F先生の授業中、エジプトの懲役制が話題になり、そこから大幅に脱線して語り捲ってしまう。 エジプトは徴兵制で、将校は三年、兵卒は一年の義務があるそうです。彼女の弟さんが丁度今軍役の最中で、たまの休日に帰ってくると、元は少し太り気味だったのがすっかりスリムになり、真っ黒に日焼けし、軍隊生活の過酷さをこぼしている、と言います。日本の自衛隊だって大変でしょうが、エジプトの軍隊は食べるものもロクに与えられず、炎天下(日本の炎天下の比ではない)で延々立たされたり、怪我をしても医者にかかれなかったり、腐ったような水を使わなければならなかったり、刑務所なみのようです。 ですが、個人的には、わたしは徴兵制を支持しています。 軍隊なんか誰だって行きたくないですが、その最悪な軍隊がなぜ必要なのか、あるいは本当に必要なのか、全国民が直接対峙すべきだと考えているからです。貧乏人が他に職がなくて入る軍隊なんて、真の「防衛軍」ではありません。軍の仕事は、普通の仕事とは違います。世界中どこでも、人を殺すことが正しい行いのわけはないし、それをどうしてもしなければならないのだとしたら、そこには止むに止まれぬ義がなくてはいけません。貧しい人間が「職の一つとして」入るような軍隊であってはなりません。軍を維持するなら、断固徴兵制を採るべきだと信じています。 話の流れの中で、ジョシュア・キーの『イラク―米軍脱走兵、真実の告発』(原著The Deserter's Tale: The Story of an Ordinary Soldier Who Walked Away from the War in Iraq)に触れました。貧しい家に生まれ、家族を養うために軍隊に入り、米国の大義を信じてイラクに派兵されたものの、そこで目にした矛盾と不正義に耐え切れず、脱走兵となった人の本です。翻訳を読んで、わたしは泣きました。 「イラクの人々が最大の犠牲者なのは言うまでもないが、アメリカの末端の兵士、貧しさから軍隊に入らざるを得なかった人々も、同じく犠牲者だ。金持ちが軍役を逃れ、軍隊がただの仕事に成り下がっているから、こういうことが起こる。軍隊が本当に必要で、やむをえない戦いだけしているなら、なぜこんな馬鹿げたことが起こるのか。軍を維持するなら、徴兵制を採るべきだ。エジプトの軍隊には改善の余地があるだろうが、徴兵制自体は正しい」。 ジョシュア・キーの本の中には、彼が上官につっかかり、「テロリストを焙り出す家宅捜索と言いながら、来る日も来る日も何も出てこない。テロリストというのは、我々のことなんじゃないのか」「なぜこんなことをしなければならないんだ?」と言う場面がありますが、上官の答えは「お前が書類にサインしたからだ」というものでした。