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ニカーブの治安上の問題、ファルドとスンナ、地味なエジプト人

 土曜日。
 M女史の授業で、ニカーブの治安上の問題が話題になる。
 ニカーブを着る着ないは自由ですし、いかなる宗教的権威、あるいは政府といえども、これを完全禁止するのは不可能でしょうが、学校や病院など、特定の場所では既に禁止されています。看護婦がニカーブをしていて、万が一顔を隠した悪意をもった者が入り込んだら、とんでもないことになるからです。
 以前に男性がニカーブを被って大学の女子寮に侵入した事件がありましたが、これについて詳しい顛末を聞くことができました。侵入した男性は十五名で、わたしはてっきりバカな男が良からぬ目的で潜り込んだと思っていたのですが(今でも公式にはそうなっているはず)、M女史の見解では、おそらく内部の女性の手引きがあったのだろう、とのこと。いかにニカーブを被っていても、ゾロゾロでかい女が女子寮に入っていたら、人目を引き過ぎます。本物の女子学生が、二カーブ同士で彼らを手引きした可能性が高いらしいです。
 要するにバカ女子学生が共謀して男を連れ込んでいたらしい、ということで、呆れてものも言えないです。

 「男性がニカーブを被って悪さを働く」というのは、現実にあるようで、彼女はトラムやメトロの中で、明らかに男性と思しきニカーブ着用者を何度も見たことがあるそうです。「手や目が明らかに男性だし、絶対変だと思った」。
 また、彼女が友人女性とトラムに乗っていた時、そういう「怪しい人」がそばにいて、降りた後に友人のバックがナイフで切り裂かれ、中のものが盗まれていた、ということがあったそうです。

 ニカーブについては、エジプト国内でも意見が分かれていることは何度も書きましたが、このような事例が度重なれば、反ニカーブの動きが強まるのも無理もありません。もちろん、悪いのはニカーブではなく、それを悪用する一部の男性(や一部の女性)なわけですが、そうは言ってもニカーブ着用者向けに検問を実施するわけにもいかず、現実問題としては、「ニカーブ禁止区域」を広げていく、という対応になるのではないでしょうか。

 ニカーブをفرض(ファルド、義務)だと言う人がいますが、エジプトで主流派の意見はسنة(スンナ、預言者様صの時代の慣習)であって、ファルドではない、というものです。わたし個人としてもそう感じますし、M女史によれば、クルアーンには

اضرب بخمورهن على جيوبهن

 「ヒマールを胸の上のかけよ」とあるだけで、ニカーブもしくはニカーブを意味する着衣がファルドである、という記述はどこにもありません。
 خمارヒマールというのは、赤頭巾ちゃんの頭巾のような形のもので、髪を覆うと共に胸の辺りまで一枚の布をすっぽり被せるものです。髪や首筋、胸のラインは隠されますが、顔は全部見えています。ヒジャーブ+アルファくらいの隠蔽グッズです。
 ちなみに、これを被るとラインが超なで肩になって、動物っぽくて超可愛いです(笑)。カタカナで書くと「ロバ」のヒマールと一緒になってしまいますが、実際は発音が違います。どっちも可愛い、という予期せぬ共通点がありますが。
 預言者様صの妻たちがニカーブをしていたと言われていますが、一般ムスリマには適用されず、かつこの時代はムスリムは敵に取り囲まれていて、顔を晒すことに危険があったのです。その為の特例措置として預言者様صの妻だけに行われていたことが、拡大解釈されている、というのが公平な見方ではないでしょうか。

 加えて、現代エジプトの実際のニカーブ女性には、単なる「流行」として着用している人が少なくなく、ニカーブはしているものの、ジャラジャラと宝飾品をつけド派手なアイメイクをしている女性もいます。これでは「スンナに従う」どころか、普通のヒジャーブの女性よりも非イスラーム的で、まともなムスリマには眉をひそめられています。
 更に、時々小学生くらいの女の子にニカーブを着せているケースがあり、これはイスラーム的にもマイナス評価されることです。クルアーンや礼拝の仕方を学び始めるのも小学生時分で、この時はまだヒジャーブもしません。断食だって、子供には義務がなく、最初は「お昼まで断食ね」と練習から始め、徐々に慣らしていくのです。ヒジャーブを始めるのは十二歳か十四歳くらいからで、言わば「大人への一歩」として髪を隠すのです。それ以下の子供は「男女以前」として扱われるのがイスラーム社会であって、そんな子供にニカーブまでさせる、というのは、イスラームの曲解としか言いようがありません。

 ファルドは文字通り義務ですが、スンナというのは、預言者様صもしくはその周囲の方々の慣習のことで、義務ではありませんが「お手本に従う」という意味で良しとされるものです。
 ですが、あくまで彼らの行いを真似しているだけであって、神様から課された義務ではありません。
 有名なところでは顎鬚を伸ばす、というのがありますが、これは預言者様صが顎鬚を伸ばしていたから真似しているだけであって、ヒゲそのものはイスラーム的に何の意味もありません。おそらく預言者様صだって、何かの必要があれば剃っていたでしょう。伸ばすのは勝手ですが、伸ばさなかったからといって、何ら落ち度のあるものではありません。
 ちなみに、現代エジプトにおける顎鬚は「イスラーム主義者」の象徴のようにとらえられているところがあって、下手に顎鬚を伸ばしていると、当局に睨まれるキッカケになることもあるようです。
 F女史の兄弟が顎鬚を伸ばしていて、かつ学生時代に学生団体(イスラーム主義団体ではない)に所属していたらしいのですが、それが理由か、ある日の早朝、突然公安が家に押しかけ、連行されそうになったことがあったそうです。
 母親が必死で泣いて頼んで、何とか難を逃れたらしいですが、エジプトで「ちょっと署まで」と連れて行かれると二度と帰って来ない、ということが珍しくないので、母親が泣くのも小芝居ではないでしょう。笑い事じゃありません。

 N女史の授業。
 動物好きにはたまらないアーヤ(クルアーンの一節)を教えてもらう。

ما من دابة على الأرض إلا وعلى الله رزقها

 「地上のどんな獣にも、アッラーの恵みがある」。
 この解説の時にN女史が描いた絵が超可愛かったです。

すべての獣に恵みがある
すべての獣に恵みがある posted by (C)ほじょこ

 「蛇がお腹すいていると小鳥とかねずみとかがいて食べられるよ」の意です。小鳥には小鳥の餌があるのよね。省略してるだけだよね。うん、きっとそうだ。

 授業後、二日連続Nちゃんの家に遊びに行く。
 昨日渡そうと思っていた日本の五円玉(御縁とかけてお守りにw)を渡し忘れたので、そんなしょうもない用件でお邪魔してしまいました。
 最初はしんどかった彼女の家への通りも、すっかり平穏に通れるようになりました。何度か通って場慣れしたこともありますが、わたしが彼女の友達だ、ということが早くも認知されている空気があります。
 流石に地域住民全員が知っているということはあり得ませんが、彼らの会話を耳ダンボで盗み聞きしていると、中国人でも韓国人でもなく日本人と言っていて、「どこそこの娘の友達」といった言葉が拾えます。
 彼女のアパートのエレベータで、住人の男性と一緒になったのですが、「何階?」と聞かれて「五階」と応えたところ、「あぁ、あの日本語勉強している娘の友達か」と合点されてしまいました。
 彼らはとにかくご近所ネットワークが尋常ではなく密なので、「怪しい輩」にはすぐ絡んできますが、一端ネットワークの一部に繋がると、意外なほど普通な扱いをして貰えるようになります。
 エジプト人と結婚している日本人女性には、わたしなどには想像もつかない苦労があることでしょうが、一方で「地域に組み込まれることで得られる安定」というメリットはあるはずで、もしかすると一人暮らしのわたしが以前受けていたような冷やかしは、逆にあまりないのかもしれません。

 前日にドライヤーやらマニキュア除光液やら、荷物になるので処分したいものを色々押し付けてきたら、ガラベーヤや礼拝用の絨毯をプレゼントしてもらってしまい、恐縮至極。もうスーツケースがパンパンです。
 彼女とは、ちょっと話しているとイスラームの話題になってしまうのですが、わたしが「明日しかもう時間がないし、勢いでアズハルでシャハーダしてこようか」とか悩んでいたら「別に今度来た時でもいい。日本よりはエジプトでシャハーダする方が簡単で良いと思う。そもそも、シャハーダして証明書を貰うのは、国との関係など手続き上のものだし、一番大事なことじゃない。それでもムスリムだ」と言います。
 「わたしは正式なシャハーダをしていないけれど、少なくともمؤمنة(ムウミナ、神様を信じている人)だ。でも、わたしが『宗教は何ですか』と尋ねられて『イスラームだ』と答えたら、それは嘘になるんじゃないか」
 と尋ねたところ、
 「全然嘘じゃない。問題ない」
 と言います。
 一介の女子大生の意見なので、別に何の権威もありませんが、何だかものすごい気持ちが楽になりました。本当に、肩の力がスーッと抜けました。
 冗談で「ノッス・ムスリマ(半分ムスリマ)だね」と言ったら「ノッスじゃない。カーミラ(完全)だ」と言います。
 カーミラには程遠いですし、遠からずシャハーダはするつもりですが、極めて私的な事情でちょっと問題もあるので、それまでは心がけだけでもムスリマをやっておきます。エジプトでならともかく、日本で宗教を尋ねられることはまずないでしょうが、尋ねられたらちょっとビビりながら「イスラームです」と答えることにします。
 ヒジャーブはね・・悩んでいるんですよね。まぁ、焦って被らないようにはしておきます。
 以前日本でお会いした日本人ムスリマも、会った時はヒジャーブをしていましたが、「さすがにこれで会社に行く度胸はない」と言っていて、普段はヒジャーブなしで生活しているそうです。まぁ、とりあえず最初はそんな感じで、ムスリマの末席のそのまた下の鞄持ちくらいで地味にやっていきたいです。

 わたしは品行方正な人間には程遠いし、自分勝手で荒っぽいことでは右に出る者もいないような鉄砲玉ですが、スーラ(クルアーンの章)を読む度に感じる素晴らしい平安は、他で得ることのできないものですし、常に神様を身近に感じます。やっぱりコレと、離れて暮らすことはできない。
 信仰がすべてではないけれど、すべてが信仰に関係している。

 彼女は日本語の読解力はかなりあるのに、会話が上達しないで悩んでいます。また、日本人と友達になりたいのに、なかなか友達ができないのも辛いらしいです。
 まだ学生なので本格的に働くのは難しいですが、「日本語を使う仕事をした方がいいよ。カイロなら観光関係とか、日本企業の秘書とか、色々あると思うよ」と言うと、観光関係は気が進まず、翻訳などをやりたいようです。
 「翻訳はお金にならないよ。第一、会話力が付かないやん」と言うと、
 「でも、日本語以前に、人と話すのが苦手だから・・」と、実も蓋もないことを言い出します。
 「いやいやいや、それじゃあいつまで経っても会話が上手くならないよ! Don't be shy!」と励ましましたが、これでは普通の日本人・エジプト人関係と逆です。普通は、底抜けにオープンマインドで誰とでも話すエジプト人が、「日本人は何でそんなにシャイなんだ!?」と突っかかるのです。
 先日紹介したK氏とも、会話の間が持たないのが気になって仕方ないらしく、本当に日本人みたいな性格です。「面と向かうと喋りにくいものだから、一緒に本を読むとか映画を見るとか、共通の対象を作ると会話しやすいよ」とか、恋愛アドバイスみたいな話になってしまいます。世話が妬けるなこの小娘はっ!
 まぁ確かに、エジプトの男性はすべてにおいてリードしてくれるので、彼のような礼儀正しい普通の日本人男性が相手だと、何をして良いやらわからなくなってしまう、というのも理解できないでもありません。「でも日本人は普通あんな感じだし、わたしみたいなのは『悪い日本人』だ。Nちゃんは日本好きなんだから、男の人が相手でも積極的に喋って大丈夫だし、喋った方がいい」。
 「人と話すのが苦手」というなら、わたしも決して社交的な人間ではないつもりなのですが、少なくともエジプトでの振舞いは、かなり「異常な日本人」です。もう数え切れないくらいの人に「お前は日本人のクセに、何でそんなに喋って、分かりやすいんだ?」と言われました。単にバカと言いたいのかもしれません。まぁバカですが。
 「Nちゃんは本当に日本人みたいだね。日本人が間違いを恐れて英語を喋れないみたいだ。細かいことは気にしないで、まずはガンガン喋るんだよ! 言いたいことが一杯あるでしょ? ない? あるはずだよ! ある! だから無理にでも何か喋んなきゃダメ!」と、エジプト人相手とは思えないようなアドバイスをまくし立てます。
 まぁ確かに、彼女が饒舌になるのは日本への愛とイスラームを語る時だけなので、トーク上手とは言えません。対日本人なら、これくらい控えめな方が好印象かもしれませんが、エジプト社会ではさぞ息苦しいことでしょう。実際、全然話題が合わないし、いつも「何で黙ってるの? 機嫌が悪いの?」と突っ込まれ、辛い思いをしているそうです。日本の芸能人とか、わたしより詳しいのに、エジプトの流行には全然付いていってないですから、わたしと逆です。
 「本当に話の通じる相手は、○○さん(わたしのこと)みたいな『変な日本人』か、ネット上の人だけだ。学校の友達とかは、世界が違う」と、「アンタは日本の引きこもりかっ」とツッコみたくなるような地味っぷりです。

 外人がエジプトの男性と会話するのはまったく難しくなく、むしろひたすら鬱陶しいくらいですが、女性と話す機会はあまりありません。まして男性なら、エジプト人女性と友達になるのは至難の業と言って良いでしょう。
 それだけ「日本人にとってのエジプト女性」というのは、レアで価値のあるものなのですから、「口を利いてやってるのよ」くらいの勢いで、自信をもって喋って欲しいです。
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  1. ニカーブの治安上の問題、ファルドとスンナ、地味なエジプト人|2010/01/10(日) 15:06:34|
  2. エジプト留学日記

辛さは顔に出せ

 金曜日。
 ブログのタイトルを変える。
 もうすぐ帰国しますが、翻訳を中心に細々ブログは続けます。うまくすれば戻ってくることができるでしょう、インシャアッラー。

 勉強したり部屋を片付けたりしていたら、Nちゃんから電話がかかってきて、また遊びに行くことになる。
 彼女の家への道もいい加減慣れて、かつ金曜日のお陰で割と往来も少なかったので、気楽に歩いていきました。
 例のクルアーン・エレベータ。



 今までは遊びに行っても割とちゃんとした格好で待ち構えていた彼女ですが、今日は部屋まで一人で行ったせいか、お部屋モードでリラックスしていました。この方がこっちも落ち着きます。

 大学のテスト勉強で、アラビア語の新聞を日本語に訳さなければならないのに、それがとても難しい、と言われ、手伝うことになりました。
 確かに難しい・・。
 彼女がアラビア語から日本語へ訳すのに困難を感じるのは当然ですが、日本人のわたしが、日本語への翻訳を試みても、なお厄介です。普通の新聞記事なのですが、医療関係のニュースなので、専門的な単語が登場します。日本人がざっと日本語訳するだけなら難しくないですが、彼女の勉強のためなのであんまり意訳するわけにもいかず、苦労しました。「内視鏡手術」とか「血栓溶解剤」とか、日本語学習者に思いつける単語じゃないでしょう。日本人だって知らない人がいますよ。

 イロコイっぽい話になり、「エジプト人と結婚できるか」と定番の質問をされたので、逆に「日本人と結婚できる?」と、気になるところを尋ねます。
 日本人以前に「外国人」一般ということでは、まず、ムスリムであることが最初の条件になります。でも、ムスリムの外国人というのは、他のアラブ諸国の人々だけでなく、インドネシア人やマレーシア人がカイロには沢山いますし、実際結婚の例もあるそうです。
 逆に欧米や東アジアとなると、定住者の数が限られる上、ムスリムの数が少ないので、そもそもチャンスがあまりないようです。男性なら、ただの観光客の女性をひっかけることもできますが、逆はかなり難しいですし、定住者だけが相手となると、確かに数の時点で困難になるのかもしれません。
 で、日本人ですが、彼女はもちろん日本人は歓迎。ただしムスリムでないといけません。
 もちろん、日本人なら誰でも良いわけではなく、以前知り合った日本人男性が「綺麗な人が好きで、ヒジャーブを被ったエジプト人は美しくないからイヤだ」と発言したと聞いて、眩暈がするほど怒りを覚えました。
 「それは観光客で、イスラームやアラブを知らないからでしょう?」「いや、アラビア語を学びに留学している人だったよ」。
 言葉の壁のせいで誤解が生じたと信じたいですが、仮にもアラビア語を学びエジプトで暮らしている日本人が、そんな失礼な口をきいたとは考えたくないです。綺麗な人が好きなのは、男性ならみんなそうでしょうが、女性に対しそれを敢えて口にするのは無礼ですし、ヒジャーブに結びつけるのもどうかしています。爆弾テロにでも巻き込まれて死んで頂きたい。
 「もし日本人と結婚する、と言ったら、家族はどう言うと思う?」と尋ねたら、「別に問題ない(もちろんムスリムである、という前提)。でも、日本に暮らすのは寂しがって反対されると思う」。
 彼女は中流以上の家庭の子ですし、雰囲気的にもリベラルな家なので、外国人との結婚そのものには反対されないようです。また、彼女の日本好きは家族もよく理解していて、お母さんからも「コンニチハ」とか日本語で挨拶されました(その後はエジプト式に例のチュッチュになるので、ちょっと面白い)。

 例によって少しイスラームの話題になり、またサウジの悪口を言い合う(笑)。「彼らにとって、イスラームの総本山であるのは商売だから、丁度会社員が着たくもない制服を着るみたいに、ニカーブをしたりしているんだ。あいつらは形だけだ」「エジプト人の方が余程ムタダイイニーン(敬虔)だよ」。
 「欧米や日本のムスリムは、困難な状況で敢えてイスラームを信じているのだから、特別敬虔だ。仮に義務をなかなか果たせていなかったとしても、彼らの方が偉い」という話で、彼女が「テストの点数が同じでも、難しいテストを受けた人と簡単なテストを受けた人では、点数の意味が違う。難しいテストで点数が低い人の方が、易しいテストで点の高い人より偉い」と上手いたとえを言います。
 このすぐ後で、彼女がスリムだ、という話になったのですが、わたしがもじって「エジプトで痩せている人は、日本で痩せている人より偉いね。難しいテストに受かったわけだから」と言って、大笑いしました。
 彼女曰く「エジプト人は、一度にまとめて食べて、後は一日食べないで活動している。わたしは何度も食べるけれど、ちょっとずつしか食べない。だから太らないんじゃないか」。実際、彼女とは何度も食事していますが、本当に小食です。というか、一緒に食べていると、喋る方に気が回って食べてる暇がないようですが・・・。

 「日本に関するものは何でも好き」という彼女ですが、一つだけ気に入らないのは「自分を表現しない、他人を助けない」ことだと言います。
 「表現しない」というのは、話下手というだけでなく、話す調子も単調で、表情も動きも少ない、ということです。日本人が概ねそういうタイプだということは彼女もわかっているのですが、エジプト的には、黙ってむっつりしているのは「怒っている」「悲しい」と取られて仕方ないのです。
 わたし個人は、異様に感情表現が派手で何でも顔に出るので、エジプト的には「大変分かりやすくて結構」らしく、日本完全不適応だったこの性質が、人生で初めて肯定評価されています。あのド派手で分かりやすいエジプト人に「あなたは何でも分かりやすいね!」と何度も言われているので、相当漏れまくっているのでしょう。
 自分がこんな性格なので言うわけではありませんが、確かにもうちょっと日本人は何か言った方がいいですよ。言葉の問題ではありません。いっそ日本語でもいいし、言語以前にぎゃーとかわーとか言うだけでも、顔と動きと声を発さないと、ションボリしているとか怒っていると思われるのは当然です。わたしだって一緒にいたらションボリします。
 これは「無理に笑え」と言っているのではありません。それでは日本の会社です。逆に、しんどい時はしんどそうな顔をしても大丈夫なのですよ。エジプト人も、露骨にしんどそうにしています。しんどくても明るく頑張っている他人は評価されますが、そのまんましんどそうにしても、日本ほどマイナス評価されることはありません。

 先日K氏を紹介した時の話になったのですが、彼女がしきりに「彼は何か気に食わなかった? 怒っていた?」と心配していました。少なくともわたしから見たら、彼は怒っても不機嫌でもなかったのですが(まぁ本当のところは本人に尋ねないとわかりませんが)、彼は日本人らしくそんなに顔に感情を出さず、淡々と喋る人なので、かなり日本人慣れしている彼女でも、不安になってしまうようです。
 「彼は礼儀正しい人物だから、エジプトの女性に慣れ慣れしくして、失礼をはたらいてしまわないよう気をつけていたんだよ。わたしは最初、彼にあなたの隣に座らせようとしたんだけど、『それはいけない』と断っていたよ。貴方を尊重したいから、慎重な振る舞いをしていたんじゃないかな」と言っておきました。これは事実だと思います。

 「他人を助けない」というのは、難しい問題です。
 少なくともエジプト基準で言ったら、日本人は概ね「非常に冷たい」です。エジプトだけでなく、かなり多くの国に比べて、日本人は他人を助けません。日本語学習者の雑誌で「日本に来て何に驚いた?」という質問があったのですが、「電車で老人に席を譲らない」という回答があり、本当に悲しくなりました。エジプトでは、小さな子供まで我先にお年寄りを助けます。
 ただ、日本人がひたすら冷血漢なのかというと、そういうわけではなく、「そっとしておいてあげる」「敢えて放っておく」という優しさもあるかと思います。老人に席を譲らないのは論外ですが、エジプト式に「我こそは」と呼んでもいないお手伝いが殺到するのは、日本人なら親切の押し売りと受け止めることもあるでしょう。その辺は少しだけ割り引いて見て頂けると、多少は名誉が保たれるかと思うのですが・・・。
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  1. 辛さは顔に出せ|2010/01/10(日) 07:45:08|
  2. エジプト留学日記

ニカーブ女性との結婚 誰も顔を見ていない人と人生を共にできますか?

 ニカーブに関して、非常に面白い記事がありました。ニカーブ女性との結婚について、色々な立場の男性の意見を取り上げたものです。主に未婚男性のものですが、実際に奥様がニカーブを着用されている方の意見も収められています。
 「ニカーブって何?」という方は、以下の関連記事などをご参照下さい。現在のエジプトにおけるニカーブの位置付けについても、簡単に触れてあります。

二カーブ禁止撤回、ニカーブ支持者の理屈
タンターウィ発言の問題は、ニカーブの是非でもイスラーム主義の是非でもない

二カーブ女性との結婚
二カーブ女性との結婚 posted by (C)ほじょこ

ニカーブ女性との結婚 誰も顔を見ていない人と人生を共にできますか?

 「彼女が外に出た時は、何も心配しない。二カーブ女性は、他のどんな女性より、家の中では見た目に気を使うんだ」。ムハンマド・マフフーズ(コンピュータ技師)は、このようにニカーブ女性との結婚への情熱を語る。ユスラー・イル=アミール(番組プロデューサ)はこの意見に同意するが、ニカーブ女性との結婚は人生の夢だ、と表現する。なぜなら、彼の考えでは、ニカーブは敬虔さと恥じらいの象徴であるからだ。彼は、この衣装を、その生活の中での誤りを隠すために着用する女性がいることを認めるが、それが一般的だ、ということは認めない。この言葉が当てはまるのは、10%にも満たないからだ。
 ハサン・イル=バーシャー(アフワーギー(訳注:マクハーの労働者))は、この考えに激しく反対する。「わたしはニカーブ女性は好きじゃない。というのも、わたしは大衆的な地区に住んでいるのだけれど、多くの二カーブ女性が、この衣装を、隠れて悪い噂になるようなことをするのに使っているのを見てきたからだ。キチンとしたニカーブ女性はいるが、敬虔な人とそうでない人を区別するのは、わたしには難しい。だから、彼女たちに対応するのも好きじゃない」。
 順番が回ってくると、バハーゥ・アワド(ジャーナリスト)は、ニカーブ女性との結婚を否定する。なぜなら、彼の意見では、ニカーブは宗教の行き過ぎだからだ。彼は言う。「わたしは、自分の子供を宗教過激派が育てるのは受け入れ難い。ほとんどのニカーブ女性の動機は、路上での嫌がらせを避けるためで、別に敬虔ではない。証拠に、彼女たちは婚約パーティーに出る時はニカーブを脱ぐ。しかし、わたしの好きな女性が、結婚後にニカーブを選ぶというなら、わたしは確実に同意する。なぜなら、これは彼女の自由な選択だからだ」。
 バハーゥが拒んだからといって、ニカーブ大賛成の人々の情熱を止めることはできないようだ。ムハンマド・サービル(技師)は、未来の花嫁の条件に、ニカーブの「義務」を果たしていることをあげる。「主の義務を受け入れない女性との結婚など想像もできない。また、わたしは、誰であれわたしの妻の顔を見られるのは好きじゃない。わたしは嫉妬深い男だからだ。今の女性にニカーブを流行として着用している人がいるのは、悲しい」。
 イッザトゥ・マフムード(教師)は、我々の東洋社会には、妻が守らなければならない厳格な習慣と伝統があり、その中には夫を尊敬しその嫉妬を認める、というものがある、という。他の男に見られたがってはならないのだ。それゆえ、妻がニカーブを着用することは、自分自身と夫を尊重することなのだ、という。
 教育委員会数学部のヤーシル・クトゥブ博士は、ニカーブ女性との結婚に反対する。結婚する者は相手の性質を知らなければならないし、ニカーブではそれができないからだ。結婚前に顔を見ることができたとしても、他の人にどう接しているのか、判断することはできない。
 労働者の「ムハンマド」は、彼の妻のニカーブにより受けている辛さを、こう言って表す。「わたしの妻は、以前はヒジャーブをした慎み深い女性だった。ところが、突然、姉妹たちの慣習を真似てニカーブを着用し始めた。これにはとても窮屈な思いをしている。というのも、今では招待されたパーティーやクラブに一緒に行くことができないからだ。もし彼女が結婚前からニカーブをしていたなら、婚約を拒んでいただろう。今では彼女にニカーブを脱げとは言えない。言ったら大変な重荷を背負うことになるのでは、と恐ろしいのだ」。

 ご覧の通り、ニカーブに関しては実に意見が分かれています。イスラームに由来するものなのかどうか、イスラーム的だとしても義務なのかどうか、様々なレベルで多様な意見があり、「イスラーム復興」と一括りにはできないのが現状ですし、まして「イスラーム原理主義の伸張」などと解釈するのは妄言に近いです。

 少し本題から外れますが、記事中で自ら「嫉妬深い」と言う男性がいたり、「夫の嫉妬を認めるべき」という意見があるのは面白いです。
 イスラームというよりアラブの文化において、嫉妬とか羨望というのは非常に重要な位置を持っていて、羨望や邪視を巡る民間信仰が残っていたり、クルアーンにも羨望の恐ろしさについて触れる箇所があったりする一方、嫉妬を抱くこと自体は「悪」ではなく、むしろ他の男と話していても嫉妬もしないような男は評価されません。
 こうした傾向自体は、別段アラブに限ったことではなく、世の女性は世界中どこでもヤキモチ妬いてもらうのに小細工を弄するものかと思いますが(笑)、少なくともわたしたちに身近な文脈では、嫉妬自体は建前上はポジティヴに評価されず、かつ主題として前景化することも多くありません。
 イスラームの面白いところは、「嫉妬」といった素材を正面から扱い、「嫉妬するのは仕方ない、度が過ぎないように制御しよう」というところを、具体的な社会制度にまで突っ込んで扱っているところです。下世話というか、実も蓋もないというか、西洋のキリスト教なら「信仰の領野にふさわしくない」となかったことにされてしまいそうな素材が(聖俗分離的)、堂々と正面から取り上げられるわけです。
 イスラームとアラブを一緒にしてはいけませんが、イスラームのこうした要素は、多分に発祥時のアラブ文化の影響下に育ったのでしょうし、完全に切り離すこともできません。
 こうした性質と接していると、開けっ広げすぎて引いてしまう面もある一方、堅実極まりなく狂気や暴走の余地の少ない世界だ、と感じることが多いです。正確に言えば、汚いものでも外に放り出さずに中に取り込んでしまうので、最悪でも信仰の枠組みの下に「汚さ」を抑え込んでいる(逆に言えば信仰の場にも「汚さ」がある)、ということです。
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  1. ニカーブ女性との結婚 誰も顔を見ていない人と人生を共にできますか?|2010/01/07(木) 02:57:17|
  2. 新聞・メディア

エジプトにおける人口調整とイスラーム

 M女史との授業で、人口爆発のことが話題になりました。
 日本では少子化が問題になっていますが(わたしは個人は問題だと思わないのですが)、エジプトはまだまだ子沢山で、人口調整が大きなテーマになっています。
 一昔前に比べれば、一家族あたりの子供の数は減っているのですが、それでも四人くらい子供のいる家庭はまったく珍しくありません。M女史の母の叔父は、二十人子供がいたそうです。
 一般に、女性の教育と社会進出が進むにつれ、子供の数は抑制されていくものですが、それなりに女性の教育が普及しているエジプトの都市部でも、いわゆる先進国に比べてまだ子供が多いです。
 一つには、育児補助が充実していることがあり、働いている女性が子供を産んだ場合、一年余りの期間、給与が支給されるそうです(未確認)。
 「それは素晴らしい」というのは早計で、まず、もし国庫負担が100%ではないのだとしたら、そもそも結婚している女性の就業が不利になります。実際、いつ子供を産むかわからない既婚女性の採用は敬遠されています。
 そして、人口調整が必要なのだとしたら、これほど手厚い保護はむしろ国家の将来にとってマイナスだろう、ということが、誰にでも思いつきます。仮に補助を出すにしても、一人目の子供だけで、二人目、三人目については減額・カットするような仕組みにすれば、適度な福祉を充実させることができます。
 ところが、エジプトではそれができないのです。
 これは一重にイスラームの影響で、とにかく子供を産むことは絶対的な善であって、これに対してマイナスな政策は、たとえ誰もがそれが必要だとわかっていても、正面切って口にすることができないのです。
 実際のところ、今の都会の若い夫婦は、経済的負担を敬遠し、何年も子供を作らなかったり、子供の数を制限しているのが普通です。政府もしきりに人口調整の重要さを訴える広報などを流しています。
 それでも、法制度的なところには、なかなかメスを入れられない。建前を尊重しながら「ひっそりと」出産を控える分には大分状況が改善しているわけですが、建前そのものを変えようとすると、建前に疑問を抱いている人すら反対せざるを得ない(こういうことは日本でもあるし、どこでもあると思いますが)。わたし個人としては、出産を控えること自体がハラームだとは思えないのですが、そう一筋縄にはいかないようです。

 さらに、イスラームではなくアラブの(悪しき)伝統として、ひたすら男の子が歓迎される、というものあります。
 父親、というより一族が男の子を待望するあまり、女の子が産まれると「次こそ」と何人も子供をもうけ、結果として子沢山になってしまう、ということがあるようです。
 さらに、やっと男の子が産まれたと思ったら、「もう一人男の子を」などと欲深いことを言い出す父親も珍しくないと聞きます。
 こと人口調整については、「家父長制」が絵に描いて額に入れたような弊害を発しています。

 M女史曰く「信仰そのものは素晴らしい、イスラームだけでなく、どんな信仰も美しい。問題は人間だ。宗教の都合の良いところだけつまみ食いして、都合の良いように使っているから、こういうことになる」。

 話が逸れますが、最後のM女史の「当たり障りなく妥当な意見」を聞いていて思うことは、「無神論者」および「特定の宗教を持たない人」に対してどう接するのか、ということです(両者は異なり、日本人の多くは後者であって、かつてのゴリゴリの共産主義者のような「無神論者」ではない)。人口調整などの問題を巡って「宗教そのものが害毒」という言説が、容易に想像できるからです。
 一応イクスキューズすれば、これが「容易に想像できる」のは、わたしが日本人だからであって、ほとんどのエジプト人には、そう簡単に選択肢に浮上してくる発想ではありません。エジプトだけでなく、世界の多くの国々ではそれが普通でしょう。
 「信仰を持たなくても、それはそれで結構」と言えれば素晴らしい、寛大だ、というのが、大方の日本人、というか世俗化した「先進国」の人々の意見でしょうし、教育ある都会のエジプト人なら対外的にそういう建前を述べることは難しくありません。ですが、これは単に世俗的人間にとって都合の良い意見というだけで、別段公平でも何でもありません。
 「信仰の欠片もなくてもなお許可される」などというのは、世俗社会の「信仰」であって、世俗社会のフレームを元に、「信仰」という「一文化」を世の中に配置する発想にすぎません。このパラダイムに乗って、信仰が選択可能なオプションの一つのように語るのは、既に自分の育った社会の激しいバイアスに飲み込まれていると知るべきです。
 「信仰の欠片もなくてもなお許可される」と建前を述べれば、イスラーム世界が世俗社会とほどよい関係を保つ上では当たり障りがないのですが、はっきり言ってそんなものはペラペラの建前にすぎないし、イスラームとしてそんなものを認めるべきでもないし、わたし個人としても認め難いです。
 そういうある種の「頑迷さ」と静かな狂気(制度化され恒常状態を得たホメオスタシスとしての「狂気」)があるからこそ信仰なのであり、そして、この種の「安定した狂気」があるからこそ、今日も昨日と大して変わらない一日が過ぎ、かつそれに大きな苦しみを覚えずに生を果たすことができるのです。
 人口調整のような問題で、一見信仰がネックになっているように見えたとしても、それを外側から見て軽々しく「信仰の弊害」などと言うことはできないし、もとより「選択可能」なオプションとして信仰がある、というフレームが、既に汚染されているのです。

ラムスィース駅
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  1. エジプトにおける人口調整とイスラーム|2010/01/07(木) 02:54:03|
  2. エジプト留学雑記

「サラフィー主義者」の逮捕

サラフィー主義者
サラフィー主義者 posted by (C)ほじょこ

「サラフィズム・ジハード主義」組織の新たなグループが逮捕される
暴力流布、知事への攻撃、社会への不正な教化の容疑

 イッ=シャルキーヤ県治安当局は、「サラフィズム・ジハード主義」団体のメンバーを逮捕し、社会への不正な教化、知事への攻撃の容疑で捜査を行っている。四ヶ月前に、同組織メンバーらがイッ=ダカリーヤ県イル=マンスーラ市で逮捕されたばかりだ。
 治安筋の本紙に語るところでは、容疑者らは自宅で逮捕され、この中にはムハンマド・サイード・アブドゥルラフマーン、イサーム・スレイマーン・イッ=サイード、アフマド・ムハンマド・ムスタファー、ムハンマド・ラダー・アフマドが含まれる。
 匿名希望の情報源に拠れば、この新たなグループのメンバーらは、暴力思想の流布、闘争、知事への攻撃、社会および国家要人への不正な教化の容疑で、カイロの治安当局の建物内で取り調べを受けている。彼らおよびその活動に関する情報すべての取調べの後、イスティクバール・トゥラ刑務所に引き渡されるという。
 ファークース、ビルビース、カフル・サクルを含むイッ=シャルキーヤ県の複数の地域と市で同団体のメンバーが逮捕された。逮捕決定後、彼らはイスティクバール・トゥラ刑務所に送られる前に、内務捜査施設に移送された。
 一方、同団体弁護士のラマダーン・イル=アラビーは、カイロ刑事裁判所の前で、内務省によって出された逮捕決定における多くの不審点を指摘し、彼らを釈放し住居へ戻すよう求めた。
 イル=アラビーが本紙に語るところでは、グループの逮捕は、サラフィー主義ジハード組織への所属のかどにより、彼らの取調べは、不正な教化を行う思想を修正し高等国家公安代表の元に送るべく説得したり、知事および社会への不正な教化、知事への攻撃、国家要人殺害の容疑を負わようとするものだという。
 昨年には多くのテロ組織が高等国家公安代表の捜査を受けた。その筆頭にはシーア派組織があり、他にイッ=ザイトゥーン、イル=フサインおよびヒズブッラー組織がある。


 サラフィーヤ(サラフィズム、サラフィー主義)とは、初期イスラームの原理への回帰を訴える思想で、いわゆる「イスラーム原理主義」ですが、ここでは単なるレッテル張りと同然でしょう。
 ジハーディーヤ(ジハーディズム、ジハード主義)という言葉も、括弧付きで使われている通り、かなり大雑把に「過激イスラーム」を指す意味で使われているようです。
 サラフィーヤ・ジハーディーヤなので「ジハード主義サラフィー主義」かもしれませんが、しつこいのでとりあえず上のような日本語にしておきました。Wikipedia:سلفية جهادية

 イッ=ザイトゥーン、イル=フサインは「テロ組織」の名前ですが、あまり聞いたことがありません。エジプト人に尋ねたところ、後者は南シナイでの連続テロの「犯人」とらしい、とのことでしたが、ウロ覚えっぽいので違うかもしれません。
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  1. 「サラフィー主義者」の逮捕|2010/01/05(火) 05:22:42|
  2. 新聞・メディア

アーシューラーの断食、フェミニストのムスリマ

 土曜日。
 駅前のスークでイチゴを買う。1キロ3.5ポンド(70円以下)。スーパーだともう少し高いですが、いずれにせよ物凄い安さです。
 日本のイチゴのように粒は揃っていないし、痛んでいるものも混ざっていますし、味も甘いものから酸っぱいものまで、当たり外れがありますが、まったく問題ありません。
 というか、イチゴに限らず、「日本製品」全般について思うのですが、高品質なものを手に入れられるのは結構なのですが、高品質なもの「だけ」しかなくて、高いお金を払わざるを得ない、というのが納得いきません。質の高いものが高いのは当然ですが、安くて質の悪いものも一緒に置いて欲しいものです。

 日曜日。
 授業の後、しばらく図書館で自習し、それからNちゃんの家に遊びに行く。
 いつもの待ち合わせ場所から、自力で歩いて行こうとしたところ、記憶も覚束ない上、例によってトゥクトゥクとマイクロバスが飛び交いバカが次々と変なことを言ってくるしんどい道で、精神的にかなりダメダメになる。さらにNちゃんと行き違いになり、超バッドな状態で会ってしまう。
 彼女の部屋に行き、喋っているうちに大分治ってくる。ごめんよ。
 「通りでブラブラしている若者や、遊んでいる子供は、全員ダメな人たちだ。やることがなくて、道で溜まっているので、ちょっと珍しいものを見たり女の子が通ると、暇つぶしに囃し立てて来る。原因の一つは失業だ。若者の行き場がない。彼らは知識人ではないし、知識人は子供を道で遊ばせたりしない。わたしも道を歩く時は、ただじっと足元を見て、何も見ない、何も聞かないようにしている」。
 ずっと年下の子に、こんなに整然と慰められる、というかたしなめられて、ちょっと恥ずかしかったです。
 それにしても、エジプトの知識人階級の若者は、普通の大学生でも非常に流暢に論理を展開し、政治・社会問題についても分析的な目を持っています。また、大人しいNちゃんでも、信仰の話になると立て板に水のように語ることができ、素晴らしい能力です。わたしも負けないようにしないと。
 「足元だけ見て、何も見ない、何も聞かない」と、カイロの道では即効車にはねられる可能性がかなり高いのですが、エジプト人は余裕でヘッドホンをしながら歩いたりしています。わたしも大分慣れてきて、普段は常時サングラスで視線を合わさず早足で歩いていますが(通りを渡る時も、下手に車に対してビビると負けるので、平気な顔で突っ切る)、流石に東京のような「完全閉鎖モード」では歩けません。物理ダメージをかわすセンスが十分磨かれて、はじめて精神バリアを使えるようになります。

 Nちゃんが断食している。アーシューラー(ムハッラム十日、初期イスラーム集団の断食潔斎の日)だったからですが、スンナ派ではほとんどの人はアーシューラーは普通に過ごしています。彼女はかなり敬虔な部類に入ります。
 日没前になんだかデラックスなご飯を出してくれてしまったのですが、彼女が断食しているのにわたしだけ食べられません。エジプト的には、一人が食べずに他の人が食べている、という風景は全然珍しくなく、別に失礼ではないようなのですが、気持ち的にどうしてもできません。別に飢えてもいなかったので、一緒に日没まで待ちました。
 ちなみに、断食明けは一般に大食いしないものですが、それにしても彼女は、ちょっとしか食べていませんでした。彼女はエジプト人にしては珍しく、スリムでとてもスタイルが良いのですが、普段から自制的な食事を心がけているのかもしれません。素晴らしい。
 体型的にも、顔付き的にも(色白)、性格的にも(大人しい)、日本人とあうタイプの子で、これが日本好きの結果なのか、逆にこういう性格だから日本が好きになったのか、ちょっと気になります。
 彼女とは「ジズルと漢字ってちょっと似てるよね!」等の、日本語とアラビア語を両方知らないと分からないニッチな話題を共有できるので、非常に楽しいです。会話はほとんどアラビア語で、最初の頃は外国人と話慣れていない彼女の言葉に苦労していたのですが、大分シンクロ率が上がってきました。

 彼女は日本人と友達になりたがっていて、ネット上での交流もあるようで、「日本人ムスリムのグループを見つけた」等と嬉しそうに語ります。
 「でも、普通の日本人が相手の時は、最初からイスラームの話題を喋りすぎない方がいいよ。日本人のほとんどは、そういうことに慣れていないし、ムタタッリファ(過激ムスリマ)だと思われてしまうかもしれない。まず、普通の話題から入って、時々イスラームのことを話し、でも話しすぎないようにおさせるくらいが丁度良いよ」と、老婆心ながらアドバイス。
 この辺の感覚は、逆にエジプト人にはなかなかつかめないようです。
 ネット越しだと、ただでさえも誤解が生じ易いのに、言語や文化的環境の違いから、変な誤解を受けてしまわないか、心配です。

 この日、電話で彼女が言った台詞から、يرن(ユリン、未完了三人称単数)という俗語を覚える。
 「電話をかけるが、相手が出る前に切る」「ワン切りする」くらいの意味で、文字通り「リン」から来ています。「わたしがリンした」なら「リンニートゥ」。
 電話代を節約するために「着いたよ」とかの単純メッセージを伝えるのに使われる他、日本同様「かけて」という意味にもなるそうです。

 彼女が日本人観光客の出迎えバイトをするそうで、この場面で使う日本語表現をいくつか質問されました。何か教えるたびに「これは丁寧な表現?」と確認していて、日本語における敬語表現の重要性を良く理解しています。
 「聞き取れなかった時に、『すいません、英語で話してください』と言ったら、怒られますか」と聞かれたので、「誰も怒らないけれど、英語も話せない日本人は多いよ」と応えます。
 彼女は苦笑いして「英語を喋れる日本人も沢山いるけれど、カタカナ・イングリッシュですね」と言います。よくわかっています(笑)。多分彼女なら、普通のエジプト人より「日本人英語」をうまく聞き取ってくれると思いますが。

 月曜日。
 長丁場授業。合間にフェミニズムとイスラームについてF女史とちょっと話す。フェミそのものも、反イスラームなフェミもどうでもいいけれど、ムタダイイナ(宗教熱心)でかつ教養あるフェミニストのムスリマというのも希少ながら存在して、その立場だけが非常に気になります。この狭いゾーンにいる人だけ、心を開いて本当に面白い話ができるような気がします。
 ムタダイニーン(宗教熱心な人たち)とムタタッリフィーン(過激派)は違うのですが、時にその違いが危うくなる上、日本のように全般に宗教色の薄い国の人には理解されにくく、この点をもっとアピールし伝えなければならない、と主張すると、強く同意して貰えました。いやほんと、これ大事です。

 彼女の中にも色々相克があるようで、自分の中の矛盾とも戦っているようです。しかし、わたしとしては、そういう矛盾を抱えているからこそ真の信仰なのであり、そういう姿をもっとイスラーム圏の外の人に知ってもらいたい、と感じてしまいます。
 彼女は大抵薄化粧をしているのですが(エジプトでよくある超ケバいメイクではない)「化粧は本当はハラームだ」と言います。「クルアーンに明示されているわけではないが、人目を引くのは良くないことだ」。
 それはわたしもわかっているのですが、一番重要なのは「やたら男性の目を引くような格好をしないで普通にせよ」ということであって、化粧なら即ハラームだ、というのは言いすぎではないか、と反論(擁護?)します。
 「あまり解釈を進ませると何でもアリになってしまっていけないが、大切なのは『奇抜になりすぎるな』ということのはずだ。化粧一つでも、どんな化粧かで違う。エジプトでは膝下のスカートでも目立つし、ハラームだが、日本ならまったく普通で、別にハラームとは言えないと思う(もちろんミニスカートはハラームだ!)。信仰の根本は変化してはならないが、末端は常に変化し、土地の風習にあわせて考えるべきではないか。要はTPOを守れ、ということでしょう」。
 そう言うと、F女史が「なるほど」と一定の賛意を示してくれます。
 「極端な話、エジプトではヒジャーブは義務だが、日本ではむしろハラームかもしれない。なぜなら、日本でムスリマがヒジャーブをすることは、かえって衆目を引く効果を発してしまうからだ」。
 これは極論ですが、常日頃から考えていたことで、こうして率直に話せる知的なムスリマ(でかつフェミニスト)と知り合えたことは、大変ラッキーです。彼女もうなって考えていました。
 形式を粗末にし、やたら根本に返って解釈し直すことは、信仰を形骸化させる第一歩ですから、慎重になる必要はありますが、末節にこだわるばかりでも本末転倒です。これはバランスの難しいところです。
 ただ強調したいのは、何度も言っているように、ある形式を「義務」と信じて厳密に守っているムスリム(またはムスリマ)であっても、他の信仰者がその形式を軽視していたからといって、非難したり侮蔑するようなことはほとんどない、ということです。この距離感を理解するのは、日本からだと難しく、わたしも常に気を使っていますが、社会の絶妙なバランス感覚だと思います。

 夜、久しぶりに大家さんのファトマがやってくる。下水工事に関する相談。
 ファトマは相変わらず気をつかって、フスハーとアーンミーヤが混ざった謎のファトマ語で喋ってくれるのですが、気がつくと彼女の言葉も100%聞き取れるし、こっちもまったくストレスなくアーンミーヤで喋っています。
 もちろん、ちょっと慣れない話題になったり、慣れない相手になると(そう、相手を知っているかどうかが重要!)、未だに非常に苦労するのですが、まぁなんとかこの程度のところまで来ることはできました。
 もっと勉強しないと・・・。

 火曜日。
 朝出かけようとすると、部屋の前が緊迫した情勢に。

階段の猫1
階段の猫1 posted by (C)ほじょこ

階段の猫2
階段の猫2 posted by (C)ほじょこ

 朝の授業時、F女史の体調が何だか悪そうだったのですが、その後自習し夕方の授業を待っていたところで、体調不良でキャンセルという連絡が。
 翌日も授業がなくなってしまったので、Nちゃんと一緒に勉強する約束をする。
 F女史の体調が心配。最近非常に忙しかったし、その一因はわたしにあるので、気になります。
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  1. アーシューラーの断食、フェミニストのムスリマ|2009/12/30(水) 17:26:11|
  2. エジプト留学日記

気遣いの違い、聖俗分離の危うさ

 土曜日。
 話の流れで、日本とエジプトにおける「気遣い」の違いが話題になる。
 エジプト人はとにかくおせっかいで、常に人を助けるチャンスを狙っています。頼んでもいないのに「何か問題ない?」「困ったことがあったらいつでも電話してよ!」とやる気満々です。
 そして、うっかり「ちょっと体調が悪い」などと口にしようものなら、次から次にお見舞いコールがかかってきて、寝ている暇もありません(笑)。
 日本にも「声をかけてあげる親切」というのはありますが、同時に「放っておいてあげる親切」も尊重されます。逆にエジプトにだって、「他人に構いすぎるな」という発想がないわけではないのですが、比率として、圧倒的に「介入派」です。
 これが時に鬱陶しい、という話をしたところ、F先生は「それは面白い」と乗ってくれて、「確かに、エジプトでは、こちらから声をかけないと不親切ということになる」と言います。
 「わたし個人は、放っておかれても何も感じない。でも、以前に秘書の子が一日だけ体調を崩して休んだのだけれど、次の日学校に来たら、とても悲しそうにしていた。誰からも電話がかかってこなかったのがショックだったらしい。エジプトでは、確かにそういう時は、積極的に声をかけた方が良い」。
 あぁ、ついていけない・・・。

 F女史に教えてもらった隠れ家的お勉強スペースで勉強。静かで本が沢山あって、天国のよう。

 日曜日。
 ルクソールでお会いしたAさんを尋ねて某ホテルを襲撃するも、既に別のホテルに移った後。代わり?に噂に聞いていた若い日本人留学生さんとお話する。超かわいらしくて心配になる。なんかドキドキしました(笑)。

 月曜日。
 二ラウンドの長丁場授業。図書館で、普通のエジプト人にアーンミーヤについての質問に答えて貰う。
 アーンミーヤについても大量に質問が溜まっているのですが、授業は今読んでいるフスハーのテクストで一杯一杯で、全然質問する時間がありません。時間がもったいないので、基本的に自習ですべてこなし、分からないところだけ矢継ぎ早に質問しているのですが、それでも全然時間が足りない。

 火曜日。
 ご飯を奢ってもらってしまう。
 四五年連絡を取っていなかったオランダ在住の友人が電話をかけてくれる。感動。ちなみに時差は一時間。ヨーロッパは近いですね。
 オランダはビザが厳しいらしく、彼女が突然「日本もEUだったらいいのに!」と物凄いことを言い出す。トルコだってなかなか入れないのに、無茶言うたらあかんがな。
 でも本当に、日本がもう少し近かったら、往復も簡単だし時差も少ないし、とても楽しいのですけれどね。
 そんなことを考えて電話を切った後、彼女以上の妄想を閃きました。
 日本とイスラエルをかえっこしましょうよ。
 何せ神国ですから、シオニストに進呈する約束の地として不足はないでしょう(断言)。で、パレスチナ人に土地を返して、残ったちっこいところにぎゅうぎゅうにみんなで住みましょう。日本人の狭さ耐性と素晴らしい秩序形成能力をもってすれば、なんとかなります。みんな宗教とかテキトーだし、愛想だけは良いから、パレスチナ人ともあんまり喧嘩しない。お上品だから、トルコの次くらいには見事EU加盟。沖には海底油田があるって説もあるし、ウハウハですぜ。
 ネタです、一応。

 水曜日。
 夜にとうとうAさんと再会。延々とカフェでダベる。
 今後のこととか、イロコイ話とか、超楽しかったです。
 彼女は世界中旅している旅プロで、カイロ引きこもりなわたしと違って、本当に色んなことを知っています。
 「キリスト教圏の国は治安が悪い」と言うので、「アメリカやヨーロッパのキリスト教徒なんて名前だけだし、キリスト教じゃなくて近代化の問題でしょ」と返したら、興味深いポイントを指摘されました。
 「中南米の国のほとんどはキリスト教で、かつ未だ伝統色が強く、信仰も根強い。にも関わらず、犯罪は非常に多く、治安が悪い」。
 中南米というのは、まったく視野の中にありませんでした。

 ことを宗教に還元してしまうのは大変危険ですし、彼女もわたしもそんな還元を本気で信じてはまったくいません。ですから、まったく根拠薄弱な連想にすぎませんが、キリスト教圏に一般的に見られる「信仰と世俗の分離」には、以前から疑問があります。
 「信仰と世俗の分離」というと、多くの日本人はむしろポジティヴにとらえるでしょうし、政教分離に反対しようとか、神権国家を翼賛しようという気はありません。政治体制というより、大衆に共有される思想的基盤について考えています。つまり、「政教分離」ではなく「聖俗分離」のことです。
 思想的基盤として「信仰と世俗の分離」は、世俗のところで悪どい真似をしても、信仰の世界に行って懺悔すれば許される、というようなイージーな「宗教の使い方」に堕ちてしまう危険を孕んでいます(もちろん、まともなキリスト者にそんなアホはいないでしょうが、どんな国のどんな宗教も、大半は「あんまりお上品ではない信仰者」が占めている)。
 ごめんで済んだら警察要りません。
 イスラームは社会の隅々まで介入しようとする傾向があり、「信仰の世界と世俗の世界」という二分的発想が非常に希薄です。わたしとしては、戦争にすらコミットしようとするイスラームの「天網恢恢」な勢いを大変肯定的にとらえています。ストリートを監視できないような弱い神様は要りません。神様なんだから、戦場でも売春宿でも、至るところに介入して当然です。そして、良い行いと悪い行いがある以上、許す専門ではなく罰する力もあるのは至って自然なことでしょう。許す専門の神様なんて、都合の良いゴミ捨て場にされるのが関の山です。
 世の中には、許されることと許されないことがある。
 この身も蓋もないことを粛々と実行しているのがイスラームで、大変地に足がついているのですが、一方で「宗教」というものに日本人の多くが期待する性質とは一致しない、というのもよく理解できます。全然「超越的」ではありませんから(一部のスーフィズムやイスラーム哲学を除く)。
 少なからぬ日本人の抱くであろう反感に対し、別に反論しようという気はありません。本音を言えば、直観的には、むしろそちらの「分離型」の発想の方がしっくりくるくらいで、わたしのイスラームへの接近は、直観に抗いザラザラしたところを無理に進むところから始まっています。人一倍「超越的」な信仰世界に惹かれながら、それを信仰の枠内で地に繋ぎ止める、という運動が、イスラームへわたしを招いていったようにも思いますが、これはまったく個人的なお話。
 繰り返しますが、この話は茶飲み話の流れで出てきた思いつきであって、本気で宗教に還元し説明するような思想には反対です。また、仮に相関性があったとしても、因果性があるのかは怪しいですし、またこの性質が教義に由来するのか、単なる相関的な社会的属性に由来するのかもおぼつきません。
 ただ、一般にキリスト教圏の方が治安が悪く、イスラーム圏が全般に治安がよろしい、というのは、単純に事実でしょう。特に「中東」というと、日本では物騒なイメージが強いですが、実際のところは、ほとんどの地域(都市部)は非常に安全です。ニューヨークなんかの方が遥かに危ないでしょう。
 シオニストがいなければもっと安全なんですがね(笑)。

 木曜日。
 休憩を挟みつつ六時間一対一授業。疲れが気持ちよい。
 F女史と一緒にメトロで帰る。メトロの車内にある表示が、あちこちスペルミスしているのが話題になる。
 エジプト人(アラビア語話者)にとっては問題ない「ミス」なのはわかるし、わたしでも読めるわけですが、正確なフスハーの文法から言うと「間違っ」ている表記というのは、あちこちに見られます。まぁ、日本語だって、おっちゃんの書いた張り紙なんて怪しいものですが・・・。

 相変わらずネットが丸一日二日くらい余裕で落ちますが、完全に慣れてしまいました。
 「次ネットがつながったらこれやろう、これ調べよう」というメモを、忘れないように書いています。お買い物みたいで楽しいです。

らくだのモニカ
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  1. 気遣いの違い、聖俗分離の危うさ|2009/12/28(月) 03:53:16|
  2. エジプト留学日記
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