト人のウケがとれただけでした。
 でもこうして話のタネになったし、またエジプト人を笑わせることができたので、得な経験でした。

 能天気なことばかり書いたので、最後にちょっと真面目なことを書くと、やっぱり女一人でどこにでも歩いていくのは、褒められたことではないようです。彼女は最近、写真を撮ってもらうために夜に一人でお化粧して出かけたそうですが、男の人にジロジロ見られたそうです。
 夜といっても八時くらいですが、「夜、女が一人で化粧して歩いている」だけでも、奇異なことのようです。ちょっとションボリします。うち、強い子やから、悪いヤツが来ても自分でやっつけるっちゅうねん。
 というか、一体誰と歩けっちゅうねん・・・。

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  1. 日本人と宗教、タヒーナの思い出|2009/10/16(金) 08:47:14|
  2. エジプト留学日記

エジプトのフェミニスト、ドイツ、コシャリの名門アブー・ターレク

 近況をざっくりメモ。

 F先生の授業は、今週はほとんどフスハー。様々な新聞記事を素材にした文章を読み、討論したり、練習問題などをこなしています。
 彼女との授業は、フスハーの授業でも二人の会話はフスハーだったりアーンミーヤだったり一貫していません。「フスハーをひたすら鍛えたい!」という人にはお勧めしませんが、こういうコードの使い分けは、エジプト人の間では非常に一般的なことなので、わたしもフスハーの文章を読み上げて、顔をあげて先生と話す時はアーンミーヤにシフトしています(でもまだ使い分けが下手で、フスハーとごっちゃになっていることが多いw)。
 普通のエジプト人と一緒に新聞などを読んでいても、新聞を小声で読み上げる時はフスハーで、その後しばらくフスハーが続いた後、いつの間にかアーンミーヤに戻っている、ということがよくあります。「これどういう意味?」等と尋ねると、大抵のエジプト人はアーンミーヤに言い換えようとするので、最初の頃は「それ余計わからん!」と思っていたのですが、段々そのノリにも適応してきました。

 ふと気づくと、F先生の授業では、ほとんどわたしが喋っています。対して、S先生の授業は、聞く時間の方が遥かに長い。男性と女性の違いが大きい気がします。

 「日本語に語根みたいのはある?」と聞かれて、ホイ来た!と常々感じている漢字の意味が拡張していく感じと語根概念が似ていることを熱く語ります。
 アラブ人は、フスハーについて語る時に「すべてに意味がある」ということをよく口にし、わたしもそこが大好きなのですが、日本や中国の使っている文字もまた、「すべてに意味がある」と言えます。もちろん、現在ではほとんどが元の意味を失っているのですが、そういう「言語そのもの基底に埋め込まれた記憶」について考えていると、うっとりとして時間が止まったような気持ちになります。

 女性の社会進出についての文章を読み、この件について二人で議論したのですが、非常に面白かったです。彼女もわたしの意見に興味があったようで、事前に作文が宿題で出されていたのですが、概ね考え方が一致して安心しました。
 彼女は、何せ自分が働いているくらいなので、女性の就労には肯定的で、イスラームとも矛盾しない、と考えています。女性を家の閉じ込めようとするのは「反動だ」と言い、نوال السعداوي(Nawal El Saadawi)というエジプト人フェミニストのことも教えて貰いました。彼女については、嫌っているエジプト人(特に男性w)が多いそうです。
 もちろん、社会を急激に変える危険についても、よく認識しています。わたしも、闇雲に女性を解放すれば良いとは思っていないし、女性の教育や独立が人口爆発の抑制に効果的だとは思っても、現在の日本の少子化などを眺めていると、うまくコントロールしないと別の新しい問題の種になるだけだな、と常々考えています。まぁ、専業主婦という存在に憎悪を抱いてはいますが、それはただの私怨なので横に置いておきます(笑)。
 彼女の友人に、大学卒業まで一年を残す状態で結婚した人がいて、旦那さんの猛反発で、結局学業を断念することになったそうです。こういうことは、エジプトでは珍しくありません。「あと一年なのに、どうかしてるんじゃないのか。もし旦那さんが病気にでもなったら、彼女が働かざるを得なくなるかもしれないし、その時は学歴がものを言うかもしれないじゃないか」と二人で憤慨しました。彼女は三人の子宝に恵まれたものの、彼の家族との関係がうまくいかず、幸せとは言えないようです。

 Dさんに紹介されたUさんと、度々一緒に勉強しています。
 ドイツ関連某施設の図書館を利用していているのですが、とても清潔で静かなところで、日本人のわたしもパスポート一つで入れて貰えて、ドイツ大好きになりそうです。職員の方も非常にフレンドリー。
 Uさんは、これまで出会ったエジプト人の中で、最も礼儀正しく勉強熱心で、清潔感溢れる好青年です。時間や予定もしっかり管理するし、生真面目で控えめなので、エジプト社会では生きづらいんじゃないか、と心配になるくらいです。図書館で紹介してくれる彼の友達も、全員言葉遣いがキレイです。
 彼の友人が文化間のノンバーバルコミュニケーション比較についてのディスカッションのことを話していて「やっと話が合いそうな人たちがいた」と思いました。街のエジプト人とのあまりの違いに愕然とします(笑)。
 場所が場所だけに、周りのエジプト人はみんなドイツ語がペラペラですが、英語はできる人とできない人がいます。Uさんは英語もできますが、その友達はサッパリでした。もちろん、こっちも意地になってアラビア語で喋ります。
 「君は日本語と英語が喋れて、今はアラビア語を勉強していて、それだけ?」と言われ、ションボリします。それだけでも苦労してるんだよ! アンタら多言語マスターすぎ!

 彼とはまだ会話量が少なく、こちらの言語能力が十分に伝わっていないこともあって、しばしば「ここに何て書いてあったか、説明してみて」「今僕のいったことわかってる? 説明できる?」と問われます。
 「わかってますよ!」を伝えるためには、ここで素早く適切に言い換えや例示をしないといけないのですが、これは以前に「良い語学教師の要件」として挙げたのと同じパフォーマンスです。
 「良い語学教師」は、自分で言い換えや例示ができるだけでなく、適切なタイミングで学生にもそれを要求しないといけないでしょう。彼は教師でもないのに、頻繁にプレッシャーを与えてくれて、しんどいながらも非常に助かっています。
 ちょっと口ごもったりすると「いや、まだわかっていないな。わかっていないだろう? つまりこれはね・・」と更に難しい話に進展していったりするので、間髪入れずに答えないと、体力を温存できません(笑)。

 豚インフルエンザ問題でも、Uさんの見解はF先生同様に冷静で、気持ちが落ち着きます。「豚インフルエンザはもちろん危険だが、こんなに騒ぐほどのことじゃない。他にも危険なんて沢山ある。本当の政治的問題から目を逸らすための、政府のキャンペーンにすぎない」。
 日本で覆い隠されているのは何でしょうか。本気で豚だの鳥だの騒いでいる人たちが多いのだろうし、状況はエジプトより深刻だと思いますが。地球温暖化キャンペーン然り。

 今のところ、ほとんどアラビア語を教えてもらっているだけですが、彼が読んでいる英語の文章を一緒に読んで、英語で議論することもあります。速読力では、依然英語とアラビア語にかなりの開きがあって、ちょっと焦ります。
 Uさんはドイツ語はペラペラだけれど、英語にはまだ自信がないようです。といっても、もちろん普通の会話ではまったく困らないレベルです。ビジネス英語になると、語彙が不足していたりして、一緒に英文を読んでみると、会話は非常に上手なのに、意外と基本的なボキャブラリーが欠けていたりします。エジプト人らしいです。
 文法についても、時々「アラビア語話者らしい間違い」をしていて、興味深いです。前置詞だけで関係性を示す名詞文みたいな英語を使う、等です。
 彼らの助けもあって、大分アーンミーヤ高速トークにもしがみついていけるようになってきました。こっちはなかなかスムーズに喋れませんし、完全に聞き取れているわけでは全くないのですが、場を白けさせない程度には、何とかついて行っています。非常に体力を消耗するので、三時間も話し込んでいると、別れた後立ちくらみがしそうです(笑)。

 彼と彼の友人と喋っていると、アラビア語と英語に加えてドイツ語が混ざるので、めちゃくちゃ言語混成です。ドイツ語になるとまったく一言もわからないので、蚊帳の外になってしまいます。
 ドイツ人が混ざると、日本人とドイツ人がアラビア語で話す、というレアな状況が出来上がります。

 いつも新聞を買っている売店で、「お前は外国人じゃないのか? エジプト人か? アラビア語が上手だな」と言われて、すごく嬉しかったです。彼とはほとんど会話していなくて、かつ新聞を毎日買っているので、勝手にアラビア語が上手だと勘違いされただけなのですが、「エジプト人か?」と言われるのは、お世辞でも幸せです。
 顔は全然違うと思いますが、いっそ顔が似ているのでもいいです。エジプト人可愛いし!

 新聞記事の見出しに、
الفيروس يواصل الزحف على المدارس
 という表現がありました。「ウィルス、学校への進軍を続行」ということです。
 زحفは、辞書で引くと「這うこと、進軍、行軍」といった訳が載っていて、「進軍」という言い方は軍隊用語かな、と思うのですが、軍隊用語のうち一般人でも知っているようなものは、このように比喩表現として使われることがよくあります。
 以前に単語集で勉強していた時、軍隊用語で日本語でも意味のわからない単語が沢山あって「いつ使うねん!」と思ったのですが、一部の単語は軍事・メディア関係者以外にとっても重要です。

 コシャリの名門、アブー・ターレクを初めて訪れる。

アブー・ターレクのコシャリ
アブー・ターレクのコシャリ posted by (C)ほじょこ

 コシャリそのものが好きではないので、近くを通ったついでに「有名だし、一回食べてみるか」と寄っただけなのですが、まず、店内が広いのに驚き。
 加えて、コシャリ小で5ポンド。
 気になる味の方ですが、別に普通のコシャリだと思いますけれどね・・。
 まぁ、コシャリが好きではない味オンチの言うことなので流して頂いた方が良いですが、とりあえずわたしはコシャリに5ポンド出す気にはなれないです。

 以前に、エジプト日本人界の有名人丸山さんが、四谷にできたコシャリ屋を批判する文章の中で、「本当に貧しいエジプト人は、コシャリも食べていない。政府の援助があるパンを食べる」といったことを書かれていたのですが、まったくその通りだと思います。5ポンドだって、貧しいエジプト人の一食にしては、ちょっと高いです。
 エーシなら1ポンドだし、適当に野菜を煮込んだスープと一緒に食べれば、コシャリなんかより安くて栄養があって美味しいものが食べられます。
 というか、その辺のテイクアウェイの店でターメイヤのサンドウィッチでも頼めば、もっと安く済みますよね。ターメイヤも個人的には好きになれないし、やっぱりなんといっても豆!を推したいですが(ターメイヤも原料豆ですが、コロッケなので、安い店の油がかなりキツイ)。

 漫画家の永井豪さんの講演会情報を見かける。

エジプトの永井豪
エジプトの永井豪 posted by (C)ほじょこ

 マジンガーZなどが放送されていたそうですが、もう大分前のことで、エジプト人との会話の中で話題にされたことはありません。
 「おしん」も有名ですが、これも流行したのは大昔で、話題になったのは二回くらいだけです。「ウシーン」みたいに発音するので、最初は何のことかと思いました。

 最近、大分涼しくなってきました。もう夏の格好だと、朝夕は肌寒いです。
 「服を何とか調達しないと」と思うのですが、街で眺めても、今のところ秋冬っぽいものはあまり見かけません。セーターとかコートとかは、いつ頃出回るのでしょうか。何となく、エジプト女子は夏でも冬でも同じような格好で乗り切っているような気がして、このままでは凍え死ぬんじゃないか、と不安です(笑)。
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  1. エジプトのフェミニスト、ドイツ、コシャリの名門アブー・ターレク|2009/10/15(木) 15:36:37|
  2. エジプト留学日記

良いアラビア語教師の探し方、語学教師は水商売に似ている説

 最近ふと、語学教師は水商売にちょっと似ていないか、と思いました。
 語学教師と言っても、例えば日本でアラビア語を教えているエジプト人、というのは該当しません。また日本人のアラビア語教師も違います(他の言語でも同様)。
 ここで言っているのは、エジプト人がエジプトでアラビア語を教える、あるいは日本人が日本で日本語を教える、というような場合です。

 日本人が日本で日本語教師をする状況を想像すればわかるでしょうが、ただ単に「アラビア語が喋れます」というだけなら、その辺のエジプト人でもみんな喋れるわけです。そんな渋谷で拾ってきた兄ちゃんに日本語を教えさせるようなことをされて、お金を払う道理はありません。
 アラビア語の場合「フスハーがキチンと喋れて読み書きがしっかりしている」という明示的要件があるので、渋谷の兄ちゃんほど悲惨なことはないでしょうが、とにかくアーンミーヤを喋るだけなら誰でもできます。
 変な先生につかまれば、水商売の女の子が店外デートを渋るように、枠を区切って「あなたの為に時間を割いているのよ」というだけになってしまいます。尤も、良い先生だとしても時間を区切らないと商売になりませんから、どこか水商売的要素はありますし、そのこと自体は悪いことではありません。「専用の時間を決めて、親切に説明してもらう」ことには、それだけで値打ちがあります。決して、語学の先生の価値を貶めよう、というのではありません。

 ただ、エジプトで生活し、ほとんどアーンミーヤとはいえアラビア語を喋る人たちに囲まれながら、なおかつ学校に通っていると、「良いアラビア語教師とは何のか」について思いを巡らさずにいられません(実際、お金を払う授業時間は最初の頃に比べ大分減らし、良い友人との時間や独習に割く時間が増えている)。
 特に初心者には、良い先生を見分けること自体が難しい、という問題があります。
 中国武術には「三年かけて良師を探せ」という教えがありますが、ある先生が「これは嘘だ!」と批判していました。「初心者にはそもそも良師を見分ける目が備わっていない。そんな状態では、三年かかっても良師には出会えないだろう。まず何でもいいから、一年でも二年でもやってみろ。良師を探すのはそれからでも遅くない」。
 語学について言えば、初歩の初歩については、日本人なら日本人の先生に教わるとか、日本語で書かれた本で勉強するといったプロセスが、合理的だと思います。「良師」を求めるのはそれからで遅くありません。この段階をクリアしないでネイティヴに教わっても、基本の理解にやたら時間が取られるだけで、お金の無駄です。わたしは日本人に教わった経験は一度もありませんが、幸いこのレベルは日本でクリアしていました。

 わたしの考える「アラブ人の良いアラビア語教師」とは、次のような人です。

 まず、当たり前ですが、キチンとしたフスハーを使いこなせること。別にクルアーンの先生であったりする必要はありません。基準としては、「カジュアルな話題をスムーズにフスハーで話せるか」というのが有効だと思っています。聞き取りや新聞を読む程度ならほとんどのエジプト人にできますし、「一応喋れます」というレベルも普通ですが、あたかもアーンミーヤであるかのように砕けた調子でフスハーを喋れて、かつ間違えない、という人は限られています。このレベルに達している人は、必ずフスハーについての深い理解があると思います。「硬い話題」ではなく「カジュアルな話題」というところがポイントです。
 逆に、フスハーについてのものすごい深い教養を持っている必要はありません。外国人学習者が必要とするのは、そんな高度なものではなく、むしろ基本的なことのわかりやすい説明です。万葉集について語れなくても、日本語教師としての資質にはまったく問題ないでしょう。

 次に、「アラビア語をアラビア語で説明できる」「適切な例文を当意即妙に作れる」「アラビア語の類義語・対義語を列挙できる」ということです。語学能力というより、機転が利くかどうかです。英語に翻訳できても、ちっとも偉くありません。そんなことなら辞書でもできます。外国人にストンと落ちる例文を作るのは、誰にでもできることではありません。
 「英語ができるかどうか」を基準にする人もいるかもしれませんが、個人的には全然必要ないと思います。むしろ一切英語は使いたくないです。
 大抵のエジプト人はほとんどの日本人よりは英語が上手なので(少なくとも上手だと当人は思っている)、そもそもこんな心配はあまり要りませんが、下手に英語が達者だと、やたら英語に言い換えて説明が終わった気になってしまう恐れがあります。「当該言語の中での相対的位置付け」を身体化できなければ、学習の意味がありません。
 もちろん、超初心者の場合は英語で説明してもらう必要があるでしょうが、そのレベルは独学なり日本での学習なりでクリアしておいた方が良いです。

 もう一つ、エジプト人にアラビア語を教わった人は皆経験しているでしょうが、「おはようー、今日は何しよう? 何でも好きな勉強でいいよ!」というノリの人がよくいます。「学生の主体性を重んじる」と言えば聞こえが良いですが、やはり教師というのは、ある程度リードしてくれる方が助かります。
 主体性の乏しいエジプト人に教えてもらう場合、こちら側で意志を強くもち、予め目標を決めてプログラムを提案した方が賢明です。それができるためにも、最悪初歩の初歩は日本でクリアしておいた方が合理的です。
 ただ、これも相性ですし、わたしも最初のころはリードを期待していましたが、今ではむしろフリーな方が主導権が取れて都合が良いな、と感じています。

 「外国人への対応に慣れている」という点では、海外経験のある先生だと、付き合い易いと思います。
 でも現実的には、「海外経験の豊富な外国人のためのエジプト人アラビア語教師」というのは、数が限られている気がします。それだけの経験があるなら、語学教師などより良い仕事があるでしょうから。
 教職の方には失礼ですが、語学の先生というのは、多分そんなに儲かる商売ではないでしょう。エジプトで外人相手の教師をするなら、普通の先生より大分稼げるはずですが、観光関係とかの方がずっと実入りが良いはずです(一般の学校の先生の収入を聞いたことがありますが、あり得ないほど安いです)。
 なおかつ、元々「エジプト人のためのアラビア語教師(国語の先生)」だったような場合、インターナショナルマインドどころか、非常に黴臭く偏った考えの持ち主の可能性もあります。高校の古文の先生を思い出してください。
 下手をすると、「バイト感覚の学生」の方が、人間的に付き合い易いかもしれません。

 でも、一番重要なのは、「その人と喋りたいと思えるかどうか」でしょう。
 一人でいる時に、その人と喋ることを妄想して、心の中でアラビア語で喋っていれば、それは良い先生だと思います。

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テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. 良いアラビア語教師の探し方、語学教師は水商売に似ている説|2009/10/12(月) 03:34:49|
  2. エジプト留学雑記
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Author:ほじょこ
アラビア語修行にエジプト留学して帰国。翻訳やっています。お問い合わせは下のフォームから御気軽に。