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エジプトの治安はなぜ良いのか、イスラームと乞食

 エジプトの治安はなぜこんなに良いのでしょうか。
 世界的にも異様に安全な日本で育ってしまうと、なかなか気づけませんが、今日の食べ物にも困る人たちが溢れかえっているにも関わらず、日本と大差ない防犯意識で何とかなる、というのは、よく考えると驚異的なことです(詐欺・ボッタクリは非常に多いが、そもそも「詐欺」の基準が日本と違うので、総てが犯罪と言えるのかは疑問)。
 もちろん、カイロだって普通に犯罪はあるわけですが、それを言ったら日本だってあるわけだし、女の一人歩きが冷やかされると言っても、襲われたり殺されたりするわけではありません。欧米の大都市ではあり得ないでしょう。

 すぐに思いつく理由は、ただ単に権力が力で圧している、ということ。特に市の中心部は至るところに自動小銃を持った警官がいますし、捕まったらとても人権の保障された処遇を受けられるとは思えません(笑)。
 尤も、彼らは軽犯罪についてはまったく頼りにならず、届けを出しても所轄の責任になるのを嫌ってスルーする、という話も聞いたことがあります。わたしは一遍、警察署の目の前で車に轢かれかけ、運転手を突き飛ばす勢いでキレまくって騒いだのですが、警官は笑っているだけでした。ちゃんと轢かれていたら良かったのでしょうか・・。

 それ以外でよく言われるのは、信仰の力。狭義の信仰というより、大衆の倫理意識、ということです。
 でも、この「信仰の力」というのが曲者で、おそらく、「深く信仰を内面化しているから犯罪を起こさない」という側面は、一般のイメージほど強くないのでは、と思います。そういう面では、信仰なき日本人の方が余程「第三者の審級の内面化」が浸透しているように見えます。
 より強く働いているのは、犯罪を犯す側ではなく、それを制する側ではないのでしょうか。道で何か起これば、まったく普通のおっちゃんでも、決して見て見ぬふりをすることがありません。ちょっとした口論でも、「我こそ」ぐらいの勢いでみんなが仲裁に介入するので、仲裁のそのまた仲裁が要るんじゃないか、と思うくらいです。「義を見てせざるは勇なきなり」の精神が、溢れかえって吹きこぼれています。
 「倫理意識の内面化」を待つまでもなく、外面から直接パワーが行使されるので、少なくとも人目のある状況で非道を行うのは極めて困難です。信仰というより、ただ単に「何にでも首を突っ込みたがる」おせっかいなエジプト人の性質かもしれませんが・・。

 話が逸れますが、こう書いていて気づいたのは、一部のエジプト人、またはアラブ人全般において、「第三者の審級の内面化」が脆弱に見受けられるのは、実は、内面化を待つまでもなく明示的なパワーが介入するからかもしれません。この「ご近所さんパワー」が余りに強いので、かえって「第三者の審級の内面化」が進まなかった可能性もあります(エジプト人がまったく内面化していない、という意味では全然ないし、都会の一定以上の階級の人は、欧米並みには内面化していると思います。現象としての実情ではなく、人類学的余波として残る気風について書いています)。

 話を戻します。
 信仰・倫理について、もう一つ強く感じるのは、「施し」の慣習です。
 物乞いに対して、人々が普通に施しを与えるのです。これが、場合によってはかなりの率になり、乞食の中には意外とお金持ちがいるそうです。物乞いでこれだけ稼げるなら、リスクのある犯罪を犯そう、という気持ちを抑制する効果もあるでしょう。
 物乞いに限らず、弱者に対する草の根的な援助が至るところで見られますが、こうした行為は、単に与える側の自己満足になるのではなく、結果的に弱者の暴走を防ぎ、犯罪を予防することになっているのでしょう。
 そうした行為が、多くの場合、手から手へ、直接顔の見える関係で行われているのも、重要です。
 システマティックに政府が吸い上げて再分配する、という仕組みも重要ですが、それだけだと、心理面での効果が薄弱です。システムで運用するのは、一見合理的ですが、途中の過程でのロス(普通の人件費だけでなく、必ずくすねる奴が現れるでしょう、特にエジプトでは・・)、心理的プレッシャーが激減することを考えれば、実のところそんなにスマートではないのではないでしょうか。みんなが一人一人実行する方が、助けられる側にも街との一体感が生まれます。
 イスラーム圏の乞食は、施しを受けても頭など下げません。堂々としています(というか、人間に深く頭を下げることはイスラーム圏ではやってはいけないこと)。富めるものが貧しいものに施すのは当然だし、すべてはアッラーの恵みなのですから、それを返すだけのことです。
 そうは言っても、無制限に施しまくっていたらキリがないので、財布の紐は必要なのですが(笑)、これくらい堂々とされると、施す側にも変な気負いが生まれなくて、かえって気楽です。大体、施しそのものが結果的に自分の身を守ることになっているのだとしたら、来世概念抜きでも相応の支出と言えます。

 「施しは義務だ」と言われると、日本人の端くれとしてはちょっと違和感を抱きますし、「施しなんだから、できる人がする」という考え方の方が自然に感じはします。ですが、現実問題として、「できる人ができることから」というやり方では、心理的な垣根が高すぎます。施す側も施される側も、気負いが要求されますし、「どこから先が『できる』やねん」という変な葛藤も生まれます。「施しは義務である」くらい明示してあげる方が、施す側にも優しいのではないでしょうか。
 少なくともわたしが施す側なら、「自分のためにやっているんだ、これは自分と神様の問題であって、他人も施される側も関係ない」「コイツは別に可哀想でも何でもないけど、天国に行きたいからいっちょ施しとくか」くらいに思う方が、気楽に手助けできます。
 イスラームの、こういう「性弱説」的に一々フォローしていく雰囲気は、実も蓋もないようで力強いなぁ、といつも感じています。

 貧富の差というのは、社会の非常に大きなリスク要因になるわけで、エジプトの現状は決して褒められたものではありません。政策上は問題だらけだと思います。
 それを補っているのがこうした宗教的草の根パワーなわけですから、不満分子がイスラーム主義に流れるのも、無理もないように見えます。
 不満が爆発して極端なイスラーム政権ができても、結局は住人たちが困ることになりますし、うまいバランスで、政策の中に穏当なイスラーム主義的思想が取り込まれていってくれれば、個人的には嬉しいのですが・・。

 こうした環境を、宗教一つに還元することはできないのですが、それでもイスラームがなかったら成り立たない社会ではあるでしょう。
 最近パッとしない我が祖国ですが、これでもっと落ちぶれた時に、近代的システムが極貧者の最後の助けになってくれるとは思えません。極端な話、今の日本がそのままの気風でエジプトの経済規模まで落ち込んだら、間違いなくエジプトより遥かに悲惨な状況を見るでしょう。
 日本では助けを求められずに命を落としてしまう方もいるようですが、もっとみんなガンガン乞食をやったら良いと思います。
 帰国して職がなかったら、わたしも乞食になりたいです。その時はよろしくお願いします(笑)。


追記:
 イスラーム圏の乞食については、保坂修司さんの『乞食とイスラーム』が非常に面白いです。またペシャワール会の中村哲先生も、アフガニスタンでの乞食について書かれていて、その乞食との対話にイスラームにおける物乞いの位置づけが非常に明晰な形で現れていた記憶があります。

夜の街の子供
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エジプト  カイロ  イスラーム  治安  乞食 

テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報

  1. エジプトの治安はなぜ良いのか、イスラームと乞食|2009/10/18(日) 08:18:22|
  2. エジプト留学雑記

わたしたちはみんな乞食なのではないか

 今日、仕事の面接に行くためメトロに乗っていると、物売りの少年がクルアーンの章句をプリントしたような紙を乗客の膝の上に配りだしました。
 よくある光景で、メトロやバスの中で、物売り(大抵子供)が、変なキャラクターシールとか安全ピンとか、およそ要りようとは思えないものを、片っ端から乗客の膝に置いていきます。要らなければ、そのまま何もしなければ回収に来ます。欲しければ回収時にお金を出せば良いのですが、ほとんど売れません。
 今日は前の座席に座っていた優しそうなおばちゃんが、珍しくお金を払って「紙」を買っていました。少年が行った後、向かいの席の女性に「いる?」と尋ねています。向かいの女性も苦笑いして「いらない」と答えています。もちろん、おばちゃんはこんな「紙」が欲しかったわけではなく、少年が気の毒でお金を払ってあげたのです。

 カイロ市内には、所謂「乞食」が沢山います。
 道に座って窮状を訴え哀れみを乞うスタンダードな「乞食」もいますが、ひたすらまとわりついて「マネーマネー」とせがむストリートチルドレンもいます。また、道端で哀れみを乞う悲痛な言葉を語りながらティッシュなどを売っている女性も多く、これらは純粋な「乞食」ではありませんが、ティッシュなんてどこのコシュク(売店)でも売っているわけで、準「乞食」的存在と言って良いでしょう。車内の物売り少年も準「乞食」的です。

 わたしたちは普通、物やサービス・労働力を提供して対価を得ることと、「乞食」の間にクッキリと線を引き、まったく別種のことだと考えています。何も生産しないでお金だけもらおう、という「乞食」を、卑しい存在だと思う人もいるでしょう。実際、ストリートチルドレンの中には、かなりしつこくて厄介な子もいて、あしらうのに苦労します。
 でも、今日、物売りの少年からどう見ても必要のないものを買っているおばちゃんを見て、突然ゲシュタルトが歪むような感覚を覚え、「わたしたちは皆、実は乞食なのではないのか」という考えが浮かびました。

 わたしたちは、生産物を売って対価を得ることは「正当」であると考えます。なぜなら、生産物には対価に値する「価値」があるからです(だから「対価」という)。
 しかし、ものの値段というのは、絶対的に決まっているものではありません。エジプトでは定価という概念が通用しませんが、そもそも値段というのは売り手と買い手の出会いと探りあいの中で決まるもので、「相場」はあっても「定価」、すなわち「売買に先立つ価値」というものは、ファンタジーにすぎません。
 売買の前には価値も価格もなく、後に「相場」が残ります。物自体の価値とか「定価」的思想というのは、売買の後で遡及的に想定・投影されたものです。
 だから、売買が「正当」であることを「正しい価格で売っているから」と基礎付けるのは順序が逆であって、なぜ「正当」であるかと言えば、それを正当だと思って買った人がいるからです。つまり「正当だから正当」というだけの話で、本当に存在するのは、売り手と買い手の一発勝負だけです。

 ものそのものに先験的な価値がない以上、わたしたちは皆、物売りの少年のように他人の膝にものを乗せて、運良く買ってくれる人を待っているだけです。場合によっては、形になるものは何も与えないで、言葉だけで(「哀れみを訴える」)報酬を得ます。
 では結局「お客様は神様」というだけなのでしょうか。

 物乞いがこれだけ成立するのは、貧者に施しを与えることが徳を積むことになる、というイスラーム的思想が背景にあるからです。
 しかし、イスラームと限定しなくても、わたしたちが財を与えることができるのは、どこかで財を得たから、つまり乞食的に運良く買い手に出会えたからで、かつその前に売れるものを得ることができたからです。
 日本は「生産」でのし上がってきた国なので、物というのは「作る」というイメージが強いですが、何を作るにも原料が要り、元をたどれば全部自然の恵みです。農業だったら、手間はもちろんかかりますが、極端な話、種をまいてじっと待って、できあがったものを食べたり売ったりしているわけです。途中でかかる手間暇というのはもちろん重要ですが、そこだけ見ていては根本にある「自然=外部からの圧倒的な贈与」という面が見えません。
 イスラームが施しを強調するのは、単に「貧しい人を助けましょう」という道徳を訴えているだけでなく、財などというものは、所詮は全部アッラーが恵んでくださったものなのだ、ということを思い出させようとしているからでしょう。
 わたしたちは、買い手の前で乞食ですが、それ以上に、アッラーに対して乞食です。
 アッラーと言われて抵抗があるなら、大自然に対して乞食でもいいです。
 とにかく、「お恵み」をもらって生きていることでは変わりありません。

 こんなことは当たり前のことかもしれませんが、今日ハッとした気分になったのは、多分、少年が純粋な乞食ではなく、明らかに必要のないものを「売って」いたからでしょう。彼の存在が、わたしたちが「正当」と考えているスタンダードな売買と、スタンダードな乞食の媒介項になって、「実は同じことなんじゃないか」という閃きにつながったのだと思います。
 イスラーム圏で乞食が妙に堂々としているのはよく知られていますが、彼らが堂々とできるのは、逆説的にも彼らが「正当」だからです。この「正当」は、普通の売買における「正当」と連続しています。両者が隔絶していると思うから、乞食の厚顔ぶりが釈然としないのであって、わたしたちも乞食と同じくらいお恵みと情けにすがっているのだ、ということに気づくと、狭義の乞食にも、わたしたちと同じ程度には「正当」性があるのがストンと落ちてきます。
 乞食が感謝するのは施しを与えた人ではなくアッラーです。なぜなら、富める者の財も貧者の財も、結局すべてアッラーが与えたものだからです。
 乞食の「正当」と売買の「正当」、乞食の生きる権利とわたしたちの生きる権利、こうしたものが、圧倒的な外部としてのアッラーという一点を媒介して、連続しています(日本的に言えば「自然」とか「世間」になるのかもしれません)。

 少年は変な紙切れを与えてお金を貰っていましたが、わたしは何も与えないで、閃きを貰いました。わたしの方が乞食です。
 アッラーに感謝します。


 なお、イスラーム世界の「乞食」については、保坂修司さんの『乞食とイスラーム』という本が非常に面白いです。また、「命がけの飛躍」云々というのは、柄谷行人さんがさんざん書いていたお話です。アラブ世界では、氏が強調していた商業と資本の本質が非常にわかりやすく露出していると言えます。当人たちは、当たり前すぎて深く考えることもないでしょうが・・・。

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シタデルそばの丘を歩く女性 posted by (C)ほじょこ
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  1. わたしたちはみんな乞食なのではないか|2009/09/03(木) 18:18:39|
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