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インフラはほどほどにしとけ

 最近、非常に面白いweb上のテクストを二つ見かけました。無関係な話題に見えて通底しているものを感じるので、一緒に扱ってみます。

バンコクで「物価」の意味を知る - 狐の王国
日本の良さが若者をダメにする | TOKYO EYE | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 まず、前者から。

 結局「物価が安い」と思われてるバンコクだって、日本と同じものを得ようとすればたいして変わらない金額になる。「物価が安い」のは、言い方は悪いが「もっと劣悪な製品」が存在してるというだけのことなのだ。

 別に格差はあっていいんだよ。でも今の日本には安い屋台も無ければ安いアパートも無い。貧乏人が使うようなアパートはバブル期にほとんどぶち壊しちゃったし、50円で食べれるラーメンなんて無くなっちまった。
 高度経済成長は、最後には「庶民」の生活レベルを底上げしすぎて戻れなくさせてしまった。再び訪れる格差社会に対応できる市場が消えてしまった。


 これはわたしもエジプトで痛感したことで、別にタイやエジプトに限らず、世界中の多くの国で実感できることですが、日本は本当に「高品質」なものしかない。「高いものしかない」から物価が高い、生きられない、と感じるのであって、同じくらい高いものは、タイでもエジプトでもあるんです。ただ、貧乏人には貧乏人なりのものがあって、金持ちは自動小銃をぶら下げた兵隊の守っている特別なエリアで特別なものを買う。
 「格差はあってもいい」というのは、微妙な問題なので両手を挙げて賛成はできませんが、よくも悪くも日本は非常に格差が小さい。このこと自体は素晴らしいことだと思うのですが、格差が小さい(小さかった)が故に、すべてがこの「格差の小ささ」を前提に出来てしまっているのです。エジプトやタイのように、金持ちエリアが露骨なまでに隔離されているわけでもなく、夢のようなインフラの恩恵に誰もが預かれるのですが、逆に「そんな高価なもん要らん、細々やらせてくれ」という生き方ができなくなっています。皆がそれなりにお金を持っていて、それなりに教育がある、そういう状態が前提になっているのです。

 格差が小さいことも、インフラが整っているのことも、それ自体としてはとても良いことです。少なくともわたしは、日本について一番誇らしいと思っていることは、「平等」のレベルが非常に高いことです。
 しかし、格差が小さく全員のレベルがそこそこ高いことを前提に社会ができてしまうと、一旦その枠組から外れると、非常に生きづらい世界が待っています。「セイフティネット」を作れということではなく、普通の国はむしろその落ちた先のネットの方が基本で、上は金網の向こうにあって貧乏人は最初から入れなくなっているのです。
 インフラが良いと言えば聞こえが良いのですが、インフラというのは維持するのにもコストがかかっているのです。広く行き渡らせて維持している方が総じて見て「割安」なら結構なのですが、一定以上の品質のサービスとなると、維持しているだけ無駄な可能性もあります。
 極端な話、水道から出てくる水が飲めるというのも、ものすごい贅沢です。まぁ、個人的にはエジプトの水道水も最終的には飲んでいたのでエジプトだってそれくらいのインフラはある、とは言えるのですが(笑)、それはただ単にわたしが丈夫なだけなので、日本の水道は異様にレベルが高い。その超高品質の水道水でも満足できず浄水器だのミネラルウォーターだの買ってくるのだから、すごい話です。こんな高級水を全家庭にまで行き渡らせなくても、公共サービスとしてまったく合格点だと思います。
 外国人労働者や低所得者層に対し「インフラにフリーライドしている」という指摘がありますが、乗りたくもない高級インフラを掴ませて「金払え」では、押し売りでしょう。NHKの集金じゃないんですから。

 いきなり個人的な生活臭い話になりますが、なるべくハッピーに暮らす家計のコツは、
1 定期的に出て行くお金を減らす
2 定期的に入ってくるお金を増やす
 だと信じています。
 このうち特に2は、そんな簡単にできるくらいなら苦労しないので、具体的な実現方法についてはちょっと脇に置いておいて頂きたいのですが、1で言いたいのは、月々払う携帯代だの家賃だのといった部分を、とにかく圧縮する、ということです。
 まったく当たり前のことなのですが、月々出て行くお金というのは、少額でも溜まり溜まって大きなお金になりますし、何より楽しくない。
 例えば、7万円でパーッと豪遊したら「うわーお金使ったわー」という実感がありますが、家賃に7万振込んだからって、別にウキウキしたりしません。むしろ、ただ住んでいるだけなのに7万も取られてムカムカするくらいです。
 定期的にお金を取られる恒常的なサービスというのは、慣れてしまえばちっとも嬉しくないのに、お金だけは確実に取られます。逆に、多少品質が悪くても慣れれば勝ちです。その倹約した分を実感できる使い方に回した方が、全体としてハッピーだと思っています。

 何が言いたいかというと、インフラという「月々出て行く」系にお金をかけすぎると、コストがかさんでいる割にハッピーが実感できない、ということです。
 日本のインターネット品質の素晴らしさは特筆に値しますが、毎日毎日「インターネットはえー! 最高!」とか喜んでいる人はいないでしょう。本当はすごく恵まれたことなのに、あんまり得した気持ちになれない。なんだか損です。

 つまり、インフラ的な「社会の共有基盤」が高い方で固まってしまと、
1 落ちる先がない。貧乏なりの生き方が辛い
2 慣れちゃうからあんまり幸せじゃない
 という問題があります。
 これに加えて、
3 そのインフラがない状況に極端に弱くなる
 という問題があります。
 これが二つ目に紹介した日本の良さが若者をダメにするという話題につながってくると思うのです。

 日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ。
 だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。
 外国に出れば、「ジャングル」が待ち受けているのだ。だからあえて言うが、若者はどうか世界に飛び出してほしい。ジャングルでのサバイバル法を学ばなければ、日本はますます世界から浮いて孤立することになる。「素晴らしくて孤独な国」という道を選ぶというのであれば別だが。


 この記事で指摘されている通り、日本の公共サービスや交通インフラは尋常ではなくレベルが高いです。
 でもそのレベルの高さに慣れすぎてしまって、それが失われた状況に極端に弱い。しかも、慣れ切ってしまっているから有難味も感じられず、あんまりハッピーじゃない。損です。
 日本の技術の「ガラパゴス化」などが指摘されていますが、ガラパゴスと言うなら、この「インフラの異様なレベルの高さ」こそが、最も「特殊日本的」なのではないでしょうか。ガラパゴスというより、温室か実験室のようです。普通の国なら武装したゴリラみたいなのに囲まれている「守られた楽園」が、日本全体に広がっているのです。

 繰り返しますが、インフラのレベルの高さそのもの、格差の小ささそのものは、悪いことのわけがありません。
 でも、あんまり高いレベルのサービスを無限定に提供してしまい、「レベルの低いサービス」を根絶やしにしてしまうことは、息苦しくてしかも融通が効かない社会を作ることにもつながってしまうのです。
 格差を肯定し公共サービスを縮小する方向でものを考えるのは、平等を重んじたいムスリマとして心苦しい部分もあるのですが、多分、現実的でハッピーな平等というのは、実際にある様々な格差を一旦認めた上で、「貧乏は貧乏なりに」「ダメはダメなりに」生きていける、ということのようにも思えます。

 一方で、今ひとつ懸念もあって、もしそのように格差をある程度肯定し、多様で緩い日本を作ってしまうと、今まで「均一高品質」「単一民族幻想」が取り柄だった日本から、全然長所がなくなってしまうのではないか、という気もします。日本の何がすごいかといったら、この異様な均質性であって、これを前提にするからこそ、軍隊のように管理された合理的な生産活動が可能だったのです。
 裏を返せば、「均一高品質」なんて、所詮賃金奴隷をこき使うのに便利なだけで、実のところ皆んなを幸せにするものでもない、と言えるし、一周回って多少日本の競争力が落ちても、インフラをヘボくして細々やっていく方が、心理的にはハッピーな人生が送れる可能性もかなりあると思いますが。
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日本  インフラ 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. インフラはほどほどにしとけ|2010/04/08(木) 11:39:07|
  2. 試論・雑記

カミカゼ

 カミカゼのお話ですが、ニュースではなく半年も前の新聞にあった文章です。ちょっと面白かったので取り上げてみます。
カミカゼ
日本はアメリカの軍艦を「カミカゼ」で襲った

 日本よ、日本よ!
 夢と繊細さと優美さの日本、アッラーの創りたもうた奇跡の一つ。
 そのすべてが美しく飾られている。花々、鳥、木の芽、エデンの園からこっそり忍び込んだ麗しい香り、色とりどりの薔薇。
 娘たちは長く編んだ髪と小さな足の人形のようだ。育まれた歴史は何千年にもわたる。
 一方、怒りの日本、業火の日本、破壊の日本がある。地理的に孤立した日本、千年前から眠る伝説の龍の日本。
 十六世紀、スペインとポルトガルとオランダの商人が到着し、続いて宣教師たちがやって来た。龍はその目を訝しげに開き、彼らに立ち去るよう命じた。宣教を軍事的侵攻の先駆けと見たのだ。外界との関係を断ち、龍はまた二世紀半の眠りに戻った。アメリカ海軍が大砲で龍を起こし、千年続いた孤立を終わらせるまで。
 日本は、日本語では太陽の昇るところ、という意味だ。太陽には二つの顔がある。地に住む者たを温めてくれる日の出の顔、近づく冒険者を焼き尽くす顔だ。
 太平洋は、両者にとってもはや十分に広くはなかった。第二次世界大戦では、1941年に真珠湾のアメリカ海軍が攻撃された。それから、アメリカ合衆国は、尽きることのない資源を持つ大陸の力で参戦した。太平洋のバランスはアメリカに傾き、日本軍は絶望的な状況に追い込まれた。この時はじめて「カミカゼ」が始まった。
 カミカゼは日本語で炎の突風、聖なる風という意味だ。第二次世界大戦の終盤、アメリカ艦隊に打撃を与えるのに、自殺兵が用いられた。爆薬満載の日本軍の飛行機が、アメリカの軍艦に向かい、爆撃するのではなくそのまま突っ込んだのだ。また地雷を積んだ舟が、軍艦の腹に突撃し自爆した。
 伝説の龍は、原爆によってはじめて沈黙した。日本の憲法はカミカゼが起こりえないよう変えられた。日本人たちは合意したかに見せかけて、新たなるカミカゼへと変わることで自らの意志を果たした。学問と知性と文明のカミカゼだ。
 わたしたちと世界全体に与えられた素晴らしい教訓だ。偉大にして至高のアッラーはわたしたちに知性を与えられ、正しくそれを使うなら、すべてのカミカゼを越えることができるのだ。
هاجمت اليابان السفن الحربية الأمريكية بـ «الكاميكاز»

 ヒロシマ・ナガサキはほとんどのエジプト人が知っていると思いますが、カミカゼという言葉までは知られているのかどうかわかりません。
 「カミカゼ」の語源説明で、ギリギリ「神」という言葉は使わず「聖なる」と言っているあたり、記者の苦労が伺えます(この記者は日本語ができるかどうかは別として日本についてある程度知識を持った人でしょう)。
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エジプト  日本  新聞 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. カミカゼ|2010/03/12(金) 00:38:45|
  2. 新聞・メディア

年寄りが多ければ年寄り臭くなる

 更新できていなくてすいません。プライベートでちょっとバタバタしていて、ブログまで手が回りません。
 そう言いつつ、どうでも良いことをちょっとメモしておきます。

 一つは免許更新のこと。
 エジプト滞在中に運転免許が切れてしまっていたのですが、「六ヶ月以内なら、うっかり失効でも問題なく更新できる」とどこかで聞いていたので、すっかり油断していました。確かに更新自体はできるのですが、「やむを得ない理由(病気・海外滞在など)」が終了して一ヶ月以内とその後では扱いが変わってくるのです。
 海外滞在中に免許が切れてしまった方は、帰国後一ヶ月以内には手続きした方が良いですよ。こんなのんびりしているのはわたしだけかもしれませんが。

 失効後だと、運転免許試験場まで行かなければならないのですが、運転免許試験場というのは、どこの街でもマージナルな場所にあって、ヤンキー臭いです(笑)。しかも警察系のお役所ですから、無愛想で辛気臭いのが基本です。
 以前に更新した時は、この荒んだ空気がイヤだったのですが、モガンマア(カイロの総合庁舎)のカフカ的迷宮を経験したためか、日本の「お役所仕事」が素晴らしくスピーディかつフレンドリーに感じられました。警察の人がニコニコしてるよ!
 ヤンキーだって、日本のは可愛いものですよ。全然平和的だし、黙っていれば何も構ってこないし、めちゃくちゃ紳士じゃないですか。いやまぁ、ヤンキー的階層の人々というのは、見た目と違って結構礼儀正しくイイヤツなことが多いのですが。

 このお上品さを眺めていて、更に連想が進みます。
 日本人は総じて「お上品」です。悪く言えば元気がない。エジプトから帰ってくると「病気なんじゃないか」と思うくらい覇気がなく、こっちまで寂しい気持ちになってきます。日本人のわたしですらこうですから、日本で働いているエジプト人は、寂しくて仕方がないことでしょう。
 日本だって少し前までもっとヤンチャでテキトーだったはずです。こんなお上品で元気のない国になったのは、豊かさの引き換え、というのが普通の解釈かもしれませんが、同時に少子高齢化ということも関係している気がします。
 これらは互いに相関的なので、どちらが卵とも言えませんが、識字率が上がり女性の社会進出が進み、子供の数が減り教育コストがあがると、その国は近代化し大抵は豊かになり、やがて「年寄りの多い世界」を迎えます。
 何となく今まで、豊かになって教育水準が上がり子供一人一人にやたらに手間がかけられるようになった結果、子供がお上品になり若者が「欲しがらなく」なった、というイメージがあったのですが、同時に「年寄りが多い国」だから、みんな「年寄り臭くなった」と思えてきました。
 比較的高齢な両親の子供は、小さい頃から妙に落ち着いていることがあります。人は語らいの中に産み落とされ、周囲の空気で育つものですから、年寄りが多ければ子供も若者も年寄り臭くなる、というのはあると思います。
 逆に、エジプトなどは「子沢山」社会ですから、ジジババまで妙に元気があるのかもしれません。元気がないジジババはジジババに達する前に淘汰された、とも考えられますが(笑)。

 「若者の車離れ」とかいうベタなネタをオヤジが出し、「単に金がないからだ!」と若者世代が批判する、という風景をネット上ではよく見かけます。また「不景気なせいで若者が安定志向になっている」というのも、紋切型の語りです。
 それはそれで当たっているところもあるのでしょうけれど、同時に「国全体が年寄り臭くなっているから、ものも欲しがらないし、挑戦志向もなくなった」という面もあるように思います。
 もちろん「年寄り臭い」というのは悪いばかりではないですし、静かでお上品で余計なことをしない、とも言えます。
 「年寄り臭く」なれない性格の若者は、この国では不幸でしょうけれど、イヤなら出ていけばいいのだから問題ありません。
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日本  少子高齢化  エジプト 

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  1. 年寄りが多ければ年寄り臭くなる|2010/02/09(火) 00:09:22|
  2. 試論・雑記

ラッパーを壊せ、トロければ待て、お節介になれ

 ルクソールで知り合った在エジプト日本人の方からのメールで、「日本に帰ると、日本の便利さに感動すると共にエジプト人の性格を懐かしく思う」ということが書かれていました。
 この気持ちはよく理解できますが、単なる「離れて想う郷愁」だけではありません。

 わたしのエジプト滞在は(まだ)わずか半年でしたが、帰ってきて感じたのは「静か」「清潔」「空気が綺麗」「何でもスムーズに行く」「会話しないでも何でもできる」ということです。
 これらはもちろん、基本的に良いことなのです。一々値段交渉しないと乗れないタクシーより、メーターが勝手に上がっていく方が楽に決まっています。
 そういう「交渉したりコミュニケーションをとらないでも済む便利な仕掛け・インフラ」が、日本では極度に発達しています。
 休みの日の台詞が、コンビニで「袋いいです」だけだった、なんて余裕でありそうですし、仕事に行っても「おはようございます」「お疲れ様です」「お先に失礼します」の三つしか台詞を言わなかった、という人もいるでしょう。

 便利な半面、これはちょっと病的な状況であって、おそらくはこういう便利さのせいで、「コミュニケーション力」とかいう気持ち悪い概念が流通するようになったのです。
 「コミュニケーション力」って何ですか。コミュニケーションって、RPGの「すばやさ」みたいに力を測るものですか。単位はグラム? メートル?
 コミュニケーションなんて、基本的にはカイロのタクシー値段交渉みたいなもので、鬱陶しいものです。どこの世界でも偉い人は簡単にシモジモと口をきいたりしないでしょう。権力を使ったりお金を払ってコミュニケーションを回避しているからです。それくらいコミュニケーションはウザいものなのです。
 でも、そのウザいコミュニケーションを取らないと立ちいかない場面というのがあって、エジプトでは日本の一万倍くらい「人間の壁」が立ちはだかっています。「ホンマは話なんかしたくないんやけど、このオッサンどかさな何ともならんわ」とかいう状況で、口八丁手八丁で話を始めて、結局目的は達せられなかったけれど、予想外のものが手に入り、別の人間を紹介してもらって、と、わらしべ長者的に進んでいくのが人の世というものです。
 コミュニケーションは止むに止まれぬもの。そして日本の気持ち悪いところは、みんなの願い「コミュニケーションの回避」が、非常に高いレベルでインフラとして出来上がってしまっていることです。

 ところが、幸か不幸か日本の経済はこのところ可哀想な状況を行ったり来たりしています。せっかくですから、これをプラスに考えて、思い切り人件費を下げて、何でも人力でやってみたら面白いじゃないですか。
 仕事のない若者だけでなく、高齢者を「人力システム」で使っても面白いです。自動販売機の前になぜかおじいちゃんが座っていて、おじいちゃんに頼まないとジュースが買えない。しかもおじいちゃんは耳が遠いし、自販機の操作もめちゃくちゃトロい。でも、勝手にジュース買ったら杖で殴られる。素晴らしい。
 ちなみに、こういう「自動販売機操作係」という職は、エジプトに現実に存在します。「食堂のトイレの前で立っていて、トイレに入る人にトイレットペーパーをちぎって渡す係」という仕事もあります。
 こんなことが実現すれば、それはもう、毎日恐ろしくウザいコミュニケーションの連続になるでしょう。その代わり、神経症とか欝とか自殺は、圧倒的に減るでしょう。喧嘩と交渉が忙しくて、死んでる場合じゃありません。
 企業の面接で「コミュニケーション力」が問われることもありません。なぜなら、「コミュニケーション力」のない人間は、就業年齢に達する前に淘汰されて死んでいるからです。

 こういう世界では、他人のトロい動きや話の通じなさに怒ってはいけません。
 超キレキャラのわたしが言うのも何ですが、日本人は非常に怒りっぽいです。そう言われると意外でしょうし、実際日本の街中ではエジプトの一万分の一も怒鳴り声がありませんが、それはただ単にインフラや社会秩序がスムーズに動いているからです。ちょっと秩序から外れたり、思い通りに他人が動かないと、日本人は本当にすぐ怒ります(わたしもそうでした)。これはエジプト人に何度か注意されたことです。
 待ちなさい。
 待っていれば、そのうちうまく行きます。
 ちなみに、これは「スルー力」というヤツとはちょっと違います。スルーはしません。意見が違えば、自分の考えは激しく主張する。
 そうではなく、他人が「機械のように正確に動く」ことを期待しない、ということです。

 日本の発達した秩序というのは、要するにトロくてテキトーな人間のラッパーが出来上がっている、ということです。
 例えば、交通秩序。
 エジプトの交通カオスは有名で、そもそも信号がほとんどありませんが、あっても無視されるし、巡査が立っていてもクラクションの嵐だし、逆走上等な上、しょっちゅう路上で車を修理していたりします。
 ですから、仮に信号があっても、信号なんて見て道を渡ってはいけません。見るのは車であり、運転者の心です。
 これに慣れてしまったので、日本に帰ってきて、逆に危ない思いをしました。信号を見なくなっているのです(笑)。せっかくラッパーがあるのに、車とか人間とか、低水準のAPIを直接叩いてしまっている状態です。
 ラッパーは素晴らしい。直接叩いちゃダメ。
 それは間違いないのですが、一方でラッパーに慣れきって依存してしまうと、何かでシステムが上手くいかないとすぐパニックに陥ってしまいます。ラッパーは良いのですが、依存してはいけない。

 だから「システムは大事だけれど、当たり前だと思わず、常に人間を見ましょう」と言えば、体の良いまとめ方なのですが、本当のことを言えば、そんな高尚な目標はほとんどの人間には達成不可能でしょう。便利で楽な仕掛けがあれば、どっぷり浸かってなしではいられなくなるのが人というものです。
 ですから、敢えて狂ったことを言いましょう。信号を見るな。システムを見るな。法を見るな。人を見て、クールに道を渡れ。
 多分、今の日本に一番必要なのは、そういうことです。
 「システムの有難味を忘れるな」なんてお説教、生まれた時からシステムに浸かりきっている人間に通用するわけがないじゃないですか。
 だから、システムは見ない。というか、ぶっ壊せ。
 まぁ、このまま日本が沈没していけば、放っておいてもメンテ力がなくなって、システムなんて勝手に壊れると思いますけれど。

 最後に、大事なのはお節介ですね。
 つい先日、古い友人から、わたしが直面している社会的な些細な問題について、アドバイスを頂戴できました。わたしは世の中的な仕組みやお役所システムみたいなものに極端に弱く、非常にクヨクヨ悩んでいたのですが、彼の一言で「言われてみれば、大したことじゃないな」と気持ちが軽くなりました。
 彼は別に、100%の確信があってアドバイスをくれたわけではないと思います。でもとりあえず、言ってみる。これが大事。
 根拠の欠片もないのにテキトーなことを断言するのは、確かに良くないことです。多くのエジプト人は、とてもよろしくない(笑)。
 でも、現代日本人の多くは、ちょっと慎重すぎます。セキュリティ・パラノイア。
 世の中100%なんてないんですから、ちょっと怪しくてもとりあえず言っちゃえばいいんですよ。お節介で行きましょう。
 間違ってたら謝ればオッケーです。
 そして間違った人に怒ってはいけない。むしろ、間違ったことでも言ってくれたことに感謝しなければいけません。
 一番悪いのは、情報が間違っていることではなく、情報が無いことです。
 多少怪しくても声をかけてくれた人には感謝しなければならないし、彼または彼女を遣わせてくれた主に感謝すべきだし、自分もお節介にならなければなりません。

 お節介を阻む最大の障害は、「照れ」でしょう。
 照れ屋さんは素敵です。少なくともわたしは結構好きです。でも、時には照れを捨てなければなりません。
 彼への返信で、わたしはこんなことを書きました(一部改変)。
 「(・・・)」と言われて安心した、元気が出た、って書いたけど、正にそういう感じが、日本にはなくて、エジプトにはあるの。
 単にわたしが寂しがりで気が弱いだけかもしれないけどね。
 こういうの、ちょっと言ってもらえるだけで、何でもできる気がしてくる。
 日本人は、薄情なんじゃなくて、照れ屋さんなんじゃないかな。照れてこういうこととか、「確証ないくせに自信たっぷり」なことを言わないけど、照れちゃだめだと思う。
 照れてないで、ガンガン介入しようぜ!

 栄えるも良し、落ちぶれるも良し。
 落ちぶれたら落ちぶれたで、お節介でトロい日本になったらいいんじゃないですかね。
 いずれ主に召される日、良きヒサーブ(善悪カウント)を授かれるよう、精一杯生きればそれでいいじゃないですか。

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  1. ラッパーを壊せ、トロければ待て、お節介になれ|2010/01/26(火) 19:19:32|
  2. 試論・雑記

個別性なんかどうでもいい、引き受け、ただ叫べ!

 「俺はムスリムだ、だから嘘はつかない」。
 こういう台詞を、エジプトで無数に聞きました。正直、あまり気持ち良くありませんでした。
 一つは、こういうことを言うムスリムは、かなりの確率で嘘つきだからです(笑)。ボッタクリ商人の定番フレーズと言っても良いでしょう。
 今ひとつは、ムスリムなら嘘をつかないというなら、ムスリム以外は嘘つきだというのか、という印象を抱いてしまうからです。
 当たり前ですが、ムスリムにも良い人もいれば悪い人もいるし、キリスト教徒だろうが無神論者だろうが良い人も悪い人もいて、大抵は100%悪人でも100%善人でもありません。ムスリムがみんな聖人君子みたいな人なら、イスラーム圏には警察も裁判所も要りません。

 ですが同時に、今のわたしには彼らがこう言う気持ちは良く理解できるし、わたし自身も「わたしはムスリマだ、だから悪いことはしない(まだシャハーダしてないけど)」と勇気を出して口にしたいです。
 「だから」という接続詞が使われていますが、前の半分は、事実と照らせば偽でしかありません。この言明は「ムスリムは嘘をつかない、わたしはムスリムだ、ゆえにわたしは嘘をつかない」の省略形と言って良いでしょうが、大前提が既に間違っています。だから、事実命題としては、端的に偽です。
 ですから、この言葉は(分析哲学っぽく言えば)statementではなく、一つの宣言なのです。
 「ムスリムだから」という部分は、「日本人だから」でもいいし、「科学者だから」でもいいです。重要なのは、自分自身のルートを引き受け、それに対して責任を持つ、ということです。宣言することで、彼または彼女は、その個人以上のものになる。人間は弱い。だから「みんなの力を借りて」、正しい行いをする勇気を得るのです。

 「ムスリムだから」の部分は、何でも良いわけですが、同時に何でも良くはありません。極端な話、「人間だから」でも良いのですが、あんまり無限定になってしまうと、何を言っているやら訳が分からなくなります。
 正確に言えば、それは「何でも良かった」のだけれど、今となっては「何でも良くない」「一つしかない」のです。
 「何でも良かった」時点は、過去であり、既に過ぎ去り、決定されている。多くの場合、生まれた時点でもう決まっている。だから、そんな選んでもいないものに責任がある訳がないのに、敢えて引き受ける。だから、力になるのです。
 責任の取りようもないことに対し、敢えてルートを見出し、責任を取る。そのことでわたしたちはか弱き葦であることを越え、自分以上の力を発揮することができるようになります。それが「人間である」ということです。

 ですから、重要なのは、「ムスリムである」「日本人である」の(柄谷風に言えば)単独性であって個別性ではありません。
 つまり、「日本人はおしなべて嘘はつかない」などといった、他と比べて特殊である要素は一切必要ないのです。大切なのは、particularであることで、specialであることではありません。
 それどころか、この前提部分の力が個別性、つまりspecialな何らかの要素に依拠する、と勘違いしてしまうと、とんでもない暴走に陥る場合があります。「アーリア人は優等民族だから、他を殺してもいいんだ」「日本人は勤勉で秩序を重んじ、中国人などより優れているんだ」等々です。
 これらは、誇りある宣言を汚し地に落とすばかりか、背負ったつもりの父祖と共同体の名誉と尊厳を傷つけ、結果的に自らを共同体から放り出してしまうものです。イスラームの名の元に罪を犯す愚かで哀れな人々と一緒です。

 大事なのは、ただ単に「それ自身であること」です。特性やら特徴やらは、まったくどうでもいいのです。
 日本が経済的に二流三流となり、軍事的・政治的にもか弱く、多くの日本人が詐欺とひったくりで糊口をしのぐようになっていても、なおかつこう言って良いのです。
 「俺は日本人だ、だから嘘はつかない」。
 逆に言えば、世界の羨む一等国であっても、この言葉を胸を張って言えないなら、そのルートには力も尊厳もなく、彼らは哀れな流浪の民にすぎません。

 ドラゴンボールの孫悟飯が、確かセルと戦っている時に、こんな台詞を言いました。
 「ボクは・・・ボクは・・・お父さんの子供なんだァーーーッ!!」
 冷静に考えれば「だから何やねん」です。実は悟空じゃなくてベジータの子供だったら、女性週刊誌も真っ青の大スキャンダルです。
 まぁ、彼のお父さんは確かにちょっと特殊な人物ではありますが、人間誰だって「お父さんの子供」です。ですが、そのことを敢えて引き受け、宣言するということには、事実命題とは異なる特別な力があります。
 ペンキ屋のせがれでも、三流プログラマーの子供でも、同じように「ボクはお父さんの子供なんだ!」と叫んで良いのです。
 わたしたちは、選んでいないものの責任を引き受けることで、誇りある生き方を選ぶのです。(※註)

 何が「日本オワタ」や。何が「海外脱出」や。ヘソで茶が沸くわ。
 終わって終わり切れるなら、人生苦労ないわ。失われた十年どころか、エジプトなんか三千年も占領されていたやないか。クルドなんか国もないやんか。それでも自信たっぷりじゃ! 自信ありすぎて迷惑なくらいじゃ!

 「自分探し」というと、今では侮蔑的な意味でしか使われませんし、中二病と揶揄されるばかりです。
 でもわたしは、「自分探し」をしても良いと思っています。若者だけでなく、歳を取ったっていつでも探して大丈夫です。
 ただ、それは「探す」ことではなく、叫ぶために助走を付ける、というだけです。「お前は日本人なんだから日本人らしくしろ」と言われて宣言するのでは意味がないし、力にもなりません。イスラームでも、完全に納得してからでなければ入信は薦められないし、入信しても、何でもかんでもいきなり完璧を目指すのは「良くないこと」とされます。
 「自分探し」をしないまま、形だけの空威張りをしたり、「日本の特殊性」を妄信したり、いつまでも自信を持てないでいるよりは、いくつになったって探しに行って良いのです。
 ただ、生きて帰ってこい。無事に帰ってくれば、カーチャンそれだけで幸せや。

 日本が没落し、中国に占領され、ディアスポラの挙句どこかの難民キャンプでカッパライでしのいでいても、日本人は日本人だ。
 その時こそ、AKの銃口を突きつけられながら、こう叫べ。
 「俺は日本人だ! だから嘘はつかない!」


※註
 もう少し深いことを言えば、「お父さんの子供」であることを宣言するには、特別な重要性があります。「お母さんの子供」ではないからです。
 父の承認とは、象徴的・社会的秩序の元で行われるものであり、母に対する身体的・生活的なつながりとは異なります。父を認めることは、象徴経済の内部に自らを位置づけることであり、「我は言葉を使うものなり」という宣言でもあります。
 この承認における力は、上で述べた「宣言することによる力」と同種のもので、かつこれに先行する原-宣言と言えます。なぜなら、「宣言することの力」「引き受けることの力」とは、すべて象徴ネットワークに接続し、そこからパワーを借りることだからです。
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  1. 個別性なんかどうでもいい、引き受け、ただ叫べ!|2010/01/15(金) 18:25:33|
  2. 試論・雑記

帰国

 超重いスーツケースに苦しみながら、久々にタクシーを拾い、空港へ。
 今、カイロのタクシーは、従来の黒と白の「交渉タクシー」と、白黒チェックの「メータータクシー」が混在しています。数年後にはすべてメーター式タクシーに置き換わるそうで、逆に言うと、現時点で白黒チェックになっているタクシーというのは、比較的経済的に余裕があり、優良なタクシーということです。
 白黒チェックが来るのを待ち、メーターを使うことを確認して出発(メーターが付いていても使わないドライバーがいるので、確認が必要)。結果的に、35ポンドと大変良心的な価格でした。
 ドライバーも割と礼節のある人で、図々しく話しかけられることもなく、会話が始まってからも節度があり、話の流れで宗教を尋ねられた時も「失礼ですが、あなた様حضرتكはムスリマ?」という聞き方をしてくれて、好印象でした。
 何でカイロにいたのか、とか、どの辺に住んでいた、これからどうする、といった定番の会話だけでしたが、車中でもほぼ完全に会話が聞き取れ、リズムよく会話ができたので、アーンミーヤの欠片も知らなかった半年前を思い、感慨深くなりました(わかり易い話題だったお陰ですが)。

 イスタンブールでトランジットのトルコ航空。
 イスタンブールには夕方着、日没後出発だったので、空の上からだけですが、昼と夜の街の風景を眺めることができました。綺麗な街並みです。なんだかヨーロッパのようで、空からの風景だけでも、カイロとはエライ違いです。思えば、半年前に着陸直前に空から見たカイロは、ギラギラといかにもドギツイ印象で、夜景からだけでも熱く濃厚な血の匂いがしたものです。
 イスタンブールは緑もあるし、全体に落ち着いているし、トルコ人も(エジプト人に比べて)静かで礼儀正しいし、ご近所のイスラーム圏といってもこれほど違うのか、と感心するやら凹むやら。
 大体、トルコ航空の飛行機に乗った瞬間から、一切アラビア語というものが存在しなくなります。イスタンブールー成田間や、エジプト航空のカイロー成田間では日本語のアナウンスがあるわけで、つまりは「乗客の中で多数派の言語」「国力に上回る言語」というのは、当該航空会社の国籍を問わず、飛行機内で力を持っているものです。ということは、トルコーエジプト関係においては、エジプトは全然相手にされていないということで、少しションボリします。試しにアラビア語でまくし立てても、客室乗務員はまったく理解してくれません。乗客もほとんど非エジプト人です。
 まぁ、相手はEU加盟も視野に入れようというオシャレ国家ですからね。エジプトが「EUに入れてくれ」と言ったら、タライでシバかれてツッコまれそうですもんね。「自分アフリカやろっ」という。
 そう思うと、あんなオシャレな国からの労働者を顎で使っているヨーロッパ様というのは、どんだけなんや!という気もします。あたしゃアフリカでいいよ、アフリカで。砂漠の方がいいよ。極東の黄色い猿だし、色の付いてるモン同士仲良くしましょうぜ・・。

 英語で喋らざるを得ないのですが、アラビア語漬けのうちにむしろ英語が下手になっている上(シャレにならん)、特にここ数カ月、英語を口にすることに生理的な抵抗を感じるようになっています。何というか、英語では自分の言いたいことが言えている気がしない。何か屈辱的な気持ちになる。アラビア語では、たとえ満足に表現できなくても、そういう卑屈な気持ちには全くなりません。思い切り気持ちを表せる。舌足らずでも、わたしがわたしなのだ、という自信が持てる。
 英語は嫌いや。何で我が祖国に原爆落としたりシオニストの用心棒やってる奴らの言語を使わなアカンのや。いや、別に彼らだけの言語ではないのですが、まったくの個人的偏見で、口にする度に自分が自分でないようなムカムカする気持ちになってしまいます。

 イスタンブールー成田では、日本人老夫婦の奥の席だったのですが、前を通る時に「すいません、失礼します」と言ったら、「日本語上手ですね」と言われてしまいました。アバーヤにマント、サングラスという、いつもの「変な外人スタイル」のままだったので、無理もないですが・・・。頭のおかしい日本人ですいません。
 しかし、我ながらこの風来坊スタイルがよく似合います。というか、普通の日本の女の子の格好がめちゃくちゃ似合いません。大体、日本の女の子は可愛すぎますよ。なんであんなに可憐なんや・・・うちには無理や・・・。所詮戦闘用なんや・・・うぅ・・・。

 エジプト航空の飛行機には、クルアーンのチャンネルが着いていたのですが、トルコ航空は各席にオシャレなディスプレイがあってゲームまでできるのに、宗教チャンネルが影も形もありません。すごくショックです。アタチュルク主義者め!
 でも、久々に普通の音楽などのチャンネルを弄っていたら、思いのほか楽しくて、すぐに機嫌を直してしまう。ひたすら音楽を聞いて寝ているうちに、あっという間に成田着。お金さえあれば近いね、日本。これがロバだったら一年はかかってるよ。

 成田に着いて最初の印象は、とにかく空気が綺麗で、そして静か! この国では静寂が無料なのだ! 嗚呼我が祖国、麗しきかな汝が静けさよ。
 すごく寒いのですが、事前にビビりまくっていたせいか、予想ほどのショックは受けず。それより、空港職員の方が大変礼儀正しく親切で感激しました。

 京成電車の中で、お年寄りに席を譲る。子供みたいなことですが、こういうところはエジプト人を見習いたいし、イスラーム的にも義務だと考えています。
 途中の駅で席が空いたところ、中国人のおばちゃんが大声で呼んで座れと言ってくれる(多分)。あぁ、この感じはエジにちょっと似ています。エジプト滞在中、わたしの中国人イメージがかなり良くなったのですが、このおばちゃんにも愛しさまで感じられます。
 アンタらとウチらは色々すごく違うけど(特に体重)、そんなん大したこととちゃうやんね。うち、豚肉食べんしお酒飲まんけど、鳥の鍋とか一緒につついたらめっちゃ楽しいやんね。
 それにしても、どんな大荷物を抱えていても、日本人は絶対助けてくれませんね。成田近辺でスルーされるのは当然ですが、地元駅近辺まで来ても見向きもされない。別に助けて貰わないでも問題ありませんが、エジプトではあり得ない状況です。

 というわけで、とりえあず日本に帰ってきましたが、ブログはぼちぼち続けます。
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  1. 帰国|2010/01/13(水) 04:18:49|
  2. エジプト留学日記

ニカーブの治安上の問題、ファルドとスンナ、地味なエジプト人

 土曜日。
 M女史の授業で、ニカーブの治安上の問題が話題になる。
 ニカーブを着る着ないは自由ですし、いかなる宗教的権威、あるいは政府といえども、これを完全禁止するのは不可能でしょうが、学校や病院など、特定の場所では既に禁止されています。看護婦がニカーブをしていて、万が一顔を隠した悪意をもった者が入り込んだら、とんでもないことになるからです。
 以前に男性がニカーブを被って大学の女子寮に侵入した事件がありましたが、これについて詳しい顛末を聞くことができました。侵入した男性は十五名で、わたしはてっきりバカな男が良からぬ目的で潜り込んだと思っていたのですが(今でも公式にはそうなっているはず)、M女史の見解では、おそらく内部の女性の手引きがあったのだろう、とのこと。いかにニカーブを被っていても、ゾロゾロでかい女が女子寮に入っていたら、人目を引き過ぎます。本物の女子学生が、二カーブ同士で彼らを手引きした可能性が高いらしいです。
 要するにバカ女子学生が共謀して男を連れ込んでいたらしい、ということで、呆れてものも言えないです。

 「男性がニカーブを被って悪さを働く」というのは、現実にあるようで、彼女はトラムやメトロの中で、明らかに男性と思しきニカーブ着用者を何度も見たことがあるそうです。「手や目が明らかに男性だし、絶対変だと思った」。
 また、彼女が友人女性とトラムに乗っていた時、そういう「怪しい人」がそばにいて、降りた後に友人のバックがナイフで切り裂かれ、中のものが盗まれていた、ということがあったそうです。

 ニカーブについては、エジプト国内でも意見が分かれていることは何度も書きましたが、このような事例が度重なれば、反ニカーブの動きが強まるのも無理もありません。もちろん、悪いのはニカーブではなく、それを悪用する一部の男性(や一部の女性)なわけですが、そうは言ってもニカーブ着用者向けに検問を実施するわけにもいかず、現実問題としては、「ニカーブ禁止区域」を広げていく、という対応になるのではないでしょうか。

 ニカーブをفرض(ファルド、義務)だと言う人がいますが、エジプトで主流派の意見はسنة(スンナ、預言者様صの時代の慣習)であって、ファルドではない、というものです。わたし個人としてもそう感じますし、M女史によれば、クルアーンには

اضرب بخمورهن على جيوبهن

 「ヒマールを胸の上のかけよ」とあるだけで、ニカーブもしくはニカーブを意味する着衣がファルドである、という記述はどこにもありません。
 خمارヒマールというのは、赤頭巾ちゃんの頭巾のような形のもので、髪を覆うと共に胸の辺りまで一枚の布をすっぽり被せるものです。髪や首筋、胸のラインは隠されますが、顔は全部見えています。ヒジャーブ+アルファくらいの隠蔽グッズです。
 ちなみに、これを被るとラインが超なで肩になって、動物っぽくて超可愛いです(笑)。カタカナで書くと「ロバ」のヒマールと一緒になってしまいますが、実際は発音が違います。どっちも可愛い、という予期せぬ共通点がありますが。
 預言者様صの妻たちがニカーブをしていたと言われていますが、一般ムスリマには適用されず、かつこの時代はムスリムは敵に取り囲まれていて、顔を晒すことに危険があったのです。その為の特例措置として預言者様صの妻だけに行われていたことが、拡大解釈されている、というのが公平な見方ではないでしょうか。

 加えて、現代エジプトの実際のニカーブ女性には、単なる「流行」として着用している人が少なくなく、ニカーブはしているものの、ジャラジャラと宝飾品をつけド派手なアイメイクをしている女性もいます。これでは「スンナに従う」どころか、普通のヒジャーブの女性よりも非イスラーム的で、まともなムスリマには眉をひそめられています。
 更に、時々小学生くらいの女の子にニカーブを着せているケースがあり、これはイスラーム的にもマイナス評価されることです。クルアーンや礼拝の仕方を学び始めるのも小学生時分で、この時はまだヒジャーブもしません。断食だって、子供には義務がなく、最初は「お昼まで断食ね」と練習から始め、徐々に慣らしていくのです。ヒジャーブを始めるのは十二歳か十四歳くらいからで、言わば「大人への一歩」として髪を隠すのです。それ以下の子供は「男女以前」として扱われるのがイスラーム社会であって、そんな子供にニカーブまでさせる、というのは、イスラームの曲解としか言いようがありません。

 ファルドは文字通り義務ですが、スンナというのは、預言者様صもしくはその周囲の方々の慣習のことで、義務ではありませんが「お手本に従う」という意味で良しとされるものです。
 ですが、あくまで彼らの行いを真似しているだけであって、神様から課された義務ではありません。
 有名なところでは顎鬚を伸ばす、というのがありますが、これは預言者様صが顎鬚を伸ばしていたから真似しているだけであって、ヒゲそのものはイスラーム的に何の意味もありません。おそらく預言者様صだって、何かの必要があれば剃っていたでしょう。伸ばすのは勝手ですが、伸ばさなかったからといって、何ら落ち度のあるものではありません。
 ちなみに、現代エジプトにおける顎鬚は「イスラーム主義者」の象徴のようにとらえられているところがあって、下手に顎鬚を伸ばしていると、当局に睨まれるキッカケになることもあるようです。
 F女史の兄弟が顎鬚を伸ばしていて、かつ学生時代に学生団体(イスラーム主義団体ではない)に所属していたらしいのですが、それが理由か、ある日の早朝、突然公安が家に押しかけ、連行されそうになったことがあったそうです。
 母親が必死で泣いて頼んで、何とか難を逃れたらしいですが、エジプトで「ちょっと署まで」と連れて行かれると二度と帰って来ない、ということが珍しくないので、母親が泣くのも小芝居ではないでしょう。笑い事じゃありません。

 N女史の授業。
 動物好きにはたまらないアーヤ(クルアーンの一節)を教えてもらう。

ما من دابة على الأرض إلا وعلى الله رزقها

 「地上のどんな獣にも、アッラーの恵みがある」。
 この解説の時にN女史が描いた絵が超可愛かったです。

すべての獣に恵みがある
すべての獣に恵みがある posted by (C)ほじょこ

 「蛇がお腹すいていると小鳥とかねずみとかがいて食べられるよ」の意です。小鳥には小鳥の餌があるのよね。省略してるだけだよね。うん、きっとそうだ。

 授業後、二日連続Nちゃんの家に遊びに行く。
 昨日渡そうと思っていた日本の五円玉(御縁とかけてお守りにw)を渡し忘れたので、そんなしょうもない用件でお邪魔してしまいました。
 最初はしんどかった彼女の家への通りも、すっかり平穏に通れるようになりました。何度か通って場慣れしたこともありますが、わたしが彼女の友達だ、ということが早くも認知されている空気があります。
 流石に地域住民全員が知っているということはあり得ませんが、彼らの会話を耳ダンボで盗み聞きしていると、中国人でも韓国人でもなく日本人と言っていて、「どこそこの娘の友達」といった言葉が拾えます。
 彼女のアパートのエレベータで、住人の男性と一緒になったのですが、「何階?」と聞かれて「五階」と応えたところ、「あぁ、あの日本語勉強している娘の友達か」と合点されてしまいました。
 彼らはとにかくご近所ネットワークが尋常ではなく密なので、「怪しい輩」にはすぐ絡んできますが、一端ネットワークの一部に繋がると、意外なほど普通な扱いをして貰えるようになります。
 エジプト人と結婚している日本人女性には、わたしなどには想像もつかない苦労があることでしょうが、一方で「地域に組み込まれることで得られる安定」というメリットはあるはずで、もしかすると一人暮らしのわたしが以前受けていたような冷やかしは、逆にあまりないのかもしれません。

 前日にドライヤーやらマニキュア除光液やら、荷物になるので処分したいものを色々押し付けてきたら、ガラベーヤや礼拝用の絨毯をプレゼントしてもらってしまい、恐縮至極。もうスーツケースがパンパンです。
 彼女とは、ちょっと話しているとイスラームの話題になってしまうのですが、わたしが「明日しかもう時間がないし、勢いでアズハルでシャハーダしてこようか」とか悩んでいたら「別に今度来た時でもいい。日本よりはエジプトでシャハーダする方が簡単で良いと思う。そもそも、シャハーダして証明書を貰うのは、国との関係など手続き上のものだし、一番大事なことじゃない。それでもムスリムだ」と言います。
 「わたしは正式なシャハーダをしていないけれど、少なくともمؤمنة(ムウミナ、神様を信じている人)だ。でも、わたしが『宗教は何ですか』と尋ねられて『イスラームだ』と答えたら、それは嘘になるんじゃないか」
 と尋ねたところ、
 「全然嘘じゃない。問題ない」
 と言います。
 一介の女子大生の意見なので、別に何の権威もありませんが、何だかものすごい気持ちが楽になりました。本当に、肩の力がスーッと抜けました。
 冗談で「ノッス・ムスリマ(半分ムスリマ)だね」と言ったら「ノッスじゃない。カーミラ(完全)だ」と言います。
 カーミラには程遠いですし、遠からずシャハーダはするつもりですが、極めて私的な事情でちょっと問題もあるので、それまでは心がけだけでもムスリマをやっておきます。エジプトでならともかく、日本で宗教を尋ねられることはまずないでしょうが、尋ねられたらちょっとビビりながら「イスラームです」と答えることにします。
 ヒジャーブはね・・悩んでいるんですよね。まぁ、焦って被らないようにはしておきます。
 以前日本でお会いした日本人ムスリマも、会った時はヒジャーブをしていましたが、「さすがにこれで会社に行く度胸はない」と言っていて、普段はヒジャーブなしで生活しているそうです。まぁ、とりあえず最初はそんな感じで、ムスリマの末席のそのまた下の鞄持ちくらいで地味にやっていきたいです。

 わたしは品行方正な人間には程遠いし、自分勝手で荒っぽいことでは右に出る者もいないような鉄砲玉ですが、スーラ(クルアーンの章)を読む度に感じる素晴らしい平安は、他で得ることのできないものですし、常に神様を身近に感じます。やっぱりコレと、離れて暮らすことはできない。
 信仰がすべてではないけれど、すべてが信仰に関係している。

 彼女は日本語の読解力はかなりあるのに、会話が上達しないで悩んでいます。また、日本人と友達になりたいのに、なかなか友達ができないのも辛いらしいです。
 まだ学生なので本格的に働くのは難しいですが、「日本語を使う仕事をした方がいいよ。カイロなら観光関係とか、日本企業の秘書とか、色々あると思うよ」と言うと、観光関係は気が進まず、翻訳などをやりたいようです。
 「翻訳はお金にならないよ。第一、会話力が付かないやん」と言うと、
 「でも、日本語以前に、人と話すのが苦手だから・・」と、実も蓋もないことを言い出します。
 「いやいやいや、それじゃあいつまで経っても会話が上手くならないよ! Don't be shy!」と励ましましたが、これでは普通の日本人・エジプト人関係と逆です。普通は、底抜けにオープンマインドで誰とでも話すエジプト人が、「日本人は何でそんなにシャイなんだ!?」と突っかかるのです。
 先日紹介したK氏とも、会話の間が持たないのが気になって仕方ないらしく、本当に日本人みたいな性格です。「面と向かうと喋りにくいものだから、一緒に本を読むとか映画を見るとか、共通の対象を作ると会話しやすいよ」とか、恋愛アドバイスみたいな話になってしまいます。世話が妬けるなこの小娘はっ!
 まぁ確かに、エジプトの男性はすべてにおいてリードしてくれるので、彼のような礼儀正しい普通の日本人男性が相手だと、何をして良いやらわからなくなってしまう、というのも理解できないでもありません。「でも日本人は普通あんな感じだし、わたしみたいなのは『悪い日本人』だ。Nちゃんは日本好きなんだから、男の人が相手でも積極的に喋って大丈夫だし、喋った方がいい」。
 「人と話すのが苦手」というなら、わたしも決して社交的な人間ではないつもりなのですが、少なくともエジプトでの振舞いは、かなり「異常な日本人」です。もう数え切れないくらいの人に「お前は日本人のクセに、何でそんなに喋って、分かりやすいんだ?」と言われました。単にバカと言いたいのかもしれません。まぁバカですが。
 「Nちゃんは本当に日本人みたいだね。日本人が間違いを恐れて英語を喋れないみたいだ。細かいことは気にしないで、まずはガンガン喋るんだよ! 言いたいことが一杯あるでしょ? ない? あるはずだよ! ある! だから無理にでも何か喋んなきゃダメ!」と、エジプト人相手とは思えないようなアドバイスをまくし立てます。
 まぁ確かに、彼女が饒舌になるのは日本への愛とイスラームを語る時だけなので、トーク上手とは言えません。対日本人なら、これくらい控えめな方が好印象かもしれませんが、エジプト社会ではさぞ息苦しいことでしょう。実際、全然話題が合わないし、いつも「何で黙ってるの? 機嫌が悪いの?」と突っ込まれ、辛い思いをしているそうです。日本の芸能人とか、わたしより詳しいのに、エジプトの流行には全然付いていってないですから、わたしと逆です。
 「本当に話の通じる相手は、○○さん(わたしのこと)みたいな『変な日本人』か、ネット上の人だけだ。学校の友達とかは、世界が違う」と、「アンタは日本の引きこもりかっ」とツッコみたくなるような地味っぷりです。

 外人がエジプトの男性と会話するのはまったく難しくなく、むしろひたすら鬱陶しいくらいですが、女性と話す機会はあまりありません。まして男性なら、エジプト人女性と友達になるのは至難の業と言って良いでしょう。
 それだけ「日本人にとってのエジプト女性」というのは、レアで価値のあるものなのですから、「口を利いてやってるのよ」くらいの勢いで、自信をもって喋って欲しいです。
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