イスラエルの臓器売買疑惑 posted by
(C)ほじょこ
ウクライナ、二万五千人の子供を臓器売買のために誘拐したとイスラエルを告発
昨日、アメリカのニュース網CNNは、最近ウクライナ内の多くのニュースサイトが、イスラエル当局が二万五千人にのぼる子供の「集団殺害」を犯し、それをウクライナから臓器売買目的で取り寄せた、という疑惑を伝えている、と報じた。この嫌疑についてのイスラエル側からの公式の回答はない。
イスラエル「ハアレツ」紙の回答によると、このニュースは旧ソ連の選挙キャンペーン中に出てきたものである。また、もう一つの出所は、数ヵ月後のあるスウェーデン紙の報道で、イスラエル軍が臓器を得る目的で大量のパレスチナの若者を虐殺した嫌疑を伝えるものである、という。
この報告は、作家で学者のファイスルーフ・ジューディーンが、ウクライナの首都キエフで先週行われた会議で引用した話に拠る。イスラエル人が、イスラエル医療センターでの「交換用の肉片」のために、ウクライナから二万五千人の子供を二年間に渡って取り寄せた、というものだ。
ジューディーンは、先週始めの「ビシードゥー」会議に参加した三百にのぼる学者の前で語ったところでは、ウクライナ人が、イスラエル人によって養子に取られた十五人のウクライナの子供についての広範な調査を行っが、結果は杳として知れず、ただ、医療センターが彼らを引き取り、彼らが「交換用の肉片」として用いられたことは明らかである。イスラエル紙の報じるところでは、ウクライナの哲学者が「すべてのウクライナ人が、イスラエル人の犯した虐殺行為の真実を知る必要がある」と付け加え、「ウクライナのユダヤ人が担っている役割を知るために、すべてのウクライナ人にこの情報を知らせなければならない」と続けた。
一方、ロシア最高位のラビ、ビーリール・アーザール氏は、このウクライナ・メディアの流している報道を非難した。イスラエル紙は、彼の「ウクライナの政治秩序は、民主主義の馬鹿にした物真似と言える」との言葉を伝えている。
およそ三ヶ月前にスウェーデンのウフトゥンブラディード紙が伝えた報告の後、イスラエルとスウェーデンの間には外交危機が勃発している、という。イスラエル兵らが、パレスチナの子供と青年を殺す前に、臓器を摘出した、というものだ。
少しややこしいですが、疑惑は二つです。
一つは、旧ソ連時代のウクライナで、イスラエルが大量の子供を臓器売買目的で養子に取った、というもの。これが最近になってウクライナで掘り起こされ、問題になっている、ということです。
もう一つは、(おそらく最近)イスラエルがパレスチナ人を殺す前に臓器を抜き取っている、というもの。スウェーデンで報道されているそうです。
伝聞の多い記事ですし、この手の記事に誇張や誤報が多いのは事実ですが、まったく根も葉もない噂と断じるのも早計です。なぜか日本では、イスラエルの数々の行いが「あり得ない」として真面目に取り上げられない傾向があるように見えますが、その「あり得ない」ことを本当にやってしまうのがあの人たちなので、一応留保して観察して頂きたいです。事実だとしたら恐ろしい話です。
一方で、記事からは、「ウクライナのユダヤ人に注意しろ」という言論がウクライナで盛り上がっている様子が伺えますが、問題を「ユダヤ教」に帰してしまうのも危険です。問題はイスラエルという国家とシオニストの蛮行にあるのであって、宗教は直接的には関係ありません。ウクライナで暮らすユダヤ教徒のほとんどは、極普通の市民のはずです。
在日朝鮮人の問題を思い出して、少し心配になります。
もう一つ覚えておきたいのは、こうした記事は、エジプトの政府系の新聞にはまず登場しない、とういことです(この記事は非政府系新聞のもの)。別段、サーダートの結んだ和平と現在のエジプト-イスラエル関係を否定しようというのではありませんが(戦争よりはマシに決まっている!)、彼らが国民の思いを反映していないのもまた事実です。
追記:
スウェーデンで報道されているパレスチナ人臓器売買については、8月の時点で以下等に日本語情報が出ていました。
IRIB日本語ラジオ
イスラエル軍がパレスチナ人の遺体の臓器を略奪 シオニスト、パレスチナ人の臓器売買の公表を阻止 イスラエルによるパレスチナ人の臓器略奪
パレスチナの敵をストックホルムで討つな? - flagburner's blog(仮)
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テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報
- イスラエルの臓器売買疑惑|2009/12/08(火) 03:48:33|
- 新聞・メディア
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9/24
朝、サイードとの約束で、一緒にシャルム・ル=ミーヤのイル=ハドバへ。オールドマーケットのあるシャルムの南側のエリアから、丘を越えて東に出たところです。日本のガイドブックではあまり紹介されていない場所ですが、銀行や郵便局がある他、アルフ・ライラ・ワ・ライラ(千一夜)という巨大なリゾート施設があり、その先の岬に灯台があります。
岬の突端に、2004年にフランスの飛行機が墜落したことを記念する慰霊碑があります。この慰霊碑の下は、特にビーチとして整備されているわけでもなく、普通に海に下りていくことができます。また、慰霊碑が丁度良い日陰を作ってくれていて、どこのお店にも入らずぼんやり涼を取ることができます。さすがジモピー、良い場所を知っています。こういう「階段に座って缶コーヒーとタバコ」的世界が大好きです。
シャルム・ッシェーフの慰霊碑 posted by
(C)ほじょこ 車を降りる時にサイードがキーロックしてしまったのですが、まったく動じる様子がありません。ニコニコしながら「後で直す、インシャアッラー」というだけです。
とりあえず慰霊碑の影でぼんやりお喋りします。同じ日陰には例によって警官のおっちゃんがいます。
海を眺めると、作り物のような緑色のきれいな魚が泳いでいます。「釣りできる?」と聞くと「釣れるけど、禁止されている」とのこと。確かに、シャルムではあちこちに釣り禁止や不法投棄を禁じる看板があります。自然が売り物のリゾートなので、さすがに自然保護には神経質になっているようです。ちなみに「食べられる?」と尋ねたら「食べられる」そうです。
日本のことを色々尋ねられたりして、お喋りします。彼に電話がかかってきて、30分ほど離れることになったので、一緒にキーロックした車まで戻ります。
彼はその辺に落ちていた自転車の廃チューブのようなものを拾い、折り曲げて少しだけ隙間をあけてあった車の窓から差し込み、30秒くらいでキーロックを解除してしまいました。
日本だったら即プロに電話する状況ですが、エジプト人はこういう不測の事態に異様に強いです。何でも修理して使うし、車に乗る人なら誰でも車を直せそうな勢いです。こういうタフネスは本当に見習いたいです。カッコイイ!
サイードが用事で離れている間、新聞を読んだり警官のおっちゃんと話してぼんやりする。
警官はよくいる普通のおっちゃんと一緒で、イイヤツではあるけど教養はなく、失礼な質問も平気でする人です。失礼な質問や、二人きりになると油断も隙もなくエロオヤジに変貌するパターンに対する対応には、かなり習熟しました。キレてもいいのですが、キリがないので「かわす技術」がとても重要です。
ちなみに、ガイドブックなどでは「とにかくついて行きさえしなければ安全」という記述があり、確かに全くその通りなのですが、それだと面白いことも起こらず退屈です。責任持ちたくないので推奨はしませんが、ギリギリまで近づいてかわすのが、一番楽しくて言語やトーク外交術の訓練にもなり、情報も得られます。武道と一緒で、一定の技術があれば、思い切って踏み込んだ超接近戦領域というのは、意外と安全です(笑)。
サイードがテイクアウェイのコクテール(フルーツブロック)を買って戻ってくる。自分は食べないのに、わたしには猛烈に薦めて、こんな調子ではすぐデブってしまいそうで恐ろしいです。「断る技術」も超重要(笑)。
とにかく彼は、わたしがエジプトで会った中でも一級のイイヤツで、近くカイロに来るということだったので、絶対また会いたいです。
サイードが長距離バスターミナルまで送ってくれる。
またベドウィンどもがたむろしていて「バスはない」とかほざくので、「嘘つきめ! アッラーは見ているぞ!」と怒鳴り返す。
バスを待つ間に、サマーラというバス運転手のおっちゃんとお喋りしました。
ザアズィーッという、カイロの少し北あたりの街の出身で、ソハーグ(上エジプトの街)まで行くそうです。「タンタに行ったことはあるか、ルクソルはあるか」と、いろんな地域について尋ねられ「ザアズィーッに来たら絶対電話しろ」と言われます。ザアズィーッなんて、彼と話すまで認識もしていなかったのですが、デルタ地域のそういう小さな町というのは、ちょっと興味があります。農村を見てみたいです。
バスは11ポンド。シャルム-ダハブ間は、20ポンド、15ポンド、11ポンドと、乗る度に料金が異なりましたが、最後の11ポンドの時は、確かにバスがオンボロで、電灯もつけずエアコンなしで窓を開け放して走っていて、乗客もエジプト人が中心でした。元々の車両自体は日本の夜行バスのような立派なものなのですが、20ポンドの時に乗った車両と違ってかなりガタがきていて、「大型バスの成れの果て」という、日本ではちょっと乗れない種類の自動車でした。
シャルム-ダハブ間の短い距離で、二回も検問にあいました。安いローカル向けのバスなので、特別チェックされたのかもしれません。
再びダハブ着。
マシュラバまでのタクシーは、10ポンドから値切って5ポンド。軽トラですが、助手席に座れたし相場価格です。
高い宿に泊まる気はないし、かといって最底辺も不安なので、ペンギン・ビレッジという部屋のバリエーションが豊富な大きめのホテルを選択。シャワーとトイレ、扇風機付きの部屋で70ポンド。トイレ共同でも良いなら、もっと安い部屋もあります。
後日撮影したペンギン・ビレッジの写真です。
ダハブのペンギン・ビレッジ中庭 posted by
(C)ほじょこ マタアムMEYA MEYAに戻る。「3.5ポンドを返しにダハブへ舞い戻ってきた」感動的な再会を期待していたのですが、「あー、また来たの」という感じのそっけない反応。考えてみれば、ダハブは長期滞在する人が多いし、同じ日本人が顔を出したくらいで感動はしてもらえません。
ベジサンドイッチ(18ポンド)を食べて、猫と遊びながらぼんやりする。こんなゴージャスな食生活を送るのは久しぶりですが、本当に居心地が良いので惜しくありません。
夜の土産もの屋通りをお散歩。
当然客引きはありますが、シャルムやカイロのような凶悪さが感じられません。後になって性質の悪いヤツらにも会いましたが、全体的には引き際の潔い普通の商人、という印象です。
オイル屋の前で、客引きにつかまる。買う気はないですが、お喋りしないと退屈なので、店に入ります。
これがこの旅の第二の素敵体験、バッサームبسامとの出会いでした。
最初に声をかけてきたのはバッサームではなく従兄弟の方だったのですが、彼らでこのオイル屋と、遊歩道沿いの警察署のすぐ脇にある土産物屋の二件を経営しているようです。
オイル屋でのお喋りでは、もう一つ楽しい体験がありました。二度目のご来店らしいロシア人カップルとの出会いです。
彼女がオイルマッサージを受けている間、わたしと彼氏でお喋り。彼はアラビア語はまったくできないので、言語は英語です。
最高だったのが、彼の職業がプログラマーだったこと(マネジャークラスらしい)。ロシアの同業者と初めて出会いました。主な言語はPHPとのこと。
彼は英語もあまり上手ではなく、その言語の拙さをしきりに恐縮しています。姿勢も猫背だし、ロシア人だから当然ですが生っ白いし、喋り下手でシャイな感じが理系少年というか、日本人に似ていて、とても好印象でした。エジプト人とはエライ違いです。
なぜかわたしの好きな人にはロシア語を学んでいる人が多いのですが、わたし自身はロシアについてまったく知識がありません。唯一知っているロシア人と言えば、大分以前にフランスで出会い、わたしの友人から二万円借りてそのままモスクワに逃げたカス野郎だけで(貸す方が悪いですが)、エジプトでのロシアのイメージは一般的には悪いので、彼と出会うまではあまり良い印象を持っていませんでした。この朴訥なプログラマーと出会えたお陰で、わたしの中でのロシアのイメージが抜群に良くなりました。
周りのエジプト人が「モスクワは寒い、こっちの方が良いだろう」としきりに言う一方、「寒さは別に問題じゃない、それより喧騒と空気が悪いのが耐えられない。ダハブは本当に心が落ち着く。ダハブに家を持つか、ホテルを経営できないか、本気で考えているんだ」と語ります。
ダハブにはロシア人が多く、ウォッカを出す店がたくさんありますが、彼はダハブではお酒を飲まないそうです。「なぜかはわからないが、多分気候のせいだろう。モスクワではお酒を飲むけれど、こちらで飲むと気持ちが悪くなるので、やめているんだ」。お酒を飲まない一方、タバコについては非常にヘビーなエジプト人について「君達の体は、何世代にも渡ってタバコに適応しているんだろう。わたしの体がウォッカに向いているように。わたしは到底君達みたいなタバコは吸えないよ」と語ります。
彼の勤務先は、イタリアと日本の共同出資によるボンジョルノという会社だそうです。企業名を書くのは流石にマズイかと思ったのですが、彼から感じられるロシアの印象、勤め先のイメージが、悉くポジティブなものだったので、応援の気持ちを込めて書いてしまいます。御社の開発者は、本当にグッドバイブです!
ちなみに、彼の直近の上司は日本人K氏といい、「物静かで大変高潔な人物」とのこと。「日本人は、お酒を飲んで豚肉を食べること以外、ムスリム以上にムスリムらしい」とはエジプトでよく聞くお褒めの言葉ですが、ロシアでも好印象を残している大先輩K氏に敬意を払いたいです。
どういう流れだったのか、オイル屋を後にして、バッサームが主に取り仕切っている土産物屋の方に移動します。
わたしがアラビア語を話し、イスラームに関心を持っていると知ると、段々態度が変わってきます。「どのスーラを覚えている?」と聞くので、知っているスーラを片っ端から暗誦すると、「アッラー、アッラー」と感心してくれます。こういう時は、アラビア語、特にフスハーを勉強していて本当に良かったと思います。
「お前は他の日本人と違うな。本当の話、ここに来る外国人は酒を飲みセックスをして、ハラームなことばかりしている。俺は日本に行ったとしても、日本人とは結婚したくないよ」と本音を漏らしだします。
バッサームはサイードと同じくアスワーンの出身。この辺りのビーチリゾートは、アスワーン出身者が非常に多く働いています。彼もまたベドウィンがあまり好きではなく、アスワーン人とベドウィンは何故か相性が悪いようです。カイロやアレキサンドリアに親戚がいて、遊びに行く予定がある、とのこと。
バッサームという名前は、「微笑み」を意味するبسمという語根から派生していて、名前の通り丸っこくて人懐こい顔に笑顔を絶やしません。外国人についてはセックス&マネーしか期待しないエジプト人が少なくない中、彼はサイードと並んでエジプトで出会ったなかで最も親しみの持てる男でした。
彼と話していて感じましたが、観光客からボッタくるエジプト人というのは、本当のところハラームな振る舞いばかりをする外国人が好きではないのではないでしょうか。「商売だし、あんなヤツらから巻き上げるのは当然」と思っているのかもしれません。逆に、一旦友達になると絶対にボッタくるような真似はしないし、それどころか頼みもしないのにあらゆるものを無償で提供しようとします。
ボッタクリについても、「固定価格」という観念の薄い社会では、日本で考えられているような詐欺商法とは言い切れません。値段が場所で変わるのは当然ですし、「持てるものからお金を取り、バンバン使う」という互酬再分配システムとして機能している、とも受け取れます。
実際、お金を持っている人には使う「義務」があるかのような倫理観があります。結果として、お金持ちがバンバン使って貨幣を流動化しているのですから、お金の正しい回し方をしています。観光客には稼ぐ方の契機がないので、結果的に「ボッタクリ」になってしまっていますが、欧米や日本・韓国の人々がグローバルな搾取によって稼いでいると考えれば、観光客がお金を使うのも当たり前です。
問題としては、バーンと稼いで気前良く再分配する立場の者が、封建的権益を得る、ということがありますが、封建システム自体を悪と考えるのも、特殊西欧近代的なバイアスではないでしょうか。わたし個人は極右なので、民主主義とか嘘くさい話はやめて、封建主義で回す方が神様も喜ぶと信じています。
話がズレましたが、バッサームとの会話で「礼拝の仕方が未だにおぼつかない」と言うと、店の奥で礼拝の練習が始まりました。こういうのは、前々から望んでいたことだったので、一所懸命順番を覚えます。スーラは一人でも暗記できますが、所作の風格みたいなものは、ボーンムスリムが家庭で学ぶように親しんでいきたいです。
そんなことをしていると、エジプト人女性二人が店に入ってきました。
「何してるの」「この日本人がイスラームを勉強していて、礼拝を教えているんだ」と言うと、アマーニーというこの女性が大変感激して、ヒジャーブの着用法などを手取り足取り教えてくれます。
彼女はアレキサンドリア在住で、ダハブへ遊びに来られることからして、かなり社会的階層の高い人です。全身から品の良さと教養が漂っていて、早口で目を輝かせながら語るものの、決して下品になりません。旦那様はイマームだそうで「いつでもアレキサンドリアに来て。日本語の本もあるし、何でも手伝える」と言ってくれます。
彼女はバッサームよりずっと宗教的教養のある人で、バッサームがわたしの手帳に書いてくれたタヒーヤ(礼拝の3ルクア目以降でファーティハの後に暗誦する文句)に間違ったところがある、と訂正してくれます。上品な叔母様の前では、バッサームもタジタジです。
挙句に彼女とそのお友達の二人が、一人一枚ずつヒジャーブ用のスカーフをプレゼントしてくれました。恐縮しているところにアマーニーの旦那様が入ってきて、イスラームの勉強の仕方について、滔々と語りだします。正式に入信したいなら証人になるので、いつでもアレキサンドリアに来い、とのこと。
この「怒涛のような親切」は何度も経験しましたが、嬉しい一方、あまりの展開の早さに目が回りそうになります。バッサームも後で「いや、俺も途中で『いきなり全部は無理だ、一歩ずつやる方がいい』って言ったんだけど・・」と笑っていました(笑)。
テーマ:エジプト - ジャンル:海外情報
- 再びダハブへ、ロシアのプログラマー、礼拝の練習|2009/09/28(月) 21:07:06|
- シナイ半島の旅
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