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扉はいつもアフマドが壊す

 M女史との授業中、ふとしたことから「主語の重要性」が話題になりました。
 日本語では主語の位置付けがかなり軽いですが、これは「主語が省略可能」というより、そもそもトピック志向な言語ということで、主語志向言語における主語の省略と一緒にしてはいけません。ですが、そう話しても説明し切る自信は到底なく、「日本語では受動態的な表現が好まれる」と言いました。
 アラビア語のフスハーでも、一見「主語の省略」に見える現象がありますが、これは単に動詞の人称変化が厳密で主語を明示しないでも特定できるからで、実際は省略などされていません。アラブ的な文法概念では、日本や欧米で「動詞の活用」として教えられる動詞末尾の部分がダミール(人称代名詞)として説明されるくらいで(女性三人称単数のتは「女性の記号」であって代名詞ではない)、主語はとても大切です(余談ながら、エジプト方言における主語の省略は、普通の「省略」だと思います)。
 また、アラビア語には、一応受動態の文法はあるものの、フスハーでもアーンミーヤでもあまり使われず、受動態の多い文章はركيك(か弱い)とされ、評価されません。英語と比べても、受動態の使用頻度は極めて低いです。
 つまり、主語志向・能動態志向が非常に強いという点で、日本語とは対極にある一面があります。

 日本語における「主語の省略」(前述の通り本当は省略ではないですが)は、時々「責任の不明瞭化につながる」等と、批判の対象になることがありました。手垢にまみれた例ですが、「過ちは繰り返しません」が散々ネタにされたでしょう。
 こうした性質は、日本人の文化的性質とも平行的で、わたしたちはしばしば、作用の原因について深く思考することなく、「自然にそうなる」という事物のとらえ方をします。「国敗れて山河あり」の「山河」のような、無名の動力源が、象徴秩序の向こうで自動的に働いている、というような世界観があります。

 一方、アラビア語の性質もアラブの性質と相同していて、彼らはとにかく「誰のせいやねん」というのが大好きです。
 M女史とالباب مكسور(扉が壊れている。「壊れている」は「壊す」の受動分詞が形容詞的に使われている)という単純な文をネタに話したのですが、そもそもエジプト人は、こういう「誰が壊したのか分からない表現」という時点で軟弱に感じるらしく、すぐ「アフマドが壊した!」「あいつはいつも物を壊すんだ!」「俺も見た!」とか言いたがります。
 日本人なら、アフマドが壊したという証拠や確信がかなり整っていなければこういう言い方をしませんが、彼らは大して根拠もないくせに、平気で「アフマドが壊した!」ととりあえず叫びます。
 アフマドが連れてこられて「いやいや、俺じゃないよ、その時外に出てていなかったよ」とか言うと、「あぁ、確かにその時アフマドはいなかった!」「俺も見た!」とかいう人が出てきて、やっと皆が「じゃあアフマドじゃないな」となるのですが、ここでアフマドに対する謝罪が行われるより、まず「それじゃあ一体誰が壊したんだ?」という方に話題が流れるパターンがよくあります。
 謝るにしても、例の「マーレーシ(怒るな)」という、非常に軽い謝罪で流され、かつアフマドもここで怒ってはいけません。キレると、むしろ「お前じゃないんだろ、わかったからもういいじゃねーか。何キレてんだバカ」とか、非難されるパターンが多いでしょう。
 日本人なら、まず優先するであろう「扉の修理」は、常に後回しです。

 M女史が、半分笑い話として、面白い話をしてくれました。
 「強盗が通行人を襲って、ナイフで刺して財布を盗んで逃げたとする。エジプト人は、まず犯人を追いかける。ナイフで刺された人がいるのに、それより前に犯人をみんなで追いかけて袋叩きにするのが第一。けが人の救助はそれから」。
 まぁ、実際は、ナイフで刺されている人がいるのに放置するなんてことはあり得ないでしょうが、雰囲気的には、確かにこういうノリが非常に強いです。
 ちなみに、「通りがかった人がみんなで追いかけて袋叩き」というのは、冗談ではなく本当です。全く無関係な人でも、「見て見ぬフリ」をすることはまずありえません。「義を見てせざるは勇なきなり」の精神が溢れかえっていて、かつ結構勘違いな「義」で暴走するのがエジプト人です。

 犯罪の聞き込み捜査が行われる場合でも、全然目撃なんてしていないくせに「俺は見た! 中肉中背で、若くも年取ってもいなくて、普通のヤツだった!」みたいに、どうとでも取れることをまずぶちまける人がいるそうです。
 とにかく彼らは、「誰がやったのか」ということにこだわりが強く、かつ「知らない」というのが大嫌いです。これが有名な「エジプトで道を尋ねると、知らないのに嘘の道を教えられる」現象につながっているわけです。

 日本人からすると「無責任」に映って当然ですが、彼らからすれば、その「責任」を徹底追及しない方が「無責任」で、過ちを恐れて何も発言しない態度もまた「無責任」となるのです。
 実際、慣れてくると、彼らの嘘や「知ったかぶり」を見抜くのは簡単です。エジプト人は何でも顔に出るので、目を見ていればすぐ「あーホンマは知らんのやな」とわかります。
 おそらくエジプト人自身も、この辺の「知ったかぶり分」を差し引いて考えているので、最終的にそれほど大問題にならないのでしょう。
 もちろん「知ったかぶり」をあげつらって非難するような態度はいけません。相手のプライドを重んじ、露骨にツッコまずに流してあげるのが礼儀です。
 面倒臭いと言えば面倒臭いのですが、ウェットで人に優しいとも言え、憎めるものではありません。エジプトの文化は極めて家父長制的でマッチョですが、同時にすごくフェミニンだなぁ、と感じることも多いです。

夜の街の子供2
夜の街の子供2 posted by (C)ほじょこ
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テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. 扉はいつもアフマドが壊す|2010/01/08(金) 00:37:11|
  2. エジプト留学雑記

日本に来て欲しい人

 土曜日。
 F女史が砂漠へ旅立ってしまったので、今日からM女史とN女史に担当が変更。
 N女史は大人しくて可愛らしい、とてもゆっくり丁寧な言葉で喋る人。彼女とはとりあえず、F女史と読んでいたフスハーのテクストの続きを読む。喋り方もちょっと舌足らずで可愛らしく、こっちも口が猫の口のようにフニッとなる気分。
 M女史は一転、超エネルギッシュな「エジプト女」で、非常に勢いがあり、無理やりハイテンションにされる感じです。彼女には溜まっていたアーンミーヤの質問をするだけで、あっという間に時間が経ってしまいました。

 急いでアパートに戻り、下水工事の為に待機。
 大家さんとその娘、その母が勢ぞろいし、サッバーク(水道工事屋)がやってきて、ガンガン工事を始めます。エジプト式の荒っぽいやり方で、余裕で台所にあった食器とか割ってくれます(笑)。
 昨日は「めんどくさいなー」と思っていたのですが、大きなドリルとか持った人たちが次々やってきて、その横で大家さんのファトマや娘のタスニームとお喋りしていると、結構楽しくやれました。
 ファトマはしょっちゅうどこか抜けた発言をするのですが、その度にタスニームがツッコミを入れていて、オモロイ親子になっています。
 五時くらいから始まった工事は、十時過ぎて終了。工事の理由は階下での水漏れだったのですが、うちも水はけよくなって、更にお湯がよく出るようになっていて感動。ガスは関係ないのですが、湯沸かし器まわりの配管が腐っていた模様。お湯が出るって素晴らしい。
 支払い時に、ファトマがちゃんと値切っているところがエジプトらしい。「いやいやいや、ここも直してあそこも直して、そりゃないですぜ奥さん」みたいなやり取りを横から眺めていました。

 日曜日。
 学校で色んな人が咳き込んだり鼻をズルズルさせている。
 「寒い、寒い」と言うのですが、わたしからすると秋くらいの気候で、かつ雨もほとんど降らないので、過ごし易いことこの上ないです。エジプト的にはかなり寒いようです。

 月曜日。
 授業が夕方しかなく、ほとんど図書館で某文豪のエッセイを読んで過ごす。
 正直七割くらいしかわかっていないのですが、わかる部分だけでもかなり楽しい。施設のエジプト人男性が、「それは古いから難しい、アラーゥ・イル=アスワーニーとか現代小説の方が易しいよ」と言ってくれ、読む順番を間違えたかも、と悟る。

 N女史との授業ではクルアーンのアーヤを例文にある文法項目を学ぶ。あぁ、こういうのがやりたかった。でももう時間がない。地道にやるしかない。
 こういう勉強は本当に心が穏やかになるけれど、日常生活や会話や普通の文章を読むには全然役に立たないです(笑)。この辺がアラビア語の恐ろしいところですね・・。

 お土産を眺めに行って、目が眩んでお金もないのについ自分用のアクセサリーを一つ買ってしまう。あぁ・・・。
 さらに本屋さんで、短い試論本と子供向けのイスラーム関係の本を購入。とにかく本屋さんは夢のような世界で、可愛い表紙の本も多いし、物色しているだけでどんどん時間が過ぎて、全部欲しくなってしまうのですが、荷物になるので我慢我慢。
 店員さんに「これは諸預言者のお話だから、イスラームまでで終わりでしょう? イスラームの歴史についての、丁度これくらいのレベルの本はない?」と聞いたのですが、絵本みたいなものしかなく断念。その絵本も泥臭くてイイ味出した絵柄だったのですが、今ひとつ可愛さに欠けたのでパスしました。

 ブログの見た目を少し変える。あまりにも殺風景だったので。

 火曜日。
 M女史とアーンミーヤの授業後、二時間自習を挟んでN女史とフスハー。朝が早かったせいか、前半元気がない。

 授業後、日本人K氏とエジプト人Nちゃんの「お見合い」。K氏はアラブ文学研究者で、Nちゃんは日本語勉強中だし、お互いにとってプラスじゃないかな、と思い、紹介してみる。日本人男性がエジプト人女性と友達になるのはなかなか難しいので、少しでも役に立ったら嬉しいです。もちろん、両方の人格が信頼できるから初めて紹介するわけですが。
 図書館の外のロビーで、一時間余り楽しくダベる。また、Nちゃん到着前にK氏と交わした会話もとても有意義で、久々に中身のギシッとした日本語の会話ができました。アラブの現状と歴史について、非常に冷静で個人的にタイプな言を語ってくれて、とても嬉しくなる。彼とはわたしも友達でいたいです。こういうタイプの知性は、静かなドライブ感があって気持ちがイイ。

 この日もNちゃんと一緒に帰ったのですが、つくづく彼女は「日本人っぽい」性格をしています。
 「エジプト人の友達は、全然わたしの気持ちをわかってくれない」とこぼすのも、理解できます。「○○さん(わたしのこと)の方が、ずっと話が通じる」。まぁ、わたしに通じるということは、他の日本人には通じないということかもしれないので、油断しないで欲しいですが(笑)。
 「激しく浮いた子」として育った者として、彼女には特別な共感を抱くのですが、この国では女性が「何でも一人でやる主義」で突っ走って生きるのが日本の百倍難しいです。男性だって簡単ではないでしょう。彼女の将来を考えると、なんとしても一定期間日本に留学し、できれば就労の機会を得た方が良いです。色々奨学金の制度などもあるので、あらゆる手を尽くして日本とのコネクションを作った方が、彼女らしい幸せな人生を送れるはずです。最低でも、カイロで日本関係の職を見つけないと。
 彼女の日本語は、特に会話については、まだまだ頑張る余地があります(人のこと言えませんが)。でも、語学力以前に、感覚的なものが日本人と通じやすい素地があるのです。これは一般のエジプト人にはあまり当てはまりません。
 「会話がたどたどしい」のも、丁度日本人がキチンと喋ろうとしすぎて英語ができないのと似た理由から来ているように見えます。彼女はアラビア語でもちょっとモゴモゴして、正確に説明しようとする余りかえってわかりにくい説明になる、ということがよくあります。ズバッと言おうとして、うまく言葉にならず、そのままモゴモゴ誤魔化してしまう、という、日本人にありがちなパターンです。照れ隠しのゴニョゴニョした言葉がやたら入り、外国人にとってはリスニングが難しいです。大抵のエジプト人は、口から先に生まれてきたような性格で、会話におけるこういう「不明瞭さ」や、彼女のような「地味でお人よしでうまく使われちゃう」タイプは稀です。

 今まで何人か、びっくりするくらい日本語の上手なエジプト人に会いました。
 しかし、この件は以前にも書いたのですが、日本語が上手であることと、日本人っぽいコミュニケーションが取れることは、全然別問題です。いかに日本語で喋っていても、彼・彼女はエジプト人で、かつエジプトにいるのですから、エジプト的感覚で喋っても構わないに決まっているのですが、下手に日本語が上手なだけに「なんでコレがわかってコレがわからないかな」と、生理的に気持ちの悪い思いをしたことも何度かあります。彼らの日本語は「失礼」に聞こえるのです(もちろん、そう感じてしまうわたしに責任がある)。
 一方、Nちゃんの日本語は、まだこのような達人の足元にも及びません。にも関わらず、非常に「通じる」感触があります。「語学の達者な日本通」ではなく、「舌足らずでちょっと変わったただの日本人」と話しているような気分になるのです。
 日本で生活し仕事をするとしたら、おそらく気に入られるのは、後者の方でしょう。多少言葉が下手でも、ノリが通じて愛想が良くて控えめな子の方が、日本人には好かれるはずです。そして一端好かれてしまえば、あとは言葉なんて何とでもなるし、文化的背景の違いからヘマをしても、許して貰える率がグッと上がるでしょう。
 わたしも必ずこの地に戻ってきたいですが、彼女にも是非我が祖国の土を踏んで頂きたい、と強く願いながら、ハグハグして別れました。

 ネックになるとしたら、イスラームだけですが(彼女は平均的エジプト人より信仰熱心)、彼女のような控えめでもの静かなタイプの「アラブ人」ムスリマが日本にいれば、周囲の人のイスラームおよびアラブに対するイメージも良くなるのでは、と、ちょっと利己的な想像もしました。
 口に泡を飛ばしてイスラームの素晴らしさを訴えるよくいるエジプト人の、一万倍くらい「イスラーム好感度」アップに貢献できると思うのですけれど。

交差点のトゥクトゥク
交差点のトゥクトゥク posted by (C)ほじょこ
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テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. 日本に来て欲しい人|2010/01/06(水) 05:12:20|
  2. エジプト留学日記

蝋燭で勉強、惚れさせる責任

 水曜日。
 部屋で勉強している時、そばにあったティッシュに蝿が止まる。
 ルクソールのYさんに伝授して頂いた通り、そっとティッシュを持っても、蝿は逃げません。蝿は「接近してくる何か」には素早く反応するけれど、自分のとまっている物体の動きには無頓着なようです(視界の中で不整合な動きをするものに反応しているのだろう)。
 さすがにそのまま机に叩きつけると逃げられそうなので、左手でライターを持って、蝿のとまっているティッシュの方を動かして近づけて行ったら、見事蝿を焼き殺すことに成功しました。
 教訓:周りがみんな同じに動いていたからといって、危ないものは危ない。

 停電する。
 最近割とよく停電しますが、大抵は1、2時間程度で復旧します。また自宅にいないことが多いし、寝ている時なら気付かないので、実際はあまり不便を感じたことはありません。
 この日は勉強している時に電気が落ちました。まだ昼間ですが、室内は薄暗いので(防寒対策で新聞紙とか張りまくってる)、本は読めません。ラップトップはバッテリで動くので、バックライトの明かりを頼っていたのですが、ふと思い出して蝋燭を使ってみました。

蝋燭
蝋燭 posted by (C)ほじょこ

 なかなか風流です。
 まぁ、たまにだから風流とか言っていられるのであって、年中「蝋燭で勉強」を強いられる世界の学生さんには本当に頭が下がりますが・・。

 Nちゃんと一緒に勉強する予定だったのが、連絡の不手際などもあって流れてしまう。
 さらにF女史体調回復せず、翌日も授業が流れることに。焦る。

 木曜日。大晦日。
 前日引きこもりでどうしたものか、と思っていたら、また引きこもって一日勉強しているだけに。
 家の方がマシンの辞書も使えるし、重くて持ち運べないアーンミーヤの辞書も使えるので便利なのですが、部屋から出ないというのは、やっぱり憂鬱です。こういう時、「ちょっと近所を散歩」とかいう選択を気安く取れないのが辛い。基本的に、ここでは道は楽しんで歩ける場所ではないし、歩く度に色んなことが起こりすぎるので(笑)、覚悟をもって散歩に出ないとダメです。
 図書館に行きたいのですが、日系は年末年始で休み、欧米系はまだクリスマス休暇。エジプト的には普通の日なのですが、微妙に不便です。

 金曜日。元旦。
 サッバーク(水道工事屋)が昼過ぎに来てちょっと作業するというので、待っていたら、作業が5、6時間かかるといいます。
 約束もあるし、結局手はずが整わなかったので翌日作業することになったのですが、翌日夕方からそんな長い時間他人が部屋にいると思うと、かなり欝になります。

 Nちゃんの部屋に遊びに行く。Nちゃんの妹の誕生日で、ケーキを頂いてしまう。
 色々質問していたら、さらにご飯が出てくる。もうお腹いっぱいで食べられません。
 食事中に、Nちゃんが「この曲が好き」と、携帯に入れたkiroroの『未来へ』を聞かせてくれる。
 「部分的にしか聞き取れないけれど、すごく暖かい歌なんだな、というのはわかる」。
 こんなベタな歌、日本にいた時はまったく射程内にありませんでしたが、異国で聞くと妙に心に染みます。歌詞の内容も素直で美しく、日本語学習者にはぴったりです。音痴のくせに熱唱してしまいました。
 これが「椎名林檎が好き」とか言われたら、到底歌詞をアラビア語で説明できる自信はないし、それ以前に日本語が聞き取れないかもしれません(笑)。
 質問とご飯のお礼に、歌詞をすべてスクリプトに起こし、解説していく。
 出だしの「ほら足元を見てごらん」なんて、日本人から見ると単純極まりないフレーズなのですが、「ほら」を「أهو بصيのアホ!の感じ(ほら、見て!)」とか、「『ごらん』は非常に軽い命令」などというところから始めないといけません。「『ごらん』はمؤدب(丁寧)?」と聞くので「丁寧だよ」と答えると「先生に対しても使える?」と聞かれます。丁寧だけれど、目上の人に使うのは不自然で、子供に話しかけるニュアンスのある「丁寧な軽い命令」、と、非常に説明的なことしか言えません。こういうのは、本職の日本語教師の方はどんな風に説明しているのでしょうか。
 「歩む」というのは「歩く」のことですが、普通の初級学習者は「歩く」は知っていても「歩む」は知りません。こういう微妙な違いでわからなくなってしまう感じは、フスハーとアーンミーヤの単語レベルでの差異に少し似ています。母語話者からすると「ちょっと丁寧に言っただけ」なのに、外国人から見ると別単語です。
 この歌で唯一少し分かりにくいのは「その優しさを時には嫌がり 離れた母へ素直になれず」の部分でしょうか。ここだけちょっと複雑な心理になっているので、「お母さんが愛ゆえに色々注意してばかりくると、時々鬱陶しいでしょ?」などというところから語ってみます(こういう解釈で正しかったでしょうか?)。
 ストンと落ちない部分は、彼女も少し神経質になって早口で質問してくるのですが、このイライラする感じは日頃アラビア語でイヤという程味わっていてよく理解できるので、辛抱強く穏やかにゆっくりと説明していきます。

 彼女とゆっくり話すのはこれが最後の機会かもしれなかったのですが、彼女が可愛い箱に入ったクルアーンのムスハフ(書かれたクルアーンの本)をプレゼントしてくれる。
 感動で胸が熱くなり、抱きしめてしまう。
 あぁ、わたしは何もお返しできない。東京に来たらずっとうちに住んでくれ。日本の本とか持ってくれば良かった。
 彼女も少し「変わってる」エジプト人だけれど、わたしのことも「変わった日本人だから、これをあげても良いと思った」と言ってくれる。ありがとう。わたしは確かにかなり変わった日本人です。変人で良かった。

 最近の日本の言論を眺めていると、何だか後ろ向きの話ばかりで、焦って徒に欧米に尻尾を振っているように見えて仕方ありません。政府がそういう態度ならともかく、若年層の一般国民がそんな調子で、あまりにも余裕が無さすぎます。
 多少蔭りが見えたと言っても、日本はまだまだ豊かな国です。それとも、「欧米なみ」でなければ、あとは無価値だとでも言うのでしょうか。国力の維持・発展も大事ですが、それがなくなった時に、一切のプライドと希望を喪失してしまうことの方がもっと恐ろしいと思うのですが、多くの日本人にはそういう発想はないのでしょうか。世界中のほとんどの国は「一流」ではないですよ。そういう国でも毎日人が生きて死んでいるんですよ。
 日本の国力が落ちてきていることを心配し、中国に対して神経質になっているくせに、今まで築き上げてきた日本イメージと、それに対して素朴な憧れを抱いてくれている世界中の多くの人々のことを、まるで省みていない。気にすることといったら、アメリカに捨てられないか、だけですか。
 誰に惚れても結構だし、強い人に振り向いて欲しいのもわかりますが、そうやって周りが見えなくなっている時にも、背中を見ていてくれる人はいるんですよ。あなたの見ていないところで、あなたを見てくれている人が必ずいる。だから自信を持たないとダメです。
 惚れる責任もあれば、惚れさせてしまう責任というのもあります。
 そして、惚れた人に振り向いてもらう時には、見えないところで惚れてくれていた人の力、モテのようなものが、暗黙的に後押ししているということに気付くべきです。
 わたしたちに惚れてくれている人だって、まだまだ沢山いますよ。そういう人を「お前なんかにまとわりつかれても邪魔なだけだ」と足蹴にしていたら、惚れた相手にも振り向かれず、惚れてくれていた人も最後には愛想を尽かしていくだけです。
 惚れた相手が振り向くかどうか、そんなことは相手次第の風次第。
 そんなことより、惚れさせてしまった相手に対して、最後までカッコつけて責任取っていきましょうよ。

 「お父さん、空飛べるんやろ?」って言われたら「あ、あぁ、膝治ったらな」くらい言えなくちゃ男じゃないよ。膝治ってベランダから飛び降りて死んでも、立派な日本男児の死に様だよ。
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  1. 蝋燭で勉強、惚れさせる責任|2010/01/02(土) 04:50:41|
  2. エジプト留学日記

先生になりたいかも!

 近所に住む日本語勉強中のNちゃんのお宅に遊びに行きました。
 勉強時間が欲しくてカリカリしているのに朝からはかどらず機嫌が悪かったのですが、でかけてみたらご機嫌に。
 大通りを越えた(そう、この大河のような殺人道路も今では鼻歌歌いながら渡れるようになった!)向こうの区域に彼女は住んでいるのですが、こちら側は以前にちょっと散歩したくらいで、未知のエリア。
 今ではちょっと覗くだけで地区の性質を見抜けるようになりましたが、渡ったすぐの場所はやや柄が悪いものの、その奥のNちゃん宅のある方角は、エジプト的には中流以上のエリア(彼女の雰囲気や服装、日本語を勉強している、ということから、比較的お金持ちなのは容易に想像がついていましたが)。
 とはいえ、ザマーレク、ドッキ、マアーディのような地区にはほど遠く、外国人はまったくいません。こういう場所を東洋女が一人で歩くと、それはそれはもう、凄まじい経験ができるのですが(笑)、彼女と一緒だったので割と安全でした。
 途中のお肉屋さんでウサギ発見。

うさぎ
うさぎ posted by (C)ほじょこ

 もちろん「商品」ですが・・・。

 彼女の家のアパートは、エレベータがあり、全体にわたしの住んでいる建物より豪華です。でも、エレベータ動作中に、ずっとクルアーンの音声が流れているのがウケました。まぁ、よく落ちますからね、エレベータ。お祈りの一つもしたくなるよね。

 部屋に招かれて、彼女が本当に本当に日本が好きなんだ、と良くわかりました。
 本棚にあるのは日本関係の書籍ばかり、苦労して集めたらしい日本の絵本や漫画雑誌が沢山出てきます。
 彼女の日本語力では、まだ普通のコミックも相当難しいと思うのですが、たどたどしく読めるところだけ拾っています。
 「でも子供向けの絵本が一番好き」。そう、絵本は世界中どこでも美しい。
 絵本のページをめくると真っ先に動物に目が行き、「ろば。かわいいー!」とか言っているあたり、かなり自分と似たものを感じます(笑)。

 彼女の部屋には何故か小さな黒板があり、よくこれに字を書いて練習するそうです。

王
posted by (C)ほじょこ

三億円湿度替える
三億円湿度替える posted by (C)ほじょこ

 「三億円 湿度 替える」って一体・・・。
 ポエジー溢れていて素敵です。子供の書いた詩を読んでいるようです。

 この日の彼女との会話は、アラビア語と日本語が8:2くらい。一応、わたしのアラビア語の方が彼女の日本語より上ですが、彼女は別にアラビア語の教師ではないし、外国人とアラビア語で喋るのに慣れていません。性格的にエジプト人の割に大人しく控えめなせいか、発音もあまり明瞭な方ではなく、付いていくのに苦労しましたが、四五時間くらい図々しくお邪魔していたので、最後のほうは大分慣れてきました。わたしの耳が慣れると同時に、彼女もわたしの発音に慣れ、かつわたしにわかる言い回しのパターンを無意識に習得していったのだと思います。こういう「シンクロ」は、母語を共有しないあらゆるコミュニケーションで出現し(わたしの日本語も彼女にシンクロしていく!)、非常に面白いものです。

 どういう流れだったか、イスラームについて話題になりました。
 大人しい彼女ですが、信仰のことになると途端に饒舌になり、真剣に語り始めます。
 しかし、一部のアホなムスリムと違って、押し付けがましく自画自賛的なことは言わず、むしろ現在のエジプトにおけるイスラームを批判するような言葉を重ねます。
 こうした語り方は、F女史も時々するのですが、聡明なエジプト女性においてのみ、時々お目にかかれます(男ではほとんど経験がない)。
 「ガーマのイマームや、テレビに登場する偉い先生は、やたら大声で怒鳴るけれど、本来イスラームでは優しい声で語らなければならないはずだ。ああいう先生をムスリムでない人や外国人が見て『イスラームは乱暴な宗教だ』と思ってしまうのは、無理もない。わたしは恥ずかしい」。
 また、F女史ともしばしば話題にする、「信仰に強制なし」の件についても、熱く語ってくれました。
 「他人の信仰実践に対してあれこれ口を挟むのは正しくない。『助言』をすることはできるが、命令することはできない。彼らがيعبد(かしずく、僕となる)しているのはアッラーであって、ムスリムに対してじゃない。それはアッラーと彼の問題だ」
 サウジアラビアのように、宗教を法制度化し、一方で外国に行く飛行機の中では、ムスリマが一斉にニカーブを脱ぎ捨てるような現状については、わたしもNちゃんも「あれは信仰ではない」と興奮して批判します。

 以前にニカーブとヒジャーブを話題にした時、「ヒジャーブを義務だと思っている人でも、ヒジャーブをしていない人を非難することはない」と書いて、これが新鮮に映った方がいらっしゃるようですが、この点は何度でも強調したいです。
 もちろん、おせっかいなエジプト人ですから、家族や身近な人間については、「助言」することはしばしばあります。以前ラマダーン中にある家族のイフタールにお邪魔した時、断食していない家族の一人を他の家族がチクチク非難し、一方で彼が「アッラーはわたしたちを苦しめるために作ったんじゃない」とか反論している場面に出会ったことがあります。
 ですが、こうした「助言」ですら、徹底的に追い詰めるものではなく、基本的に理詰めで人を追い込むような語り方というのを、彼らはあまりしません。しょっちゅう大声で喧嘩していますが、チクチク屁理屈を重ねて負けを認めさせる、というような非情な口論はほとんどなく、常に相手のプライドを重んじ「優しさある喧嘩」をしているように見えます。

 話がズレましたが、自分が「義務」だと思って実践していることでも、他人が違う考え(あるいは単なる怠惰)の下に実践していなかったとして、それを非難することはまずありません。
 この日Nちゃんも語っていて、今まで幾度となく聞いてきたことですが、それは「アッラーと彼の問題」であって、他の人間にはとやかく言う権利はないからです。
 ひたすらおせっかいで、何にでも首をつっこむエジプト人が、こと信仰についてだけは、日本人より遥かに繊細な配慮を見せます。
 自分の信念は自分の信念として確固としてあり、普通の女子大生にすぎず、しかも性格的にむしろ地味目のNちゃんですら、留まることを知らないほど語れるのに、他人に対して非礼な干渉の仕方はしない。なぜなら、一番大切なのはアッラーという絶対的な第三者との関係だからです。

 さて、後半は彼女を相手に臨時日本語教師。
 漢字のない日本の絵本を、一緒に読んでいきます。説明はほとんどアラビア語で、時々日本語。
 全部ひらがなのせいで、彼女が時々単語の切れ目を間違えるのですが、そういう時に「漢字がないから」と笑いながら言います。「全部ひらがなだとかえって読みにくい」という、日本人なら誰でも感じる日本語の性質を、既に理解するようになっています。
 しかしまぁ、子供向けとはいえ、なかなか難しい!
 日本語は深い意味のない終助詞がやたらついて、細かいニュアンスを作り出していますが、ただでさえも意味が微妙な上、分かち書きがないので、しばしば単語の一部か終助詞なのかを読み違えています。また、擬音・擬態表現も、なかなか理解できない様子。
 大学受験英語を勉強する日本人が、しばしば後ろから順番に訳していくことを覚えてしまいますが、英語以上に「すべてが日本語と反対」なアラビア語を母語とする彼女は、日本語を後ろから読もうとします。確かにそうすると、アラビア語的には自然な語順になるのですが・・。
 基本的な漢字の勉強まで進んでいる一方、「てにをは」の理解が不十分のようです。これに習熟しないと、日本語では統語構造が読み取れません。単語を覚えるだけでなく、構文読み取りをもっと意識して練習した方がいいな、という印象でした。

 頑張って短いお話を一つ読んだ後で、彼女がわたしの先生っぷりを大絶賛してくれます。
 「日本語のクラスで習っているけれど、先生はアラビア語がほとんどできなくて、英語で説明する」。
 わたしのアラビア語はまだまだ覚束ないし、この日も教えながら「ところでこれアラビア語で何て言うの?」とこっちも勉強していたのですが、日頃「生徒」をやりまくっている経験から、どういう話の持って行きかたがわかりやすいか、外国語で話していて何にイライラして、どんな介入が不愉快か、よく理解しているつもりです。
 また、わたしは日本人としては異常に感情表現が大げさで、かつ手振り身振りが派手で、すぐ小芝居を打って説明しようとするので、それもウケたようです。

 役に立てたとか何とか言うより、こちらがものすごい楽しんでしまいました。
 実はわたしは、学生時代から卒業後も結構な期間、塾講師やら家庭教師やらで糊口をしのいでいた時期があったのですが、この時のことを思い出しました(全然関係ないですが、塾講師時代の生徒アンケートのクレームで「先生の挨拶が元気すぎてうるさい」と書かれたのを思い出しましたw)。
 彼女は立派な大人ですが、外国語の勉強というのは、一回子供にかえるようなものです。ちょうど小さな子供に一対一で教える時のような、忍耐力と芸人ぶりがないといけません。そしてこれが、猛烈に楽しい!

 彼女がしきりに「カイロで日本語を教えたらいい! 個別教師なら、ある程度給料も貰えるはず!」と言ってくれて、まぁエジプト人は常に異様にポジティヴシンキングなので、実際にはそう簡単なわけはないのですが、あまりの楽しさに「先生をやってみたい!」という気持ちにもなってきました(日本語教師の皆様、甘っちょろいこと言ってごめんなさい)。
 どう考えてもあまり儲かる商売ではないでしょうが、エジプトで生命を維持する程度になら稼げるかもしれませんし、その間にわたしは思う存分勉強できるので、考えてみるとなかなか悪くないアイデアな気がしてきました。

 来年にとりあえず帰国しますが、その後の身の振り方に関わらず、家を処分しようと思っています。家と言ってももちろんアパート暮らしですが、あの荷物をなんとかして、日本に自分だけの家のない状態にはしたいです。実家に帰れないので、同居人か居候先募集です(笑)。
 デフォルト旅人、というかホームレスの状態を作って、その上でもう一度エジプトに戻ってきて、修行を続けてもいいかな、とぼんやり考えています。

 エジプトの路上では毎日のようにしんどいことが起こりますし、「もう帰る! 二度と来るか!」と思ったことも一度や二度ではありませんが、一方で何か、居場所のようなものが感じられる。誰もわたしを無視しない。
 日本に帰っても、本当に親しい人は片手以下だし、「とにかく来い! 仕事はなんとかなる!」などと大言壮語してくれる人もいません。
 それは、「できもしないことを言うくらいなら何も言わない方がいい」という日本的倫理観から来るものなのでしょうけれど、できてもできてなくても、とりあえず前向きに大言壮語するエジプト人に囲まれていると、わかっていても「なんとかなるかも」と思えてくるし、何だかホンワカした気持ちになってきます。
 そして、「何とかなる」と思っていれば、大抵のことは何とかなるものです。
 日本人も、もうちょっと勢いだけで景気の良い話をしたら良いと思うのですけれどね。みんなちょっと、小賢しくなりすぎ。頭良すぎ。
 経済状態だけ客観的に比べたら、圧倒的に日本の方が良いはずなのに、どう考えてもエジプトの方が未来があるように見えて仕方ありません。
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  1. 先生になりたいかも!|2009/12/20(日) 01:43:11|
  2. エジプト留学日記

ヨロピコ、二種類の寛容

 土曜日。
 エレベータで一緒になったおっちゃんが、何の前触れもなく「お前はパキスタン人か? インド人か? イタリア人か? 韓国人か?」と話しかけてくる。
 中国以外の国籍を四つも畳み掛けられたのは初めてですが、その四つにおよそ一貫性がありません。少なくともイタリア人じゃないやろ、普通に見て。
 「に、日本だけど・・」と答えたら、「そうか、日本か! はっはっはーっ」と豪快に笑い、鼻歌を歌いながらエレベータを降りて行きました。

 日曜日。
 某日本関係施設の図書館で勉強していたところ、一人のエジプト人男性が、大変礼儀正しい日本語で話しかけてきました。
「すいません、質問してもよろしいでしょうか」
「え、あ、はい、どうぞ」
「『ヨロピコ』というのは、どういう意味ですか?」
「よ、ヨロピコ!? それはどういう文脈で・・・あ、アニメの中ですか?」
「はい、そうです」
 一応「『ヨロピコ』とは『よろしく』のことだが、ふざけた言い方であり、アニメの中では許されるが、使わない方が良い」と説明しておきました。男性は満足したようで、小声で「ヨロピコ、ヨロピコ・・」と呟きながら席へ帰っていきました。
 まぁ、アニメでも何でも、祖国について興味を持って貰えたら大変光栄なんですけれどね・・・。
 あなたたちの文学やら古典やら理解するために七転八倒し、大変お世話になっているのに、わたしが役に立てるのは『ヨロピコ』の意味を教えるくらいですか。日本って一体・・・。
 これからもヨロピコね、親愛なるエジプト市民。

 月曜日。
 「日本でガマール(ムバーラク大統領の次男)がガマル(ラクダ)と呼ばれている」という話をF女史にしたところ、大爆笑される。「ガマルと言われたらガマールも怒るよね」。
 出来すぎた話なので、新手のヌクタ(笑い話)として広まってくれたら面白いです。

 火曜日。
 約6時間一対一の授業を受け、5時間くらいは図書館で自習。
 時間がない。時間が欲しい。ああ、もっと勉強していたい。
 ヘロヘロになったところで小難しい古典など読んでも、一行読むのに四苦八苦なのですが(別にヘロヘロじゃなくても大変だけど)、そのわからなさと格闘しながら交わしている会話は、まったく無意識で、丁度この「ヒーヒーなんか言ってる」くらいが、正味の実力なんじゃないか、とふと考える。
 日本に戻って、家も全部引き払って、もう一度戻ってきてひたすら勉強したい、とかなり本気で考える。でも正直、勉強以外のことでは、すごく住みたいとは思わないですけれどね。

 水曜日。
 勉強は順調なものの、また道でかなりバッドな体験があり、もう道路に飛び出して死のうかと思ったけれど、たまたま柵があって面倒くさいからやめました。
 でも、直後にF女史が話に乗ってくれて、かなり救われる。
 傷つけるのも人間だし、救うのも人間。
 そんなのは世界中どこでも同じだけれど、この異様に人間臭濃い街では、どちらの強度も東京の比じゃないです。

 「都会は人間が冷たい」というのは、ある程度普遍的に当てはまる傾向でしょう。
 人が沢山密集すれば、接近しすぎないような機制が働く、というのが第一。そして、都会というのは、田舎者の集まりなわけであって、この「故郷を捨てた田舎者」は、都会においては共同体的な根を一度失っている。程度の差こそあれ、都会というのは、人間を一度根っこから引き抜いてしまうものであり、人に対して良くも悪くも距離ができる、というのはあるでしょう(だから「都会の貧乏は悲惨」)。

 で、カイロも東京も同じく大都会なわけですが、人の質は全然違います。カイロだってエジプトの田舎とは違うわけだけれど、密集しているのに尚ねっちゃりぬっとり絡みつくような人間関係が生きています。
 それは多分、エジプトの社会が、トッド風に言えば「内婚制共同体家族」をベースにしているからであって、要するに大家族主義なわけです。核家族的、もしくは直系家族的であれば、都会に出れば横のつながりはできにくいです。直系家族なら都会と田舎の直のパイプというのは残るかもしれないけれど、新たなネットワークというのはあまり広がりません。
 でも、大家族主義の場合、数世代のうちにまた「大きな家族」が再構築されることもあるし、それ以前に家族ごとドーンと移動してくるケースが多い。だから、都会と言っても、それほど「ねっとり感」が軽減せず、みんながそれに慣れているので、依然として凄まじい人懐っこさを発揮してくるわけです。
 それに救われることもあるし、傷つけられることもある。要するに普通の家族と一緒で、この街は一つの「家族」なのです。

 トッドで思い出しましたが、移民問題解決の唯一の方法は、「フランス式」、つまり粒状にしてバラバラにして混ぜて同化する、という方向だけだと言います。つまり「多分化主義」では解決しない。
 これにはまったく同意で、「多分化主義」のその単位となる「文化」をどう決めるのか、権力が「文化」を区切れるのか、という問題がまずあるし、無理に区切っても「文化」間の壁が厚くなるだけです。
 ガンガン外婚して、混ぜちゃうしかない。
 日本のような直系家族主義も、移民とうまくやるのはとても難しい。混ざらないから。

 で、エジプトのような共同体家族の場合、やってくる者には、確かにある意味「寛容」です。
 ですが、寛容の種類というのが違って、彼らの寛容とは、バラバラで距離を置いて粒状に混ざっているのではなく、共同体の中に取り込んでしまう懐の深さなのです。巨大な家族の中の一成員にすぎないから、多少変でも消化しちゃう寛容。これは、新しい家族が入ってきて、お隣に住むのとは違います。寛容だけれど、もう取り込まれているから、勝手なことは許されないし、放っておいてくれない。
 ビジネスの場も公共空間も全部「共同体的」「家族的」だから、ビジネスライクな「合理性」は到底望めない。その代わり、「秩序なき秩序」があらゆるところで介入し、結果的に「そこそこ」な安定には達します。

 で、こういう大家族システムが、核家族システムや直系家族システムと対峙した時どうなるかといえば、大家族は「家族的寛容」を持ってはいるのだけれど、本当に家族の外だと判断した時には、全然寛容ではなくなります。核家族は優しくないけれど、家族の外との「そこそこ」のお付き合いには慣れている。彼らはそれが彼らなりの「寛容」だと思っている。ここで二つの寛容がぶつかるわけです。
 この辺が、エジプト人(というよりムスリム)が、昨今のヨーロッパにおける「不寛容」に怒ったり、一部の欧米人がイスラームを「不寛容」だと考えてしまう根の一つのように思われます(イスラームとアラブをごっちゃにしちゃいけませんが、大家族主義はイスラームと親和性が高い)。

 思い出すのは、「長男のわがままと次男のわがまま」というお話です。
 みんなで食事に行くのに、一人だけ違うものを食べたい人がいたとします。
 長男は「じゃあ、俺は寿司食べに行くから、みんなは焼肉楽しんできてよ」と言う。次男は「なんで焼肉やねん! 寿司行こうよ!」と言う。
 どっちもわがままなのですが、わがままの種類が違う。
 大家族主義は、次男的にわがまま。核家族は長男的にわがまま。
 二種類の寛容と、二種類のわがまま。
 それで、「うちは寛容なのに、アンタなんて融通きかないんや!」という果てしない小競り合いが延々続くことになるわけです。

 この解法として「お互いのやり方を知り尊重する」というのが、教科書的にあがってくるでしょうが、それはあくまで「多分化主義」的視点であって、結局のところ同化はしません。別の国なら無理に同化しなくたってもちろんOKなのですが、少なくとも問題は解決はしていない。ただ、小競り合いを抑制したり、先送りしているだけです。
 先送りで上等だし、千年くらいこの調子で先送りしたら良いと思うのですが、もし本当に「混ぜちゃおう」としたら、その混ぜ方自体が異なっているので、容易にはいきません。チープなグローバリズムもコスモポリタリズムも、ぬかるみにハマってにっちもさっちもいかなくなるわけです。

 「多文化主義」は移民の解法としては有効ではないけれど、この場合、「真の解法」がかなり絶望的なので、先送りだけでしのいでいくしかないのかもしれません。ベストじゃないソリューションを声高に叫ぶのは気が重いのですが、逆に、ここで言う「真の解法」こそが幻想にすぎない、とも言えます。
 多分、真の解法なんてない。グローバリズムは嘘っぱち。
 昨今、世界各地でナショナリズムが盛り上がったり右傾化が進んでいるのには、一理あります。もちろん、手放しで賛成などしないけれど、極右よりもボンボンリベラルやグローバリゼーションの方が遥かに危険で、看過できません。
 だから敢えて、「その場しのぎ」の案を押し、千年くらい騙し騙しやっていこうよ、と言ってみます。ツケは回すためにある。回せ回せ。

 何でこんな話になったんでしたっけ?
 そうそう、しんどいことがあったのよね。
 それで、F女史とお喋りして忘れたわけだけれど、ここでこうやって話がズレていって、何の話かわからなくなるのも、「お喋り療法」と似ていますね。忘れた忘れた。
 忘れたことは忘れたから忘れておきます。

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  1. ヨロピコ、二種類の寛容|2009/12/18(金) 06:16:52|
  2. エジプト留学日記

日本の新聞がものすごい読みにくい

 エジプトの新聞は毎日買って読んでいますが、日本語勉強中のNちゃんが「最近、日本の新聞の見出しを読む練習をしている」というので、某施設にあった日本の新聞を一緒に読んでみました。日本では新聞を購読していなかったので、本当に久しぶりです。
 で、改めて日本の新聞を見直してみて感じたのは「だめだこりゃ」という一言です。
 何がダメって、非常に読みにくい。無駄に分厚い。
 エジプトの新聞は、概ねシンプルです。ページ数も少ないし、パパッと全体を概観できる。広告も日本ほどは多くない。
 それに比べて、日本の新聞は何だか雑誌みたいで、あれもこれも詰め込みすぎた結果、一覧性が損なわれています。Nちゃんが「エジプトの新聞は、政治面、経済面と分かれているけれど、日本は?」と聞くので「大体一緒だよ」と言ってみたのですが、どの面も何だかハッキリしないし、工夫を凝らしているらしいレイアウトがかえって見にくいし、エジプトの新聞より遥かに見通しが悪いです。
 日本の新聞宅配はもう風前の灯火で、紙新聞は駅の売店などで売られる形態に限られていく気がしますが(エジプトに限らず多くの国では最初からこの販路だけ)、こんな分厚くては出先で買う気にもなれません。

 おまけに、記事見出しが意味不明すぎ。
 どんな言語でも、新聞記事の見出しというのには、独特の文体があります。英語でもアラビア語でもそうです。
 ですから「慣れ」が必要なのは普通なのですが、それにしても日本の新聞の見出しは酷い。日本人のわたしが見ても、文脈を知らないとさっぱり何の記事だかわからないものが多いです。
 毎日読んでいるエジプトの新聞は、外国人のわたしが読んでも、見出しから主題を取るくらいならパッと見てほとんど理解できます。もちろん、中にはローカル色の強い記事もあるし、コラムは難しいし、スポーツ・芸能欄とかサッパリわかりませんが(日本語でもわからん)、一面記事や政治・経済・社会の主たるニュースについては、大体要旨が取れます。
 わたしがエジプトの新聞を読んでいると、エジプト人がよく見出しを指差して「これ読んでみろ」とか言ってくるので、真似してNちゃんに読んでもおうとしたのですが、学習者に読ませられる見出しを探すの大変です。どんな言語の学習者も、一定のレベルに達したら「新聞を読む」という修行をするものだと思いますが、日本の新聞は、日本語学習者に胸を張って「読んでごらん」と言える代物では到底ないです。スポーツ新聞なんかじゃなくて、一流の新聞がこんな調子なんですから、読むものがありません。

 元来、新聞というのはシンプルなもので、パッと見て大体様子が掴める、というのが重要な役割だった筈です。日本の新聞が、量的にも質的にも、こんな肥満体になってしまったのは、一体どうしてなのでしょうか。昔はもっとシンプルなデザインで、素朴な作りだったと思うのですが、「進化」した結果、かえって使えない媒体になっています。
 なんと言うか、頭の悪いwebデザイナーが「これがweb2.0です」とか言って、やたら重くて直観的でないページを作ってしまったみたいなのが、日本の新聞ですね。
 それくらいなら、ジオシティの残骸みたいな、めちゃくちゃweb1.0的な新聞の方がずっと良いです。

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  1. 日本の新聞がものすごい読みにくい|2009/12/13(日) 04:39:02|
  2. エジプト留学雑記

変なカタカナ表記が英語経由で発生する

 諸外国の地名・人名表記等で、どう考えても「そうは聞こえないでしょう」というカタカナ表記がしばしば見られます。
 もちろん、正確な表記などできるわけもないし、する必要もないのですが、「なぜ敢えてこう書く」とツッコみたくなる表記も少なくありません。
 先日、「ムバーラク大統領の次男が『ガマル』と表記されていることがあるがどう聞いてもガマール」と触れましたが、パレスチナの「アッバス」氏も、「アッバース」です。
 当然、「ガマール」だろうが「アッバース」だろうが、完全な表記などでは全くないのですが、「アッバス」では100%通じないのに対し、「アッバース」とカタカナ読みすれば、八割方理解して貰えるはずです。
 そこから先はカタカナでは無理で、逆にここまでなら簡単にカタカナで書けるのに、敢えて変な書き方をしているようにすら見えます。

 なぜこんなことになってしまうかというと、おそらく日本のニュース報道が、英語圏での報道を経由しているからでしょう。
 英語には長母音/短母音という分節はありません。そのように聞こえても、それはわたしたちが長母音/短母音の分節のある言語を使っているからで、英語的には母音の長短は基本的にarticulateされないはずです。
 そのため、例のجمالガマール氏も、Gamalと表記されることが一般的で(エジプト人もこう書く)、これを見たまんまカタカナに置き換えると「ガマル」になるわけです。
 英語は強弱アクセントの言語なので、Gamalでもmaにアクセントがあれば、結果的に元の発音に近くなります。
 しかし、それが字面の印象だけで高低アクセントの日本語に移植されると、原音とは似ても似つかない変な表記になってしまうのです。

 これを補う方法として、逆に日本語では長母音/短母音の区別があるわけですから、これを活用して似た感じに表記する、というのはとても有効な方法です。
 computerをコンピュータと表記しますが、「ピュー」と「伸びる」かどうかは英語的には本質的なことではなく、アクセントがあることが本質です。でも、日本語ではこれは直接表現できないから、代わりに「ピュー」と伸ばせば、結果的に似た音になるのです。

 アラビア語には、長母音/短母音の分節があります。この点では日本語と仲良しなのです。
 それなのに、わざわざこの情報が落ちた英語を経由して持ってくるから、簡単に表記できるものが、ヘンテコリンな書き方に化けてしまっているのです。
 「ガマール」と書くくらい造作もないことなのに、英語の、しかも字面だけに踊らされて、わざわざ「ガマル」と書かないでもいいでしょう。それはラクダという意味ですから、大統領閣下のご子息を冒涜していると思われて、治安当局に引っ張られても知りませんよ(笑)。

 まぁ、あまり神経質になっても仕方ないし、アラブ人によるラテン文字表記自体が凄まじいバラエティに富んでいるので、無理もない一面はありますが・・・。
 ただ、彼らは「英語の文脈でこう綴れば、ちょっと説明すれば大体イイ感じに読んでもらえる」という前提でそう綴っているのであって、日本人が読むことまで想定していません。せめて「どう読むの?」と聞いて確認してから、カタカナにしてくれれば良いと思うのですが。

 エジプト人は、例えばアラビア語にない音で、表記不可能な音であっても、似た感じの表記をした上で、発音する時は実際の発音に近い音を出しています。例えば、アラビア語にはvの文字がないので、特殊な代替文字を使う以外はfに相当する文字で書いていますが、読む時はvで発音しています。よくある人名にすらv音が入っていることがあります(トルコ系の人名など)。
 もちろん、できることとできないことがあって、有名な話で、彼らはpとbの区別ができません。全部bで表記して、かつbで発音しています(英語の上手な人はできる。日本人のrとlのようなもの)。
 自言語なりの表記に落として書く、というのは、どの言語でも行われることですが、実際の発音は耳で聞いた印象に近く読むのが普通です。似ても似つかない表記をした上、その字面通りに「アッバス」とか読む日本人は、かなり異常な存在ではないでしょうか(追記:でもアメリカ人もإسلامをislamとかいてイズラームと読んでいる人が多いし、あんまり聞いてないかもw)。

 ちなみに、世界史に登場する「アッバース朝」は、ちゃんと「アッバース」と書かれています(しつこいですが、これでも正確な発音ではありませんが、十分合格点でかつここが限界)。「アッバス議長」とまったく同じ名前です。
 なぜ「アッバース朝」なのに「アッバス議長」なのか、さっぱりわかりません。
 日本のマスコミは何気にハマースの肩を持っていてアッバースが嫌いなのか!?というネタを思いつきましたが、考えてみるとハマースも「ハマス」って書いてますよね・・・。

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  1. 変なカタカナ表記が英語経由で発生する|2009/12/11(金) 17:37:15|
  2. エジプト留学雑記
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